4、少女は夜に目覚める(その4)「面会」
これまで二度訪れて二度ともけんもほろろな門前払いだった受付の中年看護師は、同行した柚香の差し出した封筒の中身を見るなりあっさりと病室に通してくれた。
一人、待合室に残ると告げた柚香は哲を呼びとめ、怖い顔で念押ししてきた。
「あたしがここに連れてきた事はおミヅには言わないでよ」
「わかってる」
哲は頷いた。こうして柚香とちょくちょく会っている事はみづきには内緒だった。
「だっておミヅが妬いたら困るっしょ?」
柚香はその理由を冗談めかして言っているが、事実はそんな単純な理由ではない。
会う度に哲はみづきの近況や動静について事細かに柚香に洩らしていた。勿論それはみづきに対する裏切り行為に他ならなかったが仕方なかった。
そうでもしなければ、あの時は柚香にみづきのホテルに踏み込まれていた。そしてみづきの居場所を露見させてしまったのは哲なのだ。
それを無かった事にしてくれと伏して頼み込んだ結果、柚香との間に結ばされた奴隷契約の中にみづきに対するスパイ行為も含まれていた。
選択の余地はなかった。元よりその気になれば柚香は哲を経由する事なくみづきの行動に干渉するなりその身柄を拘束するなりできるのだ。それをしないのは哲との約束を履行する柚香の善意(とも一概には言い難いのだが)に他ならない。
それに、みづきの動きを前もって伝えていたからこそ、先だっての和光捷子との交戦を経てみづきは生き永らえられたともいえる。
哲一人だったらあのみづきの窮地から彼女を救い出せなかったし、その後に無事に逃げおおせてみづきを入院させるなんて事もできなかっただろう。
さほど広くも無い病院の数部屋しかない病室群を抜けたその先、表札も何もかかっていない最奥の小さな部屋にみづきはいた。ベッドに寝かされた彼女は包帯姿も痛々しく、腕にはギプスまで嵌められていた。
そしてそんなみづきの近くには、苦々しげな表情を浮かべた男が椅子に腰かけている。
中々にハンサムな顔立ちだったが、私服を着ている所為か年齢はよくわからない。大人の年齢はよく分からないが、学生という事はなさそうだ。
(こいつが、ミヅキさんの元カレ……!)
おのれ、と哲は憎悪に燃える視線を恋敵に向けた。
男が怪訝そうな顔で睨み返してくる。日焼けした精悍な顔つきの上に眼光も鋭い。
「なんだ、お前は?どうやってここに入ってきた?」
怯みながらも哲は懸命に言い返す。
「ぼ、僕は門倉哲!ミヅキさんの友達だ!ミヅキさんを見舞いに来たんだ」
男は哲を値踏みするように見やった後で、ハエでも追い払うかのように手を振ってきた。
「邪魔だ、後にしろ」
「いつ来ようと、そんなの僕の勝手だろ!あなたこそ誰なんですか!」
男は呆れたようにみづきを見やった。困惑した様子のみづきも彼を見つめ返した。言葉も交わさずに会話のできる二人の親密さを見せつけられたようで、哲はなんだか癪に障った。
男が鼻を鳴らして椅子から立ち上がった。意外と上背もある。
「なんだか知らんが今は取り込み中だ。出て行け」
詰め寄ってくる男に内心でビビリながらも、哲はなけなしの勇気を振り絞って言い返す。
「いやだ、そっちが出てけばいいじゃないですか」
途端、男の手が伸びて哲は扉に押しつけられた。
「消え失せろ」
片手で襟首を掴まれて、哲の体が浮いている。暴力に慣れた人間の動きだった。
「阿波野さん」
みづきの声がその場を制する。
「傷が痛みます。先程の話、一端預かりにしてもらえないですか」
鼻を鳴らした男が哲から手を離した。
「明日、また来る。悪い事は言わん。戻って来い、みづき」
それだけ言い残すと、咳き込む哲の横を素通りして男は部屋を出ていく。扉の向こう、遠ざかる男の足音が聞こえた。
「哲、大丈夫か」
ベッドの上からかけられる声に、哲は咳き込みながらも笑顔を取り繕った。
「やあミヅキさん」
みづきが呆れ顔で見下ろしてくる。
「何故、ここに来た」
「心配だったから。ほら、ミヅキさんが森本柚香に運ばれていった後、暫く会えなかったし……ねぇミヅキさん。今の人、誰なの?なんか、知りあいみたいだったけど」
哲はなるべくさりげない口調になるように苦労しながら尋ねた。最悪の答えが返ってきても取り乱さないように体に力を入れて堪える。
「……昔の、上司だ」
今、説明の前に一瞬何かを躊躇わなかったか?
哲は猜疑の目をみづきにも向けてしまう。とうとう堪えられずに尋ねてしまった。
「ひょっとしてだけど…………カレシなの?」
みづきはキョトンとした顔で瞬きをして、それから失笑気味に笑みを零す。
「おいなんだ藪から棒に。珍しく喧嘩腰でやりあってると思ったら、さては貴様ひょっとして妙な誤解をしていたな」
「え?違うよ、そんな別に僕は……ただなんとなく……」
ヤキモチを妬いた事を気づかれた。気恥ずかしくて顔が赤くなってしまう。
(くっそ、柚香め。あいつが余計な事を言うからだぞ!何が昔の男だ!騙したな)
内心で彼を謀った少女に怒りの矛先を向けた。
そんな哲の心中を知ってか知らずか、みづきは告げてくる。
「妙な邪推をされても困るからはっきり言っておくが、あの人とは上司と部下の関係があっただけだ。無論、他の殿方の誰とも、だ」
「ほ、本当に?」
鉄の曇りきった心が一瞬で晴れ渡った。
「バカか貴様。貴様にわざわざそんな嘘をついて私に何の得がある。私は色恋などにかまけている暇などない」
さりげなく眼中にない発言を食らいながらも、それでも哲はにんまりと満面の笑みで顔を緩める。
「よかったぁ……!じゃあ本当にさっきの人とはなんでもないんだね?手を繋いだりとかキスしたりとかしてないんだね」
タクシーに乗っている間、柚香にある事ない事吹き込まれていたのだ。
「当たり前だろうが!?結婚もしてないのにそんな破廉恥な真似ができるか!恥を知れ……ぐぅっ!?あまり大声出させるな、傷に……障る……」
「あっ、ミヅキさんごめん!つい嬉しくて」
激痛と羞恥に真っ赤になって悶えるみづきを哲は慌てて介抱した。
「こ、この馬鹿者。貴様の所為だ!本当に貴様は下劣な事ばかり言う!」
「え?そうかな?思ってることの10分の1も出してない筈なんだけど」
「この変態!触るな!傷が悪化する」
喜びのあまり、みづきの好感度を思いきりマイナス方向に変動させた後で、哲は漸く彼女の身を案じた。
「でもやっぱりひどい怪我みたいだね?大丈夫なの?」
みづきは悔しそうに肯く。
「正直、芳しくない。腕が一本オシャカにされた。鎖骨やアバラも折れているらしい」
聞いているだけで痛そうだ。
「不覚だった。まさか廣山捷子があれほど強力な手駒を抱えていたとは。そうと知っていれば他の戦い方を選んだものを……」
「う~ん、そっか。でもまぁ、次だよ次!とにかくゆっくり静養して体が治ったらリベンジすればいいんじゃない?」
哲とすれば適当に調子を合わせたつもりだったが、みづきは深刻そうに首を振った。
「そうもゆっくりはしてられん。廣山捷子は呪詛を撒き散らし感染させる。早めに討たねば厄介なことになる」
「でも傷が治らなきゃ戦えないよ」
諌める哲を見据え、みづきは尋ねてくる。
「おめでたいな、向こうが黙ってこちらの回復を待ってくれると思うか?」
「え?どういう事?」
「戦はこちらが仕掛けるばかりではない。敵が攻めてくる時はこちらの事情など斟酌してくれんぞ」
みづきさん、こんな体になって死ぬ思いをしたばかりなのにまだ戦うんだ、と哲は呆れ返った。
病室を出た阿波野はロビーで呼び止められた。
「ねぇ、帰るの?だったら送っていってよ」
声をかけてきたランドセル姿の少女を見やり、阿波野は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「森本、おまえこんな所で何をやっている」
「ま~色々と野暮用があってさ」
連れ立って病院を後にしながら阿波野は少女を睨んだ。
「森本、ひょっとしてあの眼鏡の小僧はおまえの差し金か」
「え~何のこと?」
「さっき小笠原の病室に見知らぬ小僧がやってきた。俺たち以外には絶対に入ってこられない筈の病室にな。どういうつもりだ」
すっとぼける柚香を阿波野は問い詰める。少女はあっさりと口を割った。
「あ~、あいつおミヅのストーカーだし」
「なんだと!?」
気色ばむ阿波野を面白そうに柚香は見上げた。
「あいつ、けっこう凄いんだよ。おミヅとつるんで色々と動いてるんだけど、カタギとは思えない情報収集力してるし。ここだって独力で見つけたっぽいよ」
「見つけたって、見つけられる訳ないだろう?まさかどこかのスパイじゃないだろうな」
「あんなマヌケなスパイはいないっしょ」
阿波野の疑念を少女は鼻で笑った。それから付け加える。
「たぶん、変な力持ってるんじゃない?ウチらとは別のけったいな力を。じゃなきゃおミヅが素人の地方人を手許に置いたりしないよ」
「本当なのか」
「さぁ?あたしゃその手の話は詳しくないし。気になるなら調査入れたら?意外とうちで使えるかもよ」
駐車場に停めてあったスポーツカーの助手席の扉を柚香は開ける。
「とりあえず、今はあたしが手懐けて飼ってる状態。おミヅの内偵するにはちょうど良かったし、こっちの地方人で若い協力者ってのも貴重でしょ?」
粟野は答えず、エンジンをかけた。
柚香がおかしそうにクスクスと笑った。
「あれ?ヤキモチ?ま~久しぶりに会った愛しのおミヅの周りに妙な虫が飛び回ってたら仕方ないか~」
「バカヤロウ、ふざけてる場合か」
阿波野は荒いハンドル捌きで車を急発進させた。
「ちょっと、事故んないでよ?」
「うるさい黙れ。敵地のガキを俺たちの拠点に引き入れるなんて正気か貴様」
「だってしょうがないじゃん。こっちがどれだけ隠したって見つけちゃうんだから、あいつ」
柚香は肩を竦めて両手をあげた。幼い容姿の所為かただのこまっしゃくれた子供にしか見えない。
「だったら消せ」
「え~かわいそうじゃん。てかそれならあのメガネ君をうまい事使っておミヅの首に鈴としてつけといた方が絶対いいって」
暫く阿波野は口を閉ざした。運転に集中しているというよりは、柚香の意見について考えていたのだろう。やがて、有効な反論が見つからなかったらしい阿波野はひどく感情的な意見を口にした。
「しかし、大丈夫なのか?そんなストーカーなんて危ない奴を小笠原の傍に置いて」
真顔で尋ねてくる阿波野を見やり、柚香の笑みは深くなる。
「ま~おミヅだし、大丈夫っしょ。あ、でも年の近い男の子からあれだけアプローチされたらさしものおミヅもまかり間違って~なんてあるかもしれないしね……どぉ?心配?」
「そりゃあ心配に決まってるだろ」
案外素直に男は答えた。どちらかといえば、恋人というよりは娘を案じる父親の顔だった。
「みづきは曲がりなりにも数年前までは俺の戦友だった女だ。生まれ変わったらはいそれっきりってモンじゃねぇだろ」
或いは、部下の消息を気にかける指揮官の顔というべきかも知れない。




