10、そして僕たちは戦場に向かう(その5)「レーゾン・デートル」
目が覚めた。
哲は自分が未だ旅客機の客席にいる現状を認識し終えた後で、彼の隣で静かに眠る少女の顔をそっと見やった。
「そっか……」
哲は小さく嘆息した。
「君はずっと泣いていたんだね」
怨霊の凄まじい呪詛を一身に浴びながらもなお、苦悶し荒ぶる魂を鎮め癒す為だけに永遠に戦い続ける人生の意味を考え、哲は顔を覆った。
一見して冷淡で無感情に見える少女の本質は巫女に他ならなかった。
戦う手段としてではなく、鎮魂の為の手段として兵士たちの亡霊を呼び寄せ、そして彼らの御魂を癒して解放する。
それはみづきにとって神事にも等しい聖なる儀式に他ならなかったのだ。
ならばこそ、彼女が執拗に同種の技を使う少女たちの存在に敵意を剥き出した理由も今ならばわかる。
呼び出され、解き放たれる事もないままに使役させられる英霊たちの姿など、彼女には耐えがたいものであったのだ。
そして彼女は今後も戦い続ける。
無念の想いを留めたまま未だに救われぬ霊魂たちを全て救うまで、そしてその元凶たる久那守葉月の魂を鎮めるまで。恐らくは絶対に訪れる事のないその日まで、みづきは戦い続ける事を決めたのだ。
「みづきさん……君は…………」
言いようのない感情に捉われながら哲は眠るみづきの横顔を見やる。その白い頬に思わず触れようと手を伸ばしかけたところで、
「うわ、キモッ」
反対側の席に座る柚香の声にビクリと身を竦めた。
振り返ると、熟睡していた筈の彼女がニヤニヤと笑って見つめている。
「うわぁっ!?起きてたの?」
「なんかあんたがモゾモゾしてるから変な事しようとしたらぶっ飛ばしてやろうと思ってさ。なにアンタ、おミヅにエロい事しようとしてたの?」
手に握り締めているピストルが恐ろしかった。
「違う!違うよ!?別にやましい事なんか考えてないよ?」
この場合、真実は哲の方にあるのだが、客観的に見れば我が身の行動は思いきり怪しすぎた。
柚香が悪魔のような笑みを浮かべながら囁いてきた。
「いやアタシじゃなきゃいいよ別に。てか、おミヅ寝てるみたいだしチューくらいしちゃってもいいよ?面白いし」
「し、しないよそんな事!?」
「え~?やってよ、写メ撮るから」
「いやいやいや、殺されるし!」
揉めていた所で、眠っていた筈のみづきが紫色の目を開いてジロリと睨んできた。
「――哲、柚香、貴様ら」
怒りの所為か頬が紅潮している。哲は悲鳴をあげた。
「違う!?違うよ!?柚香ちゃんが勝手に言ってるだけだから」
「え~?でもこいつ、なんかハァハァ喘ぎながらおミヅのホッペ触ろうとしていたよ」
「それは事実だけど違うんだって!」
弁解も虚しく、眠ることをやめたらしいみづきは、哲に白眼視を向けた後でヘッドフォンをつけ、目の前の座席モニターのチャンネルを回して時代劇映画をつけてしまった。
「次にやったらセーヌ川に沈めるからな」
物騒すぎる発言に、やっぱりこの子の本質は巫女じゃないのかもしれないと哲は震え上がった。
「しないよぉ……てゆーか誤解だってば」
「うるさい黙れ」
聞く耳持たず、といった態度でつっぱねた後で、みづきは横目で哲を睨んできた。
「それと哲。何を視たのか知らんが、余計な事は他言無用だ」
「え?なにが?」
不思議そうに柚香が尋ねてくる。
「いや、他言無用って今言われたばかりだし」
「え~?固い事言うなし。教えないとセーヌ川に沈めるよ」
「哲、言ったらわかってるな?」
どちらにしろ、ろくでもない状況に追い込まれてしまった。
哲は溜め息をついた後で、告げた。
「いや、なんかさ……正直、今でも君たちのやってる事は理解できないし、共感もできないよ。だけど……なんかよくわからなくなってきちゃって」
「なんじゃそりゃ?あんた、この頃おかしいよ?」
「ねぇ、柚香ちゃんはなんでこんな事やってるの?」
尋ねられ、柚香は不思議そうに瞬きした。
「こんな事って?」
「ミヅキさんが戦ってる理由ってのはなんとなくわかったんだけど、君はどうなのかなって?」
「え?特にないけど??」
「ないのかよ!」
哲は呆れ顔を浮かべた後で、溜め息混じりに目を閉じた。
「まぁいいや。じゃあ今度は柚香ちゃんの事でも視るよオヤスミ」
「おいコラ変態」
思いきり太腿をつねられて哲は悲痛の声をあげた。周囲の乗客から顰蹙の視線が飛んできた。
「ホントあんた、最悪のデバガメ野郎だな?おミヅの気持ちが少し分かったわ」
「デ、デバカメってなに?」
「とにかくあんたはもう寝るな」
その時、座席モニターに表示されていた機体の飛行状況を示すマークがドイツ領内に入った事を示した。
目的地のパリまではもうそれほどかからない。
「わかったよ………あ」
哲は不意に声をあげた。
柚香越しに窓から機外を見やる。
「え?なに?どしたの」
「……過ぎちゃった」
「は?なにが??」
不思議そうに問いかける柚香に、哲は申し訳なさそうに答えた。
「なんか、通り過ぎちゃったみたい。和光捷子さんのいる場所…」
「はぁぁぁ??」
柚香が大声を出した。
「ちょっと哲、あんたがフランスっぽいって言ったんじゃん!?」
「だ、だってお城とか金髪の人とか見えたんだもん」
「そんなもん、ヨーロッパなら何処の国にもあるじゃんよ」
言い争っていると、少し離れた席にいた播磨がボソリと声をかけてきた。
「ドイツか」
「あ、聞いてよ!こいつ今更通り過ぎたとか言ってんだよ?あたし、てっきりフランス旅行だと思ってガイドブックとか買っちゃってたのに」
「どうします?すぐに降下しますか」
みづきもヘッドフォンを外して口を挟んできた。
「いや、焦る必要はない。どうせ欧州は陸続きだ。ドイツ南東部付近か、それだけ判れば随分と絞り込める。上出来だ」
言いながら播磨は地図を引っ張り出し、機体の現在位置と照らし合わせて何事か調べ始めた。
「斥候を放ちます――挺進第一聯隊、前へ」
みづきの言葉と同時に、ドイツの蒼空に幾つかの落下傘が開いた。
まるで空に開いた白い花のように、幾つかの落下傘がゆっくりと降下していくのに気づいた乗客たちが、歓声をあげた。
「ちょ、ドイツって何か有名なブランドとかあったっけ?おギリたちのお土産、ザッハトルテとかでいいかな。まったく、予定が台無しじゃん」
哲の横で柚香一人がブチブチと文句を言い続けていた。




