星空と夜空
いつからだっただろう。
彼女と疎遠になったのは。
家が隣同士で昔から家族ぐるみの付き合いがあった彼女と仲良くなるのは、必然と言えるだろう。
出会ってすぐに意気投合し、何処に行くにしても彼女と一緒だった。喧嘩した時も公園で星空を眺めればすぐに仲直りしていた。いつか二人で星空を見上げながら、大きくなったら結婚しよう、ずっと一緒にいようなどと、小さいながらにその約束が本当の事になれば良いと思っていた。
きっかけは、些細なことだった。
小学五年の夏頃、二人で登校しているところをからかわれた事がある。言った本人達に悪気は無かったのだろう。今思えば、ほんの少し、からかってやろう。それくらいの気持ちだった。
だが、当時の俺達にはそれがショックで、凄く恥ずかしい事をしている気になったのだ。
それからだ。
少しずつ、彼女との距離が開き始めた。中学に進学する頃には一緒に登校しなくなり、卒業する頃には殆ど話さなくなった。高校に入った頃には、もう目も合わさなくなっていた。
どうして、こうなってしまったのだろう。彼女が側に居ないだけで、世界が薄っぺらく感じる。あの日見た星空の様にキラキラと輝いていた世界に、今はもう、何も感じない。
もう一度、彼女と話したい。あの微笑みをもう一度、向けて欲しい。
出来る事ならもう一度、あの星空の下で彼女と——……。
高校三年生になったある冬の日の夜。気付けば外で星空を見上げていた。
「ここは……」
あの日、彼女と約束をした、思い出の場所。無意識の内に足を運んでしまったのだろうか。自分の行動になんとも未練がましいものだと、苦い笑みが零れる。ふと目に止まったベンチに腰掛けはぁ、と白い溜息を吐く。
「このベンチ、まだ残ってたのか……」
すっかりペンキが禿げ、ガタガタと揺れる古ぼけたこのベンチ。あの日、彼女と約束をした時に座っていたベンチだ。
もう何年も前の事なのに、鮮明に覚えてる。彼女の笑みも、指切りをした時の心の中の温もりも、自分達を祝福する様に輝いていたあの星空も。
「あの時と、同じ星空の筈なんだけどな……」
色褪せた星空を見上げながら、もう一度、溜息を吐く。
「区切りを、つけないとな」
きっと、もうここに来る事も無いだろう。元々来るつもりも無かったが、丁度いい機会だ。この大切な思い出は、大切な記憶として心の中に仕舞っておこう。
これでもう、さよならだ。
「さよなら、おれの初恋」
最期の見納めにと、ボケっと星を眺めていたが、そろそろ戻るかと腰を上げようとした時、
「せい、や……?」
心臓が、跳ねた。
背後から聞こえた、鈴を転がすような耳によく通る、昔より少しだけ大人びた、彼女の声。
「……夜空?」
久し振りに瞳に映した彼女は、とても輝いて見えた。
「……聖夜、こんな時間になにしてるの?」
「え、いや、何って、ええと……」
しどろもどろになりながら、目を逸らして答える。
「……星を、見てたんだよ」
「……そう」
「……」
「……」
彼女との会話が続かず、静寂が場を包む。
「ねえ」
「お、おうっ!?」
急に話し掛けられて、ちょっとビクッてなった。夜空はキョトンとしていたが、口に手を当ててくすくすと笑いだした。
恥ずかしくなって頰を掻きながらそっぽを向く。
「隣座るね」
「お、おう……」
彼女は少し動けば肩が触れてしまう位置に腰を下ろした。漂ってくる彼女の甘い香りと僅かに感じる体温に思わず身を硬くする。
「……これ、まだ残ってたんだ」
数分黙った後、唐突に彼女は口を開いた。座っていると古ぼけたベンチに目をやりながら話す彼女は、今何を思っているのだろう。
「……あぁ、もうすっかりボロボロだけどな」
「私達が小さい頃からすでに古かったもんね」
「そうだな、よく今日まで壊れなかったもんだ。明日にでも壊れそうだ」
そこまで言うと、彼女は顔を俯かせた。
「…………のかな」
「え?」
耳に届かないほど小さな声で、彼女は呟いた。前髪で表情は見えないが、膝の上に置いた手が、少し震えている。
「……私たちの関係も……このまま、壊れちゃうのかな……」
息を呑んだ。
僅かに顔を上げ、こちらを見上げたその瞳に、薄っすらと涙が溜まっている。
「それ、は……」
思わず、声に詰まる。
「そんなの……私、やだよ……」
涙に濡れ、此方を見つめる瞳に吸い込まれそうな感覚を覚える。
「ここで約束した事、覚えてる?」
夜空はベンチを優しく撫でながら話す。
「ここで聖夜が結婚しよう、ずっと一緒にいようって言ってくれた時、凄く嬉しかった。本当にそうなったら、なんて幸せなんだろうって。きっとそんな未来がいつか来るんだろうって」
でも、と再び彼女は目を伏せた。
「聖夜とどんどん疎遠になって、世界が凄く薄っぺらに感じるようになった。全部の色が無くなって、星空を見上げても、何も感じなくなった」
思わず目を見開いた。俺と全く同じことを、夜空も感じていたのだと。
夜空は自分の体を抱きしめる様に腕を掴むと話を続ける。
「このまま聖夜と心まで離ればなれになって、そのうち、赤の他人になっちゃうのかなって考えたら、物凄く怖くなった」
震える体を抑えるように強く腕を掴んでいるのか、手が白くなっている。
「怖くて怖くて、どうしようもなくなって、気が付いたら、ここに来てた」
「……俺も」
「え?」
彼女の冷たくなった手を優しく掴み、腕から剥がしてそのまま両手を包み込むように握る。夜空の頰が僅かに色付いた。
「俺も、同じだ。夜空と疎遠になって寂しくて苦しくて、気付いたら、ここにいたんだ」
「聖夜……」
「夜空、今更自分勝手なのは分かってる。でも、俺は夜空との関係をこのまま終わらせたくないっ。だから、夜空。俺ともう一度——」
夜空の方へ身を乗り出し、自分のありったけの想いをぶつけるように言おうとしたその時。
バキ!
「「え?」」
夜空が座っていた方のベンチの脚が折れた。ガタッと音を立ててベンチが傾く。
「きゃ」
「うおっ」
夜空が背後に倒れないように片手で支えて、バランスを取ろうとして
(あ、無理)
帰宅部のエースと呼ばれた俺の筋力では人二人分の重さに耐えきれず体勢を崩す。
そして
「「——っ」」
二人の唇が重なった。
「んっ、ぁ」
「……っ、ぁ、す、すまん!」
数秒か、数分か。
ハッと我に帰った俺は慌てて体を離し頭を下げた。
(……柔らかかった……それにいい香りがして、甘くて、なんか蕩けそうでっていやいや!?)
振り返してくる先ほどの感触を頭を振って追い出す。
「ほ、ホントにすまん! 決してワザとじゃなくて」
「……」
「あの、支えようとしたら体制が崩れて……」
「……」
「えっと……」
「……」
地べたに座り込んだまま謝っていたが、夜空からの反応が無く、恐る恐る顔を上げる。夜空は口に手を当てたまま俯いていた。
「よ、夜空……」
「…………ったから」
「え?」
「べ、別に、いやじゃ……なかった、から……」
顔を真っ赤にしながら目を逸らしながら話す夜空に、鼓動が早くなる。
「……あのさ、夜空。ちゃんと責任、取るから」
「……へ!?」
「だから夜空! 俺と——」
「ま、待って!」
「もごっ!?」
言おうとした俺の口を手で押さえつけ、言葉を遮る。
「待って、それは私から言わせて欲しいの!」
「い、いや! これは男の俺が言うべきだ!」
「私に言わせて!」
「いいや、俺が言う!」
「私が——!」
「俺が——!」
ワーワーギャーギャーと、偏差値の低い言い合いを続ける。何故だか昔に戻ったみたいで、少し嬉しくなった。
結局、二人とも落ち着くのに十分かかった。
「はぁ、はぁ、これは俺から言わないとカッコつかないだろ」
「はぁ、はぁ、元々カッコよくないんだから変わんないよ」
「あぁん!?」
「本当のことでしょ!」
再熱
「……じゃあさ、一緒に言おうぜ」
「……そうだね」
疲れ果て、お互いに寄り添いながら壊れたベンチに寄りかかる。
「……じゃあ、言うか」
「……うん」
向かい合い、目を見つめ合い言葉を紡ぐ。
「俺、星空聖夜は」
「私、月見夜空は」
「月見夜空の事が」
「星空聖夜の事が」
——大好きです
fin
おまけ
「ただいま、姉さん」
「お帰り、遅かったね」
「あぁ、ちっと公園のベンチで話してた」
「ふーん」
「……なんだよ、ニヤついて」
「べっつにー。良かったわね、仲直りできて」
「……別に喧嘩してたわけじゃないし」
「それで? 何処の公園?」
「昔よく遊んだあの公園。ひとつだけベンチあっただろ。かなりボロボロだったけど、まだあったからさ。そこで話してた」
「…………え?」
「え、なんだよ……」
「だってあそこの公園、もう随分昔に立ち入り禁止になってるわよ?」
「……ふぇ?」
「あのベンチだってとっくに壊れて撤去されてるし」
「……」
翌日、同じ話を聞いたらしい夜空と再び公園に足を運んだところ、立ち入り禁止のテープが入り口を塞いでおり、奥に見えた公園には昨日あったはずのベンチも綺麗さっぱり消えていた。
俺と夜空はしばし呆然としていたが、声を揃えて言った。
「「怖っ」」
今度こそfin
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