2、月を狩る少女(その1)「トイレのミヅキさん」
翌日の朝、九品学園高校2‐Dの教室に顔を出した哲は、彼が一夜にしてクラスの有名人になった事に気づかされた。
心なしかいつもよりたくさんの視線を感じ、声をかけられる。
同級生の男子たちはしきりに火事の話題を蒸し返しては哲に振ってきた。
相変わらず女子たちが話しかけてくることはなかったが、チラチラと見つめられてはヒソヒソと何事か囁かれている事くらいは哲も気づいている。
クラスの皆の注目を集めている事を、哲は素直に喜べなかった。
哲が火災のあった一昨日の晩に夜の学校をうろつき回り、その事で昨日は校長室に呼び出されて刑事たちに尋問を受けた事がどうやら噂になって伝わったらしい。
おかげで男子生徒たちからは面白がって事故の詳細を根掘り葉掘り尋ねられ、女子生徒たちからは完全に放火の真犯人と見做されて陰口を叩かれる羽目になったのだ。
ひどいものになると、取材をした事で哲はハヅキさんの呪いを受けてしまい、彼女に操られて旧校舎に放火したなどという事実無根の与太話も出ているらしい。
冗談じゃない。
正しくは、ハヅキさんを探しに行ったらミヅキさんに出遭い、彼女の鬼退治に巻き込まれたのだ。
「で、どうなんだ?火事の原因はハヅキさんの祟りなのかよ」
茶化してくるクラスメイトに、哲は深刻な顔で答えてやった。
「実は、あの晩に起きた全ての出来事を記録したビデオテープがあるんだ。今度、その映像の一部を校内放送で流そうと思うんだ。ドンミスイット!」
ちょっと大袈裟に言い過ぎたかもしれない。肝心要のシーンは全て消えてしまい、残っていなかった。
ようやく授業開始のチャイムが鳴った事で、哲はその煩わしいやりとりから解放された。
窓際の彼の席からは、焼け爛れた旧校舎の様子が見える。
事故調査の終了に伴い、旧校舎に張り巡らされていた規制線は既に取っ払われており、代わりに学校側によって旧校舎は当面立ち入り禁止とされていた。
恐らく、早々に旧校舎は取り壊されることになるらしい。
老朽化による漏電火災を起こした校舎など、安全性の面からいっても使用できる筈がなく、実質的な学校機能の大半は既に新校舎に移転し終えている為に、わざわざ補強改修工事をしてまで旧校舎を残す意味がなくなっていたのだ。
旧校舎の入り口に急遽つけられた鎖と南京錠が、無惨な火事の痕跡を曝したままの校舎に尚更寂しい印象を与えていた。
それは、いい。
愛着を感じるほどに哲は旧校舎に関わりはない。だが、あの破壊された三階で彼が目の当たりにしたあの晩の怪異も無かった事にされるような気がして哲は何処となく勿体無い思いに駆られた。
あのミヅキさんが流れ弾で穴だらけにした廊下の壁も、謎の必殺技で鬼ごと吹き飛ばした踊り場も、すべてショベルカーで粉砕され、他の残骸と一緒くたにされて産廃処理場に捨てられてしまうのだ。
(ミヅキさん……)
哲は少女の事を思った。
時代錯誤のファッションセンスに、大小四本もの三つ編みをぶら下げた謎の少女。
細身で小柄で色白でメガネっ子で、人の事を貴様呼ばわりして、兵隊の幽霊たちを顎で使い、自らも拳銃や刀を振り回して華奢な体で百鬼の群れに立ち向かっていた暴れん坊兼哲の命の恩人。
いや、そんな事よりも。
たとえダサいモンペ姿で髪型もファンキーで、その言動は一々アレで厨二病に罹患していたけれども、それでも彼女は哲のストライクゾーンど真ん中の、ビックリするくらい愛くるしい美貌の持ち主だった。
人生の中でそんな異性との(別に同性でもいいのだが)出逢いがどれほどあるのかなど哲には知るよしもなかったが、先日においてはあの訳のわからない妖怪退治にかまけてみすみすその貴重な絶好球を見逃した事だけは否めない。
できれば彼女とは違った場所で違ったシチュエーションで出逢いたかったと哲は本気で思う。
たとえば放課後の図書館で、或いは突然のにわか雨で駆け込んだ雨宿りのバス停で――もういっそのこと、新学期の登校時に転校してくるミヅキさんとぶつかってなんて展開でもかまわない。
そんな出逢いだったらもしかしたら――――妄想を膨らませた後で、おそらくはその後の行動に踏み出せないであろう自分の臆病さに哲は落胆のため息をついた。
(……もう、会えないんだろうな)
哲はため息をついて窓の外を見た。
学園をぐるりと取り囲むフェンスを乗り越えようとしている三つ編みの少女の姿が飛び込んできた。
「ミヅキさんいるし!?」
思わず声をあげてしまった哲に、教室中の視線が集まる。
「え?なにあれ?どうしたの?」
「キモい、なんか女の子の名前叫んでたよ?」
「やっぱとり憑かれたんじゃないの、あいつ」
ヒソヒソと囁き声が交わされる中で、哲は羞恥と混乱そして興奮で挙動不審に陥りながらも、あんぐりと口を開けてこちらを見つめている国語教師に向けて告げた。
「す、すみません。あの、お腹痛いので保健室行かせてください」
逃げるように教室を飛び出した後で、哲は頭を抱える。
「うわ、何やってんだ僕」
自分の奇行に呆れながらも哲は抑えきれない衝動に突き動かされるようにして廊下を急ぐ。二度と会えないと思っていた少女がまた学校に現れたのだ。
今はクラスメイトたちに言い訳して彼の元々あるかないかの名誉を挽回するよりも、彼女を探し出す事の方が先決だろう。
幸い授業中の校内は殆んど人の往来はない。教師との遭遇を警戒しながら哲は廊下を急ぎひた走る。
そして哲はあっさりと少女を見つけた。
彼女は玄関で靴箱を漁っていた。
相変わらず他校のセーラー服を着ていたが、今日はモンペではなく普通のスカート姿だった。ただし中途半端な長さのスカート丈がなんともいえぬ野暮ったさを醸し出している。
そして後ろの三つ編みは何故だか後ろが一本増えて合計五本になっていた。
「ミーヅキさん♪」
哲の呼びかけに少女が驚いた顔で振り返る。
「誰か」
「誰かって、ひどいなぁ。僕だよ、門倉哲。もう忘れちゃった?」
既に忘れられている自分の存在感のなさに苦笑が浮かぶ
少女は眼鏡を押し上げて哲を見やった後で、思い出したように頷いた。
「なんだ貴様か。脅かすな」
「ごめん、教室からミヅキさんが侵入するのが見えたから。何やってるの?ひょっとしてまた百鬼退治?」
「貴様に教える必要はない」
言いながらも少女は靴箱の名札を順番に追っていた。
人を探しているのだ、とすぐにわかった。
誰だろう、と思いを巡らせてハタと一つの可能性に気づいた哲は胸の高鳴りを覚えた。
「……ひょっとして、僕の事探してくれてたとか」
「なんで貴様など探さなくてはならんのだ?」
即答され、哲の傷つきやすいガラスの純情がズキズキと痛む。その間も少女は黙々と靴箱の名前を調べ続けていた。
「ねえ、誰を探してるの?手伝おうか」
「不要だ。貴様は勉学に戻れ」
ぶっきらぼうに答えながら、靴箱を辿っていた少女の手が2年B組で停まった。そのまま少女は履いていた革靴を脱ぐと、ご丁寧に持参していた上履きに履き替えた。
「ちょ!?ミヅキさん、中に入るのはまずくない!?見つかっちゃうよ」
「うるさい、貴様こそ授業中に何をしている?貴様が近くにいた方がよほど見つかる。さっさと戻れ」
校内に侵入した少女とホールで言い争っていたその時、靴音が間近で響いた。階段を誰かが下っている。その音が早くなった。
二人は顔を見合わせた。小さく舌打ちをした少女が素早く周囲を見回す。意図を理解した哲が一点を指差した。
「ミヅキさん、あっち」
哲が示した先――トイレを見やった少女は躊躇わずそちらに走る。女子トイレに飛び込んで後ろ手に扉を閉めようとしたところで何かが扉に引っ掛かり、少女は振り返った。
「――おい貴様。なんで貴様まで来るんだ?」
怒りと困惑の混交した顔で睨みつける少女を押し込むようにして、慌てた様子の哲がトイレに逃げ込んできた。
「だ、だって!見つかっちゃうじゃない。あれ、たぶん先生だよ!もうそこまで来てるし」
「だからと言ってこっちに来るな。ここは女子便所だ。男子の方に行け!」
「え!あ、ごめん!慌ててたから!」
「早く出て行け変態め」
「うわっちょっと、今出たら見つかっちゃうよ」
二人が揉めているその間にも、扉の向こうから足音が近いてくる。間違いなく先程の足音の主が二人のドタバタを聞き咎めて追いかけてきている。
二人は顔を見合わせた。
「来い」
哲のネクタイを少女は思いきり引っ張った。押し潰された蛙みたいな声を洩らしながら哲は少女に引きずられ、半ば突き飛ばされるようにして一番奥の個室に押し込まれた。自らもその後を追って少女が飛び込んできたその直後、入り口の扉が開かれた。間一髪のタイミングだった。
だが――――。
「ちょっとあなたたち!何やってるの!?」
甲高い女の声がトイレに響く。
最悪だった。追ってきたのが男性教諭であれば、女子トイレの中まで踏み込んでくる事は躊躇したかもしれない。
だが、追いかけてきたのは女性教諭だった。しかも聞こえてくるヒステリックな声からして、うるさ型で知られている国語教師の岸川だ。
(まずい!)
哲は頭を抱えた。
こちらは逃げようにも退路がない。雪隠詰めという言葉が脳裏に浮かぶ。まさに彼らはそれを体現していた。
こんな所に幾ら籠城しようともいずれは捕まる。
そうなれば授業中に女子生徒と――しかも他校生だ――一緒に女子トイレに籠もっているという客観的事実について弁明する必要に迫られるだろう。
勿論、この状況を相手にうまく納得させるだけの弁論術など哲は持ち合わせていない。
おまけに火事の一件で警察に聴取を受けた昨日の今日でこんな事件を起こせば、まず間違いなく心証は悪い。
最悪は退学だの停学だのといった処罰が下されるだろうし、よくて呼び出された両親の前で説諭という名の公開処刑だ。考えたくもない。
そして哲は女子学生を女子トイレに連れ込んだ変態というレッテルを貼られ、元々さほど高くない彼のクラス内ヒエラルキーは大暴落し、後ろ指を指されながら残りの高校生活を惨めに過ごす羽目になるだろう事は火を見るよりも明らかだった。
いや――それ以前に、既に殺る気満々で拳銃を握り締めてる目の前の少女をなんとかしなければ道連れを食らって刑事犯の仲間入りは間違いないだろう。
「ちょ、ミヅキさん。幾らなんでも銃はまずいって!」
「心配するな。いざとなったら一撃で仕留める。声などあげさせぬ」
噛み合わない問答をしながら拳銃を奪い合うその間にも岸川教諭は靴音も高らかに近づいてきた。ガンガンと扉がノックされる。
「こらっ!あなたたち、そこでなにしてるの!?隠れてないで出てきなさい!もう逃げられないわよ」
絶望に頭を抱えかけ、途中で哲は違和感に気づく。
二人が逃げ込んだのはトイレの一番奥の個室だ。なのに岸川教諭は必死にその手前の個室を叩いている。
哲は不思議そうにミヅキさんを見やる。珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべて彼女は唇に人差し指を当ててきた。間近で見る少女のそんな仕草に哲の心臓が場違いな高鳴りを覚えたその時、隣の個室が軋む音を立ててゆっくりと開いた。
途端、
「――――ひっ!?ぎゃああああっ!?」
狂ったような絶叫がトイレに響き渡った。
そのままバタバタズテンと派手な音と共に、悲鳴が遠ざかっていく。
扉を開けて外の様子を窺っていた少女が振り返り、告げてきた。
「よし。今のうちに離脱するぞ」
「え?え?」
飛び出した少女の後を追い、哲も個室を出た。既に岸川教諭の姿はない。代わりに廊下から彼女の金切り声が聞こえてくる。
「早くしろ。人を呼んでいる。すぐに他の連中が来るぞ」
少女は既にトイレの窓を開け放ち、窓の桟に足をかけていた。
「う、うん」
スカートでそんな姿勢をとったら目のやり場に困るんだけどな、と目を逸らしながら哲は思った。
ふと気になって隣の個室を覗き、哲は岸川教諭が目の当たりにしたモノの正体に気づく。
「ひぃぃっ!?」
扉の隙間から幽鬼のように痩せこけた日本兵がこちらを睨んでいた。
これを見るのは二回目である哲でさえ恐怖に腰を抜かしかけたのだから、予備知識無しに目撃した岸川教諭の壮絶なトラウマになった事は間違いない。
「ああ、すまなかったな。ご苦労だったな?もういいぞ曹長。別れ」
窓の向こうで思い出したように告げる少女に応えて敬礼を一つ送り、日本兵がゆらりと掻き消えた。
その間にも、岸川教諭の悲鳴を聞きつけて人が集まってくるのが聞こえた。
哲は慌てて窓を飛び越えた。
「――――これでまた一つ、うちの学校に新しい怪談話が増えるんだろうな」
先を走る少女を追いかけながら、哲は盛大なため息をついた。




