表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブリーカ王国最盛記  作者: 重原水鳥
王太子ジークフリードの婚約者に九姫という者ありけり
3/11

中編

 そんな夜から更にひと月。学院の卒業式が間近に迫り、ジークフリードと九姫の結婚式も迫ってきていたある日の夜、それなりの大きさの夜会があった。主催者はクラオカ伯爵。王国の中で重鎮と呼ばれる力を持つ人物であると同時に、九姫が嫁いでくることを強く反対していた反妖怪派の貴族筆頭の一つでもあった。当然、夜会に集まっているのは反妖怪派の貴族が多い。その他だと中立派とも言われる派閥の貴族の姿もちらほらと見える。親妖怪派の貴族の姿はとてもとても数が少ない。今日親妖怪派として招かれているのは王太子ジークフリードと彼の従者である四人の子息、婚約者の九姫、宰相ユルゲン・ユルゲンス伯と夫人。たったそれだけなのだ。


 妖怪である九姫にとっては敵地とも言える場所であるが、九姫は特に気にした様子もなく夜会を楽しんでいた。

 九姫の横には宰相夫人の姿がある。年を召してもなお堂々としたたたずまいに、派閥問わず夜会に訪れていた女性たちは尊敬のまなざしを向けていた。その横にちょこんといる九姫には忌々しいとばかりに視線を向ける者もいれば、好奇の視線を向ける者もいる。敵地(アウェイ)であるだけに好意的な視線は少ない。内心好意的に思っていても、この場で下手な動きをすればクラオカ伯爵の目に留まってしまう事を考えれば、下手な動きは出来ないのだろう。

 九姫の一挙一動に合わせてピリリとした空気が流れながらも、表面上は夜会は穏やかに進行していく。

 宰相はその地位の問題もあり忙しそうに夜会で動き回っていた。

 夜会の盛り上がりが収まり始め、そろそろ閉幕と見えてきた頃、突如として王太子ジークフリードと友人である子息たちが夜会の中央に立った。そして、冒頭のような婚約を破棄するという宣言をしたのだった。


 九姫の横に立っていた宰相夫人は唐突にとんでもない事を宣言したジークフリードを信じがたい者を見る目で見ると同時に、本来そんな事を言い出すのを止めなければならない立場である孫息子が堂々と横に並んでいるのを見て顔を青ざめさせていた。

 九姫はパンッと扇を広げて顔を覆う。それは青ざめた顔を隠すため――などでは全くなく、むしろ吊り上がった口角を隠すためだった。


 ジークフリードの横に、九姫も見知った子息たちとは違う少女の姿がある。夜会に来るにはいささか幼すぎる雰囲気のドレスを見に纏った少女は可愛らしいと言える容姿をしていた。ただ、彼女の見た目から図られる年齢を考えればもう少し大人らしさを目指したドレスをそろそろ着た方がいいと、ごく普通の貴族女性ならアドバイスをするだろう。

 少女はジークフリードの腕に両腕を絡ませ、目を潤ませて怯えた様子で九姫を見ている。


「殿下、何を」


 宰相夫人が一歩踏み出そうとするのを、九姫は扇を彼女に傾ける僅かな挙動で止める。夫人はいくらでも言いたい言葉はあっただろう。ジークフリード本人に言えない事だとしても、孫息子には言いたい事はいくらでもあったはずだ。しかし名指しされた九姫本人に止められたので大人しく口をつぐみ一礼すると数歩退いた。

 九姫は扇で口元を隠しながら進む。九姫の背後にいつでも控えている童女二人は主人が進んだのに合わせて進んだ。九姫の影が揺らぎ、分かれ出た影が会場を出ていくのに気が付いた者はいなかった。


 周囲の人間の様子は、様々だ。

 ここは反妖怪派であるクラオカ伯爵が開いた夜会。当然、九姫との婚約を破棄するというジークフリードの言葉に好意的な反応を示す者は多い。

 一方で、中立派、反妖怪派の一部には目を白黒させて顔色を悪くさせている者もいた。


 くすくすと音には出さず九姫は笑う。

 他者が驚き恐れ迷い慌てる光景は、第三者から見れば面白い余興とも言えた。


 九姫が進み出るとジークフリードとその周りにいる子息たちは少女を守るためとばかりに立ちふさがって見せた。誰も彼も、親の仇のような目で九姫を睨んでいる。


「お言葉ですが、殿下にそのようなことを決める権利はないかと」


 シンッと会場が沈黙した。ジークフリードが声を発した時でさえ、王子が行動している事に気が付かずに喋っている貴族がいたというのに、九姫の一挙一動には誰もが口をつぐんで注目していた。


「なんだと」

「おかしな事でしょうか? わたくしと殿下の婚約を定めたのはお館様と陛下でございます。この御二方以外にわたくしと殿下の婚約を解消も破棄も白紙も、する権利を持つ者はおりません。たとえ、当人であってもそれは」

「そんなっ! 本人が嫌がっているというのに結婚するっていうのですか!」


 ワッと声を耳障りな甲高い声で叫んだのはジークフリードの横にいた少女だった。通常、下の地位の人間が上の地位の人間の言葉に割り込んでくるなんていうのは許されない。貴族社会ならなおさらだ。同じ貴族であっても、どこの娘と知れぬ少女と九姫では九姫の方が上なのは明らかだった。

 純粋なマナーの問題に、親・反関係なく貴族たちは不快そうに眉をひそめる。


 対して言葉を遮られた九姫はこてんと首を傾げこそすれ、少女に視線を留める事はなくジークフリードを見据える。


「殿下はいつから陛下を上回る権利をお持ちになったのかしら」


 ジークフリードが口をつぐむ。その顔には全面に感情が押しだされていて、おやおやと九姫は可哀そうな子供を見るような慈悲の目でジークフリードを見つめた。自分の率直な感情を全て顔で表すなど、まるで幼い子供のようだ。王族がするような事ではない。

 口をつぐみ即座に言い返さないジークフリードに変わってか、横に立つ子息たちが九姫を指さして声高々に叫んだ。


「恐ろしい呪術を使う魔め!」

「お前のような者を殿下の妻などに出来るか!」

「己より弱い者を甚振るような性悪女など!」

「今すぐブリーカより出ていけ!」


 視界の端で宰相が目を見開き子息たちを睨んでいた。

 あらあらあらあらと九姫は小さく呟いた。

 子息たちの目は血走り、唾を飛ばしながら九姫に聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせかける。あまりの言葉の羅列に、夜会に集まっていた夫人の幾人かが顔を背け、体調を悪くしたと退出していった。それも致し方ないというほどの悪口だった。

 九姫は扇で口元は覆ったまま、つんとすました顔でその言葉を聞き続けていた。後ろに控える童女たちも同じくだ。

 全く堪える様子のない九姫に次第に子息たちも語彙とネタが尽きてきたのか、言葉尻が小さくなり始める。相手の玉が尽きてきた所を見て、九姫はまたジークフリードを見る。


「殿下。今後のためにお聞きしておきましょう。何故、わたくしとの婚約を破棄するというのですか?」

「……お前はアリスを虐めただろう」

「いじめ? ふむ、心当たりがありませぬ」

「白々しいっ! ただ私と喋っていただけのアリスを脅し、命を狙い、権力でもって消そうとするような存在を王妃に置けば、どれだけの人間を粛正しようとするか分かったものではない! お前のような女と結婚など出来ん!」


 己を見てそう宣言するジークフリードの表情があまりに醜くて、九姫ははぁと一つ息をついた。少しは面白い余興になるかと思って放っていたが、こうも可愛がっていた子供の愚かな部分ばかり見せられるとは思っていなかったし、そろそろ可哀そうにはなってきていた。九姫は妖怪で人間と同じ機微を持っている訳ではないが、親しい人間を慈しむ心は持っている。


 パチンと九姫が扇を閉じる。

 そして彼女は人ならざる瞳でもってジークフリードたちを見据えた。


「その御言葉、我が父九尾の狐にも申せるか!」


 九姫から放たれた圧に、全ての者が口をつぐんだ。幾人もの女性たちが床に倒れ込み、男性であってもしゃがみ込んだり、足を震えさせたりして怯えた顔で九姫を見ていた。

 九姫は冷たい瞳で一人一人子息たちの顔を見る。


 ブリーカ王国に九姫が来てからというもののずっと親妖怪派として国の重鎮として九姫を支え、九姫がくるよりずっと前から国王を支え続けてきたユルゲンス宰相。

 その孫息子であり、順当に行けばジークフリードの代には宰相として支えていくことが望まれていたエルドガン。


 爵位こそ高くはないが実力でもって騎士団長の地位に数年前に着き、妖怪に対しても好意的に考えて一部の妖怪が騎士団に入る事を認めた革新派であるエンダーレ子爵。

 その嫡男であるヨアヒム。


 九尾国に最も近い領地を治め、長年対妖怪の外交などでも全面に立ち続けてきたボルグハルト辺境伯。

 その末子であり、妖怪に慣れ親しんでいるからこそ王都でジークフリードを支える立場に立つ事を求められて送られてきたマゼル。


 歴史が古く、中立の立場を貫き続け、極めて公正に親妖怪派と反妖怪派をさばき続けているホルツデッペ侯爵。

 彼がジークフリードの様子を見るべく送り込んできた孫息子ハインツ。


 そして。

 ジークフリード。


 九姫の圧を真正面から受けたジークフリードは片膝をついてしゃがみ込んでいた。荒く呼吸をしているジークフリードを憐みの目で見た九姫は付き従う童女に指先で指示し、一人の童女が未だにジークフリードにくっついている少女アリスを剥がした。


「何するのよ! 放して! ジーク!」


 人々が言葉を失っているというのにうるさく喚くアリスをやや見直したように見ながらも、九姫の関心はジークフリードにしか注がれていない。


「殿下」


 ぴくりとうつむいたままのジークフリードの肩が跳ねる。しかし目線は合わない。

 九姫はすぐ目の前まで進み、そっと膝をつく。

 貴人が膝を床に着くということがどれだけの行為であるか。誰もが今この現場で最も立場の高い二人の行動を見つめていた。

 九姫は両手でジークフリードの頬に触れると、半ば無理矢理顔を上げさせた。

 がちがちと上下の歯がなんどもぶつかっている。混乱しきった顔で、可哀そうに、今にも泣きそうな顔でジークフリードは九姫を見上げた。


「九姫……」

「ああ殿下。お可哀そうに」


 そっとその頭部を周囲から隠すように九姫は抱え込んだ。

 するとひゅるひゅると慌てた様子でジークフリードの襟から黒い糸のようなものが飛び出した。床に落ちて蛇のように逃げようとする黒いそれを、九姫は閉じた扇で真っ二つに潰す。黒い糸は体を半分に潰されてなお床の上をのたうちまわったものの、何も出来ずに次第に動かなくなった。

 動かなくなるのを確認してから後、九姫は視線を胸元に戻す。抱きしめた頭は少しだけ、呼吸が落ち着いたようだった。


「ウ゛」


 九姫が顔を上げると、倒れ込んでいたジークフリードの友人たちの内、宰相の孫息子であるエルドガンが口元を両手で多い、けれど耐え切れず嘔吐してしまっていた。あらあらと九姫は目を閉じる。不浄の一種と言われる嘔吐をもし九姫やジークフリードが見てしまっていれば、この少年は二度と貴族社会に出てこれないだろう。ジークフリードは九姫の胸元で蹲っているし、九姫は目を閉じているので最も立場の高い人物たちは誰も見ていない。宰相と夫人が孫に駆け寄り声をかけている音が聞こえた。


「宰相と夫人たちを別室にご案内して差し上げて」


 目は閉じたまま、こつこつと己の影を指先で叩く。暫くするとアリスを抑えていない方の童女が「もう大丈夫でございます」と言った。目を開けば、確かに先ほどまでエルドガンが倒れ込んでいた箇所には誰もおらず、不浄の後も見当たらなかった。恐らく影が掃除していったのだろう。


「放してよ、放せ! 私はお姫様なのよ!」

「まぁ。どこの国のです? まさかこの国に他国の王女殿下が紛れ込んでいたとは。驚きですわ」


 クスクスと九姫は笑う。アリスが目を真っ赤にさせながら九姫を睨んだ。


「うるさい! 邪魔しやがってこの畜生風情が!!」

「あらあら。わたくしが畜生なら、貴女も畜生ではありませんか」

「どうせこの国を乗っ取ろうとしてるんでしょう! そんなこと許さないわ、私がジークのお嫁さんになったら、妖怪なんて全部消してやるんだから!」

「まあ! 過激ですわね、お嬢さん。王妃になりたいというのならそれほど好き嫌いを激しくしてはいけませんわね。驚きですわクラオカ伯爵。好かれていないのは存じていましたけれど、そこまでとは……」


 そう言って九姫は視線をクラオカ伯爵に向けた。

 倒れ込んで呆然としていたクラオカ伯爵は九姫の一言で顔を紙のように白くさせていた。それに九姫は扇で隠すのを止め、くすりと笑った。


 その時慌ただしい音がし、夜会会場に騎士たちがなだれ込んできた。騎士たちはアリスと我に返って暴れだした子息たちを抑え込み、クラオカ伯爵を始め反妖怪派貴族たちを捕まえた。居合わせた者たちの多くも一旦捕縛され連れて行かれる。そこまで大きくない夜会であったため騎士団でも捕獲連行できる人数しかいないのは幸いだっただろう。

 九姫は王宮が寄こした迎えの馬車にジークフリードと共に乗り込んで、さっさと会場を後にした。あの場には宰相もいたのだから彼が後は収めてくれるだろうと思って。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ