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第17話 嫉妬の炎

 セレスティアは自室の扉を音もなく閉めると、そのまま部屋の中央へと歩いた。豪華なシャンデリアが、無数の光を部屋中に散らしている。壁一面を覆う鏡が、その光を反射し、眩いばかりの輝きを作り出していた。


 彼女はドレッサーの前に座った。鏡に映る自分の顔を見つめる。完璧に整えられた金髪、エメラルドグリーンの瞳、誰もが認める美貌。全てが完璧なはずだった。


 ――なのに、なぜ。


「あの女さえいなければ……」


 呟きが静寂を破る。鏡の中の自分が、同じように唇を動かした。

 セレスティアは立ち上がった。ドレスの裾が、床を滑るように動く。部屋を歩き回りながら、先ほどの光景を思い返していた。

 兄の表情。あの無響者の女を見る時の、優しい眼差し。自分に向けられたことのない、温かな視線。


 ――わたくしは、選ばれし者。神に祝福された、完璧なたまゆらの持ち主。


 鏡の前に戻る。自分の顔を、もう一度見つめた。


「わたくしこそが、選ばれた存在……」


 声が震えている。自分でも分かった。完璧であるはずの自分が、たった一人の無響者に、心を乱されている。

 それが許せなかった。


 セレスティアは手を叩く。同時に、部屋の影から一人の女性が現れた。黒髪を腰まで伸ばし、深紅の瞳を持つ妖艶な女性。暗殺者ギルド「黒薔薇」のエレナだ。


「お呼びでしょうか、セレスティア様」

「エレナ、新しい仕事よ」

「承りました。標的は?」

「リーナ・アスティス」


 エレナの眉が、わずかに動いた。


「二度目、という事でしょうか」

「そうよ。でも、殺すわけではないわ」

「では、どのように?」

「噂を流しなさい」


 セレスティアが窓辺に立つ。月光が窓から差し込み、彼女の顔を青白く照らした。


「あの女が、禁術『刻印の誓い』に手を出していると」

「刻印の誓い……擬似的なたまゆらを作り出す、あの禁術ですか」

「そう。カイゼル・ヴァルトハイムを繋ぎ止めるために、禁術に手を染めたと」

「証拠はどう致しましょう?」


 セレスティアは冷たく微笑んだ。


「証拠は不用。うわさにそんなもの必要ないわ」


 その声には、絶対的な自信があった。王女として生まれ、全てを手に入れてきた者の傲慢さが滲む。

 エレナは深く頭を下げた。


「承知いたしました。明日の朝には、王都中にその噂が広まっているでしょう」

「期待しているわ」

「それと……ユリウス殿下の件は、いかがいたしましょう」

「兄様のことは、わたくしが何とかします」


 エレナは何も言わず、再び影の中へと消えた。


 一人残されたセレスティアは、窓の外を眺める。双月が仲良く並んで輝いている。蒼月と紅月。二つで一つ、完璧な調和の象徴。


 ――兄様、必ず目を覚まさせてみせます。


 その瞳に、暗い炎が宿っていた。



 翌日の昼下がり、私は学院の廊下を歩いていた。いつもと何かが違う。その違和感に、すぐに気がついた。


 視線だ。


 いつも以上に、多くの視線を感じる。しかも、それは好奇心だけではない。恐怖と、侮蔑と、そして……嫌悪。


「あれがアスティス家の……」

「禁術を使ったって本当かしら」

「ヴァルトハイム公爵家の御曹司を、無理やり……」

「恐ろしい。魔女みたい」


 囁き声が、耳に突き刺さる。足を速めたが、どこへ行っても同じだった。


 図書館に逃げ込んだ。いつもなら、静かで落ち着ける場所。でも、今日は違った。


 私が入った瞬間、そこにいた生徒たちが一斉に立ち上がった。そして、蜘蛛の子を散らすように、別の場所へと移動していく。


 ――何が起きているの?


 震える手で、本を手に取ろうとした。でも、集中できない。文字が頭に入ってこない。

 窓の外から視線を感じた。中庭に生徒たちが集まって、何か話している。時折、こちらを見上げては、また囁き合う。


 私は本を閉じた。ここにいても、落ち着けない。

 図書館を出ると、廊下で見知った顔に出会った。いつも挨拶を交わす、同じクラスの女子生徒。


「こんにちは」


 声をかけた。でも、彼女は顔を青ざめさせて、後ずさった。


「近寄らないで!」

「え?」

「あなた、禁術を使ったんでしょう? 刻印の誓いを!」

「何のこと?」

「とぼけないで! みんな知ってるわ。ヴァルトハイム公爵家の御曹司を手に入れるために、魂を売ったって」


 頭が真っ白になった。刻印の誓い。それは、記憶を代償に擬似的なたまゆらを作り出す、最も忌まわしい禁術の一つ。あれはカイゼルの祖父、マグナス卿からカマを掛けられた。そのときに刻印の誓いは確かに断った。


「違う。私はそんなこと」

「嘘よ! だって、無響者のあなたが、どうしてあんな方と」


 彼女は踵を返すと、走り去っていった。

 私は廊下に一人取り残された。壁に寄りかかり、震える膝を支える。


 ――誰がこんな噂を。


 すぐに思い当たった。昨夜の、あの冷たい瞳。セレスティア王女。

 でも、証拠はない。ただの勘だ。それに、相手は王女。私なんかが、どうすることもできない。

 足音が聞こえた。振り返ると、ミラベルとアルテミシアが走ってくる。


「リーナ! 大丈夫?」

「ひでぇ噂が流れてるぞ」

「聞いた……みんな、私を避けてる」


 二人の顔が、怒りに染まった。


「ふざけんな! リーナがそんなことするわけねぇだろ!」

「論理的に考えても、おかしいですわ。禁術の痕跡があれば、すぐに分かるはずです」

「でも、噂は止まらない」


 私は無理して笑顔を作る。真実なんて、誰も求めていない。人は、信じたいものを信じるだけだ。


 その時、学院の鐘が鳴った。普段とは違う、重々しい音色。それは、重要な来訪者を告げる鐘だった。


「何だ?」

「まさか……」


 嫌な予感がした。そして、それはすぐに現実となった。



 学院の玄関ホールは、重苦しい空気に包まれていた。


 私はカイゼルの隣に立っていた。彼の表情は、いつになく険しい。目の前には、大神殿の神官たちが、白い法衣を纏って立っている。


 中央の、最も位の高そうな神官が、巻物を広げた。


「リーナ・アスティス殿」

「……はい」

「貴殿に対し、禁術使用の嫌疑が持ち上がっている」


 心臓が大きく跳ねた。


「身に覚えはありません」

「それは、審問会で判断される」

「審問会?」


 神官は、無表情のまま続けた。


「大神殿の権限において、貴殿を審問会へ召喚する。三日後、必ず出頭せよ」

「そんな……」


 私を庇うようにカイゼルが前に出る。


「待て。証拠もなしに、審問会など」

「ヴァルトハイム公爵家の御曹司」


 神官の声が、冷たく響いた。


「これは、大神殿の決定だ。逆らうのか?」

「証拠を示せと言っている」

「多くの証言がある。それで十分だ」

「証言? ただの噂だろう」


 カイゼルの声には怒りが滲んでいた。でも、神官たちは動じない。


「三日後、正午。遅れれば、それ相応の処置を取る」


 神官たちは、召喚状を置くと、踵を返した。扉が閉まる重い音がホールに響く。

 私は震える手で召喚状を確認する。赤い封蝋には大神殿の紋章。これは逃れることのできない、絶対的な命令だった。


 血の気が引いていく。体中から力が抜けていく感覚。


 カイゼルが私の手を握った。温かい手だった。


「大丈夫だ」

「でも……」

「俺が何とかする」


 その声は、優しかった。でも、どこか遠くに聞こえた。


 ――審問会。


 それは、魔女裁判にも等しい、恐ろしい場所。一度嫌疑をかけられれば、無実を証明することはほぼ不可能。

 私は、逃げ場のない檻に、閉じ込められてしまった。


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