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別れ話

作者: 音神 蛍
掲載日:2026/10/26

 俺は歩き慣れた道を歩いていた。彼女の待つあのカフェに一歩ずつ進んでいた。

 軽快なベルの音が温かい店内に鳴った。驚くほどに人が少なかった。


「いらっしゃいませ」


 女店員の高い声が聞こえた。レジを挟んだ向こうには厨房が見えた。あのメープルシロップの香りが流れてきた。


「何名様でしょうか?」


 女店員が訊いてきた。俺は手の平を向けて店内に入っていった。

 見回しても彼女の姿がないように思える。


「こっち」


 彼女の声が聞こえてきた。



「わるい、遅れたな」


 彼女の顔を見て、謝った。目を合わせてはくれない。


「どうせいつものことでしょう?」


 そう言われちゃ、そうだけれど謝ったのだからいいだろう。


 男店員が一杯の水を持ってきた。


「おにーさん、コーヒーひとつ」

「すぐにお持ちします」


 彼女は男店員を睨むように見送った後、俺を見た。やっと目が合った。


「シュンヤ。この前言ったこと覚えてる?」

「あぁ、覚えてるさ。別れようって話だろう? 俺は嫌だね」


 彼女は目頭を摘まんで、溜息を吐いた。


「あなたが嫌だって言ったって、私は別れるわ」

「なに言ってんだ。今住んでる部屋の家賃も払えないくせによ」


 彼女は顔をしかめて、目を逸らした。


「それにどうせ、俺と別れるのも他の男がいるからだろ?」

「違うわよ! 誰が男となんか付き合いますか! あんたで終わりよ」


 また言ってる。彼女はこんなこと言ってる割に、浮気を繰り返す。


「浮気を何回した? んー? 数えらんねえな」


 顔が真っ赤になって、この女はカップに口を付ける。ホットミルクだった。



 女店員がコーヒーを持って来てくれた。この店は、ブラックだ。


「おねーさん、おねーさん! 砂糖と、ミルクくれない?」


 彼女は窓の方を見ていた。


「どうした? パンケーキでも食えばいいじゃねえか。どうせ、俺の金だろう?」

「何言ってるの、あなたの口座からは、この一か月下ろしてないわよ」


 一か月、たったの一か月だ。この半年間で一体いくらこの女が使ったのか分からない。


「お前は、黙ってりゃいい女だよな」

「うるさいわね、くそ男」



 彼女はココアを飲み干した後、スマホを取り出して触りだす。


「次、来れるのはいつだよ」

「もう会わない。そう言ってるでしょ?」


 俺は、深く溜息を吐いた。


「お前が死のうが生きてようが、何度でもここに来るぞ?」

「ばっからしい。馬鹿なんじゃないの?」


 相変わらず口がうるさい彼女は、スマホを鞄に入れて席を立った。俺も同時に席を立ち、彼女の後ろを歩いた。


「毎回悪いわね」


 レジでたった二杯の飲み物のお金を払った。こんなのは、安いものだ。



 彼女と駅で別れた。彼女と住んでいた部屋に俺は歩き出した。



 部屋の電気を点けた。冷たい空気が嫌だった。上着は脱いでやらない。

 冷蔵庫を開けた。一昨日の夜に彼女が作ってくれたおかずがタッパーに入っている。あと四つ。こんなのしなくたってコンビニで食えるのに。


 俺は、適当に選んだ生姜焼きを食べた。残り四つのうち、二つが生姜焼き。彼女の得意料理だったはずだ。その割にはあまり美味くない。

 タッパーの底に張り付いて取れない焦げた玉ねぎが妙に甘かった。


 日本酒を出して、おちょこに注ぐ。俺は一晩中飲み続けた。


 いつの間にか、涙が出ていたが知らない。俺は泣いてなんかない。そう言い聞かせることにした。



 朝だった。俺はちゃぶ台の前で寝転がっていた。

 スマホのアラームが鳴って目が覚めた。午前十時だ。おちょこを床に置いて、ベッド脇に置いてあったパソコンを開く。


 会社のアカウントはメッセージばかり。個人のアカウントは意味の分からない検索欄で埋まっていた。バツを押し続けて、全部消えた。

 意味の分からないものは見ないことにしている。


 しばらく開発の部長とメールをしていると電話が鳴った。

 俺は、スマホを取りたくなかった。


 頭を抱えていると、パソコンにもその通知が入ってしまった。電話は彼女からだった。

 俺は急いで、スマホを取りに跳んだ。おちょこを踏みそうになって転びかけたが、ベッドに倒れた。それも痛いが大丈夫だ。


「もしもし、くそ女」

「くそ男」

「どうした、もう寂しくなったか?」


 冗談吹いてみた。けれど彼女は少し声が震えていた。


「別れたくない」


 彼女はそう言った。


「わかってる。心配すんな、費用も全部払ってやるからよ」


 彼女の笑い声が小さく聞こえた。


「うん。じゃあね、仕事してろくそ男」

「切るぞ、くそ女」


 電話を切ったのは彼女だった。何を怖がってんだか。



 雨の日だった。彼女のいた病院から、電話が来た。


 彼女は死んだ。



 俺はいつまでもあのカフェに通う。

 こんにちは。音神 蛍です。

 久しぶりに、一話完結の短編を書きました。出来る限り短く、そして伝えたいことが伝わるように書いたつもりでありますが、「つもり」のまま終わってしまわないのか不安で夜も眠れなそうであります。


 ぜひ、読了後のご感想をいただきたいですね。

よろしくお願いいたします。


ではまた。

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