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第12話 執着の始まり

 王立たまゆら学院のカフェテリアは、昼時の喧騒に包まれていた。窓から差し込む午後の陽光が、テーブルに並んだグラスを七色に輝かせている。


 私は窓際の席で、ミラベルとアルテミシアに昨夜の出来事を話し終えたところだった。二人の反応は、見事に対照的だった。


「まあ! ノエルですって!? それ、ノエル・シルバーレイクよ、たぶん!」

「そんな奴より、あのクソルシウスの方が問題だろ」


 ミラベルは紫の瞳を輝かせて身を乗り出し、アルテミシアは腕を組んで不機嫌そうに唸っている。


「ノエルって誰なの?」

「わたし、文献で読んだことがありますわ! 時空を超越する観測者、運命の道化師……正体不明の存在として、様々な記録に断片的に登場する人物です」

「そんな胡散臭い奴より、ルシウスとかいうボンボンの方がヤバくねぇか? 黒い響晶石(きょうしょうせき)なんて、普通じゃねぇぞ」


 アルテミシアの言葉に、背筋が冷える。確かにあの石からは、普通の響晶石とは違う禍々しい気配がした。


「でも、『偽りの響きは本物よりも美しい』って、どういう意味かしら……」

「リーナさんとカイゼル様の関係を指しているのでは? たまゆらしていないのに、婚約者を演じているという……」

「演じてるだけじゃ、美しいなんて言わねぇだろ」


 アルテミシアの鋭い指摘に、胸がずきりと痛む。


 ――演じているだけ。そう、私たちは偽りの関係。


 でも昨夜、カイゼルが私を守ってくれた時の手の温もりは、本物だった気がする。


「とにかく、あのルシウスって奴には気をつけた方がいいわ」

「そうですわね。新興貴族は成り上がるために手段を選ばない輩が多いですから」

「あたしが一緒にいてやるよ。あんな奴、ぶっ飛ばしてやる」


 二人の言葉に、胸が温かくなる。たまゆらしていなくても、こんな風に心配してくれる友達がいる。それだけで、十分幸せなのかもしれない。



 カフェテリアを出て、午後の講義に向かう廊下を歩いていた。ミラベルは図書館へ、アルテミシアは訓練場へと、それぞれ別れたばかりだった。


 人気のない廊下に、私の足音だけが響く。窓から差し込む陽光が、床に長い影を作っている。


 角を曲がった瞬間、目の前に黒い壁が立ちはだかった。


 ルシウスだった。


 取り巻きらしき男が三人、退路を塞ぐように背後に回り込む。逃げ道は完全に断たれた。


「よう、昨日ぶりだな」

「……何の用ですか」

「決まってるだろう。俺様の女になるなら、昨夜の無礼は許してやる」

「お断りします」

「聞こえなかったか? これは命令だ」


 ルシウスが一歩近づく。昨夜と同じ、響晶石を埋め込んだ指輪が不気味に光る。


「ヴァルトハイムなんて、どうせお前を遊びで囲ってるだけだ。無響者の欠陥品に、本気になるわけがない」

「それは……」

「俺様なら違う。お前を本物の貴族にしてやる。俺様の力で、誰もお前を見下せないようにしてやる」

「そんなこと望んでいません」

「強がるな!」


 怒鳴り声と共に、壁に押し付けられる。背中に冷たい石の感触が伝わってきた。


「無響者のくせに、俺様を拒絶するのか?」

「離して……!」

「お前には選ぶ権利なんてない。俺様が選んでやったんだ。感謝しろ」


 響晶石が私の頬に押し当てられる。魔力が肌を焼くような熱さで広がっていく。

 まずい。ちょうど人気がない時間を狙われた。


「おい、その汚ねぇ手をどけな」


 ルシウスの背後に、アルテミシアが戦斧を肩に担いで立っていた。琥珀色の瞳が、獣のように細められている。狼の耳がぴんと立ち、尻尾が威嚇するように逆立っていた。


「獣人族か……俺様の邪魔をするな」

「あたしの友達に何してんだって聞いてんだよ、人間のボンボン」

「友達? 無響者と獣人族がつるんでるのか。お似合いだな、欠陥品同士」


 その瞬間、アルテミシアの表情が変わった。


「てめぇ……今なんつった?」


 声が低くなる。戦闘態勢に入った証拠だった。


「欠陥品だと言ったんだ。文句があるか?」

「ああ、大ありだ」


 アルテミシアが戦斧を振り上げる。刃が陽光を反射して、眩い光を放つ。


「リーナ、下がってろ」

「でも……」

「大丈夫だ。こんなザコ、俺一人で十分だ」


 いつもの「あたし」が「俺」に変わった。ああ、まずい。アルテミシアとの出会いを思い出す。


 私の心配をよそに、取り巻きの三人が響晶石を構える。魔法の光が廊下を照らす。


 しかし、アルテミシアの動きは魔法よりも速かった。


 一瞬で間合いを詰め、戦斧の柄で一人目の腹を突く。男が呻いて膝をつく。返す刀で二人目の足を払い、転倒させる。三人目が魔法を放とうとした瞬間、斧の刃を首筋に当てる。


「動くな。次は叩っ切る。痛えらしいぞ、斧は」


 三秒。たった三秒で、三人の取り巻きは戦闘不能になっていた。


 取り巻きたちが逃げ去り、廊下には青い顔のルシウスとアルテミシア、そして私だけが残された。


 ルシウスは屈辱に顔を歪ませている。プライドの高い彼にとって、獣人族の、しかも女に負けたことは耐え難い屈辱だろう。


「覚えてろよ……」

「何度でも相手してやるよ。今度は本気でやってもいいぜ?」

「貴様……力こそが全てだと、思い知らせてやる……!」


 憎悪に満ちた眼差しを私に向ける。その瞳の奥に、理性を失いかけた狂気が宿っていた。


「お前は俺のものだ。誰にも渡さない」

「あたしは誰のものでもありません」

「俺様が決めることだ!」


 ルシウスの声が「俺」から「俺様」に変わった。怒りで我を忘れているのだろうか。

 黒い響晶石を握りしめ、よろめくように去っていく。その後ろ姿からは、ただならぬ執念が滲み出ていた。


 アルテミシアが戦斧を下ろした。


「大丈夫か?」

「うん……ありがとう、アルテミシア」

「礼なんていらねぇよ。友達だろ?」


 さりげない言葉に、涙が込み上げてきそうになる。


「でも、あいつヤバそうだな。完全に目がイッちまってる」

「私、どうすれば……」

「カイゼルに言った方がいい。あいつなら何か対策を考えるだろ」


 廊下の向こうに、ルシウスの姿はもう見えない。けれど、彼の残した言葉が耳に残っている。


 ――力こそが全てだと、思い知らせてやる。


 それは単なる脅しではない。彼は本気で何か企んでいる。黒い響晶石の不気味な輝きが、脳裏に焼き付いて離れない。

 窓の外を見ると、雲が太陽を覆い始めていた。穏やかだった午後の陽光が、急に翳りを帯びていく。

 嵐の前触れのような、不穏な空気が学院を包み始めていた。


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