3、戦士たちの前夜祭(その7)「和光捷子」
桐秀院女子高等学校はいわゆるお嬢様学校である。
入学する為には学力のみならず、その生徒の両親の社会的地位や経済力なども露骨に選考基準に加えられているが為に、ここに通う生徒は政治家や旧華族、大企業の令嬢ばかりとなっており、それ故に桐秀院卒の学歴それ自体が一種のステータスになっていた。
その生徒たちの登校風景を目の当たりにした哲が抱いた感想は、リアルで高級車の送り迎えされてる奴なんて本当にいるんだなという陳腐なものだった。
それも一台や二台ではない。
学校の正門前に、ベンツだのジャガーだのキャデラックだのといった高級車が渋滞を起こし、専門の誘導員がホイッスルを咥えて交通整理に当たっているのだ。
そうでない生徒は、学校前50メートルの距離に設けられた殆んど学校専用の駅からゾロゾロと歩いてくる。
某有名デザイナーの手によるという一着ン十万円の制服を着込んだ令嬢の群れが大挙して歩いている光景は圧巻そのものである。アニメやギャルゲーで見た妄想の世界が目の前に現実世界の景色として広がっている事に哲はある種の感動すら覚えていた。
勿論、それを言動に表したりはしない。
正直な感想を述べたら横にいるみづきの冷たい視線を浴びる事は容易に想像がついたし、それにちょっとでも不審の振る舞いがあらば、学校が安全対策に雇った屈強なガードマンたちが哲を排除すべく襲いかかってくるだろう。
桐秀院学院を見下ろす位置に設けられたカフェで、娘の送迎を終えたマダムたちに紛れて一杯1000円という目を疑いたくなる価格のつけられたコーヒーを啜りながらみづきと二人、コソコソとお嬢様たちの登校を覗き見しているのは、部外者である彼らが他に居場所を見出せなかった所為もある。
「しかし残念だな」
哲の呟きを聞き咎めてみづきが見やってくる。
「なんだ?何か気づいたのか」
「うん、たいした事じゃないんだけどさ。……現実のお嬢様って、あんまり縦ロールはいないんだなって思ってさ」
不思議そうな顔をするみづきに哲は縦ロールなる髪形と、その髪型とお嬢様キャラとの親和性の高さについて熱く説明をした。
みづきはバカにしたように鼻で笑ってきた。
「お嬢様が皆、縦ロールだと本気で思ったのか?戯画化されたイメージを現実世界に求めるなんて安直すぎるだろ」
「それはそうだけど」
三つ編みメガネにセーラー服姿のみづきにだけは言われたくなかった。
ミヅキさんのこのいでたちは何のカリカチュアなのだろう、と内心で思いながら哲はコーヒーを啜る。正直、ファーストフード店の安コーヒーと何が違うのかわからない味だ。
やおら、みづきが腰を上げる。その視線の先を追って、彼女が立ち上がった意味に哲も気づく。
黒塗りのセダンが送迎の車列の最後尾に乗りつけていた。目を凝らしてナンバーを確認する。間違いない、和光捷子の自家用車だ。
「ミヅキさん」
「哲、支払っておけ。それと貴様はここにいろ。いつもより面倒な事になる」
そう言ってみづきはテーブルの上に万札を一枚放り店を出ていく。
なんだかんだでみづきには奢られっぱなしだ。金銭感覚には意外と無頓着な上に、いつも手の切れそうな新札を無造作に出して支払っている。実はみづきの実家こそ金持なのではないのだろうか。哲はふとそう思った。
みづきはすぐには駆け寄らなかった。後方にアウディが並び、国産高級セダンの退路が断たれるのを待ってから漸く登校する少女たちの流れに逆らいセダンを目指す。
そのままノロノロと進む車列に割って入り、セダンの前に立塞がって大音声をあげた。
「廣山ぁ、出てこい」
周囲の生徒たちがぎょっとして振り返る中、セダンの後部扉が開き、桐秀院の制服に身を包んだ少女がゆっくりと降りてくる。
長く伸ばした黒髪に均整のとれた利発そうな顔立ち。その姿は紛れもなくみづきの追う和光捷子に相違なかった。
突如現れて自分を見据える闖入者にもさほど驚いた様子もなく、捷子は口許に微笑を浮かべてさえみせた。
「あら、みづきさん。ごきげんよう」
もう片方の後部扉が開き、同じく桐秀院の制服を纏った少女が無言のままに捷子の後ろに控えた。まるで姫君につき従う従者のようだった。
「ご無沙汰ね。こんな所で何をしているのかしら」
まるで知己との久しぶりの再会を喜ぶかのような口調の捷子に対し、みづきの顔には友好の欠片も浮かんでいなかった。
「廣山、貴様こそ何をしている」
問い質すその言葉は硬質な刃物のように鋭い。だがそれを意に介した様子もなく捷子は微笑を崩さない。
「みづきさん。今は私、結婚して和光に姓が変わったんですの」
「知っている。風見鶏の老醜と結託して貴様は何を企む」
まさか祝福の言葉を期待していた訳でもなかったのだろうが、美月のあまりの言い草に捷子の微笑は苦笑に変わる。
「まあ、随分な物言いね?ああ見えて祖国の行く末を憂う、優しい人なのよ」
「ふん。奴の嘴が京都と東京、どちらに向いているかはこの際問うまい。貴様が本気で七〇過ぎの老体との結婚に女の幸せを感じているなら昔の誼で祝儀くらいは弾んでやってもい。……だが」
吐き捨てるように告げた後で、みづきは抑えていた怒りを露わにした。
「答えろ廣山捷子!何故、貴様は呪詛を撒き散らした?何故、偽月を濫造した!?」
みづきの怒気に一瞬反応しかけた連れの少女を制した後で捷子は目を細めた。
「まぁ、やっぱりあなただったのね?最近、私の大切な友人たちを手にかけていたのは」
「何が友人か。その資格なき者に呪詛を植えつけ、あまつさえ英霊たちをも使役させるなど言語道断だ。貴様の所業は我ら同胞全てに対する冒涜であり我が久那守の一族への愚弄だ」
フン、と捷子はせせら笑うように口元を歪めた。
「心外ね。私はレゼルボアとして彼女たちの背中を押してあげただけよ?現に立派に呪詛が発症してるじゃない。それにあの子たちの存在は貴女の元上官たちも黙認しているわ。私の行いが冒涜というのならば、貴女こそ同胞殺しじゃない」
「アレが同胞だと!?歴史も知らず、呪いの重さも知らず、ただ貴様に唆されるままに呪詛に感染した哀れな傀儡ではないか。選別すべきではない者を呪詛に引きずりこんでなんとする!?」
「傲慢ね。では聞くけれども、その選別すべき呪詛とやらが選ばれた者たちに何をもたらすというの?終わりの無い戦いが繰り返され、大人たちの使い捨ての走狗に成り果て、徒に絶望を味わう子たちを増やしただけじゃない」
舌鋒鋭く言葉をぶつけてくる捷子との舌戦をみづきは打ち切った。
「語るに落ちたな?己が所業を他人の所為にして逃げるか。ならば最早これ以上の問答は無用だ。久那守の眷属として貴様の振る舞い、断じて見逃す訳にはいかぬ」
間合いを詰めるみづきの放射する殺気を察したのか、彼女と捷子の間にセダンの運転手が主人を守るべく割って入る。屈強な体に敏捷な動きは、明らかに要人警護の訓練を受けた者のそれだ。
だが、目の前の小柄な少女を排除しようとした運転手の誤算は、みづきの手の中にいつの間にか刃物が収まっていたことだ
それでも得物がナイフならば、まだ対処のしようもあっただろう。或いは少女の手にしているものが陽光を反射して煌く軍刀だったとして、剣の心得もない素人が無闇に振り回すだけであったならば防ぐ術も見出せたのかもしれない。
だが、躊躇わず振るわれたみづきの剣は曲がりなりにも修練を積んだ者の斬撃であり、対する彼は後方に控える主人の為、避けることも逃げることも許されぬ肉の盾であった。
血飛沫と共に堪えきれぬ苦悶の声があがる。
庇った左腕におそらく生涯に渡って癒えぬ深刻なダメージを受け、そして場合によってはそれ以上に致命的になるかもしれぬ裂傷を胴に刻まれた運転手が崩れ落ちる。
男の脇をすり抜けたみづきが本命の捷子に向け、血刀を振りかぶった。
捷子は無抵抗だった。
元来、彼女の身体は戦い向きではない。少なくとも、こと個人戦闘において彼女がみづきに勝てる見込みはほとんど皆無だった。小笠原みづきはあの日本史上に残る怪物の血筋に連なる正統な一族であり、その先頭の才能を永き戦いの中で血によって練磨してきた歴戦の兵士である。
だから捷子は動かなかった。
彼女ができることと言えば、目をそらさず美月を見返すことと、
「雪」
傍らに立ち尽くす学友の名を呼ぶことくらいだった。
はたして捷子自身はこの事態に際して全く無力のまま、彼女を脳天から両断すべく迫ったみづきの強烈な斬撃の刃風を一身に浴びた。
辛うじて斬られずに済んだのは、横合いから動いた少女――真名津雪がみづきに組みつき吹き飛ばしたからだ。僅かに軌道を変えたみづきの太刀筋が捷子の黒く艶やかな髪数本を道連れに過ぎ去っていく。
対するみづきは予期せぬ妨害にまったく反応できなかった。
気づいた時には目の前に迫っていた雪の高速タックルを受けて、抗しきれないままに二メートルほど転がされていた。眼鏡が吹き飛ぶ。
背中を強く打ち、息が詰まる。ぼやける視界の中、気づいた時には彼女の腹の上に雪が馬乗りとなっていた。
みづきが戦慄と共に雪を見上げたその瞬間、嵐のような乱打が降り注いできた。




