3、戦士たちの前夜祭(その8)「サイは投げられた」
拳が降り注ぐ。堪えきれず、みづきの口から苦悶の声が洩れる。
「がっ!?」
殴られる寸前、みづきは顔を含めた上半身に防鎧を現出させていた。だが、雪はかまわず生身の拳をその上から叩きつけてきた。
辛うじて庇った腕が痺れる。腕の隙間から拳を捻じ込まれ、数発、まともに顔面に入った。
片手殴りに握ったままの刀を振るって斬りつけたが、組み敷かれたまま力の入らぬ一撃は僅かに雪の腕に食い込み傷つけただけだった。抉られた腕にかまわず雪は殴り続けてくる。
「雪、やりすぎないで!捕らえて聞きたいことがあります」
捷子の声がする。雪は忠実にその命令を履行した。拳の威力が僅かに弱まる。
それでも顔を覆う面頬が音を立てて砕け散った。ガードしていた腕がもたず弾かれる。殴られる度に後頭部が道路のアスファルトに叩きつけられ、意識が飛びそうだ。
だが、雪の猛攻の一瞬の間隙をついてみづきは兵士たちを呼び出す事に成功した。
召喚されてすぐに兵士たちは雪に襲いかかる。
突き入れられた銃剣を雪は転がってかわす。だがおかげでみづきの身体も解放された。間髪を入れずみづきは命じる。
「前方部隊!各個に射てぇ!」
指揮下の亡霊たちが一斉に三八式歩兵銃の引き金を引いた。
至近距離で放たれたライフルの着弾の様子を見届け、美月は苦痛以外の呻き声を洩らした。疾風のごとく駆けた雪が、捷子の体を抱き抱えて車の向こうに飛び去っていた。
そして防弾仕様を施された国産高級車は、弾痕により車体と窓をボコボコにされながらも至近距離から放たれた6.5ミリ尖頭弾の斉射に堪えてみせた。
反対側の扉から捷子を車内に押し込み、自らは運転席に乗り込んだ雪がセダンをバックで急発進させた。後方のアウディを力ずくで押しやり間合いをとった後で、そのまま加速しながら歩道に乗り上げてきたセダンは日本兵たちを弾き飛ばしながら迷わずみづき目がけて突っ込んでくる。
みづきは動けない。
雪の拳を十数発受けた身体は彼女の意思に反してまったく反応しなかった。生き残りの兵士たちがフロントガラスに向けて発砲するが、動きは停められない。
セダンの重たい防弾タイヤがみづきの身体を蹂躙しようとしたその刹那、爆発音と共にその前輪が弾けた。
小銃弾など物ともしなかった筈の車が殴られたように進路を捻じ曲げられ、そのまま近くの電柱に激突して停まった。
車体から外れ、ひしゃげた前輪が道路上に不器用な円運動を見せた後に転がった。そのタイヤに足をかけ、佇む少女が一人。足許には特徴的な銃口制退器の付けられた巨大な長銃身のライフルが一丁、二脚を立てられて無造作に置かれている。正式名称は中央工業製八七式対物狙撃銃という。
「よぉ、おミヅ。貸しイチだから忘れんなよ」
声をかけられ、呻きながらみづきは身を起こす。対物ライフルにより窮地を救ってくれた命の恩人を見やる。
「柚香――貴様」
「あら~、すっかり美人になっちゃって」
森本柚香がいつものからかうような笑みで見下ろしていた。その彼女の脇をすり抜けるようにして、顔色を失った哲が駆け寄ってくる。
「ミヅキさん!大丈夫」
「私の事はいい。それよりも柚香!借りついでに奴を叩いてくれ!廣山捷子だ」
みづきが軍刀で指し示したその先、電柱に鼻面を突っ込んでいたセダンの後ろ扉が開かれて、存外に和光捷子が元気そうな姿を見せる。続いて、作動したエアバッグを切り裂くようにして真名津雪もよろばい出てくる。こちらは額を打ったのか顔を血に染めている。
その捷子に柚香が笑みを向ける。
「よぉ、おショコ♪久しぶりじゃん」
捷子はこの期に及んでも冷静な態度を崩さなかった。
「ご無沙汰ね、柚香。暫く見ないうちに随分と幼く縮んだみたいね」
「こないだ、どっかのバカに殺られてね。それよりそっちこそ何さ?そんないいべべ着てお嬢みたいな車乗っちゃって。いいパパでも捕まえたの?」
気安い会話の後で、声のトーンも変えずに柚香は尋ねる。
「……で、どうする?随分と楽しそうな事になってるみたいだけど、あたしも混ざっちゃっていいの?おミヅはあんたのことヤれって言ってるけど」
雪がよろめきながらも捷子を庇うように進み出た。その目はまだ死んではいない。
捷子は両手を拡げて微笑んでみせた。
「そうね、見逃してもらえないかしら。勿論、その事で貴女に損はさせないつもりよ」
「へぇ、具体的には?」
値踏みするような柚香の視線の先で、捷子は携帯電話を取り出して何処かにかける。
「私です。今から言う住所に百万ほど現金で届けてほしいの。……えぇ、私の口座からでかまわないわ。住所は」
そのやりとりを耳にして柚香が眉間に皺を寄せた。
「おい、おショコ。あんた、なんであたしのヤサ知ってんのさ」
「あら、今の私には公安関係にも知り合いが多いのよ」
微笑で答える捷子を、柚香は上目遣いで睨む。大人に怒られてふて腐れる子供の顔にしか見えなかった。
「へぇ……で?そのセレブなマダム捷子ちゃんのお命代がたかだか百万ぽっちってのは安すぎじゃね?どうせなら一億くらいポンと出しなよ」
「あら、だったらこっちは壊された車の御代を請求して差し上げてもよくてよ」
途端、柚香は悲鳴をあげた。
「うぎゃー、無理無理!?幾らするのさこの特注インフィニティ!?……オーケぃ、じゃああたしの引っ越し費用込みでプラス百万。それで手打ちにしない?悪くないっしょ?」
傍から聞いている限りふざけているとしか思えないやりとりに、それまで沈黙を続けていたみづきが堪えきれずに口を挟む。
「柚香!貴様、金で寝返るつもりか」
怒鳴られ、柚香は面倒そうにみづきを見やる。
「うるさいなぁ。こっちはあんたの所為で下宿先まで探し直しになったんじゃん。また誠一郎に叱られるっつーの!ねぇおショコ、車の請求はこいつに回してやってよ」
言いながら、柚香はさっさと背中を向けて歩き出してしまった。
どうやら連れを近くに待たせていたらしく、自転車に跨った少女を招き寄せている。その背中に捷子が声をかける。
「ねぇ柚香。なんなら貴女、私の方についてみないかしら?貴女ほどの子なら一生お金に不自由はさせなくてよ」
柚香は振り返り、小首を傾げてみせた。
「う~ん。すごい惹かれる話だけど、けっこうザマス」
「あら、残念ね」
「あたしがリストラされたらまた声かけてよ……お~いお寧!遅いぞ!速度増せ」
右手の拳を頭上に向けて何度も突き上げている柚香に、自転車に乗って近づいてきた少女が怒鳴ってくる。
「ユズちゃん、そろそろお巡りさん来ちゃうよ!急いで乗って」
見た目は柚香と変わらない幼さだ。どこかの制服らしきブレザーを着込んでいる。首元にかけたゴツいヘッドフォンからヒップホップらしき洋楽がダダ漏れになっている。
駆けつけた自転車の後部座席に跨ろうとして、柚香が哲の方を見やってきた。
「哲、あんたらチャリは?」
みづきを抱き起こしながら哲は困惑げに答える。
「無いよ。電車で来たもの」
柚香は舌打ちし、目の前にいた少女を突き飛ばした。
「ぐぇっ!?」
相棒が地面に転がるのも無視して柚香は自転車を奪いとり、そのまま哲の前に走り寄る。
「おミヅを貸して。後ろに乗っけてやる」
「え、でも……」
「早くしてよ。そいつ動けないじゃん?サツにパクられるよ」
みづきが哲に縋りつくようにして立ち上がった。そのまま身を投げ出すようにして柚香の乗る自転車の後部座席に跨る。
「くっ、重たい。あんたも早く逃げなよ。……お寧!あたし先行くから後は任せた」
自分より身体の大きい重傷患者を乗せてヨタヨタと四苦八苦しながら柚香は自転車を漕ぎ出す。置いてきぼりを食らった少女が涙目で叫ぶ。
「ウソぉ!?あんまりだよユズちゃん!任せたって、どうすればいいのさ」
「映画の撮影とか言って誤魔化しとけ」
迷走気味に走り去る自転車を見送りながら取り残された少女が天を仰ぐ。
「マジっすか。ったくもぉ、メチャクチャだよユズちゃん」
台詞ほど緊迫感が感じられないのは険というものがまったく感じられない彼女の幼い丸顔の所為なのだろうか。それともどこか余裕めいた佇まいの故なのか。
呆れ顔のまま、少女は捷子に向き直り声をかけた。
「……捷子ちゃんもだよ。やり過ぎだよ」
「私が仕掛けた争いじゃないわ」
「火種を作ったのは捷子ちゃんでしょ?そんなに呪詛の大安売りをしてどうするの?」
答えない捷子にため息をついた後で、少女は続ける。
「……ま、あんまり聞きたくないけどね。どうせろくなものじゃなさそうだし」
「寧、あまり誤解しないで欲しいわね。私のしている事はレゼルボアとしての本道よ。正しき力の持ち主を見出して守護し、善導する。これはその為の手段よ」
大きな目を瞬き、少女は顔を曇らせる。
「それは違うよ捷子ちゃん、それじゃまるで蘆屋彌稚乃だよ。久那守葉月をもう一人、創り出すつもり?」
捷子は笑っていた。
「悪くないわ。それで私の願いが叶うなら、私は第二の蘆屋彌稚乃になってみせる」
「やれると思うの?世界中が敵に回るよ?もちろん寧たちだって見過ごさないよ」
少女の忠告に捷子は肯かなかった。
「心配ご無用よ。私は必ず成し遂げてみせる。寧、いずれ貴女たちも気づくわ。私の正しさに」
少女はため息をついた。
傍らで呆然と立ち竦む哲を見やり、声をかけた。
「行こう、哲くん」
「え?僕の事知ってるの?」
初対面の相手に名前を呼ばれて哲は戸惑う。
「知ってるよ?ユズちゃんから聞いてるし。みづきちゃんのボーイフレンド兼ユズちゃんの奴隷なんでしょ?すごい物好きなどMくんだよね」
「それ、色々と誤解が生じてるみたいなんだけど」
周囲が逃げ惑い、或いは野次馬となって大混乱に陥る中で、少女はまるでそれらが視界に入ってないかのように陽気に哲の袖を引き、話しかけてきた。
哲は振り返り、捷子を見た。
無言のまま、こちらを見つめていた捷子が踵を返して群集の中に姿を消していく。
「……ヤダなぁ」
隣の少女が顔をしかめてポツリと呟いた。
「寧、戦争は嫌いなんだけどなぁ」




