いつまでも一緒、だよ
例えば自身に永遠を指切る少女
「ん……」
目を開けると白かった。何がって景色が。
カーテン、壁、天井、視界に入るもの総ての白と影による黒のコントラスト。
此処は私の部屋じゃない。私の部屋は白黒で作られてはいない。
…………ここは、どこ? どうして私だけこんなところに?
靄のかかったような思考。上手く考えが纏まらず、疑問が溢れて零れる。
白の闇に覆われた世界。違和感を覚えるのは何故だろう。
状況がわからないまま私はベッドに横たわる身体を起こそうと右腕を着く。
と、動いた視界に栗色が入った。
毎日鏡に映る色。いつでも横を見れば在る色。
「……あ、起き、た?」
歪に笑んだ私の顔が、私の声で呟くようにそう言って。二つの琥珀が痛々しそうに細められた。
そして伸ばされた包帯を巻いた両手で頬を包まれ初めて、気付く。
「目、大丈夫? 痛くない?」
彼女の左親指は、私の視界を制限するものを撫でていた。
違和感の正体はこれだったんだ、と。
泣きそうな私の顔に私は笑んだ。
***
「レイ、ミオ」
「なーに、お母さん」
「買い物なら後にしてね?」
ある日のお昼を少し過ぎた時間。二人で雑誌を覗いていたら、お母さんに呼ばれた。
私もミオも雑誌から目を離さないで返事をする。
「どっちか髪切らない?」
「こないだ行ったからいらないー」
「レイに同じくー」
あ、このワンピかわいいな。そう思ったらミオがそのワンピースを指差した。
「これかわいくない?」
「ターコイズとマロン」
「じゃあ私がマロンね」
「やっぱピーチとクリーム」
「……嘘だぁ」
「うん嘘」
きゃらきゃら笑いながらページをめくる私たち。
カラフルな服たちが彩る世界に目を奪われる。
そういえば新しいミュールが欲しい。去年買ったのは、履き潰してダメにしてしまったし。
「この間行ったって、また同じ髪型にしてきたでしょ」
「だってこの長さが好きだからー」
「ミオに同じくー」
お母さんの溜息混じりの言葉に返事。
この問答は私たちと母さんの間で幾度となく繰り返し行われていること。問いもそれに対する答えも、大して変わりはしない。
「服もいつもお揃いの着て、何が楽しいの?」
「えー、昔はお母さんが着せてたよ?」
「そうそう、髪型もお揃いでね?」
くすくす、冗談めかしながら応えて笑う。
私は栗色の髪を摘んで、ミオは黒のワンピースを摘んで。
お揃いで色違いの洋服。
同じ髪型に色違いの髪飾り。
私たちは幼い頃から同じ格好。
どうしてそれを今更制限されなければならないの?
他人が見分けることが出来ないからというだけで。
「全く……」
呆れたように呟いて、お母さんは階段を下りていった。問答の終わりも毎回変わらない。
私たちは顔を見合わせて笑みを浮かべた。
「別にどっちがどっちでもいいよねぇ?」
「何にも変わらないんだし?」
「身長体重趣味に性格?」
「クラスメートはおろか友達も親も見分けられないし?」
「成績も先生受けも変わらないし」
「その辺りは軽く奇跡だよねぇ」
「さっすが」
「私たち、ってか?」
きゃらきゃら、きゃらきゃら。
見分けることがないのなら、わざわざ見分けられるように標を入れる必要なんてないでしょう?
声を上げて笑いながら、片割れとそっと目を合わせた。
私たち、いつまでも一緒だよね?
同じ誕生日に同じ血液型。
同じ経歴に同じ趣味。
同じ顔に同じ背格好。
私たちは二人で一人。
私たちは二人が一人。
私はわたしでわたしが私。
見分ける必要なんて、ない。
***
放課後、学校からの帰り道。いつもと同じように二人で道を辿っていた。毎日同じ道、ありきたりの会話。
「コンビニ寄ろー?」
「昨日のCM?」
「うん、アイス」
「じゃあ私は期間限定ー」
「いーよー。分けてね?」
「じゃあ私にもちょうだい?」
「んー当然」
二人共お菓子を買おうとしていて浮足立っていた。
そんな、日常に組み込まれた時間を壊したのは。
「危ないっ!!」
他人の叫ぶ声とゴムの焦げるような臭い。それからガラスを映して見えた迫りくる金属の塊。
「……ッ、」
恐怖からか動かない四肢。出ない声。目を閉じる事さえ出来なかった。
感じたのは突風。聞こえたのは割れる音。見えたのは輝く破片。
そして襲ってきたのは我慢出来ない程の痛み――
「ああぁぁぁぁあああっ!!」
***
「レイ!」
お母さんが入ってきた。心なしか顔色が悪い。
「……体調は大丈夫? 痛いところはない?」
「今は、別に」
お母さんが言うには、此処は病院らしい。
どうりで白すぎるのだと納得した。
あの時、暴走した車がコンビニに突っ込んだそうだ。それで割れたガラスが飛んで、私の目に当たったのだ、と。
「…………ふーん……」
視界を遮られた右目。確かに視野は狭いけれど、きっと生活に困る程じゃない。
「それで、ね」
お母さんが躊躇いながらも口を再び開いた。
目を伏せたその様子に悪いことだという予感。そして恐らくそれが外れることのない事実。
右手を握るミオが力を少し強くした。
「レイの右目、もう見えないって……」
「…………ふうん」
口の中で転がすように呟いた。
見えない、なんて実感が湧かない。だって左目が見えているから。だって麻酔でも効いているのか、痛みがないから。
嗚呼、でももう私は、私たちは。
白い世界に色が滲む。
決定的な違いを持ってしまったのか。
そう思うと左目がじわりと熱を持った、気がする。
「………………ウソだ」
静寂に満ちた世界に、ぽつりと落としたのはミオだった。
私の右手を痛いほどに握りしめて、震えそうになる声を抑えることで誤魔化して。
「レイの目、治るんでしょ。冗談だよね。そうでしょお母さん。だって私の目が見えてるんだよ。私たち双子なのにレイが片目なんて変だよ。治るよ、私の目が見えるんだから。見えるようになるよね。ミオだけ見えるなんておかしいもん。レイだけ片目なんて有り得ないもん。そうだよ、なんでレイだけなの。すぐ横にミオもいたのに。数十センチの差でミオはなんともなくてレイが大怪我なんておかしいもん。なんで、」
真っ白な顔色で矢継ぎ早に言う。息継ぎを何処でしているのか気になってきたところで、ミオは言葉を切った。
右側にいるからミオの様子が見えなくて、顔を向ける。俯いたミオの目から水がぽたりと落ちた。
「なんでレイは大怪我なのに、ミオは切り傷だけなの……っ」
ひっく、ひっく。
しゃくり上げるミオにお母さんは何も言わない。
ぽろぽろと両眼から零れる涙はシーツに染みを作った。
ほんの数十センチ。それがミオとレイの分かれ道。
私がその位置にいたばかりにレイは片目を失い。
片割れがその位置にいたおかげでミオは軽い怪我ですんだ。
それは紛れもない事実。
「なんでっ……」
ひっく、ひっく。
お母さんは泣く娘に何も言わずにカーテンの向こうに消えた。
遮られているため見えないがその後した音からすると、どうやら病室自体から出て行ったらしい。
あの人らしくて笑いさえ込み上げてくる。
「…………ねえ、ミオ」
体ごと右を向いて、包帯を巻かれた腕を使ってミオの顔を上げさせた。
涙に濡れた、レイにはない二つの琥珀。
右手で頬を固定して、左手で右の琥珀に触れた。
「なに……?」
何をされるのかという恐怖と、もしかしたらという期待に揺れる両眼に口角を吊り上げ。
く、と右目に触れる指の力を強くする。
「っ……」
圧迫感による鈍い痛みに息を詰めたのを見て笑みを深くして。
耳殻に口唇を寄せてそっと言葉を吹き込んだ。
「レイにないんだからミオも要らないよね?」
いつまでも一緒、だよ
同じ誕生日に同じ血液型。
同じ経歴に同じ趣味。
同じ顔に同じ背格好。
同じ傷痕に同じ眼帯。
私たちは二人で一人。
私たちは二人が一人。
私はわたしでわたしが私。
私がわたしになれないなら。
わたしが私になればいい。
見分ける必要なんて、ない。
見分ける方法なんて、あげない。
見分けさせてなんて、あげない。
(20090525)
互いが互いをわかっていればそれでいいわ!