幕間「蘆屋機関(上)」
桐秀院女子高等学校の校門前で起きた一連の乱闘騒ぎ及び交通事故は多くの余波を残した。
傷害事件の容疑者と思わしき少女がこの学校に在籍する平和金属会長夫人の和光捷子の登校時を狙って日本刀のようなものを振り回して襲撃し、彼女を庇った運転手は胸と左腕を斬られて重態。その後、和光捷子の車に同乗していた彼女の友人により容疑者の少女は制圧されかけたが、容疑者の仲間らしき男たちが乱入して銃を乱射し、周辺の車や施設を損壊した。
発砲に動顛した友人A子は車を運転して逃げようとして操作を誤り、路上に乗り上げて電柱にぶつかり車を大破させた。この騒ぎに巻き込まれ、通学中の生徒たち数人が逃げようとして衝突や転倒により頭や腕、膝などに軽傷を負った。
車の暴走によって数名の男たちが轢かれたとの情報もあったが、和光捷子の送迎車に事故の痕跡はあったものの、現場周辺及び近隣の病院に、自動車事故が原因で運ばれた患者は無し――以上が現場周辺及び所轄の警察署、警視庁公安部等を駆けずり回って秋森幸隆が集めてきた事件の概要だった。
蘆屋千沙都はいつもの何を考えているのかわからない微笑を浮かべて秋森の報告に聴き入った。
場所は埼玉県朝霞市にある彼女のオフィスだった。
かつては日本陸軍被服廠の出張所が設けられていたが、終戦後は駐留してきた米軍に接収され、キャンプ・ドレイクの名で第1騎兵師団が駐屯地した他、米陸軍戦略陸軍通信隊の主要中継局舎も置かれ、米軍による怪しげな諜報工作の現場ともなった曰くつきの場所であった。
その後、米軍からの返還後、敷地の大部分は公共施設への転用や緑地化が為されていたが、紆余曲折を経て僅かに残った20ヘクタールほどの未整理区画の一部に建てられた官舎を蘆屋が居座り同然に強奪したのだった。
「で、どうするんです?また邪魔しに行くんですか?」
秋森は上司にも断らずスーツの内側から煙草を取り出して咥えた。蘆屋は嫣然と微笑を貼りつけたままで応える。
「当然だ。それが私の仕事だからな――あぁ、秋森くん」
「あん?なんスか」
蘆屋は言葉の代わりに白魚のような細い指を突き出した。オフィスの壁には大きく「所内禁煙」の文字が書かれている。後は百円ライターを点火させるばかりだった秋森は鼻を鳴らした。
「随分と小笠原みづきへの贔屓が過ぎるみたいですけど、あんまり露骨過ぎじゃないスかね。この二ヶ月近くで幾つの事件を揉み消してるんですか?いい加減、俺の古巣も嫌な顔をしてるぜ?最近じゃ俺が顔を出す度に疫病神扱いだ」
秋森の仕事は蘆屋の指定する事件についての捜査が中心だった。当然、彼の古巣である警視庁のかつてのツテを辿る事も多いのだが、どちらかといえば今の彼の所属する職場は警察官たちの職務に横槍を入れて取り上げる事の方が多く、煙たがられ、嫌われることはあっても歓迎される事はまずないと言ってよかった。
「ふん、人の所為にしないで欲しいな。君は元々、署内でも嫌われ者だったじゃないか」
「うるせー。それでも俺は楽しくやってたんだよ、クソ」
上司に向かいぞんざいな口をきいた後で秋森は外にある喫煙所を目指した。
秋森の運転で桐秀院女子高等学校前傷害事件を扱う所轄署に乗り込んだ後で、蘆屋は捜査本部の長である警視庁刑事部の管理官を呼び出す。
渋面を浮かべる若い管理官に剛柔諸々の手を駆使してこの事件の都合のよい幕引きを促す。幸い、当事者である和光家が被害者たちへの補償などを早々に行なうなど、こちらの思惑と一致しているのも蘆屋にとってはプラスの交渉条件となっている。
それでも渋る管理官に蘆屋は刑事部長の意向を確認させた上で、彼が最近交際している妻以外の女性との些細なトラブルについて仄めかした。
「何故それを……!?」
「さぁ?何故でしょうね」
目に見えて狼狽する管理官に微笑んでみせた後で、蘆屋は彼のメンツを潰さぬように事件の筋書きを伝えてみせた。
傷害事件の容疑者は、麻薬を買う金欲しさに誘拐目的で犯行に及んだ重度の麻薬中毒患者の女の単独犯。こちらは蘆屋の方で適当に手頃な者と凶器を用意する。和光捷子の友人による暴走行為については、気が動転した為に運転操作を誤った為の単独の自損事故として処理する。
事件を目撃した桐秀院の生徒たちにはショックで混乱が見られる為、全員和光惣吉ゆかりのカウンセラーによるカウンセリングを試みる他、周辺の弾痕などの被害については蘆屋の方で修復と隠蔽を実施する。
管理官は幾つかの注文と修正を告げた後で概ね蘆屋の申し出に同意した。
「それでは管理官、よろしくお願いします」
「待ってくれ、蘆屋さん」
退出しようとした蘆屋を管理官が呼び止めた。、まるで怪物でも見るような目でみつめてくる。
「どうしてあんたはこんな事をするんだ。あんたは何者なんだ」
蘆屋は答えず、艶笑と馥郁たる残り香を残して警察署を後にした。




