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第11話 仮面舞踏会

 王宮の大舞踏会場「月の間」は、千を超える蝋燭の光に包まれていた。天井に描かれた双月の壁画が、揺らめく炎に照らされて生きているように輝いている。貴族たちの話し声と衣擦れの音が、弦楽四重奏の調べに溶け込んでいく。


 大階段の上に立った私は、震える膝を必死に隠しながら、眼下に広がる光景を見下ろしていた。煌びやかなドレスと燕尾服に身を包んだ貴族たちが、次々と振り返る。その視線の全てが、私とカイゼルに向けられていた。


 三日前、イザベラの刺すような眼差しに晒された時とは違う種類の緊張が、背筋を這い上がってくる。あの時は一対一の対峙だった。けれど今夜は――。


 ――この人たち全員が、私を値踏みしている。


 深紅のドレスの裾を軽くつまみ、息を整える。マグナスが用意してくれたこのドレスは、確かに美しい。けれど、こんな豪華な衣装を身にまとっても、私は無響者。たまゆらできない欠陥品。


「ヴァルトハイム家、カイゼル・ヴァルトハイム公爵様! 並びに、アスティス伯爵家令嬢、リーナ・アスティス様のご入場にございます!」


 侍従の声が響き渡る。ざわめきが一瞬止み、そして倍の大きさになって広がった。


 カイゼルが私の手を取る。黒い手袋越しにも、その手の温もりが伝わってきた。


「背筋を伸ばして」

「……分かってる」


 一歩、また一歩と、赤い絨毯の敷かれた階段を下りていく。視線の重みが、ドレスよりもずっと重く感じられる。


 ――無響者のくせに、ヴァルトハイム家の嫁になろうなんて。

 ――どんな手を使ったのかしら。

 ――公爵家も落ちたものね。


 そんな囁きが、音楽の合間から漏れ聞こえてくる。いや、実際に聞こえているのか、私の想像なのか、もう分からない。


 階段を降りきると、人垣が自然と道を作る。その先にある舞踏会場の中央へと、カイゼルに導かれるまま進んでいく。


「カイゼル様、おめでとうございます」

「素敵なお嬢様ですわね」

「アスティス家の……ああ、あの逆響者の噂は本当だったのですか?」


 社交辞令と好奇心と、僅かな侮蔑が入り混じった言葉が次々と投げかけられる。カイゼルは完璧な笑顔でそれらを受け流していく。私も必死に微笑みを保つ。


 頬が引きつりそうになる。手のひらに汗が滲む。


 それでも、カイゼルの手は私の手を離さなかった。



 舞踏会が始まって三十分ほど経った頃、カイゼルが祖父のマグナスに呼ばれて席を外した。


 私は大舞踏会場の端にあるテラスの近くで、グラスを手に一人立っていた。窓の外には王都の夜景が広がっている。煌めく灯りの一つ一つに、普通の人々の暮らしがある。たまゆらに縛られながらも、幸せに生きている人々の。


 ――私には、ああいう普通の幸せは手に入らない。


 グラスの中で、薄紅色の液体が揺れる。一口も飲んでいない。飲めば、緊張で吐いてしまいそうだから。


「おい、お前」


 突然、背後から声をかけられた。振り返ると、そこには見知らぬ青年が立っていた。


 黒髪に赤いメッシュを入れ、血のような赤い瞳をした青年。黒と赤を基調とした、悪趣味なほど派手な衣装を身にまとっている。新興貴族特有の、成金趣味の匂いがした。


「ダークホルム家のルシウスだ。覚えておけ」

「……アスティス家のリーナです」

「知ってるさ。無響者のくせに、ヴァルトハイム家に取り入った女だろう?」


 侮蔑を隠そうともしない物言いに、背筋が冷える。


「俺様の花嫁に相応しいか、試してやる」


 いきなり腕を掴まれた。強い力で引き寄せられる。


「何を――」

「黙ってろ。俺様に選ばれるのは名誉なことだぞ」

「離してください!」

「強がるな。どうせヴァルトハイムも、お前みたいな欠陥品は遊びだろう? 俺様なら、お前を本物の貴族にしてやれる」


 必死に腕を振りほどこうとするが、びくともしない。周囲の貴族たちは、見て見ぬふりをしている。新興貴族相手に関わりたくないのか、それとも無響者の私など助ける価値がないと思っているのか。


 響晶石(きょうしょうせき)を埋め込んだ指輪が、私の頬に触れる。冷たい石の感触に、吐き気がこみ上げてきた。


「その顔……いいな。俺様のものになれ」


「私の婚約者に、何か用か?」


 氷のように冷たい声が響いた。


 カイゼルがいつの間にか戻っていた。その表情は、いつもの皮肉屋の顔ではない。本当に怒っている時の、感情を押し殺した能面のような顔だった。


 カイゼルの手が、ルシウスの腕を掴む。見た目以上の力がこもっているのか、ルシウスが顔を歪める。


「痛っ……何をする!」

「それはこちらの台詞だ。私の婚約者に、断りもなく触れるとは」

「無響者の分際で、俺様に逆らうのか!」


 ルシウスが響晶石の指輪を光らせる。魔力が膨れ上がり、周囲の空気が震える。魔法を使うつもりだ。


 しかし次の瞬間、カイゼルの瞳が一瞬、青く光った。


 それは本当に一瞬のことだった。けれど、その瞬間にルシウスの魔力が霧散した。糸が切れた人形のように、ルシウスが膝をつきそうになる。


 ――今の青い光は……?


 精霊族の魔力? そういえば、初めて会ったときも瞳の奥に青い光が……。


「次はない」


 カイゼルの声は静かだったが、そこには有無を言わせぬ威圧があった。ルシウスだけでなく、周囲で見ていた貴族たちまでが息を呑む。


 ルシウスは屈辱に顔を真っ赤にしながら、よろめくように立ち上がる。


「覚えてろ……!」


 捨て台詞を吐いて、人垣を押し分けて去っていった。

 カイゼルが私の方を向く。さっきまでの冷たい表情が、皮肉な笑みに変わっていた。


「大丈夫か?」

「……うん」

「嘘が下手だな」


 震えている私の手を、カイゼルがそっと握る。


「踊ろう。あいつらに見せつけてやる」



 舞踏会場の中央で、私たちは踊り始めた。


 ワルツの旋律に身を任せ、カイゼルのリードに従って足を運ぶ。最初はぎこちなかった動きが、次第に滑らかになっていく。この三日間、必死に練習した成果だった。


 くるりと回転すると、ドレスの裾が花のように広がる。カイゼルの手が、私の腰をしっかりと支えている。


 周囲の視線を感じる。けれど、もう先ほどのような敵意や侮蔑ではない。驚きと、僅かな賞賛が混じっている。


「上手くなったな」

「カイゼルのおかげよ」

「俺は厳しい教師だったか?」

「最悪の」


 くすりと笑い合う。この瞬間だけは、偽りの婚約者という立場を忘れることができた。


 音楽が最高潮に達する。カイゼルが私を高く持ち上げ、ゆっくりと降ろす。着地と同時に深くお辞儀をすると、周囲から拍手が湧き起こった。


 ――偽りの響きは、本物よりも美しいね。ボクはノエル。よろしく。


 突然、耳元で声がした。カイゼルではない。振り返る。誰もいない。けれど確かに聞こえた。中性的で、どこか浮世離れした声が。

 視線を巡らせると、二階のバルコニーの影に、小さな人影が見えた。銀色の髪が、蝋燭の光を反射してきらめく。

 もう一度見ようとした時には、もう誰もいなかった。


 ――今の声は……ノエルって誰?


「どうした?」

「……ううん、なんでもない」


 カイゼルの問いかけに首を振った。


 ふと気づく。ルシウスからの視線に。

 舞踏会場の隅でグラスを握りしめながら、憎悪の眼差しでこちらを睨んでいる。その手には、黒い響晶石(きょうしょうせき)が握られていた。普通の響晶石とは違う、禍々しい気配を放つ石が。


 楽団が新しい曲を奏で始める。貴族たちが次々とフロアに繰り出していく。


 けれど私の耳には、まだあの謎めいた声が響いていた。


 ――偽りの響きは、本物よりも美しい。


 その言葉の意味を考える間もなく、カイゼルが再び私の手を取る。


「もう一曲、付き合ってもらうぞ」

「え? でも……」

「ルシウスの野郎がまだ見てる。徹底的に見せつけてやる」


 カイゼルの瞳に、また一瞬、青い光が宿った気がした。


 それは蒼月の光にも似た、不思議な輝きだった。


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