表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/46

第16話 揺れる想い

 王家の主催する夜会が始まって間もない頃、王宮の庭園は色とりどりの魔法灯に照らされ、幻想的な光景を作り出していた。噴水から立ち上る水飛沫が、蒼月と紅月の光を受けて七色に輝く。貴族たちの笑い声と、楽団の奏でる優雅な旋律が夜風に乗って流れてくる。


 私はミラベルとアルテミシアと共に、噴水近くのテーブルで冷たい果実酒を飲んでいた。二日前、ユリウス王子からカイゼルへの決闘申し込みの報せを聞いてから、ずっと胸の奥に重い石を抱えているような気分だった。


 それでも、せっかくの祭りだからと、ミラベルが誘ってくれたのだ。薄紫色のドレスを着た彼女は、いつもの研究服とは違って可愛らしい。アルテミシアも、獣人族の正装である革と毛皮を基調とした衣装で、野性的な美しさを放っている。


「また見てやがるな、あいつら」

「アルテミシア、気にしないで」

「でもリーナ、さっきから貴族どもがじろじろと……」


 私は軽く首を振った。視線を感じないわけではない。むしろ、痛いほど感じている。カイゼルとの婚約、そして王子との決闘の噂は、あっという間に社交界に広まってしまった。


「無響者のくせに、なぜヴァルトハイム公爵家の嫡男と」

「聞いた? 王子様まで巻き込んでるらしいわよ」

「何か怪しい術でも使ったんじゃないかしら」


 遠くから聞こえてくる囁き声が、小さな針となって私の心を刺す。


 アルテミシアが立ち上がった。琥珀色の瞳が、縦長の瞳孔に変わりかけている。


「おい、てめーら! 聞こえてんだぞ!」


 彼女の一喝に、周囲の貴族たちが蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていく。獣人族の戦士の威圧感は、都会育ちの貴族には恐怖でしかないのだろう。


「アルテミシア、ありがとう」

「礼なんていらねぇよ。友達だろ」

「でも、これ以上騒ぎを起こすと……」

「大丈夫ですわ。彼らも、これで少しは大人しくなるでしょう」


 ミラベルが眼鏡を直しながら言った。その優しさが心に染みる。


 私は立ち上がった。人混みの中にいると、息が詰まりそうだった。


「少し、夜風に当たってくるわ」

「一人で大丈夫?」

「うん。すぐ戻るから」


 二人の心配そうな視線を背に、私は噴水から離れた。庭園の奥へと続く小道を歩いていく。人の声が次第に遠ざかり、代わりに虫の音が聞こえてきた。


 月見の丘と呼ばれる小高い場所に辿り着く。ここからは王都の夜景が一望できる。無数の灯りが、地上の星空を作り出している。


 私は深く息を吸った。冷たい夜気が肺を満たし、少しだけ頭がすっきりする。


 ――どうして、こんなことになってしまったのだろう。


 カイゼルとの偽りの婚約。それは運命から逃れるための、ただの契約だったはずなのに。


 足音が聞こえた。振り返ると、金茶色の髪が月光に照らされている。


「ユリウス王子……」


 彼は穏やかな微笑みを浮かべていた。公式の場で見る堅い表情とは違う、柔らかな表情だった。


「君と、少し話がしたかった」

「私なんかと、何を」

「君だからこそ、話したいことがあるんだ」


 ユリウスは私の隣に立った。適度な距離を保ちながら、同じように王都を見下ろす。


「美しい夜景だね」

「……はい」

「でも、この光の一つ一つに、たまゆらに苦しむ人がいるかもしれない」


 意外な言葉に、私は彼を見上げた。青い瞳はじっと街を見つめている。


「殿下、お立場的にそう言ったことは」

「僕も疑問を感じているんだ。この国の在り方に」


 ――僕?

 いつもは「私」のはず。今の彼は王子としてではなく、一人の人間として話しているのだと理解した。


「君は、たまゆらできないことで苦しんできた。でも、それでも前を向いて生きている。その強さは、どこから来るんだろう」

「強さなんて……私はただ、逃げているだけです」

「逃げることも、時には勇気だよ。特に、理不尽な運命からなら」


 彼の言葉が心に響いた。


「僕は王子として生まれ、王子として育てられた。疑問を持つことすら許されなかった。でも、君を見ていると思うんだ。本当の強さとは、運命に従うことじゃない。運命に抗うことなのかもしれないって」


 月光が彼の横顔を照らしている。なぜだろう。一切こちらを見ず、彼は街だけを眺めている。その表情には深い苦悩が滲んでいた。


「セレスティアとのたまゆらも、本当に神が望んだものなのか。それとも、ただの偶然なのか。最近、分からなくなってきたんだ」


 私は言葉を失った。王子が、妹とのたまゆらを疑っているなんて。


 風が吹いた。花の香りを運んでくる、優しい風だった。


「君は、カイゼルを愛しているのか?」


 突然の問いに、心臓が跳ねた。


「それは……」

「ごめん、答えなくていい。ただ、君たちを見ていると、たまゆらがなくても心は通じ合えるんだと、そう思えるんだ」


 彼の瞳に、寂しさが浮かんでいる。それは、孤独な王子の素顔だった。


「兄様」


 冷たい声が響いた。振り返ると、セレスティアが立っていた。エメラルドグリーンの瞳が、月光を受けて鋭く光る。金髪が夜風に揺れ、まさに氷の女王といった風情だった。


 彼女は優雅に微笑んだ。完璧な笑顔。でも、その奥に潜む感情を、私は見逃さなかった。


 ――嫉妬。激しい、炎のような嫉妬。


「兄様……まあ、これはいったいどういう事です?」

「リーナは僕の友人だ」

「友人? 無響者と?」

「たまゆらの有無で、人の価値は決まらない」


 ユリウスの声は落ち着いていた。けれど、そこには確固たる意志があった。セレスティアの笑顔がわずかに歪む。


「兄様は、お優しすぎるのです。このような者に情けをかける必要など」

「セレスティア」


 彼の声が、初めて厳しくなった。


「彼女を『このような者』と呼ぶな。リーナ・アスティスという一人の人間だ」


 空気が凍りつく。セレスティアの顔から笑みが消えた。

 私は息を殺して、二人を見つめていた。兄妹の間に、見えない火花が散っている。


「……失礼します」


 この場にいることが耐えられなくなり、私は頭を下げた。


「リーナ、待って」

「いえ、私はもう……」


 振り返らずに、私は丘を下りた。背後から視線を感じたが、振り返ることはできなかった。足早に歩いていると、噴水の近くでミラベルとアルテミシアが心配そうに待っていた。


「リーナ! 大丈夫?」

「顔色悪いぞ」

「うん、大丈夫。ちょっと疲れただけ」


 嘘だった。でも、今は説明する気力もなかった。



 リーナが去った後、ユリウスとセレスティアは月見の丘に二人きりで残された。双月の光が、二人の間の深い溝を照らし出している。


 セレスティアは、兄の横顔を見つめた。その表情は、今まで見たことがないものだった。


「兄様」

「なんだい、セレスティア」

「あの女に、心を奪われたのですか」


 ユリウスは答えなかった。ただ、王都の夜景を見つめている。


「わたくしたちは、たまゆらで結ばれた運命の相手です。神が定めた、完璧な組み合わせ」

「本当にそうだろうか……私たちのたまゆらは、本当に神が望んだものなのだろうか」


 その言葉に、セレスティアは息を呑んだ。


 ユリウスは振り返った。青い瞳が、妹を真っ直ぐに見据える。


「もしかしたら、ただの偶然かもしれない。あるいは、誰かが仕組んだものかもしれない」

「何を……何をおっしゃっているのです」

「僕は最近、考えるんだ。たまゆらという仕組みそのものが、人を不幸にしているんじゃないかって」


 セレスティアの顔から、血の気が引いた。


「それは、わたくしとのたまゆらを否定するということですか」

「そうじゃない。ただ、疑問を持つことは必要だと思うんだ」


 風が吹いた。冷たい風だった。セレスティアの金髪がたなびき、その表情が露わになる。


 暗い眼。そこ以外は無。表情は無かった。


「兄様は、変わってしまわれた」

「変わったのかもしれない。でも、これが本当の僕なのかもしれない」


 ユリウスの声に覚悟が滲む。

 セレスティアは拳を握りしめた。完璧に整えられた爪が、掌に食い込む。


「……失礼いたします」


 彼女は深く頭を下げると、丘を下りていった。その足取りは優雅だったが、肩が震えていた。

 一人残されたユリウスは、双月を見上げた。蒼月と紅月が、仲良く並んで輝いている。


 ――僕は、何を求めているのだろう。


 答えの出ない問いが、胸の中で響き続けていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ