道端に落ちている猫耳を拾ってみた
■プロローグ
吾輩は猫である。名前はユーリ。
突然だが、こんな言葉を知っているだろうか。
猫に小判。
要は、価値の分からない者に高価なものを与えても無駄だというたとえだ。正直、そういうことは猫になってから言ってもらいたい。猫だって小判の価値くらいは分かる。同じたとえで、豚に真珠という言葉がある。正直、そういうことは豚になってから言ってもらいたい。豚だって真珠の価値くらい分かる。
だから、俺には目の前にいる金髪の彼女が――小判や真珠なんてものが霞んでしまうほどに、美しいということが分かるのだ。
戦いの後の汗ばんだ額に張り付く前髪。そよ風に揺れる後ろ髪からふわりと流れる彼女の香りが、俺の鼻腔を擽る。なまじ人の時よりも敏感な嗅覚に彼女の甘い匂いは、嗅ぐだけで頭がクラクラしてしまうほど刺激が強い。
彼女は黒を基調としたゴシック調のドレスについた汚れを払う。そして、地べたに座る俺にその真紅に輝く瞳を向けると――。
「君、私と一緒に旅をしない?」
四月。春の陽気な暖かさが残る夜のことであった。
ひょんなことから黒猫となってしまった俺は、金髪の少女と旅をすることになった。
第一章
■道端に猫耳を落ちてたから拾ってみた
縦長の大陸の中心から東に目を向けると、広大で肥沃な平野が広がっている。その平野を牛耳っているのは、大陸でも一二を争う大国――フェルゼン王国である。東に広い海と、西には鉄や金などの豊富な鉱石資源が取れる山が広がる。かつて槍を振り回し、弓で敵を射殺していた時代よりいち早く、フェルゼン王国が近代国家として名乗りを上げられたのは、この豊富な資源ゆえだろう。
今では交通手段として列車や船が一般化し、自動車なんてものも出始めた。すでに人は空にも手を伸ばしている。近いうちに空の旅ができるようになるかもしれない。
そんな豊かな資源を持つ大国――フェルゼン王国にある王立学校高等部二年に、俺は在籍している。
学校で授業を受けて、級友と親睦を深めて、授業が終わればいつも通り家に帰る。そんな毎日を繰り返し続け、今日もいつも通り家までの帰路を歩いていた。そんな時――俺は道端に落ちている猫耳を見つけた。
はて、誰かの落とし物だろうか。いや、猫耳の落とし物ってなんだよ。
なんてひとりで内心ツッコミを入れつつ、おまわりさんに届けてあげようと猫耳を拾い上げた。よく考えたら、猫耳を届けられてもおまわりは困ってしまうだろうが――ともかく。
俺はしばらく猫耳を眺めた後、なぜか分からないが着けてみようと思った。なぜ道端に落ちていた猫耳を着けてみようと思ったのか分からないが――まあ、猫耳だし。頭に着けるものだし――なんてよく分からない言い訳を自分にして、猫耳を頭に着けた。
すると、気がつけば体が猫になっていた。何を言っているのか分からないと思うが、俺にも分からない。ただ。事実としてお店のショーウィンドウに反射する俺の姿は――綺麗な毛並みをしたそれはそれは立派な黒猫であった。
「どうしてこうなった」
俺は天を仰いだ。
見上げた今日の空は、腹が立つほどの晴天であった。
猫になってみて分かったことがある。普段、二足歩行だからか四本の脚で歩くのが難しい。慣れるのに時間がかかった。それとヒゲ。バランスを取るのにとても便利なのだが、これも慣れるのに時間がかかった。
あと、人間の世界がとにかく危険で溢れていることを知った。車はもちろん、ただ人が歩いているだけでも猫からしてみれば脅威だ。危うく俺は尻尾を五回ほど踏まれかけた。
言うまでもなく猫にとっての危険は人間だけではない。同じ猫でも、野良猫は縄張り意識が強いみたいで、うっかり縄張りに入った俺を一時間くらい追いかけ回してきた。めちゃくちゃ怖かった。
そんなこんなで、人に踏まれかけたり、猫に追いかけ回されたり、挙句にはカラスに襲われたりと散々な目に遭いつつ、命からがらに逃げ延びて――気付けば日が暮れていた。
「はあ……まさか人が猫になるなんてことが、現実に起こるとはなぁ」
と、俺は呑気に夕焼けの染まる空を見上げながら呟く。そう――どうやら俺は人間の言葉を話せる猫らしい。猫らしく「にゃあ」と鳴くこともできるし、人らしく流暢に「こんにちは」と喋ることもできる。
ちなみに先ほど、仕事帰りの男性に「こんにちは」と声をかけてみたところ、
「ひっ!? 化け猫!? こ、殺されるぅ!?」
という具合に怯えられてしまった。失敬な。誰が化け猫だ。こんなに愛らしい黒猫に向かって失礼にもほどがある。
まあ、俺がそっちの立場だったとしたら同じ反応をしていたに違いないが。それはともかく、お腹が減ってきた。お昼から何も食べていない上に、ここまで走りっぱなしで正直疲れた。
「はあ……腹減ったなぁ」
ゴミ箱とか漁ったら食べ残しとかないかなぁ。
そんな考えが脳裏を過り、路地裏に置かれたゴミ箱を漁ろうとした折――そいつらは現れた。
「おい、そこの猫」
「……?」
振り向くと、路地の前に男が二人立っていた。二人とも同じ黒いスーツに身を包み、サングラスをかけている。
「な、なんだあんたら……」
無意識に人の言葉を発すると、黒服のひとりが「ほう」と興味深そうに頷く。
「喋る猫か。間違いない。【百獣の王冠】の所持者だ」
「なんだそりゃあ……?」
「説明する義務はない。君には我々と一緒に来てもらう。もちろん、拒否権はないと思ってくれたまえ」
そう言って、二人の男は同時に懐から短銃を取り出すと、躊躇なく銃口を俺に向けた。
「!」
真っ暗な銃口を向けられた俺は、猫であるがゆえなのか、本能的な恐怖に背筋が震える。それと同時に、「なぜ」という疑問が浮かび上がった。
猫になって酷い目に遭ったかと思えば、訳の分からないことを言う謎の黒服に銃口を向けられる。なぜ俺がこんな目に遭わなくてはならないのか。
「……」
「さあ、こっちに来い。これは脅しじゃないぞ?」
そう言って、男のひとりが短銃の撃鉄を落とす。
それに対して――。
「……冗談じゃない!」
「なに!?」
俺は背を向けて脱兎の如く駆け出した!