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落葉滴る中庭③


 見上げる眼鏡が空の白色を反射する。

 縁が太くガラスで覆われ、その視線や感情を隠すのにも一役買っているのだろう。レンズの厚みが左右で異なるようだから、視力の補正のためにかけていることは間違いないようだが。

 視線を逸らし、再び表情を固めたカミロは「ああ」と何か思い出したような声を漏らしてこちらへ顔を向けた。


「話が前後して申し訳ありません、リリアーナ様。もう一点ご報告がございます」


「ん? 他に何か頼んでいたか?」


「ええ、キンケードの件です。自警団のほうで先約の仕事などがあり遅れてしまいましたが、明後日の荷馬車に同行する形でこちらへ来るとの報せがございました」


 屋敷へ来るようトマサに頼んでからしばらく経ったが、あれはあれで忙しくしていたらしい。

 それなりの役職に就いていることだし、たとえ強盗に敗北しようと日々の仕事はきちんとこなしているようだ。

 腐ったりふやけたりしているとも聞くが、あの男はその辺の感情、もしくは公私をきちんと分けていると見える。


「そうか。街からの物資ならいつも午前中だったな、それなら魔法の授業が入っているからちょうどいい。キンケードが着いたら裏庭へ通してくれ」


「かしこまりました、そのように伝達しておきます」


 恭しく礼をする男が見ていない隙に、身じろぎをする。しばらく噴水の縁に座っていたため、尻が少し痛くなってきた。

 カミロがハンカチを敷いてくれて、スカートも何重にもなった厚手のものだが、屋外の石造りはさすがに冷える。

 尻が痛むなんてことはおくびも出さないよう注意しながら立ち上がり、敷かれていたハンカチを軽く折り畳んだ。


「少し長話が過ぎたな、そちらの休憩中にすまなかった」


「いいえ、とんでもありません。今日中にでも、こちらから機会をみてご報告に上がるべきでしたので」


 ハンカチを返すと、それを内ポケットにしまいながらカミロは視線を上げた。自分を素通りするその目を追えば、木々の向こうにエーヴィがこちらへ歩み寄ってくるのが見えた。

 話の区切りとしてはちょうど良いタイミングだが、あちらもずいぶん長い話になったようだ。


「エーヴィ、先生の世話を任せてすまなかったな。ご苦労だった」


「滅相もありません、職務でございますから。魔法師様は先にご自分のお部屋へ戻られました。お嬢様もどうぞ中へ、あまり外にいては冷えてしまわれます」


「ああ、うん」


 いつも通りの平坦な表情、顔立ち。変化の乏しいカミロとはまた違った意味で顔色を読みにくい。

 主人でも賓客でもない相手から長話を粘られたというのに、それを微塵も表には出さない。内心どう思っているかまでは知れないが、職務に忠実な仕事のできる侍女だ。


「化粧や服飾品のことはわたしにはさっぱりだから、また望まれたら話相手になってやってくれ。面倒をかけるが、カステルヘルミ先生はどうもその手のものが大好きなようだからな」


「リリアーナ様は、そういったものにご興味は?」


「ない」


 一言で返すと、カミロもまたひとつうなずくだけで了承とした。

 化粧をするような年齢になるのをフェリバが手ぐすね引いて待っているようだが、公的にそれが必要とされるまではなるべく回避していたい。

 生前の性別がどうこうという話ではなく、顔に何か塗られるという行為自体に忌避感がある。それを落とすのも面倒そうだ。


「お前だったら、顔に粉だの色だの塗りたくられて嬉しいか?」


「……いえ、まぁ、そうですね、性別や立場を差し引いてお答えするなら、塗りたくも嬉しくもないですね」


「だろう……、顔に塗布して何が楽しいのか全く理解できない……」


「そう悲壮なお顔をなさらないでください」


 どんな顔をしているのか自分ではわからない。それでも、いつか必ず来るであろうその時を思えば憂鬱にもなる。

 早く大人になりたいという気持ちは変わらずあるけれど、そうなると身だしなみとしてどうしても化粧や面倒そうな衣服の着用が付随してくる。

 ヒトの文化や慣習なら仕方ない、そう割り切っても嫌なものは嫌だし、面倒くさい。


「化粧は女の武器だ、とも言われますが。切れすぎる刃は扱いも慎重にならざるを得ませんからね。その時がきたら侍女たちとも相談して、程々になさればよろしいかと」


「うん、そうだな。程々に頼みたい……」


 そう返したところで、「切れすぎる刃?」と首をかしげると、カミロは微妙に視線を逸らしてからエーヴィのほうを手で示した。


「化粧に関しては彼女がとても詳しいので、お困りのことがあればお声がけください」


「はい。お化粧に関してはどうぞお任せくださいませ、リリアーナお嬢様」


「ああ、うん。必要になったら、諦めて塗られる覚悟はある……任せる……」


 エーヴィの眉がぴくりと動いたが、それだけではどんな感情の発露かまでは読み取れない。弱気なことを漏らす主人がその目に情けなく映ったか、それとも何か言いたいことでもあるのか。

 憂鬱に肩を落としていると、エーヴィの到着時から離れていたカミロが一歩その距離を詰めた。


「では、必要に迫られてなどではなく。リリアーナ様が個人として、何か望まれるものはございませんか?」


「わたしが、望むもの……?」


 さっそく子どもらしい我侭でも聞こうと言うのか、いつも通り堅い顔をしながらそんなことを問いかけてくる。

 必要なことがあれば、それこそキンケードの件のようにこちらから願い出ているし、同様に兄への誕生日プレゼントを買うための金銭や、あの『秘密の箱』のように欲しい物だってちゃんと口に出している。

 それらではまだ足りないと言うなら、一般的なヒトの子どもというのは一体どれだけ我侭で理不尽な存在なのか。

 だが、子どもらしい我侭を望まれているなら、それを叶えるくらいはやぶさかではない。何せこちらには利しかない話だ。

 唇に指の背をあてて黙考し、自分の中から優先順位の高い望みを掬いだす。

 欲しいもの、叶えてほしいこと、すぐに与えてもらえるもの。


「……ん。では、父上にひとつ『お願い』があるから、伝えてほしい」


「はい、何でしょう?」


「裏庭にクチナシの木を植えてあるだろう。あの端に、以前街で買ってきた肥料をアーロンへ渡して、撒いてもらった部分がある。そのことは聞いているか?」


「ええ、報告は受けておりますよ。肥料がよく効いて、他の木より花も多くついているとか」


「クチナシの木、二株分くらいか。その肥料を撒いた範囲をわたしに譲ってもらいたい」


 言葉の内容を咀嚼するように、カミロの反応に間が空いた。

 物質でも行為でもなく、土地の権利を要求するとは思っていなかったのかもしれない。

 望みとして真っ先に出てきたのがこれなのだが、少々子どもらしい望みからは離れていただろうか。


 この屋敷と調度品の数々、遠く離れた表門から果ての見えない裏庭の端までも、その全てが領主であるファラムンドの所有物であることは承知している。

 じきにふたりの兄のどちらかに継がれるそれらは、どんな理由があろうと勝手に切り取って私有して良いものではない。『イバニェス家』の土地だ。


 ――ここが誰のものでもない土地であれば、とっくに汎精霊たちへ宣言して自分の領地と化していた。防護を敷くにも監視の目を強化するにも、それが一番効率的なのだから。


「……不思議なことを望まれますね。かしこまりました、旦那様へはきちんとお伝えしておきますので、その範囲はリリアーナ様の自由にされて構いませんよ。木を利用するのも、土へ花を植えるのも、どうぞお好きなように」


「花はもう植えないさ、領道と違ってな。ではあの辺りは好きにいじらせてもらおう、クチナシの木におかしなことはしないから安心してくれ」


 白い手袋で覆われた手が眼鏡のブリッジを押さえ、口元を一瞬隠す。肩が微動したし、もしかしたら笑ったのかもしれない。

 カミロは極々稀にわかりにくく笑うところを見せてくれるが、自分の発言のどの点が彼のつぼを突くのか未だによくわからない。

 どうせ訊いたところで素直に答えてくれるはずもないので、無駄につつくことはしないけれど。


 ひとまずは、これで聞くことも話すことも一通り済んだだろう。

 腰だけではなく肩も冷えてきたから、そろそろ部屋に戻って温かいお茶でも淹れてもらおう。元気になったとはいえ、また風邪でもひいてはかなわない。


「では、そろそろ戻る。また何か話があれば……互いにエーヴィを通すんだったな」


「はい、それがよろしいかと。……もしくは。こうして庭を見ながら考えていたのですが、近々、居住棟のサンルームを整えようと思います」


「サンルーム? そんな場所があったのか?」


 まだ広大な屋敷の中を完全に把握したわけではないが、自室のある棟にそんなものがあるとは聞いたことがなかった。

 こちら側のガラスは透明度が高く質も良いから、それを張り巡らせてある部屋があるなら冬の季の昼間は暖かいだろう。見晴らしも良さそうだ。


「しばらく利用されていなかったのですが、窓も調度品も荒れているわけではありません。少し手を入れればまた使えるようになると思います。これから寒い時期になりますし、中庭へ出ずとも緑を鑑賞できる場所なので、きっとリリアーナ様のお気に召すかと」


「それはいいな。座り心地の良いソファか椅子でも置いてくれ、お茶を飲みながらゆっくり読書ができるように」


「ええ、勿論。……その際は私が給仕いたしますよ、こう見えてもお茶を淹れるのは得意ですから」


 なるほど、とうなずけば返事の代わりに眼鏡の奥で目が細められる。

 共有されているサンルームでくつろぎながら読書。それならどんな話をしていたところで、傍目には給仕する従者と休息中の令嬢にしか見えないだろう。

 リリアーナが本を開いていれば、邪魔をしないよう気を遣われる。何か用件がない限り家族や屋敷の者たちは近づいてこないはずだ。

 優しい彼らの気遣いを利用するようで申し訳ないが、自室や書斎を使えないのであれば、その代替としてサンルームは都合がよい。

 この中庭のように冷えないし、長話となってもお茶を飲める部屋は兄たちと利用するにも良さそうだ。

 冬場は何かと閉塞感があるから、たまには場所を変えて本を読むというのも気分転換になる。フェリバたちにも話して、そこに置いておくストールでも見繕ってもらおう。


「ではエーヴィ、部屋に戻る」


「はい」


「カミロはまだここにいるのか?」


「ええ、もう少ししたら戻ります。他の者の作業待ちですから、きっと私がいないほうが捗るでしょう」


 どうやら他の従者たちへ重圧を与えないために、ひとりで中庭へ出てきていたらしい。

 確かに、室内にこの男が無言で控えていたら、作業を催促されるよりも余程やりにくいだろう。自分がどう見られているかはちゃんと把握しているらしい。

 先導する侍女に続きながら背後へ軽く手を振ると、カミロはその場で深く腰を折って頭を垂れた。


 黒い服に灰色の髪、色彩の欠けた男は曇天の下で噴水のくすんだ白と同化して見える。周囲の緑が濃い分、そこだけがひどく浮いていた。

 緑も青空も似合わない。

 ではどこなら似合うのか。取り留めない思考の中では、その答えを出すことができなかった。



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