世の中の人間の一部はキングクリムゾンのスタンド能力を信じてる
世の中の一部の頭の悪い人間は過程を無視する。
この場合の過程は、業務成績などの数値を見る物ではない。
業務成績は頑張ろうが何しようが結果を求められる。
結果が全てであり、いくら頑張った経緯があろうと結果に出ていなければ無駄である。
もちろん。今後の布石という意味で後から結果に結びつくならそれは無駄ではなく成功という結果がくる。
本題からそれてしまったが、世の中の頭の悪い人間は過程を無視する。
何故か、私は様々なエッセイを書いてきたが想像力がないという事を言うことが多い気がする。
想像力のない人間は愚かなことが多いと思う。
例えばだ。
値切る行為をする人間がいるとする。
値切り交渉の中でこれの原価はいくらだという知識はある。
だが、その過程で行われる作業やかかった時間の知識はない。
それに対して、大体の人間であれば経験からの想像で手間暇にかかる対価に考えが至るはずだ。
だが、愚かにも想像することのできない発想力に乏しい経験も少ない人間にはそれができない。
これは、他のことにも言える。
絵の上手い人や文章力のある者。
それに対して才能の一言で片付ける愚かな行為をする人間がいる。
才能もあるだろう。
だが、才能は種だ。
種は水を与え続けて芽が出て花が咲く。
最初から花が咲いてる者は本当に極一分だけだ。
やり続けるからこそ、だ。
最初に否定した業務成績。
業務成績に関しては結果が全てだ。
だが、それはあくまでも成績であってその過程が評価されないものではない。
試行錯誤の経験が何かに生きるかもしれない。
その努力を見ていた人が評価してくれるかもしれない。
結果を求められることに関しては結果が全てだが、失敗すらも、次の成功に活かすのはその人の積み重ねがあるからこそだ。
努力をしない言い訳をする。
絵が上手い、話の面白い、そんなものは磨き続けるしかない。
崩すのは簡単だ。諦めて蹴飛ばせばいい。
壊すのも簡単だ。投げやりにやればいい。
だが築くのは大変だ。そのことに気付いてはいる。
なのにそれを面倒だと言っているのはお前の怠惰でしかない。
想像力のない人間は、自分の経験からしか語れないのだろう。
つまるところ、自分の怠惰を吐き出しているに過ぎない。
はっきり言うが愚かでしかない。
一生腐って朽ちていけ。そこで自分を慰めればいいだろう。
怒る為のきっかけを探す努力なんかしてねえで何かになりたいならそれに向けて動け。
大抵が才能を語るステージにすら上がれてない。
結果を出すのに過程を無視してはいけない。
過程を飛ばしてどうこうできるものはない。
想像しろ。そこから創作物は創造される。それを忘れるな。