3、戦士たちの前夜祭(その3)「飯尾史奈乃のお仕事」
飯尾史奈乃は腹を立てていた。
事の発端は職場の同僚が不注意から長いリハビリ生活を余儀なくされて仕事の第一線から長期離脱する事になってしまったからだ。
リタイアしたのは職場の仲間内では最古参のお局で、いつもワガママで自分勝手でいい加減で、嫌な奴だった。史奈乃に変な渾名を命名したり他の仲間の前で彼女をイジって物笑いの種にしたりとロクなことがなかった。
けれどもベテランだけあって仕事はできた。目立ちたがりのボス猿気質が功を奏して上司たちとの折衝事も新人連中の教育もそこそこにはこなしていたし、史奈乃に言わせればただうるさくて外ヅラがいいだけの性格も周りからはムードメーカーとして認識されていた。
その彼女が使い物にならなくなった。
必然的にその穴埋めは史奈乃をはじめ他の同僚たち総出でカバーする羽目になったが、その代償は即座に稼動面で跳ね返ってきた。
ただでさえ激務といってよい仕事を押しつけられているのに、その上に一層の無理を重ねた結果、心身の限界に達した同僚たちがバタバタと倒れて故障者リスト入りし、今やろくな経験のない新人まで主戦力としてローテーションに組み込まないと仕事自体が回らない始末だ。
勿論、新人がそんな一朝一夕に仕事をこなせる筈も無い。当然の帰結として残ったベテラン勢がフォローに回らざるを得なく、結果として負荷が増大するという悪循環に陥っているのが現状だ。
バイトでも部活でも、組織には欠けてはならないキーマンが一人はいるものだ。けっして認めたくはないが、あの女はその貴重な人材だったのだろう。
それが一層、史奈乃の神経を逆撫でする。考えうる限り最悪の状況だった。
これがまだバイトや部活ならば、キーマンが欠けて組織がガタガタになろうがそれで他のメンバーが死ぬ事まではないだろう。
だが、史奈乃の職場ではそれが比喩や冗談ではなく死に結びつく。
なにしろ彼女の通常業務は百鬼との殴りあいだ。そうでない時は公安だの外国の情報機関だの、或いは誰だかわからない輩と殴りあっているバイオレンスな職場だ。もちろん下手を打てば怪我をするし、時には人死にが出る事すらある。
ただでさえそんなヤバい仕事だというのに更に無理を強いられたらたまったものではなかった。
勿論、上層部も事態は理解していた。一時的に業務を縮小して必要最低限の仕事のみの受注に切り替えると共に、増援を要請して対応する事を既に決めていた。
だが、ただでさえ人材不足の史奈乃の職場に増援が来るなんて当分先の未来の事になるだろうし、それまでは生き残りのメンツでなんとか凌がなければならない。
そうであるからには、現有戦力では最強の史奈乃に八面六臂の活躍が求められる事は自明の理であった。
まったく、あの女はいてもいなくても史奈乃をムカつかせる事しかしない。
怒りのままに史奈乃は目の前の蝙蝠に金属バットを叩きつける。脳漿をぶち撒けながら廃工場の片隅に吹っ飛ぶ蝙蝠を無視して、返す刀で背後に迫る鼠の頭をかっ飛ばす。
降りかかる謎の体液を避けながら史奈乃は怒鳴る。
「坂木班長殿!ご助力願います」
返ってきた反応は芳しくなかった。
「わりぃ、無理。独力でなんとかしろ」
群がってくる百鬼たちの包囲から何とか離脱しながら史奈乃は近くで戦っている筈の坂木の姿を探す。
いた!二階へと続く階段の半ばに陣取り、首のない鎧武者とくわえ煙草のまま鉄パイプでチャンバラをしている。
舌打ちし、史奈乃は腰から山刀を抜いた。刃渡りが40センチ近いゴツい山刀と金属バットの二刀流で当たるを幸いに片っ端から百鬼を叩き伏せる。
廃工場に現出した百鬼の群れを殲滅するのが今日の史奈乃たちの仕事であった。
敵を打ち据えるその合間に坂木に怒鳴る。
「班長殿!何やってるんですか!遊んでないで銃を使ってください!敵の数が多いんですよ!?」
こうまで苦戦を強いられているのは多勢の敵を相手に白兵戦を余儀なくされているからだ。間合いを詰められる前に銃で数を漸減させていればもっと楽に戦える筈だ。
「それも無理。許可できん」
「どうしてですか!?」
「節約なんだとよ」
どうにかこうにか首無し武者を打ち倒しながら坂木が告げた言葉に史奈乃は耳を疑った。
「はぁ??」
「上からのお達しだ。ほら、先日の一件で乃木先生が車を一両ダメにしただろ。その代車の手配で金欠なんだとよ。だから弾も節約してなるべく消費するなってお達しだ」
史奈乃は一瞬目が眩みかけた。後方から飛びかかってくる小鬼の一撃をノールックでいなしながら思いの丈を直截的に敵にぶつける。
「アホですか!正気じゃないです」
「栄えある無敵皇軍が極度の貧乏性なのは昔からだろ。大東亜の頃の戦闘機乗りは増槽が勿体無いからつけたまま戦ったって言うぜ」
「それで死んだら本末転倒でしょう!?物と人の命とどっちが大事なんですか」
「物に決まってんだろ」
「あぁもう!言うと思いました!」
史奈乃は頭を抱えた。もはやこの怒りは百鬼を殴って晴れるレベルじゃなかった。
血に飢えた狂戦士と化した史奈乃が廃工場を百鬼たちの血の海に変え終えたその頃、戦闘を彼女一人に押しつけてさっさと後方に退がっていた坂木が携帯電話を片手に戻ってきた。
「よぉ、終わったか」
実際のところ、よほど彼女より戦闘に向いてそうな筋肉ダルマが荒事をか弱い少女の双肩に押しつけている矛盾を、未だに史奈乃は納得できないでいる。
「はい班長殿。殲滅しましたよ。ほぼ私一人で」
恨みがましい史奈乃の視線に頓着した様子もなく、坂木は告げてきた。
「おう、ご苦労さん。……ご苦労ついでに悪いがこのままもう一仕事だ、付き合え」
「はぁ??」
史奈乃は目を剥いた。サイドテールを振り乱して抗議する。
「冗談ですよね??私、明日は学力テストなんですけど」
「済まんな、帰ってから徹夜で頑張れ」
百鬼退治の後始末に現れた男たちと入れ違いに、史奈乃は坂木の運転するバンに押し込められて現場を後にした。
数々の建材や大工道具でカモフラージュされた車内で、膨れっツラの史奈乃に坂木が告げてくる。
「今度の相手は貴様の後輩だ。なんでも発現した力を使ってのおイタが過ぎるらしくてな。早めにヤキを入れておけってお達しだ。もしかしたらそのまま〝転校〟になるかもしれないからそのつもりで頼む」
太い腕でハンドルを操りながら話しかけてくる坂木の方を見ようともせず、英単語の書かれた自作の単語帳を捲っていた史奈乃がボソリと呟く。
「殴ってやります」
「ほどほどにな」
「その新兵じゃなくてユズのアホの事です。絶対あいつ殴ってやります」
短くなった煙草を運転席の窓の外に放り投げた後で、坂木は二本目の煙草に火を点けた。顔を顰める史奈乃にもかまわず盛大に煙を車内に撒き散らした後で告げる。
「ま、貴様らの人間関係には口出しする気はないけどよ。仕方ねぇだろ、森本も小笠原と出会い頭に遭遇戦だったんだし事故みたいなもんだろ?小笠原の企図は不明だが、奴が新兵狩りしてるってのが本当なら俺たちも交戦する可能性だってあるんだ。警戒だけはしておけ」
「じゃあ、みづきのアホも一緒に殴ってやります。その代わり班長殿、その時は銃弾ケチってる場合じゃないですからね?」
煙草の灰を窓の外に落としながら坂木は目を細めた。
「いざとなったら後ろに積んでるカラシニコフとRPG貸してやる。それで対処するしかあるまい」
史奈乃は車内に満ちた煙草の煙に顔を顰めながら窓を開ける。
やっぱり全ての元凶はあの女だった。
どうせ調子に乗って下手を打ったのだろう。その所為で仲間たちの仕事に穴が空き、大人たちは銃を使えなくなり苦戦を強いられ、そして今また史奈乃は小笠原みづきとの交戦を覚悟させられている。
数時間後、未来の後輩をたこ殴りにした後で坂木の車で送り届けられ、自室のベッドに倒れこんだ頃には既に日付が変わっていた。
翌日の学力テストは散々の出来だった。
「絶対あいつ殴ってやります」
涙目で史奈乃は心に強く誓った。
大日本帝国軍第一〇八特別攻撃隊所属の飯尾史奈乃兵長の憤懣と苦境は今のところ、まったく改善される見込みがなかった。




