矛盾
■矛盾
「おい、ヘルシカ。いつまで歩くつもりだよ」
あれからおよそ一時間。俺はヘルシカの後ろを歩き続けていた。すっかり、辺りも暗くなっている。猫は夜目が効くというが、たしかにこの暗さでもなかなかよく見えていた。
「子供じゃないんだから、もう少し頑張って」
「俺、今日は車に轢かれかけたり、カラスに襲われるわ、挙句の果てには黒服に追い回されたからもうヘトヘトなんだよ。つーか、腹減ったぁ」
「我が儘な猫くんだなぁ。仕方ない……私の今日の夕飯を分けてあげる」
ヘルシカは言って、どこからともなくシーチキンの缶詰を出した。
「結構質素な夕食だぁ。てか、今、どこから出したんだ?」
「それより、食べながらでいいから移動するよ」
「いいけど……ずっと移動しっぱなしなのはなんでだ?」
「追われてるから」
「追われてる……?」
はて、一体誰に?
そう尋ねようとした時だった。
「がーはっはっは! 見つけたぞ!」
という野太い声が夜空に轟き、反射的に上を見ると民家の屋根上から何かが落ちてきた。俺とヘルシカは前方に跳んで辛うじて回避する。
「な、なんだ一体!?」
「いいから走る! この狭い路地じゃこっちが不利!」
「わ、分かった!」
一瞬、銀色の騎士甲冑を見えた気がしたが――促されるがままに、ヘルシカの後ろを付いて走る。すると、広い空間に出た。周りは民家の壁に囲まれており、完全な袋小路になっているため逃げ場はない。
「おい、こんなところに逃げ込んでいいのかよ? 完全に逃げ場がないじゃないか」
「路地よりはマシだよ」
「……さっきのがお前を追ってるってやつなのか」
「何か勘違いしているようだけど、追われているのは君の方だよ」
「え? 俺?」
「相手はさっきの黒服の元締め」
「元締め? なんの?」
「ここら一体を縄張りにしているギャングの」
「……」
なるほど、道理でここらの道に詳しいわけだ。それにギャングなら、銃を躊躇なく撃つなんて朝飯前だ。
「でも、なんで俺が追われないといけないんだ?」
「この世界にはね。至宝と呼ばれる不思議な力を持った財宝があるの」
「は? なんだ急に?」
「君、何か拾わなかった?」
「え? 何かって……猫耳を拾った」
「それが至宝だよ」
「ええ!? 普通に道端に落ちてましたけど!? そういう代物なのか!?」
「あれはギャングたちに奪われたものを私が取り返したんだけど、逃げてる途中で落としちゃって」
「で、それを俺がたまたま拾ってしまったと?」
「イエス」
「つまり、俺が猫になってしまったのは、あの猫耳が至宝とやらだったからなのか……」
「そういうこと」
なるほどなるほど……。
「ちゃんと管理しておけよ! おかげで俺、猫になっちゃったんぞ!? めちゃくちゃ怖い目に遭ったんだぞ! 裁判所に訴えてやる!」
「でも、落としものを拾うだけならまだしも、頭に着けちゃったのは君の責任でしょ? なんなら私が窃盗罪で訴えたいところなんだけど?」
「たしかにそうでした! ごめんなさい!」
俺が平謝りしたタイミングで、俺とヘルシカが走ってきた道からガシャガシャと音を立ててそれは現れた。
月明かりを反射する銀色の騎士甲冑。肩に直剣を担ぎながら、俺たちの前で立ち止まる。
「ふぃ〜この鎧、頑丈なのはいいが重くて走りにくいのが難点だぜ」
再び野太い声。おそらく鎧の中にいるのは男なのだろう。
「こいつがギャングの元締めなのか……? 全身鎧な上に、剣持ってるけど」
ひと昔前までの時代遅れなファンションみたいなもので、今じゃ重いくて動きにくい鎧なんて使われていないし、ましてや剣よりも殺傷能力の高い銃がある時代において、全身鎧など前時代的だ。
「あの鎧は至宝の【アイギスの鎧】。そして、あの剣は【アステラの直剣】だね」
「あれも至宝なのか」
つまり、俺が拾った猫耳と同じように不思議な力を持っているということなのだろう。
「がーはっはっは! ようやく追い詰めたぞ! 貴様が奪った至宝を返してもらうか!」
「言いがかりも甚だしい。奪ったのはそっちでしょ?」
ヘルシカは叫ぶや否や、スカートを翻してふとももに仕込んでいたらしい短銃をホルダーから抜き放ち、問答無用で鎧男に発泡。しかし、銃弾が鎧に着弾した直後、甲高い音ともに銃弾が明後日の方向へ弾かれてしまう。
「お、おいおい! 銃弾を弾く鎧ってマジか」
しかも、銃弾が直撃したはずなのに凹んですらいない。
「あれが至宝【アイギスの鎧】。着用者をどんな攻撃からも守る最強の鎧」
「がーはっはっは! 蚊に刺されたようなもんだなぁ!」
鎧男は兜の奥で高笑いを上げながら、担いでいた直剣を振りかぶる。
「っ! 猫くん! こっち!」
「!」
ヘルシカの声に反応し、彼女の方に向かって飛び込む。ヘルシカは飛び込んだ俺を胸に抱き抱えると、鎧男の横を通り過ぎるように跳躍。直後、先ほどまで俺たちがいた場所に向かって鎧男が直剣を横薙ぎに振るう。刹那――スパンッとまるで果物を切るような感覚で、直剣を振り抜いた延長線上の民家が切断され倒壊する。
ガラガラと粉塵を巻き上げながら崩れる建物を背景に、鎧男は「がーはっはっは!」と再び高笑いする。
「おい、なんだこりゃあ……」
「あれが【アステラの直剣】の力ね。万物を切り裂く最強の剣なんだ」
「最強の鎧に最強の剣って無敵かよ」
「それより、猫くん。女性の胸に飛び込んでくるのは感心しないなぁ」
「あの状況じゃ仕方なくね?」
「えっち」
「不可抗力だろ!?」
「おいおい、呑気におしゃべりなんかしてんじゃねぇよっと!」
再び鎧男が剣を振るう。ヘルシカは俺を抱えたまま横に跳んで斬撃をやり過ごす。どうやらあの【アイギスの鎧】とやらは、防御力こそ高いものの、代わりに相当動きが鈍重になってしまうらしい。先ほどから鎧男の動きがのろいため、思っているよりも簡単に避けられる。とはいえ、斬った延長線上の建物を綺麗に切断してしまう剣の威力は、さすがに恐ろしい。
「もう辺り一帶がめちゃくちゃじゃないか……これじゃあ何人死んだか……」
「それは大丈夫。こうなることを予想して、ここら一帶の住民はあらかじめ避難させておいたから」
「え? いつ?」
「君が黒服に追われてた時」
「ええ!? じゃあ、お前もっと早く俺のこと助けられたのか!?」
「うん」
「あんまりだ」
「でも、ちゃんと助けたでしょ?」
「それはそうだけど……」
「ったく、ちょこまかと動きやがって」
「っ!」
ヘルシカは鎧男が突っ込んできたのを見ると、逆に自ら鎧男に向かって走り寄り、大きく跳躍。鎧男の頭を踏み台にするかのように空中で一度踏みつけて、鎧男の背後に着地して後退する。
「さて、正直困ったなぁ。どう倒そうか」
「え? 倒せないのか? さっき黒服を倒したみたいな感じで、えいやって具合に」
「【アイギスの鎧】で守られてるからね」
言われてみれば銃弾すら弾く鎧なのだから、打撃を加えたところでダメージは与えられないか。
「なら、なんかあいつを倒すいいアイデアないのかよ?」
「それを今考えてるの。というか、君も一緒に考えて」
「え? 俺も?」
「もし、倒すアイデアが思いつかなったから、ここで仲良く死ぬことになるよ?」
「マジかよ。さすがに、俺童貞のまま死にたくないんだが」
「君の下半身事情はどうでもいいから、死にたくなければとにかく考える」
「そんなこと言われても至宝の話なんて今さっき聞いたばかりで、正直八割ほど理解できてないし……」
「いいから、今は猫の手でも借りたいの」
「猫だけに?」
「は?」
「……」
そんなに睨まなくいてもいいじゃないですか……。
俺はヘルシカに蔑んだ目を向けられながらも、猫なりに必死に頭を働かせて考える。その間、ヘルシカは俺を抱えたまま、迫り来る鎧男の攻撃を掻い潜っていた。そうして一分ほど思考を巡らせていると、先ほどのヘルシカの言葉を思い出した。
「……最強の剣に最強の鎧か」
「はあ……はあ……何か思いついた? さすがに、いくら相手の動きが鈍重と言えど、防戦一方では体力が持たない……」
「思いついたっつーか、ちょっと疑問に思ったんだけど」
「なに?」
「お前、矛盾の話は知ってるか?」