2、月を狩る少女(その10)「ミヅキさん、今度は組織に追われてる設定なんだ」
連れの少年を半ば引きずりながらひた走る事五分近く。
いつもなら米国の経済的侵略の象徴だと嫌がる世界的ハンバーガーチェーンにも躊躇わず飛び込み、買ったばかりのアイスティーを一息で飲み干した後で、漸くみづきは口を開いた。
「危なかった」
「危なかったって……ゼェゼェ……なにが?」
辛うじて聞き返したものの、哲は全力疾走が堪えて心臓が爆発しそうで会話を交わす余裕はなかった。テーブル席でだらしなく転がっている。
「私がかつて所属していた〝組織〟の奴らがいた。私を追っていた訳ではないと思うが、連中に気づかれれば面倒な事になる」
「うわ、出た。謎の〝組織〟」
この少女の場合は冗談や妄想ではないから困る。
哲は身を起こした。
「ミヅキさん、ひょっとして組織を裏切って逃げ出した設定なの?」
「設定という意味はわからんが、私は裏切ってなどいない。我が身は未だ祖国とオカミに捧げている。だが今はフクタイよりも先になすべき事がある」
「ふ~ん」
女将に腹帯?相変わらず意味がわからない。
少女の言葉を耳から左に流しながら哲はウーロン茶をゴクゴクと飲む。普段なら色々と食いつくところだが、コンディションが悪い時に聞くべき話ではなかったかもしれない。
なんとなく、脳裏に日本旅館のバイトがイヤになって逃げ出すみづきの姿が頭に浮かんだ。現実的には一番ありそうな話ではある。
「それで、どうするの?とりあえず、君が狙ってる子の名前とかプレイスタイルはわかったけど、その、君を追ってる組織の連中とやらがいるならまた今度にする?」
みづきが目を瞠った。
「本当か?でかしたぞ!こっちは連中に気をとられて偵察どころではなかった」
「えぇと、名前はタカツキミラン、名前じゃなくて苗字の方だけど一応、ツキが入ってるけど、これは有りなの?」
みづきが探し求める少女の条件には、名前にツキが入っている事が重要らしかった。
以前、その理由を問い質した時には、
「クナモリハヅキの呪いは彼女に近しい者ほど感染しやすいからだ。名前が近似していればそれだけ呪詛との親和性も高くなる。必要条件ではないが、とりわけ第五種型の呪詛が強い撫子には顕著に見られる傾向がある」
そう教えられた。
「特別に教えてやったが、機密だから他言無用だぞ」などと念を押されたが、哲はそんな事を公表する場も同好の士も持ち合わせていなかった。そもそも、みづきが何を言っているのか半分もわからなかった。
「ミランだと?どうしてこう訳のわからん名前をつけるんだ」
一方のみづきはそっちに噛みついていた。
「えぇと、たぶん、親がサッカー好きなんでしょ?そんな名前のサッカーチーム、たしかあったよね?」
「そんな事はわかっている!だから何故それを自分の娘につける必要があるのかと聞いている」
「だから僕に言われても……でもサッカー云々はおいといて響き的には悪くないんじゃない?今どきな感じで」
この少女と将来結婚する旦那さんは子供の命名でひと悶着するだろうな、などとどうでもいい事を思いながら哲は見知らぬサッカー少女を庇った。
「まったく。ユズカみたいなセンスの親だな――そうか、だから奴がいたのか。少し急がねばならないかもしれん」
「えぇと、一人で納得してないで僕にもわかるように言ってよ。ユズカって誰さ」
「アバズレだ」
「アバズレって何?」
「どうでもいい。そんなことよりそのタカツキミランの情報をよこせ」
「えぇと。ポジションはボランチで相手の攻撃の芽を潰しまくるかつてのガットゥーゾを髣髴とさせる選手だよ」
さっきのギャルの受け売りそのままに説明する。
「サッカーのプレイスタイルはどうでもいい!誰だガットゥーゾって」
みづきに怒られた。
「ACミランに所属していた元イタリア代表のサッカー選手。豊富な運動量を武器に駆けずり回る、闘志溢れる中盤の潰し屋だってさ」
「だからガットゥーゾじゃなくてミランの情報を寄越せ!」
「知らないよ!ググっても埼玉県の女子サッカーの大会結果とかしか出てこないし」
少女が呆れ顔で見やってきた。
「使えんな。もういい。自分で探す」
さすがに哲もムッとする。
「無茶言わないでよ。今日その子の事を知って調べ始めたばかりでそんなすぐに情報は集められないよ」
「時間がないんだ。急がねば邪魔が入る」
みづきはさっさと席を立ってしまった。どうやら本当に焦っているらしい。
哲はため息をついた。
「わかったよ。僕がもう一度行くよ。その、ミヅキさんの昔の仲間とやらは僕の事までは知らないでしょ?見つけたらこれにメールで連絡入れるよ」
リュックからタブレットを取り出してみづきに渡す。少し考えた後で不承不承にみづきはそれを受け取り、腰を下ろした。
「使い方はわかる?」
「バカにするな。これがメールソフトでここに触れればいいんだろう?」
それからみづきは躊躇いがちに哲を見上げると、小さな声で告げてきた。
「すまない。私とした事が少し動揺して貴様に当たってしまった」
「いいんだよ。気にしてないし」
たまにはシュンとした彼女も悪くはないな、と哲は思った。




