2、月を狩る少女(その7)「八王子夢月」
スマートフォンが鳴る。
小野寺錬は舌打ちを一つすると寝台から手だけを伸ばして近くのテーブルを探り、それを引き寄せた。
画面に映し出された着信の電話番号は舎弟からのものだった。
「おう、なんだ?」
不機嫌そうに電話に出ながら小野寺は裸の上半身を起こし、近くの時計を見やる。そういえば、舎弟たちに集合をかけて女を捜させていたな、と思い出す。
この潮見屋の街の顔役の一人である小野寺の元には様々な情報が入ってくる。
それは彼のチームの舎弟たちからの報告だったり、退学を食らった後も彼が隠然たる影響力をもつ潮見屋南高校の後輩たちからの注進であったり、逆に彼が頭を下げるべき諸先輩がた―中にはその筋の本職になった人もいる―のネットワークから来る面倒な話もある。
その内の一つに、彼のオンナである八王子夢月の素性を探しているバカがいるという、聞き捨てならない情報が紛れていた。
夢月は潮見屋南高に入学して一週間も経たないうちに彼のオンナになっていた。
当時、夢月は他の男と交際していたが、小野寺がそいつの前歯を折った後は夢月はあっさり彼に乗り換えたのだった。
もっとも、当時の塩見屋南で小野寺の誘いを断れる女子生徒などいなかったし、夢月以外にも小野寺には何人ものオンナがいたが、体や性格などの相性を含めて、夢月が小野寺にとって一番のお気に入りとなった。
バカで生意気で浮気性な女だが、その分かわいい女だった。
高校の時、夢月とは一度別れたのだが、暴力事件で退学を食らった彼の後を追うように学校を中退して遊び歩いていた彼女と再会してからは、夢月は彼の家に転がり込んできて寝食を共にしていた。
その夢月を探し回っている妙な奴がいるという。三つ編みにセーラー服の女と、そのツレのチビでメガネの男の二人組。
試しに夢月に心当たりを尋ねてみたが、「そんな奴ら知らない」と返事がかえってきた。
ならば原因は小野寺の方にあるのかもしれなかった。
彼自身も人の恨みを買った事は数知れず、あちこちに敵を抱えている。潮見屋南の小野寺のオンナともなれば、敵対勢力にとっては立派な標的だ。
なんにせよバカな奴らだった。この街で派手に動けば小野寺の耳に筒抜けも同然だった。
「とりあえず拉致って口を割らせろ」
小野寺は舎弟たちにそう命令して街に解き放っていた。
電話をかけてきたのはその一人だった。
気の利かねぇバカだ、と小野寺は思った。とりあえず何か分かったらナンバー2の野津に全てまとめて報告するように言ってあったというのに。
案の定、無粋な電話に彼の隣に横たわる下着姿の夢月が不服げな声をあげている。
だが、そんな小野寺の事情など無視するように舎弟は動顛した声で喚き散らした。
聞き取れず小野寺は怒鳴りつけた。
「あぁ?何言ってるかわからねぇよバカ。聞き取れねぇからゆっくり喋れ」
電話口の相手は怯みながらも、それでも声のトーンは落とさなかった。
『た、大変です小野寺さん!野津さんたちが、殺されました!』
「―――あぁ??なんだと?」
『マジっス!今、〝シャッフル〟に来てるんですけど、野津さんやタカたちがナイフで刺されて死んでるんス!自分、どうしたら』
「うるせぇ!落ち着け!何人殺られたんだ?」
『俺、ビビッて店から出ちゃったからちゃんと数えてないス。マスターも、首を切られて死んでて!サツ呼んだ方がいいっスか』
「バカヤロウ!余計な事すんじゃねぇ!今から俺が行くからそこで見張ってろ!絶対誰も入れるんじゃねぇぞ」
通話を切ってから小野寺はスマホを地面に叩きつけた。
「くそっ!何があった!」
「ねぇ、どうしたの?」
すっかり待ちくたびれたらしい夢月が気だるげに煙草を吹かしながら尋ねてきた。
「野津たちが殺られたらしい。ちょっと見てくる」
小野寺が伝えると、さしもの夢月も逼迫した状況を漸く把握したようだ。
「えぇ!?ウソ!?やだ、なんで!?ひょっとして私を探してたって奴らに……」
「うるせぇ!黙ってろ!」
「待って!行かないでよ!怖い!」
慌てて夢月がしがみついてきた。
「ねぇ、ヤバいよ!一人にしないでよ!」
小野寺は夢月を突き放す事ができなかった。
どうせ何処かの小物だと侮っていたが、あの野津たちを殺すようなヤバい奴が相手ならば話は全く違う。
奴らが狙っているのは夢月――そして最終的には小野寺だろう。
だとすれば、今最も危険が迫っているのはこの家ではないだろうか。迂闊に家を空ける訳にもいかなかった。
「くそっ!」
焦燥を鎮めるべく小野寺は卓上のバーボンを瓶ごと呷る。焼けつくような酒の強さが小野寺本来の豪胆さを呼び戻す。
「よし、来るならきやがれ。ぶっ殺してやる」
吐き捨てると小野寺は投げ捨てたスマホを拾って片っ端から電話をかけまくった。生き残った部下に召集をかけて家の護衛をさせ、同時に兄貴分の八重樫に電話をかける。
八重樫は彼より二つ上の先輩で、現在は東京のヤクザの杯を受けている。小野寺の率いる〝紅蓮地獄〟のケツモチでもある。
普段、高い上納金を払っているのだからこんな非常時くらいは力を貸してもらわなければ割が合わない。
八重樫に頼み込んで拳銃を借りることにして―足許を見られて高いレンタル料を要求された―ついでにこの一件が落ち着くまで暫く連絡を断つ事を告げる。
煙草に火を点け、ベッドに腰を下ろす。
「レン、怖いよ」
夢月が震える体を押しつけてきた。
「大丈夫だ。どんな野郎か知らないが、俺がぶっ殺してやる」
夢月の柔らかい体を抱き寄せ、その唇を貪って昂ぶった心を慰める。
コトリ、と音がしたのはその時だった。
夢月が悲鳴をあげて抱きついてきた。小野寺は時計を見やる。
仲間や八重樫に電話してからまだ10分も経っていない。まだ誰も到着する筈がなかった。
音は一階から聞こえてきた。
小野寺は部屋に置いてある金属バットを掴んだ。
甲子園の夢を諦めた後は、ボールの代わりに何人もの喧嘩相手をかっ飛ばして再起不能にしてきた彼の愛用の武器だ。
その時、夢月が「レン」と名前を呼んできた。
振り向いた彼に、夢月は何かを押しつけてきた。拳銃だった。
「これ、使って」
「――おい!これ、本物じゃねぇか!?なんでこんな物持ってんだよおまえ」
「今はそんな事どうでもいいじゃん!あとこれ、弾だから。ここの穴に突っ込んでクルってして、引き金引けば本当に弾は出るから!」
何故、自分のオンナが拳銃なんか隠し持っているのか、小野寺はいぶかしんだが今はそれどころではない。一階から、彼の両親らしき悲鳴が聞こえていた。
「よし!ムーン、おまえはここで待ってろ!俺がいいって言うまで動くな!」
小野寺は拳銃とバットを両手に持ったまま、部屋を飛び出した。
残された夢月は震えながら頭から布団を被った。
その手には、小野寺に渡したのと同じ拳銃がある。恐怖に怯えながらも小野寺よりよほど手慣れた手つきでそのリボルバーに弾丸を込めて夢月は両手でそれを握る。
「ねぇ――あんたら、そこにいる?」
それから夢月は尋ねる。
返事の代わりに気配が応えた。誰かがベッドの傍に立つ気配。被った布団の隙間からはブーツにゲートルを捲いた男の足が見える。
気持ち悪い奴らだがこの際、背に腹は代えられない。
階下では怒号と争う音が聞こえてくる。断末魔の声が上がる。
あの声は誰だ。小野寺の声に似ているような気がする。
やがて、ミシリ――と階段が軋む音を立てた。
ミシリ、ミシリ。だんだん階段を昇ってくる足音が迫ってくる。
夢月はベッドの端を噛んで、必死に悲鳴を堪えた。
やがて、足音は小野寺の部屋の前で止まる。
ギィ――と扉が開く。
夢月の視界からは、開け放たれた扉の向こうに広がる暗闇しか見えない。
「――レン?レンなの?」
問いかける。
返事はない。
代わりに、血のついた剣付きのライフルを構えた軍服姿の男の身体が見えた。
夢月の悲鳴を引き金に、彼女の傍にいた兵士が動く。
ゲートルを捲きつけた軍靴。汚れてボロボロになった野戦服。被った鉄兜と銃剣のつけられた長い歩兵銃。
雄叫びをあげて夢月の日本兵が銃剣を突き出す。現れた兵士がそれを受ける。暗闇の中、同じ格好の二人の兵士が激しく争った。
夢月の近くに控えていたもう一人の兵士が三八式歩兵銃を発砲する。そのまま加勢して二人がかりで敵兵を圧倒する。
ザクザクと剣が肉に刺さる嫌な音が聞こえた。
耳を塞ぎながらも、夢月は安堵の溜め息を洩らした。
助かった。敵はやっつけた。
たぶん、レンやあいつの両親、それに仲間は皆やられちゃったけどあたしは生き延びた。
レンの事は残念だったけど、ちょうど飽き始めていたところだしちょうどいい。
今度は八重樫の世話にでもなろうか。
あの男、私の事をよくエロい目で見てたっけ。
金に汚くて嫌な奴だけど、腕っ節ばかりのレンよりずっと頭が切れて強い。
あぁ、でもまた命を狙われるのは真っ平だ。
やっぱり、あのお嬢様のお屋敷に連絡して匿ってもらうのが一番かもしれない。
とにかくすぐにここを引き払わないと、警察が来たら色々と面倒な事になる。夢月は立ち上がり、脱ぎ散らかしていた服を纏おうと手を伸ばした。
轟音と共に窓から何かが飛び込んできたのはその時だった。
目にはまったく見えないそれは、射線上にあった夢月の上半身を引き千切りながら進むと、壁に当たって炸裂し、小野寺哲の自宅の二階を一瞬で吹き飛ばした。
小野寺宅に面した路地で、一人の少女がその光景を見守っていた。
もぞり――と、倒壊した家屋の残骸から兵士たちが次々と這い出てくる。
その内の一人が、何やらキラキラと光る拳大の宝石のような塊を少女に手渡した。
掌の中の輝きを確認した後で、彼女は横隊を組んだ兵士たちに戦闘用意解除を下令する。消失する英霊たちに剣を捧げて祈った後で、少女は三つ編みを揺らして闇夜に走り去っていった。
近所の住民の通報で駆けつけた消防隊の必死の救助活動にも関わらず、倒壊した小野寺家の家屋からはこの家に住む家族三人が遺体となって発見された。
遺体はどれも損傷が激しかったが、司法解剖の結果、いずれも家屋の倒壊前に銃弾らしきもの、或いは鋭利な刃物により殺されていた事が明らかになった。
同日、潮見屋市の駅前にあるバー〝シャッフル〟でも、従業員や店の客併せて七名が同様の手口で惨殺されているのが見つかった。
被害者はいずれも〝紅蓮地獄〟を名乗るギャングのメンバーだった事から、警察はリーダーである小野寺哲の死と併せてギャング同士の大規模な抗争事件として捜査を開始した。
だが、銃器までも使用された重大事件として、神奈川県警により敵対するグループや彼らの背後にいる暴力団事務所への徹底的な捜索も行なわれたものの、結局、明白な犯人像も絞り込めないまま、捜査は結了となった。
彼らに横槍を入れて事件を奪いとったのは、陸上自衛隊三等陸佐を名乗る蘆屋という女だった。
「派手に動いてるな、小笠原みづき。同族嫌悪というやつか」
蘆屋千沙都は小野寺錬宅で押収した凶器――二十六年式拳銃の出来損ないを眺めながら呆れたように呟いた。
今宵の空は風が強い。厚い雲が流されて、月が切れ間から顔を出す。
「それとも、偽りの月が許せぬか?荒ぶる死者たちの姫よ」
夜風に黒髪を靡かせながら、千沙都は真っ赤な月を睨む。
彼女が傍観者の立場を楽しめるのも、そう長くはなさそうだった。




