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ブリーカ王国最盛記  作者: 重原水鳥
王太子ジークフリードの婚約者に九姫という者ありけり
6/11

アリス~歴史に埋もれた少女~

久しぶりの投稿。久々過ぎて過去にまとめた設定無くしたので改めて纏めながら書きます。

今回は残酷描写有るのでご注意ください。あっさりですが、恐らくざまぁパート?

 アリス・フォン・ベッシュ。ベッシュ子爵家の長女。

 十歳を迎えるより昔の頃、彼女はただのアリスだった。

 町娘のアリス。父親知らずのアリス。彼女が生まれ育った町では、彼女はそう呼ばれていた。


 十歳。それが彼女の人生を変えた一つ目の切欠。


 十歳よりも前、アリスは実母と共にブリーカ王国にあるありふれた町で暮らしていた。特別目立つものも特産もない、近場に住んでいなければ名前も知られていないような町。そこがアリスが暮らした町だった。

 実母との暮らしはお世辞にも良いものではなかった。母は己の親戚が営む店で働いていたが、安月給でこき使われていた。本当は雇いたくなかったのに、親戚に頼み込まれて母親を雇ったのだ。母が蔑まれる理由、アリスが蔑まれる理由。それは同じで、母が、結婚もせず、どことも知れぬ男の子を生んだのが理由だった。

 夫に先立たれただけならば良かっただろう。或いは相手がはっきりしていて、別れただけならどれだけ良かっただろう。でもアリスの母親はどちらでもなかった。アリスの母親は誰に聞かれても、アリスの父親が誰かを告げなかった。そして一人身ごもり、子をおろす事は選ばずにアリスを産んだ。

 危険は伴うが、子をおろす事は不可能ではない。アリスの実母もそれを周りから望まれたはずなのに、彼女は必死にアリスを守って、アリスを産んだ。

 それがアリスにとって幸福な選択だったのかは、不明だ。

 実母と暮らしていた頃、アリスは母親を恨んだ事はなかった。アリスの世界には母親しかいなかった。周りは皆、アリスを父親知らずと言った。アリスとアリスの母親の過去を面白おかしく想像し、悪口陰口を叩く人ばかりだった。だからアリスは唯一自分に優しい母親が大好きで、母親が望むように努力を重ねた。

 小さな部屋で、親子二人身を寄せ合った。寒さに耐え、熱さに耐え、空腹に耐えた。


 その生活は十歳の誕生日が近づいたある日終わった。

 アリスは母親の仕事が終わる時間を見計らって、母親が働いていた店へと向かった。本当は家で留守番をしてなくてはならないのだけれど、この頃、同じ町で暮らす男児たちがアリスの家の周りにやってきて、大声ではやし立てるようになった。その声を聞いていたくなくて、アリスは男児たちが集まるよりも早く家の外を出ると、母親の仕事が終わるだろう時間まで外で時間を潰した。下手に街を歩けば後ろ指をさされるのだから、どこかで何かをする訳じゃない。適当な家の隙間で、体を小さくさせてやり過ごした。

 そして店に向かってアリスは歩き出した。

 そこでアリスは、母親が働く店の前に大きな馬車が来ているのに気が付いた。それが貴族の馬車だとアリスは知っていた。貴族は怖い。アリス達平民よりずっと強くで横暴だった。町民たちも何事かと不安がりつつ、状況を知ろうとして野次馬になって店の周りに集まっていた。おかげで、アリスは何が起きているのかよく分からない。


「帰って、帰ってください!」


 母親のつんざくような悲鳴にアリスは顔色を変え、周りにいる大人を押しのけて店の方へ急いだ。押し退けられた大人たちが不機嫌そうに「何すんだこのガキ!」などと怒鳴り声を上げたけれど、アリスはそんな事構ってられなかった。


「おかあさん!」

「っ、アリス! 来ちゃダメ! 家に帰って!」


 貴族の男に腕を掴まれていた母が、アリスを見て顔を青くしながらそう叫んだ。けれどアリスの耳には母の静止は届かず、アリスは母親が貴族の男にいじめられていると思い、男に向かっていった。


「おかあさんをはなせぇっ!!」


 アリスの懇親の体当たりは貴族の男になんのダメージも与えなかった。むしろ跳ね返ってアリスは地面に転がった。母親がアリスを心配して声を上げた。一方で貴族の男の方は、アリスをゴミでも見るかのように見下ろして、舌打ちを一つした。


「随分な躾がされているようだ。……まあいい」


 貴族の男はそういうと、掴んでいたアリスの実母の腕を雑に払い、倒れたアリスの腕を掴んで持ち上げた。子供を持つ持ち方ではなく、道具を持ち上げるかのような持ち方だった。

 母親が顔を白くさせながら男につかみかかる。


「返して!」

「黙れ!」

「キャアッ!」

「おかあさん!」


 アリスは母に向かって手を伸ばした。母もアリスに向かって手を伸ばした。

 けれど二人の手が重なり合う事はなかった。

 アリスの体は馬車の足元に雑に放り投げられ、男は馬車に乗り込むと即座にドアを閉めて御者に出発しろと合図をする。馬車の外で母がアリスの名を呼んでいたが、それもすぐに聞こえなくなった。

 アリスは馬車の座席に座る事は許されなかった。震える手で体を起こそうとして席に手をつけば、男は険しい顔で「汚れた手で座席に座るな!」と怒鳴り、アリスに蹴りを入れた。今まで大人の男に怒鳴られた経験が皆無な訳ではない。けれど今までアリスたちに怒鳴ってきた相手は、怒鳴って邪険に扱っても、すぐさま暴力を振るったりはしてこなかった。何より、逆らったら殺されるかもしれないという恐怖を抱く事はなかった。アリスは男の磨き上げられた革靴を見ながら、小さくうずくまり続けていた。


 どれぐらい移動したか分からない。馬車は到着し、男は一人勝手に下りていく。アリスは放置された。

 かと思えば少ししてから馬車に入ってきた使用人らしき大人に無理矢理おろされる。先ほどの貴族の男にされた事を思えば使用人たちのアリスへの手つきはまだ優しかったが、それでもアリスを見下ろす目の蔑みなどが消えた訳ではなかったし、アリスの事を想うような優しさはどこにもなかった。

 アリスはそこで生まれて初めて温かい湯が張られた風呂に入った。他人に体を文字通り磨かれ、服を着替えさせられた。今までまともな手入れをしてこなかった髪は、傷みは誤魔化せないものの、光っていた。そうしてアリスをここに連れてきた貴族の男が再びアリスを見た。


「ふむ。それなりに使えそうだな」


 そのあと要約、アリスは事の次第を知った。

 男はアリスの実の父親だった。ドミニク・フォン・ベッシュ、それが男の名前で、ベッシュ子爵家という由緒正しい貴族の家の当主だった。

 その昔アリスの実母はベッシュ家で働いていて、よくある話で……当主であるドミニクの御手付きとなった。最初はまだ良かったが実母が身ごもった事でドミニクはベッシュ家から彼女を追いだした。ベッシュ家にはその時既に正式な夫人も、跡継ぎである息子もいた。遊びだけならば良かったが、子供となれば面倒になってくるとドミニクが判断したからだった。その後実母は、ドミニクにも何も言わないままアリスを産んだのだ。

 そんな、追い出した人間を何故ドミニクが連れ戻したかと言えば、女が必要だったからだ。


「そういえば、名前はなんだ」

「……アリス」

「平民らしい名だな」


 アリスを見下ろす父の目に、優しさも親しみも、ありはしなかった。


「まあ良い。よく聞け。お前にはこれから大事な仕事をするために教育を施してやる」

「……しご、と?」

「そうだ。お前はその仕事をする事だけを考えていればいい」


 そうしてアリスはアリス・フォン・ベッシュとなった。正式に、ベッシュ家の長女となり、ベッシュ家に迎え入れられた。

 最初の頃は苦しい事ばかりだった。自分を冷めた目で見てくる義母や二人の異母兄たち。淡々と、今まで文字も読んだ事のなかったアリスに教育を詰め込む父と教育係たち。何度も何度も母の元に帰りたいと思った。

 けれど次第に、その気持ちが無くなってくる。不義の子だと蔑まされるのは同じでも、毎日隙間風におびえる事もない。毎日お腹いっぱいまで食事が食べられる。綺麗なお洋服を着れる。どうせ蔑まされるのなら、どうせ陰口を叩かれるのなら、母と暮らしていた頃よりもこちらで過ごしている方がずっと良かった。

 健全な食事をしているうちにこけた頬はふっくらとし、傷んだ髪も毎日使用人に手入れされ今では少しのくせ毛で波打つ様すら美しいと言えるほどになった。


「愛らしい」


 父は次第にアリスをそう褒めるようになった。義母が冷たいのは変わらずだが、次第に可愛らしくなる年下の異母妹に、次第に異母兄たちの態度も和らいでいく。年上の男たちから可愛い愛らしいとほめあげられるのは、今までのアリスにはない経験だった。

 そうして、母の事など殆ど忘れていたある日、母がベッシュ子爵家を訪れた。門の前で騒ぎ立てた母親は仕方なしに屋敷の中に入れられた。


「アリスッ!」


 暦にすれば、およそ三か月ぶりの母娘(おやこ)の再会だった。

 泣きながら自分を抱きしめる母親を、アリスは冷めた目で見ていた。


 一緒に暮らしていた頃は誰よりも大好きだった母親。大事だった母親。

 けれど今、こうしてみるとどうだろう。確かに貴族である父に手を出されるぐらいには顔は整っている。けれどまともに手入れされていない髪は痛み、満足いかない食生活で頬はこけ、毎日毎日働く彼女の両手はひび割れし傷だらけでボロボロだった。着ている服だって、アリスはもう二年ぐらい着続けている服だと知っている。義母ならばあり得ない事だ。お気に入りの服が出来れば同じ服を複数作らせて着まわすし、そうでなくても一度袖を通せば二度と着ない服だってある。

 ほんの三か月前までは世界のすべてだった現実が、ただの幻想だったと壊れていく。あの頃自分が感じていた幸せは、全く幸せではなかった――アリスはそう思った。


「アリス、お母さんと帰りましょう」


 震える手で娘の肩を掴みながら、実母はそう言った。十歳の娘に、必死に、縋るような目をして震えながら。


「いやよ」


 アリスはそう答えた。予想外の言葉に固まる実母の手を払いのける。

 ふらつく実母から距離を取りながらアリスは続けた。


「だってお母さんと帰ったら、またあの生活に戻るんでしょう? 絶対にイヤ。お母さんみたいに、手をボロボロにして働くなんて、絶対にイヤ!」

「うそ、うそよアリス、そんな」

「決まりだな。約束の通り、アリスはここに残る事を決めた。お前は二度とここを訪れるな。次来てみろ、次は許さんぞ」


 父は優越感に浸った目で母を嘲笑った。実母はベッシュ家の使用人たちに――もしかすてばかつての同僚もいたのかもしれない――連れ出され、そうして二度とアリスとベッシュ家の人々の前には現れなかった。


 そうしてアリス・フォン・ベッシュはベッシュ家の長女として十歳以降、育てられた。


「お前は学院に入るのだ」


 ブリーカ王国の王都にある、貴族と平民の子供に向けて開かれた教育機関、学院。父はアリスをそこにいれると宣言し、家庭教師に教育をさせた。

 アリスは勉強を頑張った。けれど初等部に入れる年齢――社交界にデビューしていない年頃で、学院に入る事は難しかった。教育が間に合わなかったのだ。なぜかと言えば、学問的な教育と並行して別の教育がアリスには施されていたからだ。


「アリス。お前は王太子殿下をお救いしなくてはならない」


 それが父と、別の教育でやってきた教師がよく言う言葉だった。


 妖怪。元々ブリーカ王国にはいなかった、人間ではない化け物。

 昔はこそこそと隠れて人間に害を与えては退治されていた――そんな関係だったのに、いつの間にか彼らは堂々と人間社会で活動をするようになった。

 その大きなきっかけの一つが、十年前、王太子殿下の婚約者として狐の妖怪がやってきた事だった。

 婚約者の座に収まった娘は、王宮で大きい顔をして、妖怪に対して厳しい見解を持った貴族を次々と処罰していった。幼いころよりその妖怪に洗脳された王太子殿下は、己が獣畜生を娶る事になんの疑問も持っていない――。父は苛立たし気にそう語った。

 妖怪の多くが、本来の姿は人型ではない。けれど彼らはわざわざ人型を取っている。その時点で、妖怪は人より遥か下の存在なのだと父や教師はいった。それが大きい顔をして、人間の権利を阻害している。腹立たしい事であり、許しがたい事だと。


「王太子殿下をお救いするのだ!!」


 国王も王妃も年老いている。彼らの考えを今更変えさせるのは難しいし、何より彼らは妖怪をブリーカ国内に引き入れた張本人だ。彼らを説得するよりも、まだ若く世間を知らぬ王太子を篭絡した方が早い。要は、そういう事だった。


「ジークフリード様……」


 アリスは家の中で、この国の王太子だという同い年の男の子に思いを馳せた。勉強し、アリスは子爵家が貴族の中でもそこまで地位の高くない存在だと認識している。そんな彼らより遥か上の存在である王太子……もし彼の傍で生活できたなら、きっと子爵家での生活よりずっとずっと良い生活が出来るだろう。


 顔も声も知らぬ王太子に思いを馳せながらアリスは勉強をつづけたが、残念な事に結局アリスが学院に通えるまでに学力を上げたのは、王太子が学院を卒業するより一年前、という時分だった。

 最初はまだ柔らかくみていた父や教師たちも、アリスの勉強が一向に進まないとだんだんと腹を立てた。怒った彼らは恐ろしい。アリスとて不真面目にやっていた訳ではないが、十年平民をしていた壁はそれなりに高かった。父は度々金を積んで解決しようとしたが、王族も通う学院では不正入学は難しかった。特にデビュタントを済ませた子供の通う中等部への入学するハードルは、それなりに高かったのだ。貴族の子息令嬢とて、人前に出せるレベルだと認められなければ入学できなかった。

 それでもなんとか、アリスは学院へ入学できた。年齢では周りより少し上になってしまったが、学院に入ってしまえさえすれば、ジークフリードと触れ合うタイミングはそれなりに作れるだろうと考えていた。学院でジークフリードは身分問わず色々な生徒と関わっていると聞いていたからだ。


「王太子殿下をお救いしようとした同志はほかにもいる。けれどまだ誰も成功していない。お前が、お前こそが、殿下をお救いするのだ」


 どうやらアリスのように、王太子を救おうと動いている者はほかにもいたようだが、失敗しているようだった。父は何度も何度も、アリスに王太子殿下を救えと叫んだ。


「おまじないを差し上げましょう、お嬢様」


 そう言ったのは、学問とは別の授業を――男を堕とすための所作などをアリスに仕込んだ女教師だった。彼女はアリスの額に、何かを描いた。


「これはおまじないですわ。お嬢様がどうか、殿下をお救いするのを成功させられるように……と。殿下をお救いしたあかつきには、お嬢様こそがこの国の唯一たる姫となるのですわ」


 姫。それは素晴らしい響きだった。女教師は未来を妄想して笑うアリスを微笑ましそうに見つめた。

 それが女教師を見た最後だ。女教師はアリスの額に確かに何かを描いたのだが、不思議な事に女教師が帰った直後に額を拭おうとして鏡を見ても、額には何も描かれていなかった。アリスは不思議に思ったが、きっと気のせいだったのだろうと思った。


 そこからは順調だった。

 学院に入学したアリスは偶然を装いジークフリードと顔を合わせ、言葉を交わした。最初はジークフリードはあくまでも友人としての距離を崩さなかったが、次第にアリスが遠くにいてもアリスを熱のこもった目で見るようになっていった。気が付けばジークフリードをはじめ、彼の親しい友人であり側近の第一候補でもあった宰相子息のエルドガン、騎士団長子息のヨアヒム、辺境伯子息のマゼル、侯爵子息のハインツまでもがアリスに夢中になった。


「アリス、これをあげるよ」

「アリス、僕を見てくれ」

「アリス」

「アリス」

「アリス」


 見た目麗しい男たちが、自分を取り合うようにしながらまとわりついて、愛を乞う。アリスの言葉一つで彼らは面白いぐらいに動いた。

 アリスは彼らの同情を買うために、小さな嘘をつくようになった。虐められるの――だとか、酷い事を言われたの――だとか、盗まれたの――だとか。男たちは怒り狂い、犯人を捜して躍起になる。そうした嘘の標的にされた生徒たちは無実を必死に訴える。勿論アリスも嘘だと知っている。なので必死に無実を訴える彼らを見て、涙目になり、そして男たちの腕に抱き着いて上目遣いになりながら言った。


「きっと、九姫様が私を疎んでいるんだわ」


 実のところアリスは王太子殿下の婚約者である九姫に会った事はない。何せ彼女は学院には通っていないからだ。だからどんな見た目か、どんな性格か、等なにも知りはしない。

 けれどアリスの知る妖怪は――実際のところは本物の妖怪と喋った事はないので、アリスが父親らから聞いた妖怪のイメージは、になるが――嘘をつき裏で手をまわして人を陥れるような畜生ばかりだ。だからきっと、九姫とかいう狐の妖怪も、そういう小賢しい事をするだろうと考えた。


 次第に男たちの憎悪は九姫に向く。ジークフリードは食事は毎日のように九姫と共に食べ、週に一度は共に過ごしていたそうだが、今ではすっかり彼女に使っていた時間をアリスに使っていた。


 後はジークフリードが自ら九姫を切り捨てるだけだ。そうして妖怪たちを全て国から追い出して、アリスはジークフリードの妻として、この国で一番偉い女になるのだ。未来を妄想し、アリスは毎日が楽しくて仕方なかった。

 そうして舞台は整えられた。

 最高の舞台は、父の友人だというクラオカ伯爵が用意した。

 クラオカ伯爵は反妖怪派の中心人物の一人だ。その夜会に、九姫とジークフリードが招待され、二人は参加する事となった。


「その日、あの女に婚約破棄を突きつけてやる。そうしたら……改めて君に、伝えさせてほしいアリス」

「ええジーク。待っているわ……」


 アリスはうっとりとジークフリードを見上げた。他の四人の子息たちが悪いという訳ではないが、やはりジークフリードは別格だ。生まれついての次期国王。顔立ちも整っているし、放つオーラが他と違う。

 ジークフリードの胸に頭を寄せながら、アリスは夜会が早く来ないかと待ち望んだ。一つ不服なのは、王子らしくジークフリードの身持ちが堅かった事。身分の高い者は下の者の未来など考えずに気に入った者にすぐ手を出すと思っていたのに、ジークフリードはアリスと相思相愛になっているはずなのに、親愛のキス一つしなかった。彼がアリスにしてきたのは今しているような抱擁が一番触れ合っている行為なのだ。

 エルドガンはアリスを愛しても、そのうちジークフリードの物になると分かっているからなのか、贈り物をしてくるだけだが、他の男たちはそうでもない。ヨアヒム、マゼル、ハインツの三人は積極的だった。愛を乞い、唇を重ねる。流石に一線を越えれば初夜で困るので、その手前で男たちを止めているが、若い故の熱い求めにアリスは満足していた。それがなければ、ジークフリードに強請りすぎていたかもしれない。


 そうして夜会の日。本来ならばジークフリードにエスコートされてくるはずの九姫は一人で入場した。哀れだった。婚約者のいる女が、一人で入場してくるというのはそれだけで屈辱的な事だ。夜会の会場の殆どが、妖怪を快く持っていない者たちだ。彼らは九姫を嘲笑った。かつてアリスを父親知らずと嘲った町民たちのように、哀れだと嗤った。

 初めてみた九姫を遠くから見て、アリスは勝ったと思った。十歳程度の幼い見た目。体は凹凸など無く、男の食指が動く見た目ではない。透き通った光沢のある黒髪はこの国ではめったに見ないもので美しいとは言えたが、それだけだ。

 一方でアリスはこの数年で健康な食事のお陰でよくよく育った。顔立ちが可愛いに寄っているので今日来ているドレス――父がくれたものだ。本当はジークフリードから貰いたかったが、正式な婚約者でもない相手にドレスを贈るのは難しいと断られてしまっていた――は愛らしい少女らしさを引き立てる物にしているが、アリスはどちらかというと着痩せするタイプで、脱げば結構凄いのだ。髪の毛の美しさでは九姫が勝るかもしれないが、目も大きく、そのほかでは勝った。アリスはそう思った。


「ジーク、みんな……」


 早くジークフリードの横に立ちたい。そう思いアリスが声をかければ、ついにジークフリードを始めとした男たちは夜会の中央に立った。


「九姫! 君との婚約は、今をもって破棄とする!」


 それはアリスの輝かしい未来を宣言するもの――だった、はずであった。


 あの瞬間。数多の人間に見られながら、男たちに守られていたあの一瞬。それが、アリスの人生で最も輝かしい一瞬となった。


 気が付けば自分を守ってくれる騎士たちはいなくなった。自分を守ってくれる王子様も、九姫の横に戻ってしまった。


 そしてアリスは大人たちに囲まれ、尋問された。何度も何度も同じ質問が繰り返され、自分が何をしたのかを洗いざらい最初から全て話す事となった。

 勿論最初はアリスも抵抗したし、「私はジークフリードの妻になる女よ!」と騒いだが、アリスをあっさりと抑えて連れてきた六、七歳程度の見た目にしか見えない少女が、そんなアリスを見て嘲笑った。


「お前が九姫様に勝る所など、ありはしない」

「そんな訳ない! 私のほうがあんなちんちくりんより可愛いわ!」

「あれがあの方の唯一の姿だとでも思っているのか? あの姿は九姫様が敢えて取っているものだ。あの方はお前よりずっと美しい美女になる事も、可愛らしい少女になる事も、造作もない事」

「よ、妖怪なんか、化け物じゃない!! 人間は人間と結婚するべきなのよ!」


 アリスの言葉に少女は笑った。


「その妖怪の力を使ってジークフリード殿下を篭絡しておいて、妖怪を否定するのか」

「え……?」

「なんだ。気が付いていなかったのか? ジークフリード殿下に臣下候補の(わっぱ)らがお前に熱中したのはお前が可愛いからではない。そんな事は関係ない。ただ単に、お前に仕込まれた妖怪の術が、彼らを操っていただけの事」

「……う、うそよ、私を騙そうったってそうはいかないわ! 私が魅力的だから!」

「お前に魅力等ありはしないよ。お前はどこぞの妖怪にイイ用に使われただけさ」


 アリスの脳裏に、女教師が浮か――びそうになって、消えた。少し前まではハッキリと思い出せた姿が、今はもう、輪郭も、髪型も髪の色も目の色も思い出せなくなっていた。


 呆然としているうちに少女はいなくなった。


 そのままアリスはどこかの一室に監禁されていた。誰も会いに来ない。食べ物を渡す時は、猛獣にやるかのようにほんのわずかに空いたドアの隙間からパンが投げ入れられる。トイレもぎりぎりになって騒ぐまで連れて行ってもらえないし、風呂など入れさせてもらえない。トイレで部屋の外に出る時は、必ずあの少女が付き添ってくる。そのうちココが王宮らしいと気が付いたが、兵士たちはアリスがどんなに話しかけても返事一つしてくれなかった。


 そんなある日、あの少女無しで兵士たちによってアリスは部屋の外へと出された。廊下を半ば引き摺るように連れていかれた先にいたのは、父に、義母に、異母兄たちだった。


「お父様っ!」


 兵士が手を放し自由になったので、アリスは父たちに向かって走っていった。

 助けに来てくれた。……そんなわずかな希望は、すぐ打ち砕かれる。


「触るなっ! 半分血が流れているからと同情して育ててやった恩を仇で返しおって!」

「え……?」


 アリスの腕を振り払った父は、アリスを突き飛ばす。アリスは簡単によろめていて床に倒れた。


「お、おとうさ」

「お前に父などと呼ばれたくはないッ! ……陛下。これは確かに私の血が流れておりますが、半分は下賎な、どこの生まれかもわからぬような女の血が流れているのです。母親に捨てられて哀れに思い育てておりましたが、それだけでございます!」


 父が必死に誰かに向かって縋る。アリスは床に倒れたまま呆然と視線をそちらにやった。

 アリスと比べれば祖父祖母ぐらいの年上の男女がそこに座していた。父を目線一つで圧倒して黙らせた男は、ジークフリードにどことなく似ている。

 先ほどの父親の言葉が確かなら、目の前にいるのがこの国の国王……そしてその横に座っているのだから、横の女性は王妃なのだろう。


「私は無実でございます! まさか、王太子殿下や、婚約者であられる九姫様を害すなどと……そんな末恐ろしい事考えておりませぬ!」

「な、に言ってるの、お父様!!」


 さすがに聞き逃せない発言に、アリスは声を張り上げた。


「お父様が、お父様が言ったのに!」

「黙れ黙れ! こんな事になるのならお前など見捨てて引き取らねば良かった!」

「まったくですわ。国に歯向かうような真似をした挙句、私たちまで同じ一味としようとするなんて」

「国王陛下、義妹は我々を疎んでいるのです。昔から恨み言ばかりを我々にぶつけてまいりました」


 父だけでなく、義母、異母兄たちまでもが言葉を揃えてアリスにを悪者にしようとする。その姿を見たアリスは、やっとわかった。彼らは自分を切り捨てて、自分は助かろうとしているのだ、と。

 アリスの心を真っ赤な怒りが染め上げた。父と義母と二人の異母兄たちが口々に無実を訴えるのを遮るように、怒鳴り上げた。


「あんたが私をここに連れてきたんだ! あんたが私をあの家に無理矢理引き取ったんだ! あんたが言ったから! あんたが言ったから私はジークを助けようとしたのよ!!」

「うるさいうるさい、黙れぇ!!」


 親子の罵り合いを少し見た国王は、途中で席を立った。父がアリスを放置して国王に縋ろうとしたが近衛兵たちに足止めされ、それは叶わなかった。

 アリスは一人、家族から引き離されてあの部屋に戻された。

 一人になったアリスは泣いた。温かいご飯、寒くない部屋、たっぷりのお洋服。可愛いという誉め言葉、己に愛を乞う男たち、落とされる口づけ――すべてが虚像だった。すべてが、偽物だったのだ。


 そしてしばらくして、あの少女がまた現れた。


「お前の処遇が決まった。この国の王族だけでは飽き足らず、他国の王族でもある九姫様まで害そうとしたお前の行動は、危うくブリーカ王国と九尾国の間に争いを生みかねないものであった」


 知らないとアリスは蹲った。少女はアリスの言葉等無視して続ける。


「故に、お前の処刑が決まった」


 アリスは顔を上げて少女を見上げる。少女の目は冷たかったが、意外にもそこに蔑みはなかった。ただ淡々と、事実を述べているだけに過ぎない顔をしていた。

 アリスが呆然としている間に、少女は消えた。

 それからアリスは今までの扱いが嘘のように丁寧に対応された。美味しい食事、シンプルだが綺麗な服。それからゆっくりと湯舟にも使った。今のアリスにはそれを喜べる気持ちはない。まるで――否、言葉通り、最後だからという哀れみで良い生活をしていたのだ。

 王宮で幸せな生活を送る。アリスの夢はある意味で叶ったが、こんな形でかなえたかった訳ではなかった。

 より豪華な食事が用意された夜、明日死ぬのだと誰に言われるでもなく分かった。最後の晩餐は、何一つ喉を通らなかった。

 次の日の朝、アリスは兵士に目隠しをされ運ばれた。気が付けば冷たい石の部屋の中にいた。近くには父や義母や異母兄たちもいたが、彼らは口に布を巻かれていた。泣きわめいたのだろう。顔はぐちゃぐちゃで、暴れるからか紐で押さえられていた。


「最後に言い残す事はあるか」


 執行人らしい人物が、巨大なナタを片手にそう言った。アリスは男を見上げながら呟いた。


「死にたくない」


 その願いは聞き届けられない。

 アリスもそっと口を布でふさがれる。そして体を大人二人がかりで抑えられた。

 ついに殺される。そう分かり、アリスは急激に恐ろしくなって暴れた。逃げようとした。けれど鍛えた事のない少女の火事場の馬鹿力は、この仕事に慣れた執行人たちにとっては大した抵抗にはならなかった。

 ボロボロと目からとめどなく涙があふれ出す。


 どうしてこんな事になったんだろう。

 幸せになりたかったのに。


 そう思うアリスの細首は、執行人によって飛ばされた。


 九尾国との間に戦争を起こそうとしたとして、クラオカ伯爵を始めとしたいくつもの家の当主が罪に問われた。ブリーカ王国は大国とはいえ、九尾国と戦争にでもなれば想定される被害は恐ろしい事になる。その罪故に、この一件に関わった者は成功した者にしろ、失敗した者にしろ、罪に問われた。幾人もの子供が学院を退学し、罪を問われ処罰された。既に行動に移していた者は、その罪の大きさによって罰が下され、首謀者とされたクラオカ伯爵や幾人かの貴族家当主たち、そして実行犯であったアリス・フォン・ベッシュとベッシュ子爵家の者たちは皆死刑となった。

 王太子ジークフリードと婚約者九姫の結婚式という祝福されるべき日が近かったためにその死刑は静かに行われたが、罪人たちの死体はあまり一目のつかない土地で野ざらしにされ、野犬や野鳥に食われるという扱いになった。


 捨てられたいくつもの死体の中に、実行犯たるアリス・フォン・ベッシュの体と顔がなかったと、処理をした執行人の一人が疑問を漏らしたが、それが事実かどうかは誰も知らない。

 ジークフリードとエルドガンが無事で他がダメだったのは接触の深さの差のせいもあったり。

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