9、逃避行(その12)「CATOBAR」
やがて、哲たちが彩雲のコクピットに収まった後で、いつの間にか現れた整備兵たちが彩雲に群がり、発動機を回した。
プロペラが高速で回転を始め、周囲に風を起こす。
不意に哲は根本的な事に気づき、後方の席にいる柚香を振り返った。
「ねぇ柚香ちゃん?どうでもいいんだけど、この飛行機ってどうやって飛ぶの?見たところ、滑走路とかないみたいなんだけど」
いくら哲でも航空機が飛ぶにはある程度地上を走って揚力を得なければならない事くらいは知っている。
だが、彼らのいるこの場所はある程度開けているとはいえ、滑走路代わりに使うには広さも足りず、何より整地されていない為にデコボコでまともに走られるものではない。
声をかけられた柚香は窓を開けて身を乗り出し、下にいる仲間たちと別れの挨拶を交わしているところだった。
「ん~?そりゃアンタ、おギリが飛ばしてくれるのよ」
「おギリ?」
示された先、機体の下に包帯で腕を吊った少女がいた。哲は見覚えがある。以前、助けを求めて訪れた柚香の部屋にいた少女だ。
「頼むよおギリ、片手だからって失敗しないでよ?あと、レシプロ機だからそんなに初速は必要ないかんね」
「はい、気をつけますね、ウフフ。あぁ、お土産はプティ・フールとかマカロンとかの甘いものがいいですね」
「あいよ。期待しといて」
他愛もない会話の後で、少女は一礼すると、今度はみづきの乗る一番機に近寄って行った。
てっきりみづきとも見送りの挨拶をするもんだと思っていたが、彼女はニコニコ微笑んだまま、一番機の機体にヒョイと手をかけた。
何をする気なのか、見守っていた哲は絶句した。
少女が、まるで紙飛行機でも投げるかのようにして彩雲を投げたのだ。
高速で虚空に放り出された彩雲が風に乗ってそのまま飛翔する。
「え……えぇっ!?なに今の!?あの子、飛行機を投げ……えぇぇっ!?」
狼狽する哲を笑いながら、後部座席の柚香が言ってくる。
「うちのおギリ――清川紗霧はカタパルトなのさ」
「カタパルト??」
「ニュースとかで見たことない?米軍とかの空母から戦闘機が飛んでくシーン。あれ、下に射出装置がつけられてて一気に加速して揚力を得てるのさ。おギリは腕力でそれと同じ事をやらかすってワケ。だからあいつ怒らせない方がいいよ?おっとりしてるしボインボインだけどおっぱいとか触ったら月まで吹っ飛ばされるぜ?」
「き…気をつけるよ」
ツッコミどころがありすぎて、どう答えていいのかわからなかった。
「さぁ次はウチらの番だね。くぅぅっ、ワクワクする♪」
近づいてくる紗霧に手を振りながら柚香が嬉しそうな声をあげる。
「え?え?ちょっ、無理。僕、絶叫系のアトラクションとかダメなんだよ!あれ、明らかにヤバい加速してたでしょ!?」
「うっさいなぁ、喋ってると舌噛むよ?」
風防の外から「じゃあ行きますよぉ~」という暢気な声が聞こえてきた。
「ヒィィッ!?無理、やっぱり降りる……あ。」
次の瞬間、猛烈な急加速に視界がブレた。
強烈な重力によって搭乗席に押しつけられて動けない哲の眼前で、パイロットが操縦桿を巧みに操り機体を飛ばせた。
轟音と震動の中で飛翔した彩雲は先行する一番機を追いかけ、一路機首を西に向けて全速力で突き進んだ。
歓喜の嬌声をあげ、見る見る遠ざかる乃木や狭霧たちに向けて手を振る柚香の十分の一の余力も哲には残されていなかった。
グッタリとする哲の眼下で、見る見る内に野山や住宅地が過ぎ去っていく。
なまじ低空を飛んでいるばかりに、その速さが余計に感じられた。
二機の彩雲はそのまま奥多摩の山を越え、国境付近の自衛隊の防御陣地や地雷原を掠めてあっという間に新日本の国境線を越えてしまった。
途端、彼らの前方を何かが横切り飛び去って行った。
直後に伝わる衝撃で機体がひどく揺れる。
「な、なに今の!?」
「お出迎えよ。お帰りってね……ほら、右右」
促されて哲も機体の右側を見やる。
空中に浮いていたゴミ粒のような黒点が見る間に膨れ上がり、戦闘機の姿をとった。
「ひぃっ!?ヤバいんじゃないのこれ!?」
「あはは、ホントにヤバかったらもうとっくに撃墜されてるっつーの」
言いながら柚香は併走するように並んだ戦闘機に向けて手を振っている。
日本空軍の主力戦闘機「暴風改」だ。要撃の為に常時、空中警戒を続けている第五〇飛行戦隊の要撃であった。
挨拶のつもりか、暴風改は機体をバンクさせてみせると、見事な機動をとって再び上空に舞い戻り、彼らの任務に戻っていった。
盛大な溜め息をつきながら、哲は搭乗席にグッタリと身を横たえた。
(とうとう僕、旧日本にまで来ちゃった……)
世界から孤立し、軍国主義を貫く謎の多い隣国に入ってしまった事よりも、恐怖のあまり少し漏らしてしまった下着の替えの方が、目下の懸案事項だった。




