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2、月を狩る少女(その11)「高槻美蘭」

 高槻美蘭(ミラン)は孝修舎付属女子中学に通うサッカー少女だ。

 現在、中学2年生。夏の大会で3年生が引退した後の孝修舎女子サッカー部でキャプテンマークを受け継ぎ、名実共にチームの柱となっている。

 その実力は折り紙つきで、本来ならばエスカレーター式に孝修舎女子高等学校へ進む筈だったところを、二年後にはスポーツの強豪校として知られる聖バルバラ学院高等部に特待生の立場で籍を移す事が既に決まっていた。

 彼女には他にも数校の女子サッカーの強豪校が獲得に動いていたらしいが、最も具体的かつ好待遇を示した聖バルバラが彼女を勝ち取ったのだ。

 よくある強豪校による有望選手の青田刈りというやつだが、驚いた事に聖バルバラは中学三年の時点での移籍――正確には転校なのだが、事情を考えるとこちらの表現の方が実質的にしっくり来る気がする――をすら求めてきたという。

 中三の夏は今まで一緒に汗を流してきた仲間たちと共に戦いたいという美蘭たっての希望によりその件はおじゃんになったらしいが、その話を聞いた哲は美談と捉えるよりも学生スポーツの暗部を見せつけられた気分になった。

 噂では聖バルバラは学費の全額免除の他、奨学金名目で彼女の親に随分な額の金銭を提示したという。

 たしかに今日の練習試合を見る限りでは、美蘭は獅子奮迅の働きを見せていた。

 敵の攻撃陣を封じ込めて殆んど仕事をさせず、更には1アシストを含めて攻撃の起点にもなっていた。ただしあまりに激しすぎるディフェンスのせいで練習試合にも関わらずイエローを一枚食らっている。

 それらの情報を、哲はギャラリーたちのお喋りに聞き耳を立てたり時には自分から話しかけたりして集めていた。

 試合は2‐0で孝修舎が快勝した。

 ピッチ上で美蘭が仲間たちと喜びのハイタッチを交わすのを哲は漫然と眺める。

 日焼けして真っ黒で、髪にも気を使ってないし化粧っ気もないから今は野暮ったいけれども、顔立ちは整ってるし体も引き締まっててスラリとしてるから数年後が楽しみだ――などとみづきには報告できない感想を抱く。

 ひょっとして彼女の関係者なのだろうか。先程哲に話しかけてきた例のギャルがピッチサイドで大騒ぎしていて、それに気づいたらしい美蘭が頭を下げている。

 やがてギャラリーたちが一人去り二人去りし始める。

 そんな中、一人熱心にグラウンド上の女子中学生をいつまでもじっとりと見つめていたら通報されそうだ。一旦その場を離れようと哲が思ったその時、選手たちの父兄団の中にいた女性が両手を振りながら大声を出した。

「ミラン~ナイスゲーム!今晩はご馳走作って待ってるからね~!」

 試合後のクールダウンを始めていた少女たちがそれを見て笑い、顔を真っ赤にした美蘭が迷惑そうに叫び返す。

「母さんやめてよ恥ずかしい!早く帰って!」

 どうやら彼女の母親は名物ママらしい。陽気な性格らしく、娘に窘められた後も顔見知りの選手たちにブンブンと手を振りながら去っていく。

 向かった先は駐輪場だ。

 自転車に跨ると、彼女は他の母親と共にお喋りをしながらゆっくりとした速度で漕ぎ始める。哲は怪しまれない程度の早足で、のたのたと徐行する二台の自転車の後を追いかけた。

 ターゲットの住所を突き止めたら、みづきからの彼の評価も好感度も少しは上昇するに違いない。


  

 高槻美蘭が駅前のドーナッツ屋で、友人たちとのささやかな戦勝祝いを終えたのは午後の五時を少し回ったくらいの時間だった。

 今時分の季節は日の入りが徐々に早くなっている。

「じゃあね、また明日~」

 仲間たちに別れを告げた後で、美蘭は自転車に跨り走り出す。

 駅から家までは彼女が自転車を飛ばせば10分もかからない。徐々に闇を増しつつある黄昏の街を美蘭は軽快に自転車で駆け抜ける。

 今日の試合は我ながら会心の出来だった。彼女のカバーするバイタルゾーンでは殆んど敵に仕事をさせなかったし、後方で頑張っていたディフェンダー陣との連携も完璧だった。

 反省点としては、エキサイトしすぎてカードを貰ってしまった事くらいか。正直な話、孝修舎の守備は彼女で成り立っていると言っても過言ではない。調子に乗ってカードを食らいまくって出場停止にでも追い込まれたら目も当てられない事態になる。今後の改善課題だ。

 けれども今日一日くらいは、我が子の活躍に気を良くした母親のご馳走をいっぱい食べてお風呂で汗と疲れを洗い流して、勝利の喜びに浸っても悪くはないだろう。

 自転車を駆って快走する彼女の行く手を脇道から不意に飛び出してきた通行人が阻む。

 学生だろうか。二人ともメガネをかけた若いカップルだった。

 美蘭は自転車を操り二人の間隙を潜ろうとしたが、はた迷惑なカップルはご丁寧に道を塞ぐように立ち塞がり、美蘭はとうとうブレーキを使って停まる羽目になった。

「…ちょっと!危ないですよ!道いっぱいに広がらないでください」

 美蘭は文句を言った。

 男の方は気弱そうにそわそわしていたが、女の方は動じた様子もなく無表情な顔で眼鏡越しにこちらを見つめてくる。

 どうやら出会い頭ではなく意図的に通せんぼを食らったと美蘭はようやく理解した。

「高槻美蘭だな?」

 見知らぬ相手から名前を呼ばれ、美蘭は警戒する。

「……そうですけど、誰ですかあなたたち?ちょっとそこ、邪魔なんですけど」

 女が三つ編みを後ろに払った。手に何か長い物を握った。金属製の刀身が街灯の明かりを反射して煌く―――剣だ。

「ちょっ!?ミヅキさん!?」

 ツレの男――哲が驚きの声を上げる中、みづきは物も言わずに手に持った剣を振りかぶり迫ってくる。

「きゃあ!?」

 悲鳴をあげて美蘭は後ろにのけ反り、その一撃をかわす。

 バランスを崩して自転車から転げ落ちた。

 みづきはなおも剣を構えて襲いかかってくる。その後ろで哲が悲鳴をあげた。這って逃げる美蘭の背中にみづきの剣が迫り――そしてそれは横合いから伸びてきた剣付きの銃の銃身に払われる。

 美蘭を庇うように、男が進み出てきた。

 上下に緑衣を纏い、足には幾重にも巻かれた脚絆。その手に握る鉄砲はサンパチシキという名前のライフルなのだと以前に教えてもらった事がある。

 いつもは不気味だけれども、今の美蘭にとっては世界で一番心強いボディーガードだった。

 この幽霊が美蘭の前に現れるようになったのは、一ヶ月くらい前からだった。ある女に出会ってから急に、彼女の周りにこの日本兵が現れるようになったのだ。

 もっと訓練すれば呼び出せる兵士の数も増えるし、命令も聞いてもらえるようになる、とあの女は言った。

 何度かその訓練とやらに誘われたけれども、今は三年生の先輩たちが抜けた穴を埋め、新しいチーム作りをすることの方が先決なので美蘭は断り続けていた。

「お願い!助けて!」

 美蘭の言葉に頷いた兵士が、銃を槍代わりにみづきに襲いかかる。

 突き入れた銃剣をみづきは必死に払う。だが、完全には防ぎきれずに肩口から血を噴き出す。兵士はかまわずみづきに襲いかかる。

 とうとう壁際まで追い詰め、とどめの突きを入れようとした所で破裂音が錯綜し、兵士の体がぐらついた。体に数条の孔が穿たれている。

 いつのまにか、暗がりの中に同じような姿格好の別の兵士が数人現れていた。彼らが至近距離から美蘭の兵士を射ったのだ。

「手こずらせる」

 みづきが鼻を鳴らした。肩口を赤く染める血を気にした様子もなくゆっくりと歩み寄ってくる。その手には既に拳銃らしきものが握られていた。

 美蘭は血の気を失い、その場にへたり込んだ。

 体に力が入らない。

「い……いや」

 美蘭は涙を浮かべて哀願するようにみづきを見やる。眼鏡の奥の紫色の瞳と目が合う。氷点下の視線のまま、みづきはゆっくりと手に持っていた拳銃を美蘭の眼前に突きつけた。

「貴様は全くの贋物という訳でもなさそうだ。が、後顧の憂いは断たせてもらう」

「ミヅキさん!?待ってよ!その子、別にまだ悪い事してないよ!?ミヅキさん!!」 

 哲が叫び、彼女を引きとめようとして振り払われる。

「離せ!」 

 二人が揉めているのを見て美蘭はジャージのポケットに突っ込んでいた家の鍵を思いきりみづきに投げつけた。そのまま腹這うように逃げ、それをみづきの銃が追おうとした。

 みづきの人差し指が引き金にかかり、力が籠められようというまさにその瞬間、彼ら三人の頭上で小さな爆発が発生した。

「うわっ!?」

「きゃあ!!」

「くっ!?タレか!」

 頭を抱える三人を嘲笑うかのように、路地にクスクスと笑い声が響く。ヒールがアスファルトを叩くコツコツという足音。

 ゆっくりと少女が近づいてくる。

「へぇ――驚いた。何処の馬鹿かと思ったら、おミヅじゃん」

 茶髪に派手なメイク。臍出しチューブトップにミニスカートの随分と蓮っ葉な格好の、いわゆるギャルとカテゴライズされるべき少女にその場に居合わせた三人はそれぞれ異なった反応を示した。

「ユズ先輩!」

 美蘭は顔に歓喜と安堵の表情を浮かべてギャルに駆け寄り、

「あっ!君、さっきの!?」

 哲は彼女の顔をマジマジと見て記憶を思い出し、

「…………」

 そしてみづきは無言で睨み据えたまま銃を構え直した。


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