2、月を狩る少女(その4)「福田食堂」
店主夫妻の苗字をそのまま使用した「福田食堂」は希望ヶ浜市の行政中心地大師ヶ院の駅前商店街に店を構えること30年。
長引く不況や食材の高騰、それに雨後の筍の如く乱立する競合の飲食店によってそれなりの苦労はあったものの、定食の安さとボリュームで近隣の肉体系労働者やサラリーマンの胃袋を掴んだ事でそれなりの固定客を掴み、競争の激しい飲食業にあって淘汰される事もなく地元の住人たちに愛されてきた大衆食堂である。
昼の混雑時には近隣の勤め人たちが入れ替わり立ち代わり押し寄せる為に、知らない客同士が相席になるのがこの店の常の光景であるが、午後の一時半を回り昼食時を外した時間ともなれば年季の入った店内はテーブルの殆んどが空き、僅かに数えるほどの客しかいない。
恐らくは外回りの都合で昼飯の時間がずれたのであろうサラリーマン。皿に盛られたフライを美味そうに頬張る大学生風の若者。刺身をツマミに昼間から冷酒を呷る常連らしき酔客がいるのは少々ヤクザな土地柄とでもいうべきだろう。
彼らへの配膳を済ませた後で、カウンターに腰を下ろして一息つきがてらテレビのワイドショーを見やっていた女将は、店の引き戸が開かれたのに気づき「いらっしゃい」と声をかける。
この時間帯にまだ客が来る事もそうだが、現れたのが女性客、それも制服姿の少女だというのも珍しかった。
もちろん女性客が来ない訳ではないが、洒落っ気皆無の古びた店内に、濃いめでボリューム勝負のメニューが中心となれば客層は男性客に偏りがちだ。
再開発の進む駅前には若い女性好みのオシャレな店が幾つも立ち並ぶ中、古色蒼然とした店構えの「福田食堂」の暖簾は女性の一人客には少々どころではなく相性が悪い。
だから女将はこの客の顔を覚えていた。
昨日も今と同じような時間に彼女はひょっこりと店に顔を出していたからだ。
今どきの子にしては地味でどこか懐かしい印象を受けるのは、レトロなデザインのセーラー服に三つ編み、それに眼鏡をかけている所為かもしれない。
どこか古風でたおやかな美少女ぶりはまるで自分の若い頃にそっくりだわ、とふくよかな身体を揺らしながら女将は思った。
「また来てくれたのね。どこでもいいから座りなさい」
女将が微笑みながら声をかけると少女はぺこりと頭を下げ、昨日と同じようにカウンターの一番端の席に腰を下ろした。
壁に貼られたメニューを睨む事暫し、少女は焼き魚定食を選択した。女将は頷き、大声で怒鳴る。
「焼き魚一丁!」
「あいよ。大盛りにするかい?」
カウンターの向こうから顔を出した主人の声に少女はこくりと頷き、料理が出てくる間、文庫本を取り出して読み始めた。
やがて食欲を誘う香ばしい匂いと共に秋刀魚が運ばれてくると、少女はこの時ばかりは嬉しそうに唇を綻ばせ、両手を合わせて「いただきます」と告げると味噌汁を美味しそうに口に運ぶ。
それを見ていた女将は、まだ若い人にもこういう子がいるんだねぇなどと素朴な感動を覚えた。
ガラガラと音を立てて戸口に新たな客が現れたのは、少女が箸で毟った秋刀魚の身に大根おろしを乗せ、嬉しそうに口に運んだその時だった。
「いらっしゃい」
またしても珍しい客だった。
今度は男の子の学生だった。ブレザーにネクタイ、人の良さそうな顔をしてこちらもメガネをかけた少年はキョロキョロと店内を見回し、カウンターに目を止めると笑顔を浮かべて迷わずそちらに向かう。
「ミヅキさん見ぃつけた♪」
嬉しそうにニコニコ笑う少年とは対照的に少女の顔は苦々しい。
「――また貴様か。どうしてここがわかった?そして何故隣に座る」
「えへへ。さっきたまたま駅前で見かけてついてきちゃった。一回見失ったんだけど、こっちの方かな~って思って来たんだ。あ、おばちゃん、僕も焼き魚定食ください」
「あい、焼き魚一丁――ひょっとしてボーイフレンドかい?」
水の入ったコップを用意しながら女将が尋ねた。
「え~??そう見えますか?まいったな~」
嬉しそうな少年とは対照的に少女の方は仏頂面で秋刀魚を黙々とつついた。
純情な少女は冷やかされるのに慣れてないのかもしれない、と女将は得心して若い二人への野暮はやめることにした。
気を利かせたつもりの女将が二人から離れてテレビを見始めた後で、少年―――門倉哲は尋ねる。
「ねぇミヅキさん。最近うちの学校には来ないみたいだけどどうしたの?」
「どうもこうもあるか。用事が終わっただけだ。行く必要もあるまい」
「……やっぱり。須藤奈月の件、ミヅキさんがやったんだね?」
哲は声を潜めた。
「何のことだ?」
「何のことって、アレだよ」
哲は店に設置されたテレビを示した。つけられたチャンネルではちょうどワイドショーが流れていて、テロップには『行方不明の女子高生、当日の足どり』の文字が出ていた。
この数日間、行方不明事件としてテレビを賑わせている須藤奈月の失踪騒ぎの続報だった。
哲にしてみれば、平和な我が街で起きた大事件だった。
須藤奈月が九品学園高校に姿を見せなくなってから既に一週間以上が経過していた。
元々、無断外泊やプチ家出の常習犯だった所為もあり、彼女の両親が失踪届けを警察に出したのは、彼女が姿を消してから三日目の事だった。
折しも数日前、その同じ地域で銀行から現金を輸送中のガードマンが襲われ現金が奪われる強盗事件が起きたばかりという事もあったばかりという事もあって、マスコミがこれを報道すると世間の注目が集まった。
この強盗事件も謎めいた事件だった。
現金輸送中のガードマンを襲ったのは、パーティー用の被り物を被った人物だった。
犯人はガードマン二人に素手で襲いかかって叩きのめすと、現金1千万の入ったケースを奪って徒歩で逃走したのだ。
銀行の防犯カメラや現金輸送車の車載カメラには、襲撃の一部始終が映されており、その衝撃的な映像がテレビで放映されるとたちまち話題になった。
公開された画像に映し出された犯人は、映像を見る限りどう見ても女性だった。
犯人に殴られたガードマンの一人は頭蓋骨折に加えて脳挫傷の重体で現在も意識不明の状態が続いている。もう一人のガードマンも内臓破裂と全身複雑骨折で後遺症が残る可能性が高いという。
また、映像を解析したある専門家によれば、彼女の走る速さは時速100キロ近く出ていたそうだ。
その分析結果の信憑性はともかくとして、事実、犯人は追いすがる警察の自転車やパトカーを容易に振り切り逃走に成功し、今に至るも捕まってはいない。
この事件を巡って、インターネット上の匿名掲示板などでは犯人の被り物から「大仏たん強盗事件」として犯人探しで盛り上がっていた。
今のところ、「ゴリラの腕力とチーターの脚力をもつ、某国が創り出した生物兵器」説が有力だが、哲としては実はこの事件はみづきによる凶行ではないかと疑ったりもした。
それに加えての須藤奈月の失踪騒ぎである。
つい先月も距離にすればさほど遠くない東京市内の女子短大生が行方不明になり未だ見つかっていない事もあり、不審者による連続誘拐事件の可能性を指摘する声も上がっていた。
また、マスコミによる報道が白熱する中で、奈月の素行不良が次々と暴かれた為に、事件とは無関係な興味本位で下世話な勘繰りをする者も出始めていた。
九品学園の校舎にも連日多数のマスコミが押し寄せ、校長や奈月のクラスを担当していた2‐Bの教師、更には彼女の同級生たちにしきりにインタビューをとっていた。
まるで興味なさそうにテレビを眺めていたみづきが鼻を鳴らした。
「知らんな」
「え、嘘ぉ~。知らないって事はないでしょ。あれだけ散々僕に彼女を調べさせておいて」
哲は苦笑いを浮かべた。
須藤奈月の素性と日頃の言動に関して、哲に調査を依頼したのは他ならぬみづき本人だった。その為に哲はもてる限りの友人関係を総動員して奈月の身辺を調べあげ、更にはそれを自分の耳目で確認する為、奈月への尾行の真似事までしたのだ。
「随分と恩着せがましいな。別にこちらが頭を下げて頼み込んだ事ではない。貴様が勝手に調べたがったのだろうが」
「うっ……そりゃそうだけどさぁ。いや、別にそれはいいんだよ。探偵みたいで楽しかったしさ。でも、そうやって調べた須藤奈月がその数日後には姿を消して行方不明になっちゃったんだ。そこに君と彼女の何がしかの因果関係を疑うのは普通だろ?」
「つまり、私が犯人だといいたい訳か?」
ピンクのフレームの眼鏡越しにみづきは哲を見やってくる。
「僕が警察なら重要参考人として話くらいは聞くだろうね」
「ならば警察に話すか?」
「まさか。そんな事しないよ」
哲は両手を広げてみせた。
「正直なところ須藤奈月がいなくなって、本気で彼女の身を案じてる奴なんて殆んどいないよ。あまり学校でも彼女の評判は良くなかったからね。こういう事件が起きても、あぁやっぱりって感じで皆それほど悲しんではいないね。僕も昔、あいつにはお尻を蹴飛ばされてキモいって中傷を受けたことがあるよ」
「貴様が気色悪いのは否定しないが」
「否定してよ!?……まぁいいや。とにかく僕は君の味方だよ。それだけは誓って言えるし、正直あんな奴がどうなろうと知った事じゃない。むしろ世の為だと思うよ。もし君があいつをやっつけたっていうなら君はやっぱり正義の味方だよ。お礼にハグくらいしてあげたい気分さ」
「――やっぱり気色悪いな」
「冗談だよ冗談。そんな目で見ないで!けど、なんかムズムズするんだ。僕が君に報告を送った翌日に須藤奈月も君も姿を消した。その事が関係あるにしてもないにしても、せめて彼女を調べていた理由くらいは教えてくれてもいいんじゃない?」
少女は黙って味噌汁の最後の一口を啜り終えた。
秋刀魚の頭と骨以外残さず綺麗に完食した定食を前に、「ご馳走様でした」と手を合わせると、さっさと席を立とうとする。
「うわ、ミヅキさん待ってよ!僕まだ食べてるのに」
「知るか。貴様、食うのが遅いぞ」
「だって僕、後から来たし!てゆーかミヅキさんが食べるの早すぎるんだよ!」
「早飯早グソも芸のうちだ」
哲は悲鳴をあげた。
「ちょ、今食事中!あと女の子がそんな事言っちゃダメ!」
「貴様、せっかくの飯を残す気か?ちゃんと残さず食わんか!だから貴様は体がナヨナヨしているんだ」
「じゃあ急いで食べるから待っててよ。置いてかないでよ?」
哲が慌てて定食の残りを掻き込む中、みづきはレジに向かうと女将を呼び、手の切れそうな新札の一万円を出した。
「大きくてすみませんが、こちらで願います。あと、あちらの少年の分もまとめて勘定してください」
「はいよ。優しいねぇ」
昨日も支払いは一万円だったのを女将は思い出した。
お金持ちの家のお嬢さんなのだろうか。
「大変美味しかったです、ご馳走様でした」
お釣りを受け取り、綺麗な姿勢で丁寧に頭を下げてくる少女に女将は微笑みかけた。
「また来てちょうだいね」
少女はその生真面目な顔に少し困惑の色を浮かべた。
「機会があればまた窺います。ですが、今日このままこの街を離れることになりますので次はいつになるかわかりません」
「あら、残念ね。遠くに住んでるの?」
「去年までは。今年になって東京に久しぶりに戻ってきました」
口に物をパンパンに詰め込んだまま、連れの少年がバタバタと追いかけてきた。
「お金はそっちの子にちゃんと貰ったよ」
と女将が告げると、少年はしきりに少女に向けて頭を下げお礼を言った。
「じゃあお昼奢ってもらったお礼に僕がコーヒーご馳走するよ!カフェでも行こうよ」
「不良か貴様」
「喫茶店で不良って、いつの時代だよミヅキさん」
言い合いながら去っていく若い学生たちを女将は微笑ましげに見送った。
余談だが――。
数日してから「福田食堂」に二人組の男がやってきた。
なんでもこの辺りの店で、先日起きた強盗事件で盗まれた紙幣が使われたとかで刑事が聞き込みに来たのだった。念の為、と店の金庫から刑事が番号を控えていった紙幣のうちの二枚がヒットした。
最近、新札を使用した客で何か覚えがないかと問い詰められ、女将はすぐに思い当たった。
まさか――と思いつつも、女将は刑事にその一万円札を使った少女の事を話した。
「その子が銀行強盗の犯人なんですか?」
「いえ、まだなんとも言えませんが」
「でも、強盗なんてそんな事するような子には見えませんでしたよ。大人しくて礼儀正しいいい子でした」
「今どきの子はわからないですからね。一見すると普通の子がいきなりとんでもない事件を起こしたりしますから。昔は事件を起こすような奴はいかにもワルな奴ばっかりだったんですが……その女の子について他に何か覚えてませんか?」
「男の子の連れがいました。近くの高校の子だと思います。そっちの子の制服は見たことがありますから。背が低くてメガネをかけていて――」
それからの数日間、女将は新聞やテレビに頻繁に目を通した。
もしかしたら、強盗犯逮捕の文字と一緒に、あの三つ編みの少女の事がニュースになってるかもしれないと思ったからだ。
だが、一週間が経ち、一ヶ月が経っても彼女の予想に反して例の強盗事件の犯人は一向に捕まらなかった。やがて女将も日々の忙しさに追い立てられ、そんな事件のことなど頭の片隅からすっかり抜け落ちてしまった。
今日も「福田食堂」は満員御礼だ。




