その3
○登場人物
高瀬修二・たかせしゅうじ(赤ベンジャー、4年2組のリーダー的存在)
土居英雄・どいひでお(青ベンジャー、周りの様子を窺いながら行動する存在)
矢頭照美・やがしらてるみ(黄ベンジャー、周囲の子分的な存在)
中館雅仁・なかだてまさひと(緑ベンジャー、体裁もよく出来る存在)
佐鳥弥生・さとりやよい(桃ベンジャー、向上心の強い豊かな存在)
環由加里・たまきゆかり(4年2組の担任、ドジで天然でおっちょこちょい)
尾上睦実・おがみむつみ(4年2組の新担任、現実的な物の考えで動く)
阿崎棟地・あざきむねじ(環の恋人)
古北・ふるきた(先輩刑事)
畑平・はたひら(後輩刑事)
桜本・さくらもと(4年1組の担任)
合庭・あいにわ(4年3組の担任)
6月11日、神様なんていないんだと確信した。それか、神様が俺らを見放したのか
もしんない。どっちにしろ、俺らが事を知ったのは全てが終わった事実としてだった。
そんなのってないだろ。こんなことして何になんだよ。教えてくれよ、誰か。これか
らは勉強だってキチンとやるからさ。絶対、約束するからさぁ。だから、先生を返して
くれよ。
「この度は大変お悔やみを申し上げます」
体育館で校長から環先生の事件について説明がされた。登壇して一つ一つの言葉を紡
ぐように出していく校長に気をかける余裕はどこにもない。投げ掛けられる言葉を頭に
入れて、それを理解する作業がこんなに難解なものだと初めて気づいた。他のクラスの
やつらは俺らが珍しく真面目に校長の言葉を聞いてるなと思ったのかもしんないけど、
環先生のことを知りたかったのと同時に呆然として動けなかったんだ。だって、まさか
こんなことが起きるなんて思ってもみなかったから。悪い夢なら覚めて欲しい。夢じゃ
ないことぐらい分かってたけど、それでもそう思いたかった。
全校集会が終わって4年2組に戻ってからも誰も口を開こうとしなかった。それどこ
ろか、ほとんどの生徒が下を向いたまま気を落としてる。そりゃそうだ、みんな環先生
が大好きだったんだから。あんな先生、後にも先にもきっともういない。生徒目線で、
一緒に洋服汚しながら遊んでくれて、時には怒ってもくれて。先生っていうより、2歳
年上ぐらいのお姉ちゃんって感じだった。小学校は3年と4年はクラス替えがないから、
もう先生と俺らは完全に姉弟妹っていう関係が出来上がってたんだ。
高瀬修二、土居英雄、矢頭照美、中館雅仁、佐鳥弥生の5人は班が同じだったため、
よく行動を共にしていた。クラスの中では無造作に分けられたいくつかの班があって、
掃除やら遠足やらの時にはその班で動くことが多い。5人は性格も似通っていなかった
けど、それがうまくお互いにない部分を補っていて型にはまったようだ。学校以外にも、
放課後や休日に5人で集まることもあった。小学生だから、遊ぶといっても遠出も出来
ないし、お金を使ったことも出来ない。矢頭の家で対戦型のゲームをやるか、外で体を
動かすことが大半を占めていた。その中でも、頻繁にやっていたのが戦隊モノごっこだ。
なんとかレンジャーっていう、あれ。高瀬と中館は強さへの憧れで、佐鳥は女にしては
珍しくこの手が好きな子で、土居と矢頭は3人に着いて来る感じだったけど自然とノリ
がよくなってきた。なんか、強くなったような気になれるし。2組の教室の中でもふざ
けてやることがあって、これが意外に他のクラスメイトのウケもよかった。そんで、環
先生もそれを見て、私も混ぜてって入ってきたりしたんだ。戦隊は定員があるから、も
ちろん悪役で。普通なら教室でそんなことしないように注意するんだろうけど、環先生
はいつも俺らの遊びに加わって本気でやってくれた。それは俺らにはかなり嬉しいこと
だった。
高瀬は運動だけが取り得で、勉強はろくに出来なかった。出来ないというより、やら
なかった。ただ、とかく小学校ではこういったタイプがクラスの中心的存在になったり
する。良く言えば仕切り屋、悪く言えば威張り屋。どっちに転んでも、彼は2組の中心
人物だった。運動では彼には叶わない、勉強では彼がいるから大丈夫、という物差しと
しても。
高瀬は勉強をしないばかりか、宿題さえもやってこなかった。たまにではなく、こと
ごとく。それは環先生がいくら注意しようと無理だった。先生の発言力にあまり効力が
ないってこともあったけど。
そしたら、いつだか環先生は高瀬にこう言った。
「しょうがないから宿題はやんなくてもいいけど、勉強をしない分だけ体を動かしな
さい。そこが高瀬くんの良いところなんだから」
先生は高瀬に勉強面で他の生徒と同じだけを望むことを止めたんだ。諦めもあったの
かもしんないけど、それよりかは短所を強引に埋めるよりも長所を伸ばしてあげる方を
選んだんだろう。
土居は特にこれといった突出すべき点はなかった。言うなら、普通だった。家は両親
の経営する工場のために貧乏生活を余儀なくされている。あまり儲けがでないみたいで、
利益について考えるより損失について考える方が多い。その中で暮らしてる土居の生活
は質素なもんだった。何が買えないとかそこまで貧困ではないけれど、他の生徒たちと
比べたら一つ一つにおいてレベルが数ランクかは落ちている。
環先生はそんな土居に優しかった。もちろん、2組の全員に分け隔てなく優しかった
けれど、彼に対するのは少しだけ他とは違っていた。給食の時に「もうお腹いっぱいで
食べれない」って言って、まだ手をつけてない分をあげたり。たまたま街中で会った時
に「絶対にみんなには内緒だよ」って言って、駄菓子屋でアイスをおごってあげたり。
同情とは違うだろうけど、きっと先生なりに土居に何かをしてあげたかったんだろうと
思う。
土居も環先生の優しさに素直に甘えてた。親から貰うそれとはまた違うし、同情では
ないと理解していたから。彼は多分、先生に対して母親とは別個の母性を抱いていたん
だろう。
矢頭は体も小さくて、運動神経もなかった。高瀬のような悪ガキ気質の男からしたら
恰好の対象だろう。実際、彼はこの仲良しグループの子分的な存在だった。高瀬は矢頭
へあれこれ頼み事をし、彼はそれを断る勇気を持ち合わせてはいない。断ったところで
殴られ蹴られなどされないが、まぁプロレス技ぐらいならかけられる。ただ注釈として
付け加えるとしたら、あくまで彼らには仲良しグループという前提があるということだ。
こういった関係はあれど、彼らは友情で結ばれている。
環先生は矢頭と気が合った。先生も学生時代は目立たなく、同じようなタイプの女子
と緩やかな友情を育んでいたらしい。決して、一部の女子のように髪を染めたり、制服
のスカートの丈を膝より上にしたり、言葉遣いや生活態度を油断したりする事はせず。
通ずるところのあった2人は端から見ていると変に調子が合っていた。お互いの好きな
話は全然違うのに流れのテンポだけはきっちり揃っていた。矢頭は運動が苦手だが観戦
は好きで、ゲーマーでもあったので、その類の話では盛り上がる。先生は20代女子とい
うことで、ファッションやらメイクやらの話で盛り上がる。全く並ぶ気配のない会話の
調子なのに、何故だが気が合っていた。多分、話している内容うんぬんよりも一緒にい
ることの心地良さの方が勝っていたんだろう。
中館は頭も良くて、運動もできた。理想的といえる素質があるのに、彼はあまり前に
出てくるタイプではなかった。高瀬みたいにクラスのリーダー的存在になれるのに本人
はそれを望んでいない。まだ小学生なのに妙な落ち着きがあって、それは彼の生活環境
におけるものだった。
中館の母親はいわゆる教育熱心な人らしい。幼稚園の頃から習い事を始め、今では塾
にピアノに習字に通っている。塾とピアノは週2回で、一週間のうちの5日は放課後の
時間が潰されている。残りの3日は遊ぶことが許されてるが、門限は決まっていて心の
ゆとりが持てない。こんな展開、彼自身の願望じゃあない。自分はこれでいいんだ、と
諦めに近い決心でやっているだけだ。
そんな小学生らしくない中館を環先生は気に掛けていた。何かを諦めたように生きて
いるなんて、もっと大人になってから経験すればいい。子供はもっと無心に無邪気に目
の前のことにがむしゃらにいればいいんだ。そう言いたかったけど、それは思うよりも
簡単なことじゃなかった。言うだけならいいが、教師の発言として責任が伴わなければ
いけない。彼は現状を受け止めているし、母親のしつけも間違っているわけじゃない。
中館家は現実的なだけで、どちらの言い分が正しいとは言いがたい。彼の習い事は将来
に何かしら繋がるものだろう。しかし、この時期の遊びというのは学ぶことに等しいと
いえる。どうすればいいんだ、と先生は迷っていた。その結果、三者面談で母親にこう
投げ掛けた。
「中館くん、習い事が多いんじゃないかと思います」
「どういうことかしら」
「こんなに時間を埋められたら気持ちに余裕が持てなくなります。もっと、子供には
有意義な時間を与えて欲しいんです」
「それは有意義じゃなく無意味じゃないの」
「無意味な時間も子供には必要なんです」
教育家な母親にも環先生は怯まなかった。内心はビクビクしまくってたらしいけど。
それでも、中館のためにと頑張ってくれた。別に、これによって実際に習い事が減った
りはしないし、かえって母親の反感を買うだけのことでしかない。ただ、この投げ掛け
によって、中館に気持ちの余裕が生まれたのは事実だった。何も言わなくても分かって
くれる大人がいることの心強さは彼を救うには充分だったから。
佐鳥も勉強も運動も出来る子だ。学級委員もやっていて、みんなをまとめたりするの
はお手のものだった。気も強く、よく高瀬とは言い合いになったりする。中館が仲介に
入り、土居や矢頭はその間には入ってこない。仲良しグループにおいて、暗黙の了解の
うちに各場面におけるそれぞれの立ち位置は決まっていた。
佐鳥は環先生になついていた。至らない点は数あれど、2組のために一生懸命になっ
てくれる姿勢に自然と心は寄っていった。学級委員としても接する機会は多かったし、
それ以外でも彼女はよく先生の側にいる事が多い。ファッションやらメイクやらに興味
を持ち出す年頃のため、あれやこれやと質問をする。先生がそんなにオシャレに長けて
いるわけじゃないけど、それでも10歳の女の子に情報を提供するだけのキャパシティ
はある。
「お前、いっつも先生と何を話してんだよ」
こう聞くと、佐鳥は決まってこう返す。
「ふんっ、男子に話すようなことじゃないわよ」
別に、話せないわけじゃないし、話してもどうという内容でもない。なのに、彼女は
隠したがる。一人だけ、大人の階段を歩き出していることへの優越感だろうか。どちら
にしろ、男にはそんなに詮索したくなるほどのことでもない。
そんなふうにして、俺らは次第に環先生が好きになっていった。先生も俺らのことが
好きだって言ってくれてた。毎日が本当に楽しくて、学校に行くことに苦はなかった。
正直、5年生になりたくなかった。この4年2組が無くなっちゃうのが嫌で仕方なか
った。このままでいられないことぐらい分かってたけど、このままでいて欲しい。
その願いは、期限よりもずっと早くに破られてしまった。6月11日、それまで通り
に流れていた時間は止まってしまった。学校に着き、2組の教室に入ると、もう来てい
た半分ぐらいのクラスメイトが全員生気を失っている。そこにいた矢頭と佐鳥も他と同
じように不定な表情をしている。
高瀬は矢頭に近づき、小声で訊いた。
「どうしたんだよ、一体」
矢頭は静かにこっちを向き、高瀬よりも小さい声で答えた。
「・・・・・・環先生が死んでた、って」
衝撃的な言葉だった。ただ、信じるにはあまりにも大きすぎる。
「何言ってんだよ、お前」
半笑いで返したが、矢頭は何も言い返してこなかった。何か言えよ、もっと他に言う
ことがあるんだろ、と自分の中で繰り返したが何も返りはない。周りを見渡すと、2人
のやり取りに耳を向けてる者は誰もいない。それどころじゃない、といった感じだった。
嘘だろ、悪い嘘だろ、みんなして俺を騙そうとしてるんだろ。いろんな未来予報を頭の
中に作ってみる。残念だが、今日はエイプリルフールじゃない。そして、4月1日以外
にこんな嘘をついていい日もない。段々と予報が潰されていく。悪い現実が迫ってくる。
来なくていいのに、一歩一歩と押し寄せてくる。ふざけんな、誰がそんなこと信じられ
るか。
現実と対峙することを余儀なくされたのは一限目の前の小ホームルームの時間だった。
環先生が来るはずの2組に入ってきたのは教頭先生で、その口から語られたのは先生が
亡くなったという事実だった。生徒全員がそんな事実を容易に受け入れられるはずなく、
悶絶するように心内がのた打ち回っている。泣いている生徒も何人かいたが、泣くこと
は出来なかった。泣くことは事実を事実として理解することだと思ったから。嘘だって
誰か言ってくれよ。怒ったりしないから。そう何度も願った。
その日の放課後、中館も揃う数少ない日なのに誰も口を開こうとしなかった。いつも
なら、どこかへ寄ろう、何して遊ぼう、とか尽きるはずのない会話なのに。全員が口を
閉ざしたまま、俯いたままで通学路を歩いていく。気が落ちてる分、背中のランドセル
が重くなってる気がした。
歩き出してから10分ほどが過ぎ、矢頭の家の近くにある公園に着いた。ここに集ま
ることは多い。程よい広さで、遊具も揃っている。近隣の子供たちの遊び場で、夏休み
になると毎朝ラジオ体操の音楽が流れる。5人は端の方にあるベンチに腰掛け、普段な
ら自分たちが遊んでいる遊具の方をぼんやりと眺めていた。
「ねぇ、嘘だよね。こんなのさ」
最初に開口したのは矢頭だった。こんなの、が意味してるものは説明するまでもない。
矢頭、と佐鳥はぶっきらぼうに言う。
「喋んな」
強めの言葉で黙らせる。嘘かどうかなんて考えたくない。環先生はおそらく死んだ。
生きてない先生を見たわけじゃないし、実感は湧かないけれど本当らしい。
ぽっかりと心に穴が開いてしまった。埋める術は知らない。考えられるのは、先生の
あの笑顔だと思う。もう見られないであろう、あの笑顔。見られないから穴は塞がらな
いまま。ねぇ、どうすればいいんだよ。先生さぁ、先生のせいでこんな気持ちになって
んだから教えてよ。俺らはこれからどうやって受け入れればいいんだ。
「俺、誰にも言ってないことがある」
言ったのは中館だった。真意は分からなかったけど、何か大事なことであるのは読み
取れた。関係のないことを言うタイミングじゃないし、それぐらい分かるやつだ。
「言っていいことなのか迷ってて言えなかった」
「何だよ、言えよ」
「俺、昨日の夜に先生のこと見たんだ」
昨日の夜、つまり放課後にさよならの挨拶をした俺らよりも後の先生を中館は見てい
るというのだ。4人とも、完全に彼の一言に引きつけられている。
「塾の帰り、21時前ぐらいだった。昨日は授業の後に先生に個別に教えてもらって
て、ずいぶん時間が遅くなってて。辺りは真っ暗だったし、住宅街の細い道を歩くのは
危険な気がしたから、少し遠回りになるけど多摩川沿いの一本道を通って帰ったんだ。
あの道なら、あの時間でも散歩やウォーキングをしてる人が定期的にいるからさ。そん
で、その道の途中に環先生がいたんだ。例の恋人さんと一緒で、河川敷のところに座っ
てたから俺が一方的に見つけただけだったんだけど」
「そん時はまだ何も変わってなかったんだな」
「あぁ。ただ・・・・・・なんか様子は変だった」
「変って、どういうことだよ」
「先生、恋人さんと言い合いしてたんだ。それも、どっちかというと先生が捲くし立
ててる感じで。結構、怒ってたよ。何を話してるかまでは聞き取れなかったけど」
「それで、その後どうした」
「それは知らない。見ちゃいけない気がして、すぐに立ち去ったし。それに、あそこ
にいて先生に気づかれても気まずいし」
その後が知りたかったが、中舘は攻められない。その後に先生にあんな悲劇が待って
ることを予測しろという方が無理に決まってる。むしろ、自分たちの知らなかった一幕
を知ることができてよかった。気休め程度だが、心の葛藤が和らいだ。
中舘の目撃談は気休めに留まらなかった。彼が目にした光景は、もしかしたら重大な
ことかもしれなくなったからだ。その日、気を落としたままに家へ帰ると、ニュースの
一つとして環先生のことも報道されていた。そこには、全校集会で校長からは語られて
ない部分も映されている。先生が亡くなったのは多摩川の河川敷、前半身を川につける
ようにしてて死因も水死。争った形跡もないが、遺書などもなかったので、事件も視野
に入れた捜査がされている。
報道とともに浮かび上がったのは中舘の言葉だ。彼の目撃談はこの報道に繋がってる。
彼が最後に見たのは多摩川の河川敷で恋人と言い合っている先生。その後に、先生はそ
の多摩川で亡くなった。なんで。なんで、先生はそんな目に。その間に、一体何があっ
たんだ。
事故はないだろう。いくら夜だとしても、川に落ちるなんてことはないはずだ。自殺
だとしたら、原因は何だ。恋人との言い争いでそこまでの衝動に犯される傷を負ったの
だろうか。事件だとしたら、犯人は誰だ。先生を川に落とす理由のあった人間。自殺と
事件、どちらの可能性にしても大きく考えられるのは10歳の俺にでも分かりえた。
「自殺なんかじゃないよ」
翌日の朝の学校、誰も来ない校庭の裏庭で自分の行き着いた考えを話すと佐鳥がそう
言った。
「先生は私たちを残して死んだりなんかしない。殺されたに決まってる」
もしかしてと土居が息を飲むと、結論を断言した。
「そうさ、先生の恋人がやったに違いない」
俺の推理に全員が納得してくれた。中舘の目撃談からして、そう考えるのは最も自然
といえる。環先生は恋人と言い合った後、そのまま川に落とされたんだ。
対象が見つかると、急に憎悪が込み上げてきた。どうして、俺らの先生がこんな目に
遭わないとならないんだ。
「どうする」
佐鳥の言葉に、全員がお互いを見遣る。どうしたいのか、そんなことは考えるまでも
ない。
「こんなことされて、黙って受け入れられるわけない。許せるわけない」
「でも、どうすんだよ。警察に言うのか」
「証拠がないだろ。先生がそいつといた、ってことだけじゃ単なる情報にすぎない。
それに、警察なんかに任せてたまるか」
「どういうことだよ」
「先生が殺されたんだぞ。それを先生のことなんか知りもしない警察に審判を任せて
いいのかよ」
「じゃあ、どうするってんだ」
「何のためのリベンジャーだよ。ここでやんないで、いつやるのさ」
佐鳥は目力を込めて言い放つ。
「あんなもん、お遊びだろ。お前、何考えてんだよ」
「関係ないね。罪を犯した人間に罰がくだるのは当然のことだ」
「そんなの裁判所とかがやるだろ」
「裁判所なんて、警察と一緒さ。先生のことなんか何も知らない。そんなやつが判決
をくだす罰がどれほど意味を持つと思うんだ」
佐鳥は唇を噛み、右手にグッと力を込める。
「この手でやんないといけないんだ。先生が殺されて傷ついてる人間が直接手をくだ
さないと事件は終われない」
他の4人もいつしか佐鳥の目に引き込まれるようになっていた。
それからの数日、高瀬と佐鳥は行動を共にした。先生の恋人、憎むべき相手の行動を
追いかけることにした。佐鳥が言ったように、そいつが先生をやったという証拠がない。
状況からして間違いはないと思うが、万が一にも違うようなことがあってはいけない。
確たる証拠、そのために毎日の学校終わりの放課後に動くことにした。
探偵役に2人が決まったのはあっさりとしたものだった。リベンジャーになるにしろ、
それまでに不審な動きが見つかってはならない。あくまで、変わらない日常を基本にす
ることが第一条件だ。そのため、中舘は習い事があるので不適任となる。大人数で動く
ことは好ましくないので、残りの4人から適任と思われる高瀬と佐鳥が選ばれた。
環先生の恋人の名前は阿崎棟地。普段、先生のことをからかってる時に阿崎について
いろいろと聞いていた。外見はもうちょっとでイケメンというぐらい、小学校から2駅
ほど離れたところにある広告会社で営業をしている。
告別式に出席した際に阿崎と思われる人物を確認しておき、後日に仕事場から帰宅す
る後を着けて行き、住所をつきとめた。それからの行動を追尾し、一週間ほどで阿崎は
ぼろを出した。阿崎は20代後半と思われる女性と親密なデートをしていたのだ。人ご
みに紛れて接近した時に聞こえてきた会話は恋人関係のもので、何度と体を寄り添わせ
ることもあった。阿崎はその女と環先生を二股にかけていたんだ。そして、言い争いま
でした環先生と今そこで親しくしている女性のどちらが本命であるかは分かりえた。先
生は遊ばれていたんだ、この男に。阿崎に関係を断ち切られようとされたか、二股を先
生が発見したのかによって、矢頭が見た言い合いに発展したんだろう。その結果、先生
はあんな目に遭ったんだ。
高瀬と佐鳥は視線の先の男に怒りが込み上げてくる。それは、事実を伝えた時の土居
と矢頭と中舘も同じだった。どうにかしてやろう。先生の死の証拠はなくても、充分に
罰を与えるべき人間であることは確かだ。
時を同じくして、2組には新しい担任が着任した。名前は尾上睦実、細長い体型に短
髪にメガネと勉強一筋のような顔立ちだ。有名大学には、きっとこんな顔の人間がたく
さんいるだろう。とはいえ、新しい担任がやって来ようと生徒たちの気は上がることは
ない。環先生を失った傷はまだ癒えてない。新しい人間を受け入れるだけの心の余裕は
なかった。それを汲み取ってくれればいいのに、尾上はこの対応を快く思わなかった。
数式ばかり解いてきたような男には、感情の行方を察する配慮というものに乏しいよう
だった。
尾上は翌日にいきなり家庭訪問をすることを切り出した。生徒一人一人と話をする機
会が欲しいというのは尤もだったが、その後の発言は聞き捨てならないものだった。
「みんな、環先生のことは忘れなさい」
なんてこと言うんだ。先生のことを忘れろ、なんて言葉をよく口にできるな。いくら
生徒たちが気落ちしてるから、自分の方へ近寄ってこないからといっても常軌を逸して
いる。俺らにとっての環先生がどれだけの存在か知りもしないのに軽はずみなこと言い
やがって。
「あの野郎、先生を何だと思ってんだ」
放課後、集まった5人は口を揃えて尾上に敵意を向き出しにする。
「あの人、環先生の私物を処分してたよ」
佐鳥は尾上が教員用の机にあったメモ用紙や花や本や書類などの先生の私物を処分し
ているところを目にしていた。
「マジ許さねぇ、尾上」
怒りは限界に達しようとしていた。何も知らない分際で知ったような口を開く尾上を
どうにかしてやりたくなる。
「あいつは先生を侮辱したのも同然だ。だから、あいつも標的だ」
佐鳥の言葉に全員の気が向く。標的、阿崎だけでなく尾上も。一体、どうやるという
んだと思っていると、彼女から提案が為された。それは2人に一遍に制裁を加える方法
だった。
3日後の夜、19時に5人は矢頭の家の近くにある例の公園に集合した。こんな時間
に集まるため、親には中舘の家でお泊り会をすることにしている。以前も矢頭の家に泊
まったことがあったので、親に疑われることはなかった。そして、その中舘は塾の帰り
にそのまま公園へ来た。5人には親同士の交流もあったが、中舘の親だけはあまりその
輪に入ることは少ない。仲良しグループは大いに良いが、それで息子の方向性がずれな
いように深く浸かることは避けていたから。なので、お泊り会という名目で出て来たに
しても、親同士の会話でバレてしまってはならない。だから、泊まり先は中舘の家にす
るのがベストだった。そうすれば、親のラインで漏れる可能性は少なくなる。中舘自身
はお泊り会の件は親には話していない。彼の場合、親に反対されるかもしれない。そこ
で変に怪しまれないようにするため、彼には塾が長引いて帰りが遅くなったことにして
もらう。
待ち合わせに最初に来たのは高瀬と佐鳥だった。数分後に矢頭と土居も現れた。驚く
べきことに、車に乗ってだ。運転席から土居、助手席から矢頭が降りてくる。
「お前ら、ホントにやったのかよ」
「まぁ。めちゃめちゃ緊張したけどね」
土居と矢頭には大きな任務が任されていた。それは、今日この公園にその車を出して
来る事。グレーの中古車、尾上の私物だ。尾上に制裁を与える上で、彼と阿崎に同じ罰
をくだすつもりはなかった。尾上のやったことは許せないが、そこまでの重罪を与える
ほどでないことは分かっている。だから、彼には一時の心の傷を負ってもらう。理不尽
な進行、謎の展開、せいぜい頭を悩ませてもらおう。どんな罰をくだすかを悩んだのち、
行き着いたのは尾上の必要不可欠なものを犯行に使うことだった。彼の物を傷物にし、
それを犯行に使用して疑いを向けさせる。物はすぐに尾上の乗用車と決まった。しかし、
それを実行するには大きな壁がある。車をどうやって持ち出すか、ということだ。そこ
でも小学生なりに無い知恵を振り絞った。学級委員で担任と接する機会の多い佐鳥が注
意の薄い時を見計らい、車の鍵をデスクから取り出す。早退して学校を抜けた高瀬が鍵
を放課後までに合鍵と2つにして持ち帰る。元の鍵をまた佐鳥がうまく元に戻す。合鍵
を使い、仕事終わりで自宅マンションに帰った尾上の車を駐車場から土居と矢頭が持ち
出す。両親が工場に勤めてる土居は何度と現場を訪れて様々な工具と触れ合う機会があ
ったらしく、そういった機械系に興味も多く抱いていた。車もその一つで、知識は持ち
合わせていた。矢頭はゲーマーで、もちろんレース系のも多くやってきている。ゲーム
と現実は違うが、体で感じてきたフィーリングは確かだ。この2人が揃えば、乗用車を
運転することも出来るんじゃないかと予想した。大きな賭けではあったけど、この賭け
に乗ってみようと決めた。土居と矢頭は仲間内で目立つ方じゃないけれど、俺らは2人
を信じている。人間、みんな持ってるものは違う。俺らにないものを2人は持っている。
信じられないで何が友達だ。そう心に決め、彼らに託した。そして、2人は見事にここ
まで車を運んできてくれた。高瀬と佐鳥は笑顔で2人を迎えた。
中舘は19時を過ぎた頃に現れた。土居と矢頭は車で先回りし、他の3人で目的地へ
と向かう。
『19時半、多摩川の環由加里が亡くなった場所にて待つ。来なければ、お前の全て
を警察へ明かす』
阿崎へと送信したメールだ。これを見れば、まず間違いなく現場へ来るだろう。来た
ことが、警察へ明かされては困る事があるということにもなる。
予感は的中した。指定時間を5分ほど過ぎた頃、阿崎は多摩川沿いの一本道に現れた。
不可解といった感じで恐る恐る歩いている。高瀬と中舘と佐鳥は高架下の柱の影に隠れ、
その様子を窺う。お互いの顔を見遣る。覚悟はもう決まっている。
何が起こるのかと不穏になる阿崎へライトがたかれる。道の先にある乗用車にはまだ
10歳の子供が乗っている。土居と矢頭の目も強いものになっていた。土居の踏んだア
クセルで車は力を満ち、一気に走り出すと標的の阿崎を突き飛ばした。衝撃で阿崎の体
は一本道を外れて、雑草だらけの傾斜を転がり落ちる。傾斜と多摩川の間の数mの平地
に止まった傷体はゆっくりと動いていた。周囲の住人にバレない程度の速度だったため、
そこまでの致命傷には至らなかったようだ。
高瀬と中舘と佐鳥は傷体の阿崎を囲み、高架下の柱の影に無理に引きずって運んだ。
雑にその体を放ると、阿崎はこちらを見て疑問の目をしていく。彼からすれば、こちら
の事なんて知りもしないだろう。まして、小学生に囲まれてるのだから意味を探すのが
難解なのは当然といえる。その間に、土居と矢頭も車を乗り捨ててこちらへ来た。
「何なんだ、お前ら」
気力のない声を阿崎が絞る。
「俺らはリベンジャー」
「はあっ」
訳が分からないという反応をした阿崎が正解だろう。普通、お遊びでやっていた戦隊
ごっこをこんなところにまで使う子供なんていない。
「環先生の無念に仕返すためにやってきた」
「何だと」
「俺らは全て知っている。環先生が死んだ夜にお前が先生とここで言い合っていた事、
その後にお前が先生にした事も」
阿崎は傷跡を押さえながらこちらを見ているだけだった。返答はない。それはこちら
の言葉に偽りのないことを認めるものだといえる。
「お前は先生を俺らから奪った。だから、同じ目に遭ってもらう」
最初の一発は高瀬が行った。この5人からして、先陣きるのは自分だろうと思ってい
たから。他のやつらが行きやすいように、まずは一発一発と鉄製の棒で阿崎を殴りつけ
ていく。
「お前らもやれ」
数発殴った後、振り返って4人にけしかける。だが、どうも動きが鈍い。やってやり
たい気持ちは強いが、いざという場面になって人間としての自制心や極限に直面しての
怯みが出てしまってる。
「環先生の仇だぞ。忘れたのか」
そう言うと、4人の顔が変わる。怯えで思考から外れてしまっていた憎しみが宿り、
その対象へ再び向けられる。用意しておいた錆びれた鉄製の棒を中舘が掴み、阿崎へと
振り下ろす。それに佐鳥も続き、土居と矢頭も決意を固めたように追った。すぐ向こう
に並ぶ住宅街から死角になる高架下の柱の裏で、5人はこれでもかと憎悪をぶつけまく
った。全ては環先生のために、という一心で。壁際にもたれた阿崎の意識が無くなるの
に時間は掛からなかった。
阿崎を殺めた後、凶器の鉄製の棒は多摩川へ捨てた。そして、尾上の車はそのままに
して逃げるように散っていった。家に帰ってからも、腕に残る異様な感触が離れること
はなかった。あの状況を思い出さないようにと気を張ったが、興奮はおさまらずに寝つ
けはしなかった。
翌日の夜、5人は警察に逮捕された。一応、現場に指紋は残さないようにと気をつけ
はしたが無理だったようだ。こうなることも覚悟はしていた。小学生の考えるような策
が通用しないだろうとも思っていたし、なにより環先生の仇を取る目的を果たせた時点
で納得はしている。
朝のうちに、現場にあった車から尾上が警察に連れていかれた。容疑は向けられたが、
加害者ではないだろうとされた。まぁ、これだけあれば、あいつの心に苦しみは充分に
与えられただろう。そして、教え子が逮捕されたとなれば余計にだ。
警察は環由加里の事件を自殺と他殺の両方から追っていた。もし他殺ならば、親交の
ある人間か学校関係者だろうという見解だった。その中で、今度は環の恋人である阿崎
が殺された。明らかな他殺であり、現場には環が担任を務めていた4年2組の新しい教
師の尾上の車があった。しかし、尾上には2人に接点もなく、話している様子から事件
には無関係であろうとされた。となると、共通点として浮かび上がるのは4年2組とい
う点になる。そこを調べた結果、死亡推定時刻に5人の生徒の姿が夜遅くにかかわらず
家になかったことが分かった。5人を警察へと引っ張り、事件について訊くとあっさり
と犯行を認めた。理由は担任の環由加里を殺したから、という驚くべきものだった。
5人の小学生が行った事件は衝撃を与えた。報道も大きく取り上げ、親御は泣き崩れ、
学校は事実を受け入れがたいという状況だ。それに対し、当の加害者たちは周囲に比べ
ると冷静さを保っている。担任の仇討ちという犯行理由は本当なんだろう、と思わざる
をえなかった。目的が達成されたことで、彼らは満足しているのだ。この事実をどうす
るべきなのか。こんなにも愛される教師がいることは喜ぶべきなのだろうが、この結末
を見てしまうとそう思いきれない。ただ、この教師と生徒の関係性を否定してしまうの
も違う。人間の関係とは難しいものだ。彼らと接しながら、古北と畑平は心底に考えさ
せられた。
「リベンジャー」は今回の更新で終了となります。
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