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3、戦士たちの前夜祭(その5)「はにぃとらっぷ」

「おっちゃ~ん、空いてる?」

「あぁん、おまえか?まだやってる訳ないだろ。まだ昼の五時だぞ」

「じゃあ丁度いいじゃん。お店開くまで席貸してよ~。なんかこいつ、カノジョにフラれたらしくてさ~。飲まなきゃやってらんないとか言ってうるさいんだよ」

「いや、僕は別に」

「あぁん?なんだおまえ、いい若者が女にフラれたくらいでなんだ!メソメソしやがって。おい、仕込みの邪魔だ。端っこ行ってこれでも飲んでろ」

「ありがとおっちゃん。じゃあ借りるね~」

 昨日の余り物らしき小鉢と刺身、それに茶色い瓶を抱えた柚香に押されて哲は狭く小汚い店内の奥に追いやられる。

 駅前の赤提灯街でもひときわ場末に位置する小汚い飲み屋で、何故に小学生と卓を挟んで向き合ってるのだろうという疑念は一向に晴れそうもない。

「ま、とりあえず飲めや」

「いやいやいや、これビールでしょ!?お酒はまずいよ」

 トクトクと瓶から注がれる黄色い炭酸と大量の泡に哲は至極常識的なツッコミを入れた。

 柚香がバカにしたように鼻を鳴らす。

「やだなぁお兄さん。子供ビールだよ子供ビール♪飲食店が未成年にアルコールを提供する訳ないっしょ」

 ヘラヘラと笑う少女の向こうで、カウンター越しに恐ろしい顔をした店のオヤジが包丁を持ってこちらを見つめていた。

「ほらほら、グーッといけ、グーッと」

「いやいやいや!どう見ても本物でしょ?」

「ちっ、さすがメガネかけてるだけあって真面目じゃん」

 口を尖らせた柚香はもう一本隠し持っていたコーラの瓶を開けてその中身を注いだ。

「じゃ、乾~杯!うぇ~い♪ぷっは~~~!うぇぇ、にがぁい」

「全然めでたくないんだけど?てかきみ、それ飲んで大丈夫なの?子供でしょ、きみ?」

 さりげなくさっきのグラスを呷っている少女に哲は尋ねる。鼻の下に白いヒゲを作った少女が挑発的に笑う。

「あっは♪子供ビールだってば。こ・ど・も・ビール☆」

 既に出来上がっている。もう面倒くさいので真実は確かめない事にした。

「んで、何があったの?お姉さんに言ってみそ?」

 テーブルに頬杖をつきながら柚香は覗き込んできた。そんな仕草ばかり、年上の女性みたいだ。

「き、きみには関係ないだろ。なんで言わなくちゃいけないんだ」

 途端、思いきり鼻を摘ままれた。

「口答えすんな。面白いからに決まってんじゃん!」

「痛い痛い!」

 ようやく解放されたと思ったら今度は眼鏡をとられた。

「あっ!?眼鏡返せよ!」

「うわ~、けっこう度キツいなコレ。どう?似合う?」

 哲の眼鏡をかけてみせる少女から哲は眼鏡を取り返す。

「子供かよ」

「子供じゃん」

 胸を張って言い返されると反論の余地がない。

「てか、なんできみ、生きてるのさ?」

「は?なにが?」

 哲の問いかけに少女は不思議そうに小首を傾げた。こうして見ると歳相応にあどけない。

「だってきみ、一度ミヅキさんにやられて死んでただろ?いや、蘇ったってのはなんとなくわかるよ?わかるけど科学的に納得いかないんだよ!」

 ぷくっと柚香が頬を膨らませた。

「そんな事あたしに聞かれたって知らないし。そもそも全然科学的じゃない理由なんだしさ。それこそおミヅに聞けばいいじゃん」

「だって絶対教えてくれないもの」

「だったらなんでそれをあたしに聞くのさ?とりあえず今のあたしとあんたはどちらかっていうと敵じゃん?おかしくね?それ」

 子供に論破された。

 小鉢の酢だこを口に放り込んでモグモグ咀嚼した後で、柚香は呆れたように哲を見つめてきた。

「……へぇ、まさかとは思ったんだけど、メガネくんホントに何もあいつに聞かされてないんだ?」

「何もってなんだよ」

「だからウチらのこと。まぁ、おミヅらしいっちゃらしいけどさ」

 そう言って柚香はグラスを呷る。妙にサマになっていて嫌だ。

「君らの事って?なんなの?教えてよ」

「はぁ?なんで言わなきゃなんないし?尋問してんのはこっちだっつーの」

「尋問なんだ、これ」

 哲はため息をつく。開店前の居酒屋で子供ビール片手に小学生に尋問されるのは彼が史上初ではないだろうか。

「うぇぇ、やっぱ不味い」

 呷る度に顔を顰めた後で、とうとう柚香は哲の前のコーラ瓶をひったくりグラスに注いだ。

「え?それ混ぜて大丈夫?てかそれ絶対子供ビールじゃないだろ」

「子供ビアコークです~それ以上ツッこんだら店のおっちゃんに消されるよあんた?」

 カウンターの向こうからリズミカルな包丁捌きの音が聞こえてくるのは威嚇ではないと信じたい。

「……君、ひょっとして実はすごい年とってるとかいう話?」

 哲は呆れ顔で少女に尋ねる。

「はぁ??何言ってんのあんた?」

「いや、ほら。なんとなくだけどそんな気がして。ほら、漫画とかでもいるでしょ?見た目は若いのに実はすごい長生きのロリババァとか。妙にこういう店も慣れてるみたいだし、言動もなんかオッサンくさいし……ぶっ!?」

 推理を働かせている途中で口封じのお絞りが哲の鼻面に炸裂した。

「誰がオッサンだコラ。あたしのようなババァがいるか」

 逆三角形の目で睨まれた。

 こんな少女でも、やはり女性に年齢を聞くのは地雷らしい。

「……やな奴だわ、あんた。おミヅが何も教えないのがわかる気がするわ」

「悪かったな」

「ま~いいや。じゃあ次の質問ね。おミヅとは何処まで進んだの?」

 ニヤリと笑って少女はいきなりそんなことを尋ねてきた。

「はぁ??」

「Aはした?Bまでいった?ま、まさかCまで……!?」

 キャーキャー騒ぎながら嬉々として意味不明な事を言う小娘から身を引きながら哲は答える。

「なんだよAとかBとかって。どういう意味?」

「ええ~?まぁたまた、メガネくんたらとぼけちゃって~♪」

 カウンターの向こうで魚を捌いていたオヤジが口を挟んできた。

「おいユズ、最近の若いのはAだのBだの使わないぞ?それは使わない方がいいぞ」

「え、マジで?言わないの?AはキスでBは~って」

 真顔で尋ねられた。

「言わないよ。なにそれ」 

 きっぱり答えると、柚香は一瞬だけショックを受けた顔をした。

「まぁいいや……で、どうなの?二人でホテルまで行っちゃう仲って事はやっぱしCまで」

 哲は盛大に噴き出した。

「な、何バカな事言ってんだよ?僕たちは別に何もないよ!ある訳ないだろ」

「はぁ?ウソぉ、だっておミヅをホテルに連れ込んどいて何もないってどんだけよ?」

 いやらしい笑みを浮かべる少女に哲は赤くなって答える。

「バカ、あれはミヅキさんが具合を悪くして寝込んでるから」

 途端、柚香が顔色を変えた。切迫した表情で尋ねてくる。

「え?マジで?おミヅ具合悪いの?見舞い行かなきゃ!何号室?」

「えぇと、61……あっ!」

 哲はハッとして慌てて口を噤む。目の前で柚香が悪魔じみた笑みを浮かべている。

「はいメガネくん手遅れ~!さっきのホテルの61ナントカね?」

 哲は蒼ざめた。成り行きでこんな飲み屋に来てしまったが、元々は柚香に脅されてみづきの居場所を探られていたのだ。

「ちょっと待って!今の無し!聞かなかった事にして!」

 懇願する哲に柚香は悪魔の笑みを浮かべてみせた。

「え~やだ~。どうしてもっていうなら面白い話してよ。キスくらいはしたんでしょ?どうだった?どんな感じ?メガネ同士だとぶつからない?」

「しないよ!そんな事したら殺されるよ」

「え~?じゃあ手ぐらいは繋いだの?デートは何処行ったの?」

 身を乗り出してくる柚香にタジタジになりながら哲は答える。

「繋いでないよ。何もしてないよ!」

 少女の顔が落胆に染まる。

「え~、なにそれつまんない。ヘタレ」

「うるさい」

「うまい事言ってホテル連れ込んだんなら押し倒してガーッといっちゃえよ!どんだけヘタレなのさメガネ君は。そりゃフラれるわ」

「あ~もう!うるさいうるさい!君に僕の何がわかるんだ!」

「え~、わかんないから教えてって言ってんじゃん」

 柚香はケラケラと楽しそうに笑いながらテーブルの上に頬杖をついた。目がトロンと落ちてきている。

「おい、きみ大丈夫?」

「ん、ちょっとヤバいかも。やっぱガキの身体に子供ビールは回るのが早いわ」

 赤い顔でそんな事を言う。哲は心配になって言ってやった。

「当たり前だよ!子供がこんな物飲んだらダメに決まってるじゃない。大人になるまで飲んじゃダメ!」

 瓶とコップを取り上げられ、柚香は不満げに口を尖らせる。

「んな事言ったらあたしゃ一生お酒飲めないじゃん」

「なんでだよ」

「んじゃお兄さんがあたしを大人にしてよぉ♪」

「はぁぁ?」

 一瞬だけやけに妖艶な表情を覗かせて見つめた後で、柚香はタコみたいに口を突き出してくる。

「とりあえずチューして♪」

 哲はデコピンで答えてやった。

「痛っ!?クッソ、本気にしたらカメラに撮っておミヅに見せてやろうと思ったのに」

 恐るべきハニートラップを見抜いた事に満足し、哲は口を歪めて嘲り笑う。

「そんな事だろうと思ったよ。あいにく僕は三次元のロリには興味がなくてね」

「うわ何言ってんだこいつ気持ち悪っ!」

「なんでだよ!僕は間違ってない」

 不意に店の戸口の開く音がした。

 哲が振り返ると、いつの間にか開店準備の終わった店に背広姿の男が顔を覗かせていた。

「オヤジさん、もう空いてる?」

「へい、いらっしゃい」

 二人連れの客が店内を見回し、哲たちに目を留めた。

「おや、今日はもう先客が来てたんだねオヤジさん」

「孫が遊びに来てるんだ。おい、柚香と太郎、もう店開けるからあっちに行ってろ」

 オヤジが哲たちの方をジロリと一瞥して告げてくる。

「あっヤバッ。もうこんな時間か」

 柚香がさっさとテーブルの上の物を引き上げて流しに向かい、布巾を抛ってきた。

 手早く洗い物を済ませた柚香がさりげなく千円札をレジに挟んで戻ってくるのが哲から見えた。

「ほら行くよ、太郎お兄ちゃん。ご馳走さま~」

 柚香に引っ張られ、逃げるように哲は店を出た。既に日の落ちた通りには家路に向かう者たちの姿も増えている。飲み屋に出入りしていたところを知り合いやお巡りさんに見つかったら面倒な事になる。それは柚香も同じだったらしく、少女は楽しげにケラケラ笑いながらも通りを走っていく。

 近くの公園まで逃げ込んだ所でようやく柚香は足をとめた。

「はぁ~、飲んだ後走るとさすがに効くわ」

「やっぱりお酒飲んでたんじゃないか」

「子供ビールです~」

 まったく悪びれた様子もなく柚香はブランコに乗った。

「でも、ちょっとは気ぃ晴れたっしょ?」

 言われて哲は気がついた。

 居酒屋に連れ込まれてからずっと気紛れな柚香の悪戯に振り回されてはツッコみ続けだった。随分と騒いでいるうちに、店を入る前まで抱えていた鬱屈とした気持ちが軽くなった気がする。

 もしかしたら――いや、もしかしないでもきっと柚香はそのつもりで哲をあの店に誘ったのだろう。感謝すべきなのかもしれない。

「ねぇきみ、あのさ……ありがとう」

 素直に感謝の言葉を述べた哲に少女は微笑み、キィとブランコを揺らした。

「別にいいよ。あたしも聞きたい事聞けたし。おミヅの部屋はさっきのホテルの61なにがしだっけ」

「ちょっと待って!それを忘れてた」

 哲は悲鳴交じりに少女に縋りついた。

「ちょ、キモい!触らないでよ!おまわり呼ぶぞコラ」

「お願い!なんでもするからさっきの失言だけは無かった事にして」

「はぁ?嫌よ」

「そこをなんとか!お願い!なんでもするから!ミヅキさん、今ホントに具合悪いんだよ!だからやめてよ!」

 ブランコの前で土下座までしてみせた哲に、少女は鼻白んだ表情をした。

「あんた、男が軽々しく土下座なんかしない方がいいよ。人間が安っぽくなる」

「軽々しくなんかしてないよ!これでミヅキさんにもしもの事があったら僕は……」

 柚香は呆れたようにため息をついた。

「てゆーか、それを敵に頼み込むところがバカっていうかお人よしっていうか」

「だってもうきみにお願いするしかないんだもの!頼むよ!きみだってミヅキさんとは知らない仲じゃないんだろ?お願い」

「えぇ~」

 困惑した表情の柚香に哲はひたすら頭を下げ、拝み続けた。とうとう根負けしたように柚香が告げた。

「わかった。わかったからとりあえず頭上げなよ」

「じゃあさっきのは忘れてくれる?」

 おそるおそる顔をあげた哲の前に柚香がブランコから華麗な着地を決めた。

「てゆーかさ、土下座を取引材料に使うなって。まぁいいや、そこまで言うなら考えてやらん事もないけど。その代わり、あんた、これから一生あたしの奴隷ね」

「……え?」

 聞き返した途端、顔を踏まれた。地面にキスしてしまった哲を踏み躙りながら、少女がひどく嗜虐的な笑みを浮かべる。

「じゃあこれからおミヅの行動の一部始終をあたしに流すこと。あたしの命令には絶対服従。この二つは絶対ね?OK?」

「お、おーけぇ」

 潰れた蛙みたいな格好で哲は唸った。このままみづきの寝込みを襲われるよりはマシだと思った。

「それとあたしの事はかわいい柚香ちゃんって呼ぶこと。これもお~けぇ?」

「お~けぇです、かわいい柚香ちゃん」

「あっは♪なんかこれゾクゾクしていいわ♪じゃあとりあえずケータイのアドレスと電話番号教えて。あと学生手帳もコピーとるから」

 かくして翌日から哲の日課にはみづきの看護に加えて、柚香の奴隷としての生活が始まった。

 なお数日後、公園に呼び出されてランドセル姿の柚香に平伏する哲の姿を目撃した八木実花によって、彼の新たな疑惑が放送部に生まれることになるのだが、それはまた別の話である。


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