2、月を狩る少女(その5)「君の名は…」
「あ、いたいた!ミヅキさ~ん」
待ち合わせに指定していた駅前のドーナツ屋。お目当ての少女の姿を認めた哲はまるで恋愛ドラマの主人公ばりに満面の笑みで手を振ってみせた。
けれども、返ってきたのはいつもどおりのつれない視線だけだった。
勿論、そんな事はすっかり慣れっこになった哲がそれしきでめげる筈もない。コーヒーとドーナッツ二つを載せたトレーを持って少女の座るテーブルの向かいに腰を下ろした。
小笠原みづきの第一声は、「遅い」という叱責だった。機嫌が悪いらしい。
哲は頭を掻いた。
「ごめん、ちょっと電車が遅れちゃって……でもたったの2分遅刻だし許してよ」
「たったの??」
どうやら哲は地雷を踏んでしまったらしい。
「一分だろうが一時間だろうが遅れた事には変わらないだろうが?時に一秒の遅れが命取りとなる事もあるのだ!貴様は五分前精神を身につけろ!次はないぞ」
「ご、ごめん――ひょっとしてけっこう待たせちゃった?」
柳眉を逆立てるみづきに哲は平謝りだ。内心では、そんなに早く僕と会いたかったのかと笑みが零れそうになるのを必死に我慢していた。
「でも、こういう時困るからやっぱりみづきさんもケータイ持った方がいいよ?そしたら遅刻とか緊急事態とかでも連絡を入れれるしさ」
哲は隙を見て提案してみた。
携帯電話を持たないみづきとの連絡は毎度、どこかで日時を決めての待ち合わせしか方法がなかった。 哲としては不便で仕方がなかったし、もし万が一、待ち合わせにどちらかが来られないような事態に陥ったら、その時点でみづきとは音信不通になってしまい二度と会えない可能性が高かった。
だが、みづきは頷かなかった。
「たしかにあれば便利なのは分かっている。だが、今の私では持てないのだ」
「え?親の許可が出ないとか??」
「まぁ、そんなところだ。こればかりはどうしようもない。もし仮に緊急の連絡が必要になれば公衆電話でも使えばいい」
哲はため息をついた。
いったいこの少女は普段どんな生活をしているのだろう。まったく見当もつかなかった。
みづきがセーラー服以外を着ているのは見た事がなかった。
もちろん年齢的にも学生には違いないのだろうが、彼女がまともに学生生活を送っている姿など想像できなかった。
その制服から哲は密かに彼女の通う学校を割り出そうと色々と画像検索をしてみたが、東京市内の中学高校でヒットするものは一つもなかった。
コスプレの可能性も検討してみたが、該当するものは見つからない。
「ねぇ、ミヅキさんの親ってどんな人なの?学校は何処なの?てゆーか、学校通ってるの?何才なの?」
こんな風変わりでアレな少女の親なのだから、そのご両親も相当に変わっているのだろう。
だが哲の予想どおり、みづきは答えてくれなかった。
「機密だ。そんな事より、例の調べはついたんだろうな?」
哲は肩を竦めた。さほど落胆はしていない。雑談は打ち切ってさっさと本題に入る事にした。
「一応ね。この子でしょ?八王子ムーン。潮見屋南高校中退……」
「――――ちょっと待て。すまない、聞きとれなかった。もう一度言ってくれ」
哲が差し出した写真を眺めていたみづきが遮るように口を挟んだ。哲は繰り返す。
「八王子ムーン。潮見屋南」
「待て待て待て!なんだその名前は?ムーンってなんだ?綽名か??」
再び遮られ、哲は苦笑して答える。
「うぅん。本名みたい」
哲は紙ナプキンの上にボールペンを走らせた。夢、月と並べた後にルビを振る。
「夢の月と書いてムーンって読むらしいよ。当て字だけど一応ミヅキさんの言ってたとおり、名前に月って入ってるし、他の条件もあってるから間違いないよ」
「なんだと貴様」
少女はバンとテーブルを叩いた。周りの客たちが驚いた様子でこちらを見やる。
「夢と月でどうしてムーンと読むんだ?ムツキ或いはムヅキだろ」
「それは僕に言われても……月だからムーンなんじゃない?そういう当て字だよ」
そこに食いつくんだ、と困惑しながら哲は答えた。
「ふざけるな、当て字にしたって程があるぞ?ムーンは英語だろ!というか、それは日本人の名前か!滅ぼすべき名前だな」
憤懣やるかたない様子でみづきはプリプリと起こっている。
「オシャレでかわいいと思うけど?」
「貴様も残念な感性の持ち主なようだな。嘆かわしい」
「ひどいなぁ。それに名前をつけたのはこの子じゃなくて親なんだし仕方ないじゃない?この子は悪くないよ」
呆れ顔で哲は告げた。
「だとすれば討つべきはまず名づけた親からだな」
ミヅキさん、頑固な年寄りみたいだなと哲は思った。ふと疑問が生じて尋ねる。
「――あれ?そういえばミヅキさんって名前は平仮名なんだっけ?美しい月とかじゃないんだ?」
「漢字はあるぞ」
「えぇと、美しい月とか?」
「違うな」
少女は哲の握っていたボールペンと紙ナプキンを奪い、達筆を揮った。
「水漬く護国の鬼で水漬鬼だ」
「そんな名前ねぇよ!そっちの方がよっぽどDQNネームだよ!!それ絶対自分で考えたでしょ!?」
哲は全力でツッコんだ。厨二臭いにも程がある。
「なっ!?ち、違う!何を言う貴様!本当だぞ!?」
「嘘つけ!そもそもなんだよ水漬くって!バリバリ当て字じゃん」
「ふ、ふざけるな!貴様、『海行かば』を知らんのか!あの歌詞にもあるだろ!?元は万葉集にも詠われている、れっきとした日本語だ!ムーンと一緒にするな」
「はいはい、ミリヲタ乙」
みづきは真っ赤な顔をしてプルプルと肩を震わせていた。
「くっ――なんだこの屈辱は!?今初めて夢月の気持ちが分かった気がするぞ」
「じゃあ全世界のムーンさんに謝るんだね。えぇと、水の護国の、なんだっけ?」
「もういい!次に百鬼に食われかけても絶対に助けてやらん!――この話はもう終わりだ。さっさとムーンの情報を出せ」
みづきの膨れっツラに、彼女と出会ってからおそらく初めてになる勝利の愉悦を覚えながら哲は学生鞄から資料を取り出した。
「じゃあ、あらためて。八王子夢月。潮見屋南高校中退。16歳。両親は離婚して現在は母親と義理の父親との三人暮らし。在学中はいわゆるヤンキーグループの一人で、万引きで補導歴があるね」
みづきは手渡された資料に目を通しながら呆れたように口を開いた。
「しかし貴様、本当にこういう事だけは見事だな?本気で我が斥候に欲しいぞ」
「えへへ、そんなたいした事はないよ。彼女、SNSもやってたし、地元じゃそれなりに有名だったみたいだからね。ちょっとしたコツと根気があれば誰でもわかるよ。お婆ちゃんとかでもない限りはね」
「む。貴様、今日はやけに攻撃的だな。私に喧嘩を売っているのか」
「滅相もない」
哲が差し出したタブレットで、夢月のブログを不快そうに眺めながらみづきは鼻を鳴らす。
「頭が痛くなる文章だな」
「ヤンキーの書いたブログに文学性は求めない方がいいよ。それよりその三日前の記事を見てみなよ」
みづきはタブレットに触れた。
少女とそのカレシらしき男との自撮りしたツーショットや、男の愛車と思しきビッグクーターにおどけて跨る少女の姿、また彼女の交友関係を如実に物語る連中と飲み屋でダーツを楽しんでいる様子などが画像として貼られていた。
「間違いない。こないだの女だな」
みづきは頷いた。
二人がこの夢月なる少女を見かけたのは一週間ほど前の事だ。
相変わらずフラフラと彷迷い歩くみづきを哲が追いかけ回し、立ち寄った街で信号待ちをしていた時にビッグスクーターや原チャリで暴走行為を繰り返す若者たちの一団と遭遇したのだ。
みづきの反応は迅速だった。
いきなりダッシュでバイクを追いかけ始めたのだ。その中の一台の後部座席に跨る少女が目的だった。
勿論、人間の足で信号無視のバイクに追いつける筈もなく、みづきが2ブロック先に辿り着いた頃には一団を見失っていた。
「どうしたのさ、みづきさん」
息を切らして追いかけてきた哲に、みづきは嬉しそうに告げた。
「見つけた」
その日以来、哲はみづきの為にこの界隈を駆けずり回り、少女の情報を掻き集めたのだ。
手がかりは、集団の中にいた、夢月とは別の少女の服装だった。
彼女は学校の制服を着たままだった。キャメルのブレザーに臙脂のチェックのスカート。同色のタイ。その特徴的なデザインから近くの潮見屋南高校の生徒だと哲は即座に特定した。
お手柄の筈なのに、みづきの反応はひどいものだった。
「なんで貴様は地元でもない他校の女生徒の制服にそんなに詳しいのだ。気色悪いな」
哲は泣いた。
だが、彼は諦めなかった。
中学の頃に転校した友人が潮見屋南高校に在籍している事を思い出すと、数年ぶりに連絡をとり、彼を経由して情報を集めることに成功したのだ。
八王子夢月は既に春に入学した潮見屋南高校をその年の8月には自主退学していた。
現在は歳を偽ってキャバ嬢のバイトをしながらカレシの家に転がり込んで同棲しているという。
このカレシというのも曲者だった。
小野寺錬、20歳。夢月と同じ塩見屋南高校を中退。在学中から塩見屋の不良どもを束ね、数度の暴力事件を起こしている。高校を辞めた後は地元の鉄筋屋に就職。今もなお、地元のワルたちの顔役となっている男だ。
そんな哲の説明を興味なさそうに聴きながらみづきは鼻を鳴らした。
「――で、ムーンの今の住所は?」
「ごめん、そこまでは調べてない。てか、乗り込むつもり?ヤンキーの親玉みたいな奴の自宅だよ?ヤクザとの繋がりもあるみたいだし、ヤバいよ」
「それがどうした。何故私がヤクザを怖がらなければならない?」
さすがは水に漬かった護国の鬼である。
溜め息をつきながら哲は告げた。
「さすがに家はわからなかったけど、この小野寺って奴の仲間のタムロしてる場所は何箇所か抑えたよ。連中、〝紅蓮地獄〟ってチームを作って暴れてるみたいなんだ」
「まったくもってセンスの感じられん名前だな」
「あーうん、ミヅキさんのセンスとは重ならなそうだよね」
やれやれと失笑を浮かべる水漬鬼に哲は生温かい目で優しい相槌を打った。




