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第14話 月下の真実

 公爵邸のバルコニーから見上げる夜空に、紅月が不気味な輝きを放っていた。満月に近いその姿は、血を思わせる赤い光で世界を染めている。


 マグナスとの話から三時間。私は眠れずに、一人で夜風に当たっていた。


 今日一日で、あまりにも多くのことが起きた。ルシウスの執着、マグナスの試練、そしてカイゼルと交わした約束。全てが頭の中で渦を巻いている。


 ――俺たちは、たまゆらに縛られない新しい形を作ります。


 カイゼルの言葉が、胸の奥で響いている。偽りの婚約者として始まった関係が、いつの間にか変わり始めている。けれど、それは恋なのか、信頼なのか、どんな気持ちなのか、どんな感情なのか、いろいろ混じって分からない。


 手すりに寄りかかり、王都の夜景を眺める。無数の灯りが瞬いている。その一つ一つに、誰かの人生がある。たまゆらに導かれた人生が。


 ――私には、そんな運命はない。


 でも、それが不幸だとは思わなくなっていた。カイゼルと過ごす時間が、その空白を埋めてくれている。


 風が髪を揺らす。紅月の光が、世界を赤に染めていく。嫌な予感。これは確かな予感だ。何かが起きようとしている。



 背後で扉が開く音がした。肩越しに見ると、カイゼルが立っていた。

 様子が違う。顔色が悪く、額に汗が滲んでいる。金色の瞳が苦痛に歪んでいた。


「カイゼル? どうしたの?」

「……眠れなくて」

「私も」


 カイゼルが私の隣に並ぶ。手すりを掴む手が、微かに震えていた。


「紅月が……きついな」

「紅月が?」

「俺の中の、精霊の血が……」


 そういえば、と思い出す。カイゼルの瞳が青く光った。昼間、ルシウスを制した時と同じ、蒼月の光に似た輝き。


「カイゼル!」


 カイゼルが壁に手をつく。苦しそうに呼吸を乱している。


「大丈夫……いつものことだ」

「いつもの?」

「紅月が満ちる夜は、精霊の血が暴れる。生命を司る紅月の力に、強く反応するんだ」


 青い光が、カイゼルの身体から溢れ出し始める。それは美しくも、恐ろしい光景だった。


「母さんから受け継いだ、精霊族の血。普段は封印で抑えているけど、紅月の夜は……」

「苦しいの?」

「焼けるような……いや、凍るような……両方だ」


 カイゼルの顔が、さらに苦痛に歪む。青い光が強まり、周囲の空気が震え始めた。

 このままでは、カイゼルが壊れてしまう。

 そう直感した。



 考えるより先に、身体が動いていた。

 カイゼルの腕に手を伸ばす。熱いような、冷たいような、不思議な感触が伝わってきた。


「勝手に来ておきながらすまん。リーナ……離れろ……」

「嫌よ」

「危険だ!」

「あなたの方が危険でしょう!」


 逆響の力を意識する。でも、今までとは違う使い方を試みる。断ち切るのではなく鎮めるのだ。荒れ狂う波を、優しく包み込むように。暴風をそよ風に変えるように。

 私の力がカイゼルの青い光に触れる。最初は反発し合った。水と油のように、混じり合わない二つの力。


 訓練を思い出す。

 彼の魂に触れたあのときを。

 ――カイゼルを助けたい。


 その一念で、力を注ぎ続ける。すると、少しずつ変化が起きた。


 青い光が、私の手に吸い込まれていく。いや、違う。私の力と、カイゼルの力が、調和し始めている。逆響と精霊の魔力。相反するはずの二つの力が、不思議な均衡を保ち始めた。


 カイゼルの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。青い光が収まり、苦痛に歪んでいた顔に安堵の色が浮かぶ。


「今のは……?」


 カイゼルが私の手を掴む。その瞬間、奇妙な感覚が走った。


 たまゆらではない。でも、確かに何かが繋がった。魂の音が聞こえるわけではない。でも、カイゼルの感情が、直接流れ込んできた。

 驚き、安堵、そして……温かくてやさしい感情が。


 私たちは触れ合ったまま見つめ合っていた。手と手が重なり、不思議な温もりが行き来している。


 これは一体……たまゆらでもない、逆響でもない、今まで経験したことのない感覚。


「リーナ……俺の力を、鎮めてくれたのか?」

「分からない……でも、苦しそうだったから」

「ありがとう」


 カイゼルの金色の瞳に、複雑な感情が浮かんでいる。


「何をしたんだ?」

「……とっさのことで、あまり分からないわ」


 説明できない。ただ、確かなのは、私たちの間に特別な何かが生まれたということ。


 その時、風が不自然に吹いた。


 視線を感じて見上げると、遠くの屋根の上に小さな人影が見えた。銀色の髪が、月光を反射して輝いている。


 直感で分かった。ノエル・シルバーレイク。

 中性的な顔に、不思議な微笑みを浮かべて、こちらを見下ろしている。口が動いた。声は聞こえないが、唇の動きで分かる。


 ――新しい音が生まれた。


 瞬きをした次の瞬間には、姿は消えていた。幻だったのかと思うほど、あっけない消失。


「今の……」

「ノエルだ」


 カイゼルも気づいていた。


「俺たちを観察している」

「何のために?」

「分からない。でも……」


 カイゼルが私の手を強く握る。


「俺たちの間に生まれたものは、きっと特別なんだ」

「特別……」

「たまゆらでもない、新しい繋がり。もしかしたら、それこそが……」


 言いかけて、カイゼルが言葉を止める。

 紅月が雲に隠れ始めていた。赤い光が薄れ、いつもの夜の闇が戻ってくる。

 でも、私たちの手は離れない。

 この繋がりが何なのか、まだ分からない。ノエルが何を知っているのかも、分からない。


 ただ一つ確かなのは、私たちは新しい一歩を踏み出したということ。


 たまゆらに縛られない、私たちだけの道を。


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