2、月を狩る少女(その6)「助けは、誰も来ない」
西の地平線に夕陽が沈み始める頃、海から吹き込む潮気混じりの風が陸風へと風向きを変えた。
潮見屋の街に夜が訪れる。
「ミヅキさん、ホントに無茶しないでね?いくらミヅキさんが強いって言っても夜の女の子の一人歩きが危ない事には変わりないんだし、ましてや相手は地元でも有名な不良グループなんだから。慌てて探さなくたって僕もまた明日手伝うからさ」
「わかってる。私も夕飯を済ませたらホテルに戻るだけだ」
「絶対無茶しちゃダメだからね?」
くどいほどに念を押した後で、哲はようやく駅前でみづきと別れて帰宅の途についた。
みづきと違い、哲の家は息子の夜遊びにさほど寛容ではない。こないだ部活で学校に夜遅くまで残った挙句に火事に巻き込まれて以来は帰り時間に制限まで設けられていた。
「ホントは僕もこっちに残ってミヅキさんと一緒に調べたいんだけどな」
哲は一人ごちた。実際、先程それをみづきに申し出ていたのだがあっさりと却下されている。
「馬鹿者。学校はどうするんだ?貴様の本分は学業だろう」
偉そうに言うみづきに鏡を突きつけてやりたかった。
「そういうみづきさんはどうなのさ?学校サボっていいの?」
尋ねると、意外な回答が返ってきた。
「サボるも何も、別に私は学校など通ってない」
「えぇ!?ミヅキさん、学校行ってないの?じゃあその制服は何??」
「早く帰れ。遅くなるぞ」
追い払われた哲が後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら駅の改札に消えた後で、少女は小さく溜め息をついた。
夏と秋の境に位置する今の時期は日が落ちれば気温の低下も顕著になってきた。風が冷たい。
「さて―――行くか」
みづきは何も哲との別れが名残惜しくて、哲を駅まで見送ったのではない。
無茶をしないという哲との約束を彼が見えなくなった途端に即座に破り捨てるという、その不義理な理由の為だけに駅までついてきて彼の帰宅を確認したのだった。
こと調べものや捜索に関してあの少年が有能な事はみづきも認めざるをえなく、それ故に哲の同行を許して利用していたが、それ以外の――――たとえば荒事なり潜入なりの必要が求められる状況ではあの非力な少年は足手まとい以外の何物でもなかった。
それに、あれだけ目立つように人探しをすれば当の本人の耳にも必ず入る。
自分の事を調べられていると知ったギャングのリーダーの女が、それに対してどのような行動に出るかはバカでもわかる。尚更あの少年の出番ではない。
みづきはそのまま暫く駅前の通りを何度も流して歩いた。
制服姿の少女が歩き回るには少々遅い時間だった所為か、それとも前に二本、後ろに四本の三つ編みという謎の髪型が目を引いたのか、すれ違う人々は奇異なものを見るように彼女を見やった。
ただし不思議な事に、最も彼女に声をかける責任があるであろう警察官は、彼女が目の前を素通りしてもまったく反応を示さなかった。
やがて駅前通りの賑わいもそろそろ終わりという辺りで何度目かの折り返しを行なうべく踵を返したみづきは、目の前に人相の悪い二人組が近づいてくるのに気づいた。
「―――よぉ、おまえだな?リーダーのオンナの事を探し回ってるアマってのは?」
龍の刺繍の入ったスカジャンの男が射竦めるような眼光で睨んでくる。相方の金髪の男はヘラヘラと笑っている。
「チョロチョロ嗅ぎ回ってるみてぇだけどよぉ、バレバレなんだよ?ここらは俺たちのテリトリーだからな。ダセぇ鼠がこそこそナメた真似してたらソッコーでわかんだよ」
みづきは無言で男たちを見やった。
「ツレのカレシはどうしたんだ?メガネかけたチビがいただろ?」
やはりあいつは帰して正解だったな、と内心で思いながらみづきは金髪を冷たく見据えた。
「奴なら帰った。邪魔だからな。あと私の名誉の為に言っておくがアレと交際している事実はない」
「そうかよ。どうせなら野郎の目の前で色々と聞きだしてやろうかと思ったんだけどな?とりあえず一緒に来てもらうぜ?俺たちに聞きたい事があるんだろ?たっぷり教えてやるぜ」
下卑た笑いを浮かべながら金髪が腕を掴んできた。スカジャンも反対側に立って彼女の動きを封じる。
みづきは抵抗しなかった。
男たちはみづきを近くの雑居ビルの地下にあるバーに引きずり込んだ。
入り口に小さく掲げられた看板は、みづきが先程チェックした八王子夢月のブログに書き込まれていた店名のそれと一致していた。
薄暗い店内は酒と煙草の臭いに満ちていて、数人の客たちがみづきたちに視線を送る。
〝紅蓮地獄〟の巣窟だった。
「野津さん、例の三つ編み女、拉致ってきました」
スカジャンが告げ、みづきの背中を突き飛ばした。
客たちの中心にいた、熊みたいな体つきの大男がバーボンを呷る手をとめて見据えてきた。
「こいつか?随分あっさり見つけたな?」
「駅前を一人でウロウロしてたんで楽勝でした」
「ったく、ひでぇ髪型してやがんな。なんだこりゃ?てめぇの学校で流行ってんのか?」
大男の言葉に他の男たちが追従したような笑い声を上げる。
妙にギラギラした目で男は見つめてきた。
「けど、顔はイケるじゃねぇか?」
カウンターでグラスを磨いていたバーテンダーが何食わぬ顔で店の表に出していた「OPEN」の表記をひっくり返して「CLOSE」に変更し、入り口に鍵をかけた。
どうやら客ばかりか店員までも〝紅蓮地獄〟の関係者という事らしい。
みづきは鼻を鳴らした。
彼女に歩み寄ってきた大男が彼女の制服のネクタイを掴んで強く引き寄せてきた。
「で?てめぇは誰なんだ?なんでリーダーの女の事を嗅ぎ回っている?」
みづきは胸倉を掴まれながらも男の目を無言で見つめ続ける。
「ふん、ダンマリか?見かけによらず肚が座ってんじゃねぇか。それとも怖くて声も出せないか?お嬢ちゃんよ」
大男がせせら笑った。
「けどよ、こっちはてめぇに口割らせるなんざワケもねぇんだぜ?」
言うなり、男は手近にあったビリヤード台目がけてみづきを片手一本で叩きつけた。
小柄なみづきは男の膂力に抗えなかった。
「ぐっ!?」
なんとか受身をとって背中を強打する事だけは免れたが、素早く群がってきた男たちが彼女の体を抑えつけ、ビリヤード台の上へと押し上げた。
みづきの手足や三つ編みの髪が男たちに掴まれ身動きができない。
「まぁ言いたくなったら勝手に吐いてくれや。やめねぇけどな?」
履いていたズボンのベルトをガチャガチャと緩めながら大男が近づいてくる。みづきは目を逸らした。
さっきの金髪がみづきの顎を掴んでヘラヘラと笑いかけてくる。
「いいんだぜ?好きなだけ大声出して泣き喚いても?どうせここは防音効いてるから外には聞こえないし」
「お~い、服脱がそうぜ?おっぱい出してよおっぱい」
携帯のカメラを向けてくる男もいた。
男たちが獣じみた歓声をあげている。
「――――度し難い非国民どもだな。気が変わった、殲滅する」
みづきは呟いた。
「え?なに?なに?」
「野津さん、次、自分いいスか。こいつ、割とタイプなんで」
「ジャンケンだろジャンケン?」
「こっち見てよ。ピースしてピース」
ビリヤード台を取り囲んでせせら笑う男たちは、彼らの背後にいつの間にか佇むソレにまだ気づかない。
背後でグラスの割れる音と共にバーテンダーの魂消るような悲鳴が響く。男たちが振り向いた時には既に研ぎ澄まされた銃剣の切っ先が彼らに迫っていた。
「一人は口が利ける程度に生かしておけ。でなければせっかく誘引した意味がなくなる」
自ら囮の役割を果たし終えた少女は紫の瞳でそう命じた。
馬鹿な連中が向こうから格好の密室を提供してくれたのだ。小野寺錬と八王子夢月の居場所を聞きだすにはもってこいだった。
男たちの絶叫は防音の効いた店の壁に阻まれ、地上を行き交う通行人の誰の耳にも届かなかった。




