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序、学校の階段

 野中結衣が忘れ物に気づいたのは、バレー部の練習を終え、友人の亜美たちと家路に向かう途中のことであった。

 携帯電話を学校に置いてきてしまったのだ。

「どうしよう!取りに帰らなきゃ!」

 友人たちは慌てる結衣に呆れ顔を向けた。

「どうせ部室でしょ?明日でいいんじゃないの?」

「ダメだよぉ、先輩や先生に見つかったら怒られるし、無くしたら最悪じゃん!」

「それに今晩、吉田君からラブラブメールくるかもしれないものね~?」

 ニヤつく亜美にからかわれ、結衣は頬を紅潮させる。

「な、なんでそこで吉田の名前が出るかな??意味わかんないし!吉田は全然関係ないし!」

「え~そうなの~?待ち受け画像、吉田君にしてるのに?」

「ちょっ、亜美!?あんた勝手に人のケータイ見たの!?ひどい!」

 暫くの間、友人たちに男子バレー部の同級生との関係を面白おかしく騒ぎ立てられた後で、結衣は重いため息をついた。

「はぁ、しょうがない。私、取りに戻るわ」

「え~?マジで?」

 友人たちは結衣の決断を歓迎しなかった。彼女たちの学び舎は丘の上にあり、彼女たちは既にそこへと続く坂道をほぼ下り終えたばかりだ。きつい練習を終えた重い足取りで、再びこの坂道をもう一往復するのは億劫以外の何物でもない。

 口にこそ出さなかったが、友人たちのそんな心情をもちろん結衣は察していた。

「みんなは先に帰ってて。私、一人で走って取りに行くから」

「…じゃあ、ゆっくり歩いてるから追いつけたら電車一緒に乗ろうね」

 幾許かの安堵の表情と共に友人たちは声をかけてきた。

「うん」

 無理だろうな、と結衣は頷きながらも内心で思った。たぶん、亜美たちも心の中ではそう思ってるに違いない。

ここから最寄り駅までは5分もかからない。

 一方で丘の上にある彼女の学校、九品学園高校までは普通に歩くと十分以上かかる事を、結衣たち全員が二年目に突入した毎日の登校で経験している。

 夏は通学するだけで汗だくになり、冬は凍って恐怖の滑り台と化す心臓破りの地獄坂だ。

 なにしろ校舎の建つ辺りは、かつて戦国武将の何某が城を築いていたその跡地だというのだから、この学校に通う生徒たちは毎日、難攻不落の城攻めを強いられているようなものだ。

 案の定、疲れた体に鞭を打って校舎に辿り着いた時には、夕焼け空が宵闇へと変貌を遂げていた。

 結衣は部室に直行したが、あいにく部室の扉には鍵がかかっていた。

 どうにかならないものか思案した挙句、幸運にも偶然通りかかったバレー部の顧問の先生に頼み込んで、部室の鍵を借り受ける事ができた。

 それから暫くの間、結衣は携帯電話を求めて部室中を探した。だが見つからない。ロッカー、机や椅子の下。用具入れ。無い。何処にもない。

 半泣き状態になりながら闇雲に同じ場所を何度も探すうち、はたと思い出した。今日のホームルームの時、メールを受信した結衣の携帯電話が派手な着メロを鳴り響かせ、担任に睨まれた結衣は慌てて机の中に放り込んでそのままにしていた。

 急いで教室に向かい、机を漁る。あった。入っていた。

 結衣はまるで宝物を手に入れたかのように携帯電話を胸に抱きながら、安堵の溜め息を洩らした。

 画面を見る。友人たちから幾つものメールが入っている。

 亜美からは『ゴメンm(_ _)M先に電車乗るね~(;_;)/~~』とメッセージが届いていた。期待していた吉田からのメールは来ておらず、結衣は落胆の表情を浮かべた。

 亜美たちにメールを返した後で、結衣は携帯電話を今度こそ鞄の中に仕舞い込み、そこで結衣は、漸く辺りの雰囲気に気づいた。

 生徒たちの大半が下校を済まし、職員たちも殆んどが帰ってしまった学校は、信じられないほど静かで寂しい空気に包まれている。

 彼女以外は誰もいない。

 耳鳴りの聞こえるほどの静寂に包まれた教室。たった一人の生徒がいるには教室という空間は広すぎる。

 窓の外は、既に日が落ちて暗闇に包まれている。蛍光灯の光を窓ガラスが反射させて、一面が黒い鏡張りのようだ。その黒い鏡が広い教室にたった一人存在する結衣を映す。

 その姿に何か不吉で不穏なものを感じ、結衣は唐突に恐怖と不安に苛まれた。

 思えば学校の怪談で怖い目に合う犠牲者とは、決まって夜の学校にたった一人残った間抜けな生徒ではなかったか。

 寿命の切れかけた蛍光灯が一本、瞬くように点滅した。

 不安に駆られた結衣は慌てて席を立つ。

 逃げるように教室を飛び出すと、疲労感も忘れて廊下を走る。怖くて廊下の窓の外や、無人の教室は見ることができなかった。廊下に反響する自分の靴音にすら恐怖を覚える。いや、余分に別の誰かの分、足音が一つ多くはないか?

 彼女は急ぎ、職員室を目指した。そこにはまだ、居残った教師たちがいる。

 預かったままだった部室の鍵を返さなければ。いや、そんなのは口実だ。今は誰か生きている人間に会って、この恐怖から逃れたかった。

 結衣たち二年生の教室は校舎の三階だ。二階にある職員室までの僅か一階差の下り階段がやけに遠く感じる。

 転びそうな勢いで階段を駆け下りる。部活の階段トレーニングでもこれほど早く駆け下りた事はないかもしれない。踊り場は、既に電気が消されていて非常灯の灯だけがぼんやりと光っているだけで、思わず悲鳴が出そうになった。

 殆んど顔を伏せるようにして階段を走る。今、誰かとすれ違い、ぶつかりかけなかったか?まさか、そんな筈はない。

 やっと二階。そのままの勢いで廊下を抜け、職員室の扉を開ける。

 大きな音と共に飛び込んできた生徒に、教師たちが驚きの視線を向ける。

「コラッ!野中!なんだおまえは!入る時はノックして『失礼します』だろうが!」

 半ば呆れたようにバレー部顧問が叱りつけてきた。

「ご、ごめんなさい」

 結衣には叱られた事に反省する余裕などなかった。

ただ、無事に大人たちのいる空間に辿り着けた事への安堵感と、全力疾走で悲鳴をあげる心肺への対応に精一杯だった。

「ん?どうした野中?なんかあったのか?具合でも悪いのかおまえ?」

 彼女の異変に気づいたらしい顧問が顔を覗き込んでくる。

「あ、あの!いえ、な、なんでもありません!」

 結衣は慌てて答える。まさか、夜の教室が怖くて取り乱した――なんて言える筈がない。

 この安全で明るい空間にいると、先程の無闇に怯えてしまった自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。

 職員室を辞して、結衣は下校するべく階段に向かう。先程までとは打って変わって、恐怖心は微塵も湧いてこなかった。

 この階には人の気配が満ちていて、電灯も明るい。

 先程の自分の失態を恥ずかしく思いながら、結衣は一階へと向かう階段に足を踏み出した。

「おい、そこの貴様」

 唐突に降ってきた声に呼び止められたのはその時だった。

 三階へと続く階段の踊り場の辺り。その暗がりから、女の声がした。

「え?」

 今日び、人を貴様と二人称で呼ぶ居丈高な謎の口調に困惑しながら、結衣は声のした方を見やった。声をかけてきたのは、三つ編みを垂らし、眼鏡をかけた一人の少女。

 暗がりでよく見えないが、その顔に見覚えはなかった。

 その少女が再び口を開く。

「気をつけろ」

「は?」

 結衣が困惑気味に聞き返すと、三つ編みの少女は自分の足許を指した。

「さっき貴様が前も見ないで駆け下りてきて、ぶつかりかけたぞ。階段や廊下は走るな」

「あ」

 結衣は彼女の言わんとしている意味がわかった。

 先程、階段を降りている時に誰かの気配を間近に感じた瞬間があった。てっきりあれは恐怖に怯える余りの錯覚だと思っていたが、実際にすれ違った彼女とぶつかりかけていたのだ。

「ご、ごめんなさい!私、慌てちゃってて」

 詫び言を口にすると、少女はあっさりと頷いた。

「まぁ、急いで降りてきたのは賢明だ。命拾いしたな」

「はぁ?」

 変わった物言いをする奴だな、と結衣は思った。

 あらためて彼女を見やりながら、結衣は小首を傾げた。

(この子、誰なんだろう)

 不思議な事に彼女は、結衣たちとは違う制服を纏っていた。

 ブレザータイプの結衣たちの制服と違い、彼女の着ているのは白いラインの入った暗色の襟に臙脂色のタイという、なんだかコントに出てくるようなベタで古めかしいデザインのセーラー服で、下半身に至ってはスカートどころか田舎のお婆さんが履くような、なんだかダブダブとしたズボンで覆われているという、なんともチグハグな格好だった。

 ダサい。そう思った。

 髪型も三つ編みだし、眼鏡をかけてるし、これじゃあまるで、昔の戦争映画に出てくる女子生徒みたい――――そう思った瞬間、結衣は気づいてしまった。

 そういえば、昔の学校の写真で、あんな格好をしている女の子の姿を見た事がある、と。 

 そしてもう一つ、彼女の佇む踊り場の隅にゆらりと立ち尽くす、もう一つの影に。

 男だった。

 ボロボロの格好をした痩せぎすの男が、変な布切れのついたヘルメットの隙間から青白い顔でこちらを睨んでいる。

 その手に握られている長いソレ(、、)が何であるかを察した時、結衣の背筋に恐怖が走った。

 ――銃だ。筒先に剣が着けられた、人の背丈ほどもあるライフル。

「……ヒィッ!?」

 喉の奥から沸き起こる生物的な本能が、悲鳴となって口をつく。恐怖の衝動をエネルギーに変換して、結衣は慌ててこの場から逃げようと行動を起こし――そしてよろめく足が階段を踏み外した。

 絶叫をあげながら結衣が階段を転げ落ちる一部始終を見守った後で、踊り場の少女はその顔に幾許か呆れめいた感情を浮かべて溜め息をついた。

「だから言っただろうが――――階段は走るな、と」

 異変に気づいて校内に残っていた数少ない者たちが階段に集まってきた時、既に踊り場に少女の姿は無かった。



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