ジークフリードの新しい側近問題1
子世代の話に飛ぼうかと以前は考えておりましたが、もう少しこの二人の話を書けていけたらなと思っています。暫くかけずスランプ気味だったのでちょっとおかしくてもお許しください。
王太子ジークフリードの生活は忙しない。その理由の一つが、公務を担える王族の少なさに起因していた。
ブリーカ王国は周辺でも最大国土を誇る大国であるが、その根幹でもある王族は現在四名しかいない。国王、王妃、そして王太子であるジークフリードとその妻九姫の四名だ。勿論可能な分は部下に投げているものの、最終確認等はジークフリードらがしない訳にはいかない。
特に、父母である国王と王妃はかなり高齢だ。ジークフリードは母がかなり年齢が行ってからできた子供であるので、年相応な王妃や国王と並ぶと、時には親子ではなく祖父母と孫に見えなくもない。両親はまだまだ現役と言っているが、それでも昔と比べれば体力任せな事は出来ない。その分、ジークフリードに仕事が回ってくる。
九姫はというと、ジークフリードが公務という政治的だったり財務的だったりという仕事から手が離せない分、王宮の管理等を担ってくれている。王宮は広い。その上から下まで管理するとなれば、簡単な事ではない。けれど九姫は己の部下を使いつつ、涼しい顔で仕事をしている。おかげで王妃の仕事が楽になっているというから、見えないところでジークフリードたちを支えてくれているのは確かであった。
九姫は見た目こそ十歳ぐらいの幼子にしか見えないが、実のところ実年齢が分からない女性だ。国王の姉と友人だった事があるというから、最低でもジークフリード祖父母と孫以上の年齢差があるのは確実だった。とはいえジークフリードは九姫が年上である事に気後れしたりしても、それを嫌だと思った事はない。閑話休題。
とはいえ王族の少なさだけが、ジークフリードの忙しさの原因と言う訳でもない。王族は確かに少ないが、それでも信頼できる部下……単純な臣下より更に密接な関係である事が多い側近さえいれば、ここまで忙しくはなかっただろう。実際、父である国王には側近と言われるものたちが複数おり、必ず傍にいる訳でもなく、国の様々な所で国王の目となり耳となり手となり足となり活動している。
一方でジークフリードには部下はそれなりにいるが、側近と言える親密さを持つのはエルドガン・フォン・ユンゲルスしかいない。本当は側近候補はほかにもたくさんいたし、あと一歩で側近になっただろう者たちもいた。そのあと一歩だった友人たちは皆、家の者によって処分を食らい、今具体的にどこで何をしているのか、ジークフリードは知らない。
原因はジークフリードにもある。というよりも、ジークフリードの傍にいたせいで彼らがあんな目にあったと考えれば、悪いのはジークフリードとも言えた。しかし最終的にぎりぎりの所でジークフリードとエルドガンの二人は立ち止まって引き返せたのに対して、他の友人たちは引き返せずに落ちてしまった。彼らに申し訳ないと思う気持ちがジークフリードの中に皆無という訳ではないが、今更謝った所で過去は変えられないし、そもそも掘り返して良い気分になる者は最早誰も残っていない。騒動の余波はやっと落ち着いてきた所なのだ。だからこそ、もう、あの事件については余計に触れない方が良いとジークフリードは分かっていた。
「……ふう」
「休憩されますか」
「いや。……ああいや、そうだな、少し休もう」
エルドガンの言葉に否定を返したものの、王太子の執務室にいたほかの文官たちからの縋るような視線を感じ、ジークフリードは苦笑気味にかぶりを振る。
最初の頃を考えれば、今の王太子執務室は忙しいが激務ではない。人数も増え、順調に仕事が回っている。朝から晩まで執務室に籠る事もなく、連日休みなしで王宮に上がる必要もない。交代要員まで出来て、休日をしっかりと取る事が出来るようにもなっている。恐ろしい激務を経験している文官たちは天国だと言い、そんな先達たちを見てほかの文官たちは若干引いていたのはここだけの話である。
とはいえジークフリードが休みもあまりとらずに仕事に打ち込むのは変わらず、自然、休憩を取りにくい部下たちは少しでもジークフリードが休む素振りを見せれば休んでくれと目線を向けて念じてくる。これが筆が乗って書類をさばいている時はそうした目線を向けてきて気を散らす事になったりはした事がないので、本当に仕事が出来る者たちが来てくれたとジークフリードは感謝している。
以前は九姫が執務室を訪れた時のみ休憩していたが、今はそれ以外にも息を吐く時間を設ける余裕もある。
王太子執務室の者たちが気を少し緩めながらほっとしていると、ドアがノックされた。
「失礼いたします。王太子殿下。宰相閣下より資料をお持ちいたしました」
「入れ」
ドアの外からした声にジークフリードとエルドガンは一瞬目線を合わせた。
宰相を務めるユルゲンス伯は、エルドガンの実の祖父だ。国王の側近として最も長く勤めている人物の一人である。
ドアが開いて、宰相の部下だろう文官が入ってくる。王宮の文官たちは所属する部署によって制服がやや違う。宰相を表す三つ目の鷹の紋章が胸についており、彼の身分が宰相の部下である事は確からしかった。
「こちらが資料になります」
そういって宰相の部下が渡してきた書類の一枚目には、人の名前と生まれ、育ち、今までの仕事の成果などが書かれていた。紙をめくっていけば、どれもこれも同じように纏められた資料がある。年齢は上が40前後から下はジークフリードと同い年だろうぐらいまで様々だ。
「……これは?」
資料であれば大概、これがなんの資料かを示すために表紙が作られ、紐でつづったり結んで纏められたりしているものだったが、この資料は一枚一枚の紙をただ集めただけのものだった。故に中身を見ても、ジークフリードには何の資料かピンと来ず、持ってきた宰相の部下に尋ねるしかない。
部下はジークフリードの疑問に、元々用意していたのだろう言葉を投げてきた。
「宰相閣下より伝言をお預かりしております。”そろそろ殿下も手足が足りないと感じておられる事でしょう。どうぞ新たな側近をお選び下さい”との事でございました」
ジークフリードはユルゲンス宰相からの伝言に、目を丸くする。
「それから”我が孫につきましても、他に同じ任を担える者がおりましたら、側近より外していただいて結構でございます”ともおっしゃっておられました」
「お爺様……」
エルドガンが頭を抱える。エルドガンやその父親に対して最も厳しい態度を取っているのは、宰相かもしれない。ジークフリードは苦笑した。
「確かに受け取った。閣下は何か、期限のようなものは言われたか?」
「いえ、そのような事はおっしゃられておりません」
「そうか。他に聞きたい事はない。もう戻って構わない。……嗚呼、閣下に一つ伝えておいてくれ。エルドガンを側近から外す予定は無いよ。これは同情ではない。彼はよく働いてくれている」
「かしこまりました」
宰相の部下は一礼し、退出していった。
周りの部下たちからの視線を感じつつ、ジークフリードは宰相がまとめた側近候補の資料に視線を落とす。
やる事は昔とはそう変わらないけれど、ジークフリードの心持があの頃とは違い過ぎた。
ジークフリードが初めて側近を選ぶ事になったのは、十歳になった頃だった。まだデビュタントをすませていない様々な貴族の子弟が集められた茶会が催され、ジークフリードはそこで初めて年が近い子供たちと沢山顔を合わせ、話をした。誰も彼もがジークフリードと話したがった。恐らく子供たちの方は親から、ジークフリードの側近となるべく気に入られろと色々言われていたのだろうと思う。
ジークフリードの方が両親から言われていた事と言えば、初めて会う同年代の子供たちから多くの話を聞きなさい、という事だった。九姫はその日付き添ってこなかったが、九姫からも似たような事を言われていた。
「きっと初めて会う方々の中には、ジークフリード様と違う事を思い、語られる方もおりますわ。どうかジークフリード様は色々なお話に耳を傾けてくださいませ。新しい事を知る良い機会ですもの」
なのでジークフリードはあまり難しい事は考えず、会う色々な人たちの話を聞いて楽しんだ。相手の子供たちも子供たちで自分をアピールするために色々話していたので、話を聞きたいジークフリードと話をしたい子供たちの希望は噛み合っていた。
そうしてあれこれと話をする茶会が数回開かれていく内、ジークフリードと親しさを増していったのが最初の側近候補たちだった。当時は10人程度いただろう。
そのあたりからは人数が絞られて、ジークフリードと合いそうで、かつ、国王たちから見ても政治的なバランスを考えた上で側近候補は吟味されいき。
学院の初等部に入学する時には、文官として宰相子息のエルドガンと侯爵子息のハインツ。外交官として辺境伯子息のマゼル。護衛の騎士として騎士団長子息のヨアヒムがほぼ側近内定という形でジークフリードの周りを固めていた。
反妖怪派閥の貴族の子息等はいなかった。最初のお茶会等には反妖怪派の貴族の家の子供も参加していたのだけれど、ジークフリードと会話をしている中で婚約者である九姫や妖怪たちを下に見ていたり明らかに反発した様子を見せられて、ジークフリードの方が距離を置いたのだ。結果的に、彼らは側近候補から外れた。それでも親妖怪派の宰相と辺境伯家から一人ずつ。そして反対はしていないものの、必ずしも妖怪にそう訳ではなく中立的立場である侯爵家と騎士団長の家から一人ずつと、政治的にも悪くないバランスだった。
それが、崩れた。
元々は反妖怪派の者たちが、ジークフリードの周りを崩そうとしていた事が始まりだったらしい。
確かに学院でもジークフリードに近寄ろうとする者は、男女問わず身分問わずいた。その中には親妖怪派もいたし反妖怪派も、中立派閥も入り混じっていた。ジークフリードの側近になりたがったものもいれば、寵愛を求めたものもいた。確かに王族も貴族も、正式な妻の他に非公式な存在として愛人、妾を囲う事はある。国王等は更に正式な第二の妻を迎え入れる事も場合によってはあった。だからそうしたポジションを狙っていたのだろう女生徒たちに囲まれた事も少なくはなかった。その中にはジークフリードを篭絡し、九姫や妖怪たちを害そうとしていた者もいたという。……とはいえジークフリードは九姫以外を妻とするつもりは政治的にも個人的にもなく、女性たちの誘いは皆断っていた。
けれど、あの、アリスという少女と会った時――。そこから先の記憶は、今となっては曖昧だ。アリスという少女の事が異様に恋しく思え、どうしても手に入れたくなった。そしてそれを邪魔する存在である九姫が憎くて憎くて仕方なくなった。
側近候補たちも同じだった。ジークフリードがアリスに愛を囁くように、彼らもアリスに愛を囁いた。ジークフリードの目の前でも。……冷静であれば、あり得ない事だ。もし本当にジークフリードがアリスを愛していたとしたら、その目の前でアリスに愛を囁く等、許される事ではないし普通の精神だったならばしないだろう。残念ながらその時のジークフリードたちはまっとうな状態ではなく、アリスが喜びさえすればなんでも良いような状態だったのだ。
ついにはアリスを傍におくために九姫を排除しようとして――我に返り、ジークフリードは自分が何故そんな事をしたのかさっぱり分からなくなった。珍しく怒った様子の九姫を見て血の気が引き、同時に、どうしてあれほどアリスが愛おしかったのかも、サッパリ、分からなくなった。
必死に九姫に許しを請い、そして許され。……けれど我に返れたのはジークフリード以外では、エルドガンだけだった。
ヨアヒム。マゼル。ハインツ。三人とも、確かに、あの時まではジークフリードのよき友であったのだ。