第四話
サザーランドのジンが歩いて来て、レイジに右手の拳を突き出した。
レイジはその拳に、自分の拳をぶつけた。ジンが微笑む。
「レイジ、暫くは気を付けな。なにかあったら、いつでも駆けつける」
「サンキュ。ジン、頼りにしてる」レイジも微笑んだ。
「じゃあ、また」
「おう」
長身のジンを先頭に、サザーランドの団員たちがひき上げはじめた。
その帰り際に、りっぱな顎髭の老戦士・ガリオンが、『GoodJob!』と、レイジに笑顔で親指を立てた。――――レイジも笑顔で、(サンキュ!)と、声を出さずに口だけを動かした。
シエンは、ルピタを呼ぶと、
「あの片側が解けそうだから、しっかり縛って来て」
と、左手の高台になっている、丘の上を指差した。ルピタが丘の上へ走る。
シエンが、レイジの傍に歩いてきた。
「レイジ、昨夜はどこに泊まったんだ。セシリアが心配してたぞ」
「……」レイジが頭を掻く。
「しっかし、あそこから、よくこんな所まで連れてこれたもんだ」
と、シエンがエルフの娘の方へ視線を向けた。
「おまえには、お見通しだな」
「わたしを呼ぶ必要は無かっただろ」というシエンに、
「悪かった」と、レイジは渋い顔で首を振った。
レイジが、エルフの娘の方へ歩き出そうとした時に、
「レイジ」と、シエンが呼び止めた。レイジが「どうした?」と振り返る。
「レイジに分かっておいてほしいことがある。だから、少し話を聞いてくれ」
珍しく神妙な面持ちのシエンに、レイジが頷く。
その時、風が一度だけ、静かに彼女の銀髪を揺らした。
シエンは、レイジの優しさを危惧した。
「おれがまた、何かやらかしちまったのか?」
レイジが少し身構えると、シエンは首を横に振った。
「そういう話は、セシリアやパルから聞いてくれ」
「……あ、やっぱあるんだ」レイジがちょっとだけ肩を落とした。
「話したいのは、わたしが子供だった頃のことだ」
こんなシエンを見るのは始めてだった。
「分かった」と、レイジも真顔になった。……重い話だと感じた。
二人は、少し斜面になっているところに腰を降ろした。
「昔、暮らしていた村に、盗賊団が襲って来て、わたしとライザの親は殺された」
「え!?」レイジは、初めて聞いた。シエンが、悲しい視線を遠くに向けると続けた。
「わたしたちは、山で鉱石を掘る肉体労働クランの親方に買われた。……ライザが七歳、わたしが八歳だった。あのときのライザは、今よりずっと泣き虫で、毎晩わたしの袖を握って離さなかった」シエンは、ここで辛そうに息を吐いた。
ライザとは、シエンと一緒にネオフリーダムに入団した女ヒューマンファイターで、いまはクランを退団していた。
「泥だらけのボロボロのシャツに、檻のような所に寝かされて、大した食べ物も与えてもらえなかった。それでも毎日、毎日、真っ黒な皮のむけた手で、穴を掘らされた」シエンが自分の掌を見た。
「檻には、色んな村から買われてきた、同じくらいの歳の子供たちが沢山いた」
レイジが、俯くシエンの横顔に視線を向ける。言葉は無い。
「ある日、目の前で、男の子が倒れた。それを監視役の大男が『働け!』とムチで叩いた。ずっと叩き続けた。わたしとライザの目の前で、その男の子は死んだ。(誰か、助けて)って、最後に、その子の消え入るような小さな声が聞こえた。……誰か、誰か助けてって泣きながら」
シエンの目から、一筋の涙が流れた。
レイジは、いつも勝気な、シエンの涙を見たのは、これが初めてだった。そしてシエンの昔話を聞くことも……。
「わたしとライザは、毎日怯えながら、懸命に生きてきた。声を出して、泣き叫ぶことさえも許されずに。……そんなとき、檻で寝ていると、外で大きなもの音がした。あるクランがやってきて、肉体労働クランから、わたしたちを救ってくれた。そして檻を解放し、食べ物をくれた」
シエンが手の甲で、涙を擦った。
「そのクランの若い盟主が、食べ物をむさぼっているわたしたちのところに来て、兜を取ると薄汚いわたしを両手で抱き上げた。『弱い子らが笑っていれる。そんなみんなが幸せに暮らせる世界に、おれがする』と、澄んだ目で真っすぐに言った。大きな手だった。たしか額には、星型の痣があった。みんなは、その盟主について行った。大人を信用できない、わたしとライザは、二人で食べ物を持てるだけ持って、森の中へ逃げ込んだ」
レイジが、シエンの肩に優しく手をおいた。
「わたしは、『助けって』って言う、あの男の子の声が、耳に焼き付いて離れない。十年以上経つ、今も……」
「シエン……」
「あのときは助けてやれなかった。だからわたしは、強くなりたいと思った」
「おまえ、苦労したんだな」レイジは何も知らなかった。
「あの助けてくれた盟主は、みんなが幸せに暮らせる世界にすると言っていた。だけどまだ、そんな世界には程遠い」
「きっと、今もどこかで頑張っているんじゃないか。自分の正義を貫くために」
「そう願いたい。正義か、……レイジの正義ってなんだ」シエンが、レイジに顔を向けた。
「おまえはどうなんだ」レイジは少しドギマギした。こんな至近距離で、シエンの顔を見るのは初めてだった。
「わたしの正義か。その根底にあるのは、自己の呵責の念かな」
「あまり自分を責めるな。誰だって何もできないことだってある」レイジが、優しく微笑む。シエンがレイジの目を見た。
「ああ、おれの正義か。……そうだな、真面目に考えたことも無かったけど。きっと、おれの中の譲れないものなんだろうな」
「譲れないもの?」
「そう、そいつが、おれの中で吠える。『てめぇ、ここで見過ごしていいのか!』、『ビビってんじゃねぇーぞ!』って、吠えやがる。そして、おれの内臓に喰らいつく」
「それ、痛いのか」
「すげぇ痛い」レイジが顔を顰める。
「ははは、レイジらしいな」
シエンが、レイジの鎧の、腹辺りを拳で打った。大きくよろけて見せるレイジ。
「ガラでもないことを言っちまった。……正直に白状するとさ、途中でおまえのことを抱きしめそうになった」と、レイジが言うと、
「よかったね。最強魔法を落とされなくて」と、シエンが微笑んだ。
「この世界は、レイジみたいな大人ばっかりじゃない。……その優しさが、仇にならなければいいな」――――シエンが、最後にポツリと言うと、歩き出した。