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1、ミヅキさん(その3)「哲の怖い話」

「昔――戦後すぐの頃の話なんだけどね。ちょうど季節は今ぐらいの時期のことだ。我が九品学園高校に、ハヅキさんっていう女子生徒が転校してきたんだって」

 ボソボソと小さな、けれども何故だか耳にはっきりと残る声で哲は語り始めた。

「ハヅキさんは美人で頭もよくて、すぐにクラスどころか学校中の人気者になったんだ。

 だけどあまりに綺麗すぎたハヅキさんの人気は広まりすぎちゃってね、学校の外の人間まで彼女を追いかけるようになってしまったらしいんだ。

 事件が起きたのはそんなある日のことだった。

 ある雨の日、帰宅途中のハヅキさんが、在日米軍の兵士に目をつけられてね――攫われて乱暴された挙句、銃で撃たれて殺されちゃったんだ。その様子を目撃した生徒もいたらしいんだけど、ハヅキさんに助けを求められても、怖くて誰も助けられなかったらしい。

 そして行方不明になって三日後、この学校のある九品山の人気のない藪の中で、ハヅキさんは機関銃で撃たれて全身蜂の巣にされた哀れな姿で見つかったんだ……」

 訥々と抑揚の無い口調で語る哲の言葉が耳朶を打つ。

 朝莉は思わず生唾を飲み込んだ。

 どこか茫洋とした哲の視線は朝莉ではなく、彼女の後ろに――まるで、そこに誰かがいるかのように――向けられている。

 哲がゆっくりと椅子の上で前屈みになった。

 ギィ、と椅子が軋んだ音を立てる。

「それ以来さ――――成仏できないハヅキさんが、夜毎に九品高校を彷徨い歩くようになったのは。米軍兵士に辱められ、銃で蜂の巣にされた哀れな体を引きずって、青白い顔に血を滴らせ――そして時々、自分を助けてくれなかった九品高校の生徒が夜に一人で校舎にいると地獄に引きずり込んで復讐するのさ」

 全身の肌を粟立たせながら、朝莉は引きつった顔に余裕の笑みを必死に浮かべてみせた。

「……へ、へぇ~~、まあまあな怪談話ですね。で、でもでも、所々のディティールが激甘です。そもそも、うちの生徒がいちいちハヅキさんに地獄に引きずりこまれてたら大問題になってますよ!そんな事入学案内には書いてなかったし!てゆーか、そもそも悪いのは米軍じゃないスか!なのにうちの学校を恨むとかチョー逆恨みだし!」

 必死に難癖をつける後輩の様子を嘲り笑うかのように、哲は目を細めた。

「なぁ今野。実はこの話、まだ続きがあるんだけど」

「え?」

「―――聞きたいだろ?」

「聞きたくない!」

 きっぱりと言い放ったのに、哲の口は止まらなかった。

「実はさ。ハヅキさんは今でも地下でずっと聞き耳を立て続けているんだ。自分の事を面白おかしく話す輩が許せないんだろうなぁ」

「ほ、ほぉ~~?それはそれは見かけによらず小心者ですなぁ」

「――――気をつけろよ、今野」

「ななななにをです」

「この話をすると、それを聞いた人の家にそれから三日以内の夜にハヅキさんが来るかもしれないんだ」

「うぎゃああぁぁぁっ!?怖っ!?ハヅキさん怖っ!?」

 朝莉は部室中に響く悲鳴をあげた。

「てか、なんでそんな話聞かせるんですか!?哲先輩のせいで私んちにハヅキさん来ちゃうじゃないですか!?哲先輩のバカー!」

 取り乱す後輩を見やり、哲は溜飲を下げた表情を浮かべた。

「ふん、バカは君だ。ハヅキさんが来たらよろしく言っといてくれ」

「いやぁああっ!!ムリムリ!ちょっとどうしてくれるんですか!てか、ハヅキさ~ん!悪いのは哲先輩なんだから先輩の所に行ってくださいよ~!」

 両手でメガホンを作って必死に地面に向かって叫ぶ朝莉を、哲は冷笑で見やる。

「ふふん。実は僕は金曜日にこの話を聞いてから土日を挟んで既に三夜が経ったんだ。だからセーフ。僕はお咎めなし!いいだろ~」

「こっ……この腐れ外道!鬼畜眼鏡!哲先輩、責任とって今日から三日間、私の家で寝ずの番を命じます!特別に許可をしますから一命に代えても私を死守してください!」

「フハハ!誰が一度逃れた虎口に再び近づく愚を犯すかね!せいぜい三日間眠れぬ夜を藁のように震えて過ごすがいい」

「ひぃぃぃっ!やだっ!やだっ!」

 頭を抱えてその場にへたり込み、ガクガク震える朝莉に満足げな視線を向けた後で、哲は残る二人の同僚たちに視線を向けた。

「――――というのが、僕の集めたハヅキさんの話の大まかなストーリーなんですけど。先輩たちどうですかね?何か他に知ってることとか気づいたことはありますか?」

 話を振られて、誠司が少し考える仕草を見せた。

「そうだなぁ。俺が最初に聞いた奴はもう少しシンプルだったけどな。ハヅキさんって美人の生徒が殺されて、その怨霊が今でも出てるっていう簡単な奴だ。後は若干とってつけたような怪談エピソードでアレンジされたのが幾つかあるよな」

 実花も続けて口を開く。

「私が知ってるのは門倉の話とほとんど一緒よ。そりゃ細部に多少の違いはあるけど、こういう口伝えで広まる話ってのは語り手によってどんどん変化するわ。細かい枝葉の部分の差異を取り上げる事にあまり意味は無いわね」

 哲は頷いた。

「まぁそうですよね。実際、この話自体、元ネタは別の怪談を借りてきた感じがしますしね」

 そう言うと、哲は近くにあったホワイトボードにマーカーを走らせた。

「とりあえず、僕が調べた限りだと、このハヅキさんって怪談が成り立つ最小の要素としては、ハヅキさんって美人の女子生徒がいて、その生徒が殺されて(事故で死んだってのもありましたけど)、その怨霊が校内を彷徨っているって部分ですよね。つまり田原リーダーが知ってる話が、この話の原型って考えてもいいですよね」

「そうね。概ねその三つは共通してどの話にも出てくるわね。この怪談の一番プリミティブな形がこれで、それから人づてに伝播されるうちにいろんな話が付け足されて膨れ上がったのが門倉くんの話したハヅキさんの話なんでしょうね。だからけっこう矛盾したり破綻したり、事実と合わない部分も出てきちゃうって事かしら」

 実花の意見に誠司が苦笑を浮かべた。

「そうだな。今野じゃないけど、さっきの門倉の話っておかしい部分とかは色々あるよな。うちの学校の近くに米軍の基地はないだろとか、いくら戦後すぐだって、銃使って事件を犯したらたとえ米兵とはいえ世論やMPが黙ってないだろとか。なんで生徒がたった一人しかいないのにハヅキさんに地獄に引きずりこまれたのが伝わってるんだとか、ツッコミどころは満載だったし」

 誠司の言葉に、蹲って震え続けていた朝莉が顔をあげた。

 絶望に彩られた顔に一筋の光明を輝かせて立ち上がる。

「そ、そうですよね田原先輩!この話おかしいですよね!?嘘ですよね!?だいたいこの話聞いた人たちの所にいちいちハヅキさんが出てきてたら九品高校の生徒は今頃全滅しちゃってますよね?ね?ね?お願い!そうだと言ってください!」

 誠司より先に哲が口を挟む。

「そういえば一説によると、東京では毎年十万人近い行方不明者が出てるらしいよ」

「いやぁああっ!!哲先輩のバカァ!!将来禿げてしまえ!」

 発狂寸前の朝莉は光の失われた目で頭を抱えていたが、ハタと何かを思いついたらしく、

「私の家にハヅキさんが来る確率を減らす為に、今の話、友達に拡散してきますね。という事で今日はお先に失礼しま~す!」と猛ダッシュで部室を後にした。

 走り去る後輩を邪悪な微笑で見送る哲に、誠司が呆れ顔を向ける。

「おい、あんまり今野をいじめるなよ。あいつ本気で信じるぞ」

「そうなったら三日間は安寧が約束されて好都合です。今野にかかずらっていたらろくに調べ物もできませんし」

 哲は再びパソコンと睨めっこを始めた。

「なんだおまえ、本気でこの幽霊騒ぎを追いかけるつもりか?」

「やめときなさいよ馬鹿馬鹿しい。こないだのツチノコ騒動の時も大騒ぎして私たちクルーを総動員させて、結局撮れたのは裏山のシマヘビ一匹だけだったじゃない」

 哲の企画に度々振り回される事が多い実花は、眉間に皺を寄せている。

「お~。あれは傑作だったな。割と好評だったし」

「無いわ!私たちはドキュメントチームよ!?コント集団じゃないのよ??」

 実花は机を叩いた。

「だいたい幽霊なんて、怖い怖いって思うからそう見えるのよ。ましてやうちは戦前からある学校よ?怪談話なんて掃いて捨てるほどあるんだし、そんな環境で夜の学校に女の子が一人きりになったら幻や錯覚を見てもおかしくないわ。そもそもハヅキさんの話だってどっかで聞いたような怪談を継ぎ接ぎして創られたパクリじゃない。それをわざわざ私たちが騒ぎを下手に煽るような真似をして混乱を助長させるべきではないわ」

 実花の剣幕に、誠司は顔をのけ反らせ、哲は頭を掻いた。

「まぁ、それは先輩の言うとおり、そうなんスけどね。でも」

 奥歯に物の挟まったような哲の言動と、掻かれた頭から舞い散るフケの二つに、実花は柳眉を逆立てた。

「何よ?なにか言いたげね?」

「はい。今回の話、ちょっと気になることがありまして。実は僕、この話が出てから幽霊を見た張本人に話を聞きに行ったんですよ。彼女、僕のクラスメイトだったんで」

 哲はまだ頭を掻きながら続ける。フケが彼の制服の肩口に雪のように積もっていく。

「え?行ったの?あんた一人で?」

「はい……キモい、とかデリカシーなさすぎ、とか本人や他の見舞いのクラスメイトには散々言われましたけど……」

 傷つくなら行かなければいいのに、と上級生二人は思った。

「でもまぁ、一応話は聞かせてもらって。それで今度のハヅキさんなんですけど。いつもと違って、一人じゃなかったんです」

「え?どういう事よ?」

「ハヅキさんの後ろにお供がいたらしいんです。それでそいつの格好が」

 言いながら哲は自分のノートを取り出して広げて見せた。

 そこには、さほど絵心のあるとは思えないタッチで男の絵が描かれていた。稚拙な絵ではあったが、そこに描かれた男の特徴は辛うじて判別できた。

 覗き込んだ誠司が尋ねる。

「なんだこりゃ?兵隊か?」

 後頭部を覆う布のようなものをつけた帽子を被り、軍服のような衣装を纏って手にライフルを持った痩せぎすの男。昔のお笑い番組の戦争コントみたいだな、と誠司は思った。

「はい。話を聞いたかぎり、日本兵だと思います」

「うん?それがそのハヅキさんと一緒にいたって言うのか?なんでだよ?」

 誠司の問いかけに、哲は肩を竦めて応えた。

「さぁ。そこら辺はなんとも。でもいたって言うんだから仕方ないじゃないですか」

「夜の学校を徘徊する女学生と日本兵の3人パーティの幽霊、か……シュールだな、なんか」

 誠司も首を捻る。

「フン、どうせ旧体育館の日本兵のお化けの話と結びついちゃっただけでしょバカバカしい」

 険もほろろな実花の物言いに、再び哲は頭を掻いた。

「まぁそうかもしれません。けど、野中さん、見ただけじゃなくてハヅキさんと会話までかわしたっていうし、気になっちゃって。でもまぁ、今回は先輩たちを巻き込むのも悪いですし、僕の個人的興味って事で一人で動きます。一応何か言われたら、学校には夜の学校の撮影って事で通しますんで口裏合わせだけお願いします」

「ちょっと門倉。そんな勝手な真似、許される訳ないでしょ?」

 実花はあくまで今回の企画に反対らしい。というよりも彼女は哲の持ち出す企画には大概反対の立場をとることが多いのを、哲はこれまでの経験則で承知していた。

 柳眉を逆立てる実花への対応策を幾つか哲は頭の中で講じていたが、助け舟の方が向こうからからやってきた。

「おう、いくらなんでも門倉を一人でほっぽり出す訳にもいかない。門倉、俺も付き合うから一緒に行こうぜ」

 誠司だった。

「ちょっ!?田原!なんで」

 面食らった実花とは対照的に哲はそっとほくそ笑んだ。

 実花が反対を表明した場合、ドキュメント班リーダーの誠司を味方に取り込んでしまうのがもっとも手っ取り早い必勝法である。その誠司はいつものぼんやりとした顔のまま、実花へと寝返りの理由を告げた。

「ん~、門倉の企画は割とヒットするし、怪談物はそれなりに学生には人気のテーマだろ。社会学とか心理学的な見地から今回の騒ぎを検証してみるのも面白そうだし、それに、今の俺は暇なんだよ」

「受験勉強しなさいよ!」

 実花のごもっともなツッコミは、当の誠司には届かなかった。

「ありがとうございます。八木先輩はどうされます?」

 尋ねた哲を、実花は噛みつきそうな形相で睨みつけた。

「私は行かないわよ!絶対!」

 哲は勝者の余裕で笑みさえ浮かべてみせた。

「あれ?先輩怖いんですか?」

 実花が、心なしか頬を赤くしながら怒鳴る。

「……悪い!?」

 八木実花は朝莉以上の怖がりだった。


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