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3、戦士たちの前夜祭(その2)「恋とは涙とため息でできている」

 放送部の同僚たちの様々な思惑の中、当の哲本人が直行したのは九品の街の駅前にある安さが売りのビジネスホテルだった。

 高校生が制服姿で、しかも一人で宿泊している少女を訪ねてホテルに入りこむという行為に関して、それをホテル側に見咎められる事への恐怖心は学生バイトを中心としたおざなりなホテルマンたちの対応を見るにつけ、急速に減少していった。

 今では我が物顔でフロントを突っ切ってエレベーターに直行し、みづきの部屋を訪ねるまでに大胆になっている。

 部屋番号を確認してベルを鳴らす。3度連続の後で一拍おいて今度は四度鳴らす。みづきが定めた呼び出しの時のルールだった。

 30秒ほど待たされてからゆっくりと扉が開き、上下ジャージ姿のみづきが赤い顔を出す。

「尾行はないな?よし、入れ」

 スパイごっこみたいだな、と哲はいつも思う。

 哲を部屋に招き入れた後でみづきはそのまま覚束ない足取りでベッドに直行して大の字になる。モゾモゾと布団に潜り込む少女に哲は声をかけた。

「まだ身体良くならないんだね」

「……不覚だ。これほどまでに反動がくるとは」

 布団の中からくぐもった返事があった。

 みづきはこの所ずっと体調を崩していた。

 一週間の外出禁止令が解けた後でみづきを探して回った哲は東京市内のとあるカプセルホテルでぐったりと寝込む少女を見つけた。数日前のことだ。

 汗ばむ額に触れると、ものすごい熱だった。

「ミヅキさん、風邪なの?大丈夫?」

 驚き尋ねる哲に、焦点の合わない目でみづきは答える。

「違う、感冒などではない」

「え、カンボーってなに?」

「風邪の事だ。どうやら先日のあのアバズレとの一戦で力を使い過ぎたようだ。想像以上に負荷が大きかったな。霊力が消耗しすぎている。くっ」

 哲は生温かい笑みを浮かべた。

「そりゃ、季節の変わり目にスッポンポンで暴れたら風邪引くよ」

「だから感冒ではないと言っておる……というか貴様、見たのか?回復したら斬ってやる」

「見てないよ!ミヅキさんあの時ずっと民家の屋根に隠れてたじゃない」

 至極どうでもいい口論の後で、哲はみづきに告げた。

「とりあえず病院行った方がいいよ」

 返ってきたのは子供じみた返答だった。

「注射はイヤだ。薬を買ってこい」

「いやいやいや。子供じゃないんだからさぁ」

「医者には行かん。そこから足がついたらどうする?」

 哲は呆れた。

「ホント、君は何と戦ってるのさ」

「……それに保険証もないから色々と面倒な事になる」

「えっ本当に?」

 少女はこっくりと頷いた後でゆっくりと身を起こした。

「今日は何曜日だ?」

「火曜日だけど」

「ぬぅ、いかんな。そろそろ拠点を変えねば」

 そういってみづきはモゾモゾフラフラと蚕棚から這い出てきた。何故かセーラー服を着たままだった。

「え?何処に行くのさ」

「宿営地を変える。何日も同じ場所に留まって敵に知られてはかなわんからな」

「だから君は誰と戦ってるのさ」

「貴様こそ何を悠長にぬかしている!貴様が私と共に動いている事はあの蘆屋千沙都や柚香たちも知っているんだぞ?」

 あながち冗談でもなさそうなのが困る。

「ともかく宿だけは変えて当面は体調が回復するまでは静養に努める。こんな状態で敵の襲撃を受けたら終わりだからな。貴様も無駄足だったな、今日は調べ事も特に無いから帰れ」

 随分とボロボロのズタ袋を担ぎ、フラフラとみづきは出口に向かう。

 哲はため息をついて彼女の後に続いた。

「ついてこなくていい。今日は戦いはしない。宿を探しに行くだけだ。ご覧のとおり私もまともに動ける状態ではない。つきまとっても面白い事などないぞ?」

 覚束ない足取りでそう告げてくるみづきから哲はズタ袋をひったくった。

「だったら尚更ほっとけないよ。倒れられても困るし」

「あ、おい。返せ」

「次の宿、決まってるの?もしよかったらまた僕の街に来てよ。さすがに親がいるから僕の家に泊まってもらう訳にはいかないけど、駅前にホテルもあるし、そこなら僕が毎日看病にいけるからさ。ね?」

 哲の申し出を長考した後で、結論が出る前にみづきの身体が傾いた。

「あぁ、ミヅキさん!?」

「と、とりあえず任せる。ダメだ」

 みづきは手の中に刀を出すと、鞘ぐるみそれを杖のようにして歩き出した。彼女を庇い庇い歩きながら哲は怯えた視線で周囲を窺う。白昼堂々と刀を杖にしてよくも捕まらないものだ。

 電車に乗りこみ、空いていた座席に座るとみづきは気絶したように眠ってしまった。肩を枕代わりに使われた哲は、少女の甘い匂いと周囲の視線に顔を赤らめながらも一時の幸福を味わった。


 駅に着いた後で、みづきは哲から荷物を取り返し、一人でホテルに向かった。

「チェックインしてくるから待っていろ」

「一人で大丈夫?」

 問いかける哲に、熱で真っ赤な顔のみづきは告げてきた。

「貴様が一緒に来た方が怪しまれるだろうが」

 それもそうか、と哲は納得する。哲はホテルのチェックインの仕方などまったく知らなかったし、あからさまに学生とわかる少年少女がやってきたらホテルだって警戒するだろう。

 程なくしてホテルの前でウロウロと時間を潰していた哲はみづきからの連絡を受けた。

 細い路地に通りかかった瞬間、伸びてきた腕に引っ張られて薄暗い路地裏に引きずり込まれたのだ。恐怖と混乱で目を白黒させる哲の上に馬乗りになっているのは例の日本兵だった。

 日本兵は哲に紙切れを渡すと、敬礼をして姿を消していった。

 紙に書かれた部屋番号を見つめながら哲はガックリと肩を落とす。

「ミヅキさん……もうちょっとかわいい連絡方法にしてよ」

 以来、哲は連日に渡ってホテルに通い詰めてはみづきの看護に当たっていた。

 食料や日常品、薬などを買い出し、新聞を差し入れ、部屋の掃除やお粥の調理など、まるで新妻のように甲斐甲斐しくみづきに尽くしたのだ。

 さすがに洗濯物を持ち帰って家で洗ってくるという申し出は却下された。

「断る。……貴様、絶対によからぬ事を企んでいるだろう」

「え?え?別にみづきさんのパンツとか興味ないよ」

「……これで私が回復してからの貴様の処刑回数が通算で十を越えたからな?首を洗って待っておけよ」

 嫌なカウントアップをされていた。

「じょ、冗談だよ冗談。冗談だからピストルはしまってよ」

「奇遇だな。私も冗談だ」

「目が笑ってないよ!」

 両手をホールドアップする哲の額に拳銃なんぶたいけんをグリグリした後で、みづきは呆れ顔を浮かべた。

「だいたい貴様、婦女子の下着を洗おうと目論むなど言語道断だが、別に部屋の掃除も料理もそこまでせんでいい。感謝はしているが、そこまでしてもらう必要はない」

「いいのいいの、好きでやってる事だし」

 哲の言葉にみづきは形のよい眉をそっと顰めてみせた。

「私が困ると言っているのだ」

 戸惑いとも恥じらいともつかぬ少女の表情に哲の胸は高鳴る。いつもあまり感情を表に出さないみづきがふとした瞬間に見せる、こうした顔が哲は大好きだった。

 再び布団に横たわったみづきが、首だけこちらに向けて不思議そうに見つめてくる。

「……貴様は、私が怖くはないのか?」

「え?別に怖くないけど」

「私といれば間違いなく貴様は戦いに巻き込まれる。先日だって一歩間違えば貴様は死んでいたぞ?」

「えぇと、どちらかといえばミヅキさんに殺されかけた気も」

 哲のツッコミを無視してみづきは妙に殊勝な事を言ってきた。

「用の無い時は自分の好きなように自由に過ごしていいんだぞ?今のうち、自分の人生を楽しめ。そこまで私にかかずらう必要はない」

 哲は頭を掻いた。

「迷惑かな?」

「感謝はしている。貴様のおかげで随分と助かった。だが貴様は学生だろう?私の世話にかまけて学業や学友との貴重な時間を疎かにしているのでは本末を違えているぞ」

 どうやらみづきは彼の心配をしてくれているようだ。身体が本調子ではないせいか、今日のみづきは優しいみづきだ。

「いいんだよミヅキさん。さっきも言ったけど、僕は好きでやってるんだから。君といたら楽しいし、君と一緒にあちこち探し回ったりバトルしたりするのも面白いんだ。そりゃ、ちょっとは怖いけどね。でも、なんかミヅキさんと一緒なら平気な気がするんだ」

 少女の紫の目が哲の心を探るように向けられてくる。

 こうしてシーツ一枚に包まって華奢な身体を寝台に横たえている彼女は妙に儚げで薄幸そうで、それがまた掛け値なしに可憐だった。

 せめてこれがジャージじゃなくて愛らしいパジャマとかだったら最高だったのに、とそれだけが残念だった。

「貴様は本当に変わっているな?私につきまとって何が楽しい」

 唇が綻び、クスクスと笑い声が洩れる。

「楽しいよ。すごく楽しいよ!だって――」

 あぁ、なんで今日に限って髪を下ろしているのだろう。やっぱり毎日何本もの三つ編みを拵えるのは面倒なのだろうか。編み込みを解いた黒髪が、まったく癖もつかないままに艶やかに彼女の肩に落ちている。

 先日の柚香との一戦でヒビの入ってしまった眼鏡は最近眠りっぱなしという事もあって外されたままだ。

 おかしいな、僕は眼鏡っ子好きの筈だったのにな、などとアメジストみたいな彼女の瞳を見つめながら哲はそう思う。

「だって僕、――君の事が好きだから」

 だから、つい本音が口をついてしまった。

 口にしてから哲はしまった、と思った。

 みづきから微笑が消え失せ、真顔になって見つめてくる。

「い、いや、あの!今のはその、なんていうか」

 取り乱し、取り繕おうとしてそんな妙手も思い浮かばず、哲は耳まで赤くなって固まった。

 そのまま十秒ほどの――哲にとっては永劫とも思えるような気まずい時間が流れた。

 先に口を開いたのはみづきの方だった。

「……少し、驚いたぞ。つまりそれは、貴様が私を異性として好意を抱いているという事か」

 いつもの感情のない冷たい声に戻って、告げてきた。

「あ、うん。えっと、その。いや、なんというか。つまり」

 後悔の念が一気に押し寄せてくる。みづきの冷たい表情が心に痛い。

「つまり、今まで私につきまとっていたのもそういう事か」

「そういう事って、やだなぁ、あはは、そんな、違うよ」

 みづきがため息をついた。

 一切の表情を消し去った顔で告げてくる。

「やめておけ」

 哲は頭の中が真っ白になった。どう解釈しても好意的な返事ではない。

「貴様の気持ちは分かった。だが、やめておけ。報われんぞ」

 もう一度言われた。泣きそうだ。

「悪いが私が女として貴様の想いに報いてやれる事は一生無い。絶対にだ」

 完膚なきまでに拒絶された。

 放心状態の哲に気づき、さすがのみづきも気まずそうな顔をした。

「おい、そんな顔をするな。私も女だ。殿方に好意を寄せてもらえるのは多少は嬉しかったし、別に貴様を嫌っている訳ではない。案ずるな、他に女など幾らでもいる。次を当たればいいだけのことだ」

 あまり慰めにもなってないみづきの慰めを聞きながら、哲は笑顔を浮かべた。

「あはは、やだなぁミヅキさん。わかってるよそんな事。冗談だよ冗談。ちょっと言ってみただけだし、全然気にしてないし。あっ、テレビでも見よっか」

 何の意味もなくテレビをつける。彼女を視界から外せたらそれでよかった。

 テレビではちょうど番組の合間を使って短いニュースが流されていた。東京に本社を置く鉄鋼会社がインドの同業他社を吸収合併し、粗鋼生産量で世界第3位になったと報じていた。

「あ、これ知ってるミヅキさん?ここの会社の会長すごいんだよ。なんか、80近い爺さんらしいんだけど最近3度目の結婚をしたんだ。その相手が噂では16歳の女子高生だったんだってさ。犯罪だよね」

 ネットで仕入れたどうでもいい豆知識を披露する。みづきの反応はイマイチだった。

「下手したら自分の孫より若いよね!七十過ぎのロリコンとかヤバいよね。周りも止めないのかなぁ……ヒック……どうやって告ったんだろ……ヒック……」

 沈黙が怖くて哲はひたすら話し続けた。

「門倉」

 みづきが声をかけてきた。

「なに?ミヅキさん」

「すまんがこの会社の事を知りたくなった。すまないが家に帰って調べてきてくれ。報告はいつでもいいぞ」

「了解!任せといて」

 ぐしっと鼻を啜り、哲は明るい声で答えて立ち上がる。

 不自然に背中を向けたままこちらも見ずに部屋を出て行く挙動不審な少年をみづきは咎めなかった。扉が閉まった後でみづきはため息をつき、哲の置いていった新聞を広げた。

 テレビのニュースと同じ内容の記事が経済蘭に載っているのを見つけ、少女の紫の目が細められた。


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