163 旅人はそこにいない
「なんねぇ! こんお風呂はぁ! 人が入る湯船で服を洗うちゃどういう事ね?! 靴を洗いよう人もおったばい!!! ふんぬ~~~!!!」
ばあちゃんが店員相手に、完全にブチ切れている。
ヴィヴィもミルカもオロオロとどうしていいか分からないようだ。
宿泊客や大通りを歩く人々が、何事かとエントランスを覗き込んでいる。
「あ! 蓮ちゃん! ここのお風呂、最悪ばい! 汚いったらありゃせん!」
「ばあちゃん! しーーーー!!!」
この人は……こんな大勢の前で俺の名前を――
赤札出てるの分かってるよね?!
「なんね?! しぃっちなん?! お金返してもらわんと! こっちは大銀貨3枚も払っとるとばい! 3万ばい! 3万!!!」
確かに……ケチなばあちゃんにとって3万は痛い出費だろう。
だがばあちゃん……気持ちは分かるが目立ち過ぎだ!
まずいな。どんどん人が集まってきている。
「ばあちゃん! いいから! こっち来て!」
「あんたぁ! お金返しんしゃい!!!」
「だまれ!」
「もががが~~~!!!」
俺はばあちゃんの口を塞ぎ、湯屋から飛び出すと、人目を避けながら路地裏に連れこんだ。
「はあ……はあ……ばあちゃん、頼むから騒ぐな……ッ!」
「んん~~~!!!」
「落ち着け! 落ち着け……ッ! 俺たち赤札だぞ?」
「んん?!」
ようやく我に返ったようだ。
「手……外すぞ? 騒ぐなよ?」
ばあちゃんは目をぱちくりと返事をした。
「そ、そうやった……ついかっとなってしもうた……ご、ごめんばい、蓮ちゃん」
湯気の向こうの人だかりはすぐに散り、何事もなかったように再び活気を取り戻した。
誰も――俺たちの事を気に留めてないようだ。
良かった……湯気が丁度いい目隠しになった……
ミルカはばあちゃんから少し距離をとり、怯えている。
「い、伊織さま……急に怒りだされたので、私、驚きました……何か問題でもございましたのでしょうか……」
「はぁ?! ミルちゃん、あんた……あのお風呂見て、何も思わんやったと?!」
「え? ええ……特に……普通のお風呂だったと思いますが……」
「ふつ、普通?! が、がびーーーん!!!」
あまりのカルチャーショックにばあちゃんは固まってしまった。
ヴィヴィが震えるミルカの肩をさすりながら続ける。
「ミルカさん……大狸商店街のお風呂はもっと……もっともっと清潔なんです。馬車でシャワー浴びたでしょう?」
「しかし、あれはお湯を流しておりましたので……え? もしかして『湯船全てのお湯』が綺麗なのでございますか?」
――こくり。
俺たち三人は無言で頷いた。
まいったな……
お風呂ひとつとっても、地域によってここまで文化が違うとは。
「ヴィヴィってさ、クシュ大陸出身だったよね?」
「はい。ノルドクシュです」
「確かさ、クシュ大陸は入浴の習慣自体があまりなかったよな?」
「ええ。基本、貴族以外は水浴びが多いです。種族によっては砂浴びをしますね。恥ずかしながら――私も大狸商店街で初めて湯舟というものに入りました……」
ヴィヴィは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
大丈夫だヴィヴィ。
お前は出会った時から臭くない。
猫族は基本匂いがしない。
まあ、誓いの儀式の時の生乾きの布巾は臭かったけど……
「ミルカはエストキオ、モトス大陸出身なんだよね?」
「ええ」
「もしかしてさ……モトス大陸じゃ、湯船で服を洗うのが一般的なの?」
「私はやりませんが……旅人や冒険者の中にはそうする方が多いとお聞きしたことがございます。確か、ギルドでもそのような入浴方法を推奨されていたかと……」
「いい?! なんでそんなこと推奨するん?! 汚いやん!」
「何故と私に申されましても……ただ、逆にお伺いいたしますが――」
ミルカは三つ編みを弄りながら戸惑いの表情で続けた。
「冒険者は、どこでお召し物を洗うのでございましょう?」
――「「「…………はい?…………」」」――
どこでって――
この子は何を言っているんだ?
「そんなん家で洗えばいいやん! みんな家でお洗濯するやろ?!」
そうだ。
ばあちゃんの言う通り家で…………家?
「ですから……『家に居ない』から、旅人であり冒険者なのではございませんか……」
「はあぁぁぁ? ミルちゃん……あんたなんば言いよっと???」
そうか……そうだよ……
冒険者は常に旅をしてるんじゃないか……
「お風呂に入っているのに、わざわざ離れた川や湖で洗うのは手間でございますし、お湯で洗えば汚れがよく落ちますので、湯船で洗った方が……あ! わ、私はやりませんよ! た、たまにしか……」
たまにやってるのか。
しかしこれは盲点だった……
《蓮さま。これは非常に興味深い文化構造ですね》
「だね……」
汚れた衣服は皮脂や、場合によっては解体した魔物の脂肪など、多くの油分を含んでいる。
お湯で落とすのが一番いい。
そして、個別式の入浴習慣……
人の目が無いから『他の人のために綺麗に使う』なんてモラルが成熟しない。
さらには、ギルド自体がそれを推奨している。
俺たち現代日本人からすると不潔極まりない行為だが――
「この世界線の人たちにとっちゃ、湯船で服を洗うのは、合理的思考なんだ……」
《……宿で衣服を洗うサービスは無いのでしょうか?》
「いや、湯船で洗ってもいいとなると……そんなサービス自体考える必要がないんじゃないかな」
《なるほど……》
「うぇ~……汚かぁ~。え~、どうするん? 別のお風呂行く?」
ばあちゃんはキツネ耳を寝かせ、とても残念そうな顔をしている。
「いや、これは――どこの風呂屋に行ってもきっと一緒だよ。そういう文化なんだ。しかも今マツィーヨは空前の受験者バブルだ。湯船の清掃に人員を割けないんじゃないかな。そもそもの衛生観念も怪しいし……」
「ひぎぃ~~~!!! 温泉楽しみにしとったんにぃぃぃ!!!」
いや……
これは逆に商機と捉えた方が良いかもしれない。
「ヴィヴィ、手持ちのお金であと何泊ぐらい出来る?」
「もってあと3日くらいでしょうか……ゴドーさまとソニンさまから頂いた食材を売れば、いくらか足しになると思いますが」
「いや、その食材は使う。そのまま売るより、ヴィヴィが屋台で稼いだ方がいい。3日か……ちょっと厳しいな……いや、交渉すれば……うん……」
「あ……蓮ちゃんなんか儲け話考えよるね。顔が『商店街の人たちから相談受けた時』の顔ばい」
「はは。まあね、街の人を儲けさせるのが俺の仕事だからな。みんな、お風呂は諦めて、一旦宿に帰ろう。ちょっと店主に話がある」
「やっぱ諦めるんやね……はぁ~綺麗な温泉に入りたかったぁ~」
「まあ見てろって。すぐに入れるようになるさ。大狸商店街流――日本式の入浴方法が火を噴くぞ」
あと、この不衛生な入浴習慣に風穴を開けるのに必要なのは……
「なあ、ミルカ、このメイジシルクの覆面作ってくれた職人さんって、裁縫屋さん?」
「え? ええ、そうでございますが」
「その人、染物もやっている?」
「お一人で全ての工程をやられているようなので、染色もされていると思います」
「よし……明日、そのお店まで案内してくれるか?」
「はぁ、かしこまりました」
◇ ◇ ◇
「はあぁ? 旦那……何を言い出すかと思えば……風呂を作る代わりに宿代をタダにしろだって?!」
宿に戻った俺は、店主に直談判した。
「はい。この宿、温泉街なのにお風呂が無いのって……かなり不利じゃないですか? みたところ私たち以外、宿泊客もいないようですし……どうでしょう?」
「いやダメだろ。タダになんかしないよ。それにうちだって、前は風呂はやってたんだ。でもよ、湯を引くのにも金がかかるんだよ」
「お金……もしかして……温泉に税金が?」
「当たり前だろ。なんでもタダってわけにはいかねぇわな。使った分だけ税金とられるんだよ。みんなが好き勝手使ってたら温泉が枯れるだろうが」
なるほど……
ヨツシアでは税金が運営者から直接取られるのか。
現世でも天然温泉には入湯税がかかっているが、負担は入浴者だ。
入浴料に税が含まれていて、温泉の運営者がまとめて納付している。
「なんか……見えてきたな……」
お湯に税金がかかるということは……
あの煮込み鍋の様な茶色い泡の原因は『洗濯』だけじゃなかった。
たぶん税金対策の為に、お湯の入れ替えをケチってるんだ。
「うちみたいな客の来ないボロ宿は、湯を引いても損するだけよ。結構あるぜ? うちみたいな宿」
こ~れ~は~、悪循環だ。
絶対に立ち切った方が良い。
とはいえ、法律を書き換えるわけにはいかない。
となれば……『正常な経営努力』が一番だ。
「その税金っていくらぐらいですか?」
「あん? そりゃ使う量にもよるが、うちだと一回、大銀貨1枚くらいだな」
1万円くらいか……
確かに客が入らないボロ宿に毎日1万の出費はきついな。
「店主さん、その税金……俺たちが払います。だからお湯、引きませんか?」
「あぁ? いや、金払ってくれるなら別にそりゃいいけどよ……風呂は暫く使ってねぇからボロボロだぜ?」
「風呂の改修費用もこちらで持ちます。ですから暫く……10日、いえ、一週間だけでいいですからここに泊めて下さい」
「だ~か~ら~ダメだって。計算合わねえじゃないか。おりゃ、あんたらから一泊大銀貨10枚もらえるんだぜ? 7日間泊めるだけで大銀貨70枚――大損じゃねぇか」
確かにそうなんだけど……
あんた……それじゃダメだろ。
俺たちみたいな『困った飛び込み客』の足元みて商売してるから、こんな状態なんじゃないか……
それじゃ続かないって。
「でしたら……こうしませんか? 明日からこの宿の前で屋台を開きます。その売り上げの半分を7日間毎日納めます。お湯代も持ちます。風呂の改修費ももちろんこちらが持ちます。それで一週間滞在……どうですか?」
「え? 売り上げの半分……いや~、どうなのそれ……そもそも何売るの?」
「ラーメンとチャーハンという食べ物を売ります」
「なにそれ。聞いたことないんだけど……本当に儲かるのそれ?」
よし……喰いついた……
こうなればこっちのものだ……
俺はチラリとヴィヴィに視線を送った。
ヴィヴィはニコリと微笑み「いつでも大丈夫です」と言わんばかりだ。
「試して……みますか?」
「なに? 喰わせてくれんの?」
「ヴィヴィ!!!」
「はい!!!」
――チョロ、カン、ザアッ、チン、ジョバ~! チャッチャッチャッ!
――ジャア! ジャッジャッジャッ! パッカ~~~ン!
「うんめぇ~~~! なんじゃこりゃあ!!! ぐはぁ!!!」
ヴィヴィは速攻で『すまし豚骨バージョン』のラーメンとチャーハンを作り、店主は速攻でその美味さにひっくり返った。
さすがヴィヴィ。
今回は一発で打ちのめす必要がある。通常の『臭い豚骨ラーメン』を封印しやがった。
俺は臭いのが好きだがな!
「痺れたぜ……こんな美味ぇもん、おりゃ今まで喰った事ねぇ。こりゃあ売れるぜ、旦那」
「自信作です……どうですか? 泊めて頂けますか?」
「う~ん、大銀貨70枚かぁ……これ……あんたらが泊っている間、俺にも喰わせてくれるのか? 『タダ』で」
はは! なんだこの店主……思ったより『ちゃんとがめつい』じゃないか。
がめついって事は……交渉が出来るってことだ。
もう一押ししてみるか……
「もちろんです! それじゃ……お願いついでなんですが……もう一部屋、風呂場の近くの部屋を貸していただけませんか? 部屋、空いてますよね?」
「……あんたぁ……何考えてんのか知んないけど……相当がめついなぁ」
あんたもな。
「まあいいや。どうせガラガラなんだ。好きにしな」
「! ありがとうございます! 店主さん!」
「……ヘイルってんだ。一週間だけだからな!」
よし! 何とか口説き落とせた!
「あんた、名前は?」
「たな――」
「たな?」
うわ――ッ! あっぶねぇ……
一瞬気が緩んで、田中蓮と言いそうになった。
「たぁ~な……タぁ~リナ・ギガブラドです」
「タリナ……へぇ、なんだか女みたいな名前だな。まあ、よろしくな」
「は、はい」
タリナ……ごめん……勝手に名前、借ります。
こんなのタリナに知られたらボコボコにされるぞ……
しかし、これでとりあえず1週間は宿に困らないぞ。
1週間あればこの宿を――いや、このマツィーヨの入浴文化を変えてやる。
ふふ、なんか楽しくなってきた。
俺……やっぱこうゆうの好きなんだな。
「タリナの旦那……何笑ってんの? 顔、気持ち悪いぜ?」
「金儲けを考えとるとです。はい」
ばあちゃん……町興しと言ってくれ。




