4、少女は夜に目覚める(その7)「夜の茶話会」
部屋に戻り、備えつけのシャワーを浴びて今日一日の汗を洗い流し終えた頃には部屋に掲げられた時計の針が9時50分を示していた。
呼びに来た瑠琉亜に従って朝莉は部屋を出る。あちこちの部屋から同じように少女たちが姿を見せて廊下を歩き、階段を降りて客間に向かう。
その大半がお揃いのパジャマに着替えている。捷子が寛いだ格好で来るように告げていたからだ。部屋に備えられていたパジャマは薄手のシルク地で、裾部分に幅広のフリルが可愛らしかった。袖を通した朝莉は、まるで自分がお嬢様になったような錯覚を覚えた。
通された客間は電灯が落とされていて、代わりに全員が向き合うように四角く配置されたテーブルに燭台が置かれて蝋燭の火が部屋を照らしていた。
宵闇の中で点された無数の蝋燭が揺らめく様は、窓から差し込んでくる月明かりとも相まってどこか幻想的だ。
何かお香を焚いているのか、仄かに漂う甘い匂いが朝莉の鼻腔をくすぐる。
全員にお茶が行き渡ったところで艶やかな夜着に身を包んだ捷子が最後に席に着き、口を開いた。
「皆さん、この度は私のお泊まり会にご出席いただき真にありがとう存じます。この場を借りて改めて御礼申し上げます」
美しい所作で深々と一礼した後で、捷子は数名の少女の名前を呼んだ。その中に朝莉の名前もあって、彼女は慌てて「はい」と返事をして他の子のように椅子から立つ。
その朝莉たちを捷子が他の少女たちに改めて紹介した。
「先程、昼食の席でもご紹介しましたが、私たちは新たに四名の友人を得る事ができました。この素敵な彼女たちと絆を深める為に、改めてこのささやかな茶話会を催させてもらいました。今宵は皆で楽しく語らいましょう」
少女たちが拍手をする。なんだか気恥ずかしくなり朝莉は下を向いた。
微笑を湛えた捷子が話を続ける。
「実は、彼女たちはちょっとだけ怖い、けれどもとても神秘的で興味深い素敵な体験をしているのです。この茶話会の座興に、少しだけそのお話を聞いてみませんか」
捷子は少女の一人の名前を呼んで促した。
指名された子が困惑気味におずおずと、けれども相槌を打つ捷子に引き込まれてやがて饒舌に語り始めた。
「日野江美瑠です。あの、信じてもらえるかもしれませんが、私、最近、身の回りで変な事が起きてたんです。鏡に、変な女の人が映るんです。軍服みたいなのを着ていて、すごく綺麗な人なんですけど、その人が私の後ろに立つんです」
彼女の話を聞いて、朝莉は思わず息を呑んだ。軍服を着た女。それは彼女の見る夢にも現れていた。同じ人物なのだろうか。
「最初は、うちにある鏡だけだったんです。家の玄関に置いてる古い姿見なんですけど、それに映る事が多くて。でも、その内、洗面所の鏡や学校の鏡とかにまで映るようになって、それで私、怖くなって……家族や友達に言っても誰も信じてくれないし、病院に行けって言われたり……今でもその人は鏡に現れます」
顔を曇らせた少女に近づいた捷子が彼女の肩を抱き、頭を撫でながら座らせる。
「怖い思いをしたのね。でも大丈夫よ、今日でそんな怖い事とはサヨナラできるわ」
次に捷子が指名したのは金髪の少女だった。
「理紗ってこう見えてチョー霊感ある方なんだけどぉ」
独特のイントネーションで語り始めた少女の話は脱線しまくり、要点も定まらずに平気で知らない第三者の名前も出してきてよくわからなかった。けれども、話の核心だけは妙にリアルな質感をもって朝莉の耳に入ってきた。
「……それで、隆也がぁ、その幽霊出るってトンネルの壁をガンって蹴って叫んだワケ。『幽霊とかいんなら出て来いやボケ』って。で、ウチらがちょーウケるとか笑ってたら、なんかトンネルの奥で急に話し声が聞こえてきたの。んで、ヤバくねとか話してたら奥から誰かが走ってきて、これガチじゃんとか怖くなって。そしたら首のない親父とか、ババァの顔した蛇とかがブワァ~ッて追いかけてきて。もう車にマジダッシュしたんだけど、車のエンジンかかんなくてヤベぇじゃんとかパニックで。そしたら偶然、捷子の車が通りがかって、一緒にいた雪が降りてきて。ちょーハンパないし。ガチで殴って倒してヤバかったし」
朝莉の脳裏に旧校舎で目撃した化け物たちの姿が蘇る。震える手で朝莉は顔を覆った。
「朝莉さん……朝莉さん」
気づけば捷子が彼女の肩を揺すっていた。先程の金髪の少女の話は終わっていた。
「大丈夫かしら?気分でも悪い?」
「あ、うぅん。平気です。ちょっと怖くなっちゃって」
照れ笑いを浮かべる朝莉に捷子は微笑み、次に彼女を話者に指名した。何故だろう、それだけで朝莉は自分の体験を皆に話したい気持ちになっていた。
「私は……変な夢を見るんですけど。たぶん原因は夜の学校で体験した火事が原因だと思います。私、高校では放送部なんですけど学校で起きた幽霊騒ぎの原因を突き止めようって事になって――――」
朝莉たちの話が一通り終わった。
捷子が微笑んだまま一堂を見回した。
「どうですか、皆さん?どれも不思議で怖い話でしたね。それとも懐かしくなってしまいましたか?」
何故か少女たちはクスクスと忍び笑いを洩らす。
お粗末な怪談話をからかわれているのかとも思ったが、どうやらそうではないようだ。
「実は皆さんの身に起きた話は、ここにいる私たちはもう知っているんです。いえ、けっして貴女たちの話した事が作り話というのではありません。正直に告白しますと、ここにいる全員が貴女たちと同じ怪異を体験しているのです」
捷子の言葉に、燭台の灯火が揺らぐ。
「不思議な体験だったでしょう。或いは恐怖と周囲の無理解に悩んだかもしれません。けれども、もう恐れる必要はありません。それは、貴女たちが選ばれた証なのですから」
まるで抱擁するかのように捷子は手を広げてみせた。芝居がかった台詞と仕草なのに何故にこれほど吸い込まれそうな気分になるのだろう。
「突然こんな事を言っても信じてもらえないかもしれませんね」
まるで朝莉の心を読んだように捷子が目を見つめてきた。たじろぐ朝莉に微笑み、捷子は言葉を続けた。
「では、まずは貴女たちが選ばれた存在であるという、私の話が真実である事を証明してご覧に入れますね」
捷子のテーブルに古びた電話機が用意された。年代物らしきそれは電話線も繋がれておらず、骨董品以上の価値はなさそうだった。
捷子に促され、朝莉たち新参の少女たちは電話機を調べさせられた。レトロなアナログ電話は、指で回せば数字の書かれた回転ダイヤルがスムーズに駆動するものの、電話線にも繋がれていないのではいくら回しても何処かに繋がる筈もなかった。
「それでは今から皆さんに魔法を見せますね。朝莉さん、今貴女は誰か電話で話したい人がいますか?」
いきなり話を振られて朝莉は困惑した。
「え、え~と」
咄嗟に頭に思い浮かんだのは、まだ母親に無事到着の一報を入れてない事実だった。
「じゃあ、うちの実家に電話を……」
「わかったわ。じゃあ、繋がるように私が念を籠めるから電話してみて」
おどけたようにこめかみに指を当てて念じてみせる捷子につられて、朝莉は自宅の電話番号を回した。数秒の後、プッという音と共に受話器から聞き慣れた声が聞こえた。
『はい。今野です』
うひゃあと魂消た声をあげて朝莉は受話器を取り落とした。少女たちの笑いが起きる中で慌てて拾い上げた。
『もしもし?もしもし?』
やはり母親の声だ。間違いない。
「お、お母さん?私。朝莉だけど」
『朝莉?どうしたのこんな時間に。あんた連絡も寄越さないで。到着したら一報入れなさいって言ったでしょ』
「ご、ごめんなさい。と、とりあえず切るね。お休み」
母親の返事も待たずに受話器をフックに叩きつけた。呆然とした顔で捷子を見やる。
「他に電話をかけたい子はいる?相手の場所とイメージがわかるならどこでもかまわないわ」
捷子は笑みを浮かべて告げる。
電話回線の繋がってない筈の電話があちこちにかかる。送話先のハードルは次々にあがり、アメリカにホームステイ中の友人宅にかかり、片思い中の同級生の声を拾い、ついにはどこかの映画館で上映中のレイトショーを受話器越しに拾ってきた。
実は無線コードレス機能をもつよう改造された電話機なのかと疑っていた少女たちも、本人でさえ知らない筈の電話番号に繋がったり、映画の内容を盗み聞きしたりといった電話の機能から逸脱したような通話を目の当たりにして、すっかり驚嘆してしまった。
これがトリックや仕込みだとしたら、逆に大掛かりに過ぎる。
散々に奇跡を披露してみせた後で、捷子は語る。
「これは私たちが手に入れた魔法の力のほんの一例に過ぎません。皆さんにはそれぞれいろんな可能性が眠っています。たとえば誰よりも足が速くなったり、心強い用心棒の守護霊を呼び出せるようになったり、まるで透明人間みたいになったり。もしよろしければ、私が皆さんの中に眠るこの奇跡の力を目覚めさせるお手伝いをさせてもらいます」
少女たちは顔を見合わせた。
「恐れる事はありません。何も怖い事なんてありません。貴女たちは選ばれたんです。普通の人たちには決して持ち得ない力をもてば、この先の人生は薔薇色ですよ」
朝莉は生唾を飲んだ。
震える声で尋ねる。
「あの、捷子さん。これって冗談じゃあないんですよね?」
「もちろん。貴女も目の当たりにしたでしょう?貴女たちは祝福を受けたんです――そう、久那守葉月の素晴らしき祝福を」
不意に、朝莉の背後に何かが佇み、クスリと笑ったような気がした。
慌てて振り返ったそこには、燭台の灯火によって宵闇に浮かび上がった自分の影が躍っているだけだった。




