3、戦士たちの前夜祭(その1)「サボり魔哲」
帰りのホームルームの終了直後というのは生徒たちにとって独特の瞬間だ。
長時間拘束され続けた授業からの解放による高揚感は等しくどの生徒たちにも訪れるが、その享受の仕方は人それぞれである。
気の合う友人たちとの別れを惜しみ、なおも校内に留まりお喋りに勤しむ者たち。或いはさっさとドライに教室に別れを告げて帰宅の途につく者たち。また、ある種の生徒たちにとってはこれから始まる部活動こそが学校生活の本命ともいえる。
九品学園高校放送部所属の門倉哲は本来ならば三番目にカテゴライズされるべき生徒だったが、この日の彼が選ぼうとしたのは中道の選択肢――すなわち即時の下校だった。
いや、ここ最近の彼の行状からいえば特筆すべき事ではないのかもしれない。
このところずっと、彼はろくに部室に顔を出す事もなく放送部をサボり続けていた。
だからこの日、彼の所属する放送部ドキュメント班が帰宅途中の哲を玄関先で待ち伏せしていたのはある意味で当然の事だったのかもしれない。
「ちょっと門倉!待ちなさいよ」
柳眉を逆立てて詰め寄ってきたのはドキュメント班副リーダーの八木実花だ。後ろには面倒くさそうな顔をしたリーダーの田原誠司と、リポーター役の今野朝莉が立っていた。
「あぁ先輩たちおつかれ様です。……それじゃ、失礼します」
「ちょちょちょ、ちょっと待ちなさいよ」
挨拶一つで素通りしようとした哲の肩を実花が掴みとめた。
「うわ!?なんですか?」
「なんですかじゃないわよ!門倉、今日は次のドキュメント制作の企画会議だって言っておいたでしょ?何サボろうとしてんのよ」
詰め寄る実花に気圧されながら、哲は両手を合わせた。
「すみません、今日はちょっと」
「今日はって、あんた最近ずっと来てないじゃない!」
「いや、それがその、色々と野暮用が重なってて」
問い詰めてものらりくらりと言い訳するばかりの哲に業を煮やし、実花は告げる。
「あのね門倉。こんなこと自分で言いたくないんだけど、今回の作品は私たちの高校生活最後の作品なの。いわば私と田原の卒業制作みたいなものだし、それにこのメンバー4人でやれる最後の一本になるのよ?」
放送部は伝統的に、三年生がギリギリまで引退せずに卒業制作を撮り終えて卒業するのが慣習となっていた。勿論、受験との兼ね合いなど難しい問題もあるのだが、それ故に三年生たちのこの最後の作品にかける意気込みは強い。
哲は僅かに苦渋の表情を浮かべ、煩悶した後で深々と頭を下げた。
「――すみません。テーマや内容は全てお任せします。文句もつけませんし制作に入ったら絶対参加します」
そのまま殆んど逃げるように踵を返して走り去ってしまう。
「あ、コラ!ちょっと門倉!待ちなさいよ!?……もぉっ」
追いかけようとする実花を誠司が「八木」と呼びとめ首を左右に振る。
「でも…!!」
「あんな状態の奴を無理やり連れて帰ってもどうせ役には立たないだろ。あいつなりに理由があっての事だろうし、制作には加わるって言ってるんだ。今日は俺たちだけでやろう」
実花はなおも憤懣やるかたない表情を浮かべていたが、誠司に促されて不機嫌そうにドスドスと足音を立てて部室まで歩き始める。
先行する実花を追いながら、ため息混じりに朝莉が口を開く。
「哲先輩、最近付き合い悪いですよね」
「そうだな」
いつもどおり、やる気のなさそうな相槌を打つ誠司に顔を向けて朝莉は思いつめた顔で告げる。
「やっぱり先輩、変なモノにとり憑かれてるんじゃ」
「……変なモノってどんなモノだよ」
「そりゃもちろん、ハヅキさん的な何かですよぉ。面白半分に肝試し的なロケなんかやったから、哲先輩、ハヅキさんにとり憑かれておかしくなっちゃったんですよぉ」
涙目で訴える後輩を誠司は呆れたように見やった。
「あのなぁ今野。たしかにあのロケは衝撃的だったよ。目の前で火事が起きてあれだけの騒ぎになったんだ、ショックを受けてもおかしくない。けど、それをいちいちお化けに結びつけるのはどうかと思うぞ?」
もっともらしい理屈で諭しながらも、誠司は後輩の目に受け入れがたい拒絶の色が浮かぶのを見抜いていた。朝莉の目が何かを逡巡しながら動き、何かを訴えようと口を開きかける。
だがそれが言葉になるよりも早く、前方で足を停めた実花の言葉が封じる。
「……私、見ちゃったのよね」
妙に重苦しい実花の言葉に二人は思わずギョッとして彼女を見やる。
「おい八木、脅かすのは無しだぞ?」
誠司は他に聞いている者がいないかそっと周囲を見回した。放送部員が人前でハヅキさんの話しをしていたらまた周囲に妙な噂を立てられかねない。
「嘘……、八木先輩もなんか見ちゃったんですか?」
一方の朝莉は不安げに実花を見つめる。
誠司と朝莉、二人共にあの晩の騒ぎが脳裏を掠める中、メンバーの中で唯一、蚊帳の外にいた実花が深刻な表情で告げた。
「うん、すごいの見ちゃったんだよね。なんかあいつがさ……女の子と二人で歩いているのを」
「……んん??それは人間の女の子という意味ですか?」
実花の言葉の意味を何度も反芻し続けた朝莉が結局咀嚼しきれずに尋ね返す。彼女の想定していた内容とは随分と異なってた。
「あったり前でしょ!犬の雌を散歩させてるのを見て女の子と二人でなんて言わないわよ」
「あ……あぁ、そうっスよね。でも或いは哲先輩ならモテなさのあまりにワンちゃんに手を出して…な~んて、あははははは」
実花のツッコミに一瞬複雑な顔を浮かべた後で、朝莉が笑いで取り繕ったのを誠司は見逃さなかった。
内心にこみ上げた想いを糊塗して誠司も会話に加わる事にした。
「へぇ、あいつカノジョいるのかよ。マジか」
「うーん、カノジョかどうかは知らないんだけど……女の子の肩を抱き寄せて歩いてたし……その……」
何故か会話の途中で実花は頬を赤らめ、モニョモニョと口ごもった。
「なんだよ?どうした?」
誠司に促され、実花は周囲を気にしながらそっと誠司に耳打ちした。誠司が噴き出す。
「はぁ!?二人でホテルに入った!?」
「ちょっ、バカ!?声大きいわよ!変な誤解されるじゃない」
狼狽しながら実花が慌てて誠司の口を塞ぐ。手遅れだった。朝莉が物凄い勢いで食いついてきた。
「はぁぁぁっ!?なんスか今の!?チョー聞き捨てならないのが聞こえたんですけど!?門倉先輩の野郎、女をホテルに連れ込んでやがったんですか」
「あんたも声が大きい!ほら、他の子たちが見てる!」
空いてるもう片方の手で朝莉の口も塞いだ後で、実花は真っ赤な顔で続ける。
「ホテルって言ってもアレよ?いかがわしいホテルじゃなくて、駅前のビジネスホテルよ?」
「だったらなんですか!?ビジネスホテルだったら高校生が女の子を連れ込んでもいかがわしくないと八木先輩は仰るんですか?」
言い訳にもなってない言い訳に朝莉は尚も目くじら立てて食いついてきた。まるで弱った獲物に群がるハイエナだ。
「そ、そんな事言ってないわよ!でも、ほら、まだ何か訳ありだったのかな~っとかって」
「訳あり!そっちの方がヤバいじゃないですか?」
「し、知らないわよ!ちょっと田原、この子なんとかして」
珍しくたじたじになりながら実花は誠司に助けを求めた。無駄だった。
「ウソだろ……門倉が女を……なんだこの敗北感……男として門倉に負けた……」
「ちょ、田原!?なにあんたがヘコんでるのよ!?」
見事な躁鬱二極化の反応を見せたクルーたちに実花は悲鳴をあげた。
「……それで、哲先輩と一緒にいた女ってのはどんな物好きだったんですかい?」
やっと沈静化した後も、朝莉は追及の手を緩める気はないようだ。
疲れた顔で実花は投げやりに答える。
「かわいい子だったわよ。たぶん年下だと思うけど、小柄で細くて三つ編みに眼鏡かけて、大人しそうな感じだったわ。あとはそうねぇ、セーラー服着てたわ」
「許せんな」
「田原、なんであんたが怒るのよ」
眉間に皺を寄せて憤る誠司の隣で、朝莉の顔は優れない。
「セーラー服……三つ編み………」
「ん?どうしたの?顔色悪いわよ」
急におとなしくなった朝莉を実花は不思議そうに見やる。慌てたように朝莉は笑顔を浮かべて握っていたシャーペンをマイクに見立てて突き出してきた。
「それで二人はその後いったい?」
実花は嫌そうに顔を顰めた。
「知らないわよ。いちいちそんなの見届けないわよ気持ち悪い」
「え~!そこは放送部らしくその決定的瞬間をカメラでパシャリして哲先輩を脅しましょうよ~?」
「放送部はそんなパパラッチみたいな真似はしない!」
チョップを朝莉の脳天に叩きつけた後で、実花は苦々しげに髪を掻き上げた。
「……まぁ、それに関係あるのかはわからないけど。昨日は門倉がスーパーで日用品を色々と買い溜めしてるのを見たわ」
「え?なんでそんなに八木先輩、哲先輩の事知ってるんですか?ひょっとして八木先輩、哲先輩のストーカーですか?うわ、ちょっとだけ引いちゃいます。パパラッチの鑑ですね」
「そんな訳ないでしょ!なんで私があんな奴のストーカーにならなきゃいけないのよ!偶然よ偶然!学校帰りにお使い頼まれて偶然見かけたのよ」
「でも八木先輩の事だからきっちり哲先輩を尾け回したんですよね?」
「そうよ!あいつがまたあのホテルに入っていったのをこの目で見届けたわよ!悪い!?あぁもう私、パパラッチでいいわよ」
上級生を泣かせた後で、朝莉は盛大にため息をついた。
「年下の女の子とホテルで連泊……それ、限りなく犯罪臭します。今度のドキュメンタリー、哲先輩の犯行の一部始終を撮影しましょうか」
「そんなもん俺たちの卒業制作で撮るんじゃねぇ!」
「いけると思ったんだけどなぁ」
おどけて肩を竦ませた後で、朝莉はわざと歩みを緩めて誠司たちの後ろにさりげなく回る。この位置ならば、苦労して表情を作らなくても先輩たちに顔を見られる心配もない。
「――哲先輩、やっぱりとり憑かれてるじゃない」
朝莉の呟きは、生徒たちで賑わう放課後の廊下の喧騒に掻き消されて誰の耳にも届かなかった。




