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1. チケット

恋人に、自分の似顔絵を描いてもらったことがあるだろうか。


なかなか珍しいと思う。

美術の授業でペアのクラスメイトが描いてくれた、じゃなくて。

何かのイベント会場で似顔絵師に描いてもらった、じゃなくて。

恋人に、だ。


俺は、そんな経験なかった。

だけど、それと近いことが、今、目の前にあった。


壁にかかったキャンバス。

白い壁がずらりと続く静かな空間で、淡いライトが当たる。

その中心には、ひとりの人物がいる。


真横から、半歩後ろへ下がった位置……そこからちょっと見上げるようなアングル。誰かと並んで歩くけど、気づけば一歩遅れてついてくる、そんな目線。

肩の傾き、頬の輪郭まで、丁寧に拾われている。


……あれ、これって。


見る人によってはただの人物画だろう。モデルが誰かなど気にも留めない。

でも、俺にはわかる。


胸がざわつく。

知らないうちに誰かに描かれて、人前に出されて……こんなこと、普通なら不気味に思うだろう。もし誰かに似ていると気づかれたら?なんてところまで想像するかもしれない。


それでも、目が離せない。


キャンバスの色づかいが、俺の戸惑いごと受け止めるように柔らかく、静かに光を帯びている。

均一で完璧だけど、どこかにわずかな揺らぎがある。

知っている誰かの目線が、そこに残っている気がした。


ドキ、と心臓が鳴る。

戸惑いだけじゃない。驚きと、少しの喜び。

──それに、どうしようもない後ろめたさが混ざっていた。


「……なんで、俺がここにいるんだよ」


思わず、口をついて出た。


……元カノが、AIで、俺を描いていたんだ。



数日前。

昼間の柔らかい日差しが、窓のブラインド越しに落ちる店内。

俺はいつものカラオケ喫茶にいた。


「陽太くん、会計頼むよ」


「はーい!」


窓辺の席から声がして、反射的に振り返る。

常連の佐々木さんが立ち上がって手を挙げていた。


机を拭いていた布巾をさっと回収して、カウンター端のレジに小走りで向かう。

「いつものカラオケ喫茶」とはつまり、俺の職場。父さんと母さんが始めた店で、今は俺も一緒に回している。


コーヒーとたまごサンドのセット。

手慣れた指が瞬時にキーを打ち、差し出された現金を受け取る。


「レシートは、どうされます?」


「いらないよ」


答えを知りながら聞くのも、習慣のようなものだ。

にこやかに返す佐々木さんは、ふとレジを指差して言った。


「そういえば、これ。新しくなるんだったかな?」


「はい、週末に端末が届くんです。タッチレス会計ができるやつで。でも、このレジも残しますよ。雰囲気ありますし!」


「なるほどねえ、ここも少しずつ変わっていくんだね」


そんなやりとりをして見送る。心地いい懐メロのBGMが流れる中、作業に戻ろうとしたとき……扉がカランと鳴った。

宅配便の配達員さんが、細長い封筒を抱えて入ってくる。


「お届け物でーす」


「あ、はい!」


「森本陽太さまでお間違いないでしょうか?」


「はい、そうです。ありがとうございます!」


伝票の端を指で示され、ボールペンを渡される。受け取り欄に名前を書く。


……新しいレジ端末じゃなかったな。ちょっと早めに届いたのかと思ったけど。

外に出て配達員さんを見送りながら、受け取った封筒を空に透かしてみる。


白くて細長い封筒。中には、同じ形の少し小さい紙が透けていた。

宛名は俺の名前。送り主は……


「……え、マジで?」


すぐに室内に戻り、封筒を開ける。手が少し震えて、うまく切れない。

それでも中の紙は破けることなく出てきた。


さらさらとした横長の紙。思わずなぞりたくなる。

端には、切り取り線と日付。中央には、滑らかで繊細な風景画。

その横には、手書き風のサイン。金色の箔押しがされたその文字が、キラキラと光を反射して輝いていた。


──A. Kisaragi


ごくり、と息をのむ。

これは……絶対、綾だ。如月綾。俺の、元カノのペンネーム。


そっか。綾、夢叶ったんだ。

めちゃくちゃ頑張ってたもんな。個展ってこと?良かったじゃん。

連絡が取れないから、どうしてるのかまったくわからなかった。


喜ばしいことだ。でも、胸の奥がかすかにチクリと痛む。

なぜか。その理由は、自分でもよくわかっている。


ふと、顔を上げる。

カウンター席とテーブル席の奥、カラオケステージ。

アコースティックギター、マイク、アンプ。スポットライトは誰も照らさず、静かに佇んでいた。


……綾は、夢を叶えたんだ。

本当に良かった。


深呼吸をひとつ。再びチケットに目をやる。

場所は?時間は?心を落ち着かせながら視線を動かす。


そこで目に飛び込んできた文字。

見落としていた、個展のタイトル。


──「AI × Art──A. Kisaragi個展」


「……AI?」


息が詰まる。

理解はまだ追いつかないのに、心だけがざわついていた。

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