拒絶
■拒絶
ところ変わって港町オイゲンにある小さなレストラン。俺とヘルシカは、ギャングに襲われていた謎の少女と人形と共に、落ち着ける場所で話そうということでここまで移動してきた。レストランの端にある目立たない席に座る。
「ここなら周囲の目を気にせず話せるかな……あ、私の奢りだから好きに頼んでいいわよ」
「「やったー!」」
俺と人形が同時に飛び上がる。
「じゃあ、俺ハンバーグな!」
「君、今猫でしょ? 玉ねぎ食べたら死んじゃうよ」
「ボクもハンバーグ!」
「君はそもそも人形なんだから食べられないでしょ……」
ヘルシカは俺と人形に適当なツッコミを入れつつ、メニュー表を見て固まっている少女に声をかける。
「そっちのメニューにはお子様ランチ載ってないよ?」
「む……子供扱いしないでなの。ミーシェは立派なレディなの」
「ミーシェ?」
「……ミーシェは名前なの」
「へえ、素敵な名前だね? そういえば自己紹介がまだだったね。私はヘルシカ。それでこの黒猫がユーリ」
「黒猫じゃなくて本当は人間だけどな」
「……どういうことなの?」
少女が興味津々なようすで俺を見てくる。
「ううん、気にしないで。ユーリもややこしくなるから、ちょっと黙ってて」
「ういー」
俺はヘルシカに言われた通り口を閉じると、まだ自己紹介をしていない人形へ目を向ける。
「あ、ボクはメアリー。ミーシェの友達さ」
人形――メアリーはそう言って、ミーシェの周りを楽しそうに飛ぶ。ミーシェもどこか楽しそうだ。
「なあ、ヘルシカ」
「あなたの想像通りよ」
最後まで聞かずとも俺が言わんとしたことが伝わったのか、ヘルシカが言葉を遮るように肯定する。やはり、あの喋る人形こそが件の至宝らしい。
「さて、注文は決まったかな?」
「……お、お子様ランチでお願いするの」
「立派レディはどこ行ったんだよ」
「立派なレディへの道は厳しいの」
やがて、注文した料理が運ばれてきて、しばらく黙々と料理を口へ運ぶ。それから食事が終わった後、俺はミーシェの膝の上に乗せられていた。
「ふ、ふああぁ……ね、猫ちゃんがミーシェの膝に乗ってるの。モフモフなの。可愛いの」
「あはは、よかったねミーシェ? 夢が叶って。ボクもなんだか嬉しいよ」
メアリーの言葉に俺は首を傾げた。
「猫を膝に乗せるのが夢だったのか?」
「そうなの。でも、ミーシェはあまり動物に好かれないから……」
「なるほどなぁ」
「ふふ、初めて乗せた猫ちゃんが喋る猫ちゃんなんて、ミーシェはすごいの」
「あ、そこ撫でられるの気持ちいい……」
「ここなの?」
「そうそう……にゃあぁぁ……」
ああ、なんだか気持ち良くて眠たくなってきた……。
「そうしていると、すっかり猫そのものだね?」
「!」
俺はヘルシカの声で我に返った。
危ない危ない。うっかりあのまま猫に身を落とすところだった。
「それにしても、ミーシェちゃんとメアリーはずいぶんと仲がいいんだね」
「ミーシェとメアリーは親友なの。当然なの」
「そうさ! ボクたちは親友だからね!」
「ふーん……でも、ミーシェちゃん。この際、はっきりと言うけどメアリーはとても危険な代物なんだ」
ヘルシカはここから本題に入り、至宝のことやそれを狙う者のことをミーシェに話す。
「だからね? ミーシェちゃんのためにも、メアリーを回収させて欲しいの。だから、お願い……メアリーを私に渡してくれないかな?」
「――」
ヘルシカが話し終えた後、ミーシェはすぐに言葉を発さなかった。しかし、俺を撫でていた手は止まり、それどころか爪が肉に食い込むほど強く握り込まれていた。これは――。
「……お姉さんも、ミーシェからメアリーを奪うつもりなの?」
拒絶。
先ほどまでの雰囲気が嘘かのように、シンッと静まり返った店内に冷たい空気が満ちる。ミーシェとメアリーは互いに寄り添い、ヘルシカを睨みつける。その瞳には明らかな敵意を感じられた。
「……お姉さんは悪い人じゃないから何もしないの。でも、もしメアリーをミーシェから奪うつもりなら――容赦しないの」
すっといつの間にか先ほど食事で使っていたステーキナイフが、ひとりでに浮いてヘルシカの首元に突きつけられていた。
ミーシェは俺を優しく床に降ろすと、メアリーを抱いて席を立ち、店を後にする。彼女が店を出ると同時に、ヘルシカの首元にあったステーキナイフが音を立てて床に落ちた。
「……ふう、どうも一筋縄じゃいかないみたいだね」
「かっこつけてるところ悪いけど、声が震えてるぞ」
「だって首元にナイフだよ? そりゃあチビっても仕方ないでしょ?」
「チビったのかよ!? いや、嘘だな! だって臭いがしないし!」
「うわっ……臭いで判断するのはさすがにちょっと……趣味悪すぎない?」
「猫だから嗅覚が敏感なだけだよ!? そんな趣味はねぇ!」
「冗談はさておき困ったことになった」
ヘルシカは顎に手を当てて考え込む素振りを見せる。
「どうするんだ? もう強引に奪うか?」
「相手がギャングのような輩ならそれもいいけど、年下の女の子が相手だと気が引けるなぁ」
「だけど、そんなことも言ってらんないだろ?」
「それはそうだけど……少し気になることがあるんだよね」
「気になること?」
「うん……あの子のあのようすから察するに、かなり人形に依存しているように見えなかった?」
言われて思い返してみると、渡すよう要求した際の変わりようは尋常のものではなかった。
「親友って言ってたし、それだけ大切だってことじゃないのか?」
「そうだね。でも、あれは大切というより私には依存しているように見えたかな」
「根拠はあるのか?」
「あの子、おそらく心になんらかの問題を抱えていると思うの」
突然、何を言い出すかと思えば……。
「さっき会ったばっかりで、なんでそんなこと言えるんだよ?」
「ふふん? 初対面で少し話せば相手のことって結構分かるもんだよ?」
「じゃあ、心に問題を抱えてると思う根拠はなんだよ?」
「気づかなかった? 彼女の体、やたら生傷が多かった」
「え、そうなのか……?」
「服の上から分かるのは首筋と手首、そして足だけだけど。その部位だけでもかなりの生傷があった。きっと体にも相当あると思う」
「ぜんぜん気づかなかった……でも、生傷が多いってなんでなんだろうな」
言って、ふいに過去の記憶が脳裏に走って少しばかりいや気分になった。
「……」
「ん? どうかした?」
「いや……ミーシェの生傷が多い理由、もしかしたら家庭環境の問題なのかなと」
「んーその可能性もあるかもしれないけど、おそらく違うかなぁ」
「なんでだよ?」
「顔に傷がないから、おそらく自傷行為だと思う」
「自分で自分を傷つけてるっていうのか……?」
「うん。彼女の爪の中に血があったから」
「……お前、よくそんなところまで見てるな? なんかちょっと怖いんだけど」
「ふふ、どう? 私のプロファイル能力は?」
「ちなみに、俺のプロファイルはどんな感じなんですかね……?」
「そうだねぇ。年上好きで、しかもケモ耳っ娘が好きでしょ?」
「なんでそれを!?」
「この前、本屋さんの十八禁コーナーで熱心にその棚を見上げてたじゃん」
「……」
穴があったら入りたい……!
「あ、もしかしてケモ耳っ娘が好きだから猫耳を着けたの?」
「ちげぇよ!」
実はちょっとそういう考えもあったけれど、俺は自分の名誉のために嘘をついた。
閑話休題。
「まとめると、ミーシェちゃんは心になんらかの問題を抱えていて、人形に依存している状態。仮に、強引に人形を奪ったとしたらミーシェちゃんが自暴自棄になって何をするか分からない」
「下手をしたら自殺とか、そういうことも可能性としてあるわけか」
「そうなったら寝覚めが悪いでしょ? だから、強引な手段は今のところ除外だね」
「うーん、だけどこのまま手をこまねいてても仕方ないだろ? どうするんだよ?」
「うーん……ひとつだけ考えがあるんだけど……これは正直、君の負担が大きいから……」
「なんだよ? 遠慮せず言えよ。俺たち……俺たち……? なあ、俺たちの関係ってなんだ?」
「え、急に何?」
「だって、友達ではないし、仲間ってのもなぁ? 俺たちの関係って一時的なものだから違うような気もするし」
「あ、言われてみれば……それならご主人様と飼い猫ってことにする?」
「なあ、お前さ? 俺が人間だってこと忘れてないか?」
「それで、話の続きだけど」
「聞けよ」
「君、アニマルセラピーって知ってる?」
「たしか、動物を使った治療法だったか……? って、まさか俺にやれってか?」
「その通り」
マジかよ。
「ミーシェちゃんの心の傷を治して、人形への依存を解消して回収する……大まかなプランはこんなところかな」
「なるほどなぁ」
「でも、おすすめはしない。ミーシェちゃんは幸い、君のことを気に入っているから危険は少ないけど、それでも危険な目に遭う可能性はある。君のことを守ると言った手前、そんな危険に晒すのはねぇ……」
「なるほどな……まあでも、今はそれしかないんだろ? だったらやるよ」
「……ユーリ」
「それに多少の危険なら大丈夫だ。俺はなんたって猫だからな! 銃弾も避けれるんだ。たいていの危険なら大丈夫だろうよ」
「ねえ、君こそ自分が人間だって忘れてる節がない? 大丈夫?」
「ちゃんと覚えてるっての」
「ふふ……ありがとね。ユーリ」
そう素直に言われると照れる。
「今回は君への負担が大きいわけだし、上手くいった際には何かご褒美をあげなきゃだね」
「ご褒美?」
「うん、なんでも言って? 私にできることならなんでもするよ」
「マジで!? なんでも!?」
なんでもというのは、つまりなんでもってことですよね!?
それなら――。
「俺とキスしてください!」
「うわぁ……」
見事なまでのドン引きである。
「たしかに、なんでもするって言ったけどさ? そこまでストレートに自分の欲求に忠実だとさすがに引くんだけど……」
「ばっ……ちっげぇよ! 俺はただ人間に戻りたいだけだ!」
「ふーん? ただ人間に戻りたいから私とキスをしたいだけだと? 失礼だなぁ」
「はいはい、嘘だよ。本当はキスしたいだけだよ」
「うわぁ……」
ドン引きである。俺にどうしろと?
「でもいいよ? キスなら今してあげる」
「え?」
「ご褒美の前払いだよ、前払い」
「マジで!? つーか、結構すんなりしてくれるんだな。前は恥ずかしいのなんの言ってたのに」
「ああ……あれは嘘」
「嘘なのかよ」
「かまととぶってた方が男子って好きでしょ?」
「考え方が酷い」
「ほら、キスするから目を閉じて? さすがに見られながらするのは恥ずかしいし」
「わ、分かった」
俺は素直に目を閉じてヘルシカのキスを待つ。しばらく待つと、ちゅっと俺の額になにかが触れる感触がした。
「……は?」
「ふふん? 私、唇にキスをするなんて一言も言ってないよ?」
「てめぇこの野郎! 唇じゃねぇと人間に戻れねぇだろ! ふざけんな!」
「そんなに怒らないでよ〜。アニマルセラピーのことを考えたら、今は猫の君じゃないと困るでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「だから、ちゃんと事が終われば唇にキスしてあげるから。だから、今はこれで我慢して?」
「分かったよ……」
かくして俺はミーシェ攻略という大仕事を任されることとなったのである。