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文献と実際の日記

作者: 糞土

 人は、自分の能力によってお金を稼ぐことで、得たお金を自分の所有物とする。そういうことが書いてあった。また、別のところでは、商品の価値をお金を払うことによって測ると書いてあった。いわゆる供給過多を防ぐという内容である。以上の内容をまとめると、雇用主によって、自分は満足のできる相手なのか給料で値踏みされていると言うことができる。人間もまた商品であるといえる。自分の能力でお金を稼いでる自分を買う雇用主、という関係。もしも、自分が雇用主にとっての所有物でないならば、同時に、自分が作った物さえも自分の物であることを否定しなければいけない。つまり、個人の所有物というものは誰の物でもあってはならない。では?愛する人、恋した人、好きなキャラ、もしくは彼女、彼氏はどうなるのか。妻や夫はこの話には触れない。法的に関係が認められ、相手の半身となる、自分そのものと定義するためだ。自分のように扱うのではなく、共有財産や私的生活に入り込むなど、相手の行動に強く影響を受けざるを得ないという事実は認められる。一方的な愛、恋、好きなキャラ、彼女、彼氏は、妻や夫とは違う。無関係な存在である。愛を与えるのに見返りはあってはならない。それは自分の愛が値踏みされ、所有されるということだ。恋は、自分の中にあるものだとわきまえなければいけない。恋は、相手との距離を縮める欲望であり、相手との関係が縮まるとするならば、自分が相手のプライベートに踏み込んで行く責任がある。自分の取れる範囲で関わり、自分の欲を認めることが恋に求められる。好きなキャラについては語らない。彼女、彼氏は恋や愛の連続体である。性欲は本能に根差した衝動的な欲である。彼女、彼氏が性欲によるならば、相手のプライベートに踏み込むことはできていない。あくまで、相手の中に入った価値の代金を値踏みされ、交換しているに過ぎない。代金の交換は、一方的なものである。相手の望みなどわからない。相手との関係性は、踏み込まれることで、自分が余すことなく見られ、自分だけの生活だったものが希薄になる。自分が軽い気持ちで踏み込むことで、相手にとって非常に重い対価を要求されることもある。根本的に自分の価値観と相手の価値観は等価ではないためである。自分と相手の間に世間の価値という線引きを持つ必要がある。その世間の価値のひとつに、自分が商品として見られていることは違いないと考えられる。

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