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原因


 腹時計がしっかり機能したのか、それとも体がもう眠りは十分だと感じたためか、リリアーナは夕刻の手前に目を覚ました。

 体のだるさは相変わらずだが、日に何度も寝ているわりに頭はすっきりとしている。少し腫れぼったい瞼を押さえて、横になったままベッド脇のサイドチェストへ視線を向ける。


<おはようございます、リリアーナ様。じきに夕餉の時刻となります。お加減はいかがでしょうか?>


「ん、おはようアルト。もうそんな時間になるか……」


 朝に悪夢で目が覚めて、そこから気を失うように少し寝て、昼食を終えてからまた眠って。今日は一日中寝てばかりいるから日中でも起きていた時間のほうが少ない。

 ほとんど動いていないというのに腹は減るのだから不思議なものだ。睡眠中もそれだけ消耗しているということだろうか。

 水差しを手に取り、喉を潤してから上体を起こした。熱のこもった気怠い息を吐き、乱れた髪を手櫛で梳く。


「発熱は変わらずといったところだな。体は重いが、喉の痛みなどはいくらか収まっている気がする。……わたしが寝ている間に何も変わったことはなかったか?」


<えっ、あ、ハイ、ええと、特に大きな事件などはなく……>


 何やら困った客が押し寄せる可能性があると聞いて侍女たちのことを心配していたのだが、眠りを妨げられることもなく、見たところ寝室内にも異変はないようだ。その客とやらの正体は知れないが、どうやら大きな問題にはならなかったらしい。

 小さな平穏を乱されずに済み、ほっと息をつく。

 もう何も覚えてはいないが、この短い眠りの間も夢見は悪くなかった気がする。二杯ももらったホットミルクのお陰だろう。

 悪くなかった、という名残りだけをくゆらせて見ていた夢は消えてしまう。没頭していた本からふと顔を上げた時のような、思考の境を跨いだ感覚。掴もうとしても、もう何も残っていない。


「こうして目覚めてみれば夢は夢なのに、夢の中ではそうと気づけないのは、何とも不思議なものだな……」


<私は夢というものを見ないので情報でしか知り得ないのですが、記憶を限定された仮想体験といった感じなのでしょうか?>


「うん……、しかも自分の記憶から形作られているのは厄介だな、知っていることは知っているものとして、そのまま出てくる」


 すでに今朝の悪夢も断片的にしか思い出せないが、普段目にしている情景の中、自分が知っているものばかりだから夢の最中は違和感に気づけない。

 何かおかしいと思いはしても、そういえばそうだったと妙な納得をしてしまってそれ以上を考えられなかった気がする。

 アルトとは目覚めたら必ず挨拶を交わしているのに、それを素通りして寝室を出てしまった。しかも、こちらの身支度を終える前にフェリバが朝食の準備へ手をつけるわけがないのに、体調を気にする素振りもないことを不思議にも思わなかった。


「何か、アーロン爺がどうとか話していたな……赤い花は、暑い時期に咲いていたナスタチウムか? 骨を渡したとか言っていたのは、街で買った置物のことだと思うが」


<骨? あの肥料として渡したベーフェッドの骨ですか?>


「うん。試験的に裏庭の木に使ってもらったが、どうやらこちらの土壌にも合うようだ。そのうち外出許可が出たら、まだあの店に在庫があるか見に行きたいな……」


 上掛けの中で立てた膝に、あごを乗せる。

 夢の中でのフェリバとの会話。影絵のようだった侍女の動き。そして、落ちた首を拾い上げた時の、意外な軽さに驚いたという衝撃。手を濡らす赤い色。

 パズルのピースのようでありながら、それら夢の断片はいずれも鮮明だ。起きてすぐ霧散してしまう普段の夢とは違う、きっとこの先も記憶から消え去ることはない。


 ――悪夢、怖い夢、こわいもの。

 リリアーナにとっての『恐怖』、身近な者たちを失うことへの怖れ。だが、あの夢に現れたのはそれだけではない。

 思い出そうとしなくとも記憶に刻まれて消えない、窓から射した赤い熱線。

 過去にも目の当たりにしたことがあるのだから、その記憶を参照して再現されたものなら間違いない。

 きっと、あの夢の中でリリアーナが窓の外を覗いていたら、そこに居たのだろう。焔の男が。

 リリアーナとして生きている八年分の記憶以外に、自分が持つ記憶はもうひとつある。あの光の束はそこから持ち出された情報だろう。

 生前の夢は見ないと思い込んでいたのに、どうやらそうでもないらしい。



<リリアーナ様……?>


「……うむ、大丈夫だ。夢は夢、ただの仮想であって、現実に起こるものではないさ」


 恐怖を見せるものとして、怖れの記憶を汲み出された結果があの夢ということなのだろう。リリアーナの怖れと、デスタリオラの怖れ。

 魔王であった頃は何も怖いものなんてないと思っていた。だが、もし生前に恐怖の感情を覚えることがあったとしたら、あの男との戦闘以外にありはしない。

 デスタリオラの恐怖の具現。今さら夢でそんなことを知らされるというのも、何だかおかしな気がする。


「どうせ見るなら楽しい夢のほうがいい、おいしいものを食べる夢とか。あの栞に刻まれていた構成は覚えたから、時間のある時にでも少しいじってみるか」


<夢見に影響を及ぼす構成ですか、それはヒトの実験台が必要では?>


「そうだなぁ。周囲の者たちにおかしな夢を見せるわけにはいかないから、まぁ道楽程度にな。手札を増やしておけば、そのうち使い道もあるかもしれない」


 あの栞には酷い目に遭わされたが、それだけで終わらせては損というもの。せっかく知り得た未知の構成なのだから、改造するなり強化するなり存分に活用させてもらうとしよう。

 魔王である間は興味のなかった精神作用の構成だが、ヒトの身となった今なら上手いこと使える場面もあるかもしれない。


 起きがけの倦怠感も落ち着いてきたし、腹も空いたからそろそろ寝室を出ようか。

 リリアーナが足を覆う上掛けを持ち上げると、不意にベッドの天蓋からパストディーアーが下りてきた。今度は逆さまではなく、ちゃんと足が床を向いている。


「なんだ、珍しくまともな登場だな」


〘いつもケレン味を追求してると、かえって新鮮さがなくなっちゃうもの〙


「そういうものか。……ああ、お前がせっかく忠告をくれたのに、気づけなくて痛い目を見たのは失敗だった。気遣いを無駄にしてすまなかった」


〘えっ、あー……〙


 途端に苦い顔をする大精霊に、リリアーナは自身の非を素直に詫びた。


「前々から防御面の脆弱性を指摘してくれていたのに、わたしの注意と備えが足りなかった。自業自得だな」


〘そう言われるとワタシとしても……黙ってたわけだし……〙


「いや、お前が栞のことを感づいていたのはわかっている。だがそんなことまで報せる義理はなかろう、ヒントを与えられて気づけなかったのは、こちらの落ち度だ」


 昨晩眠りに落ちる前に、パストディーアーは心の弱さについて忠告をしてくれていた。

 その言葉をもっと真摯に捉えてアルトに探査を命じていれば、夜の時点で精神への無粋な攻撃を防げたかもしれないのだ。

 与えられた情報の断片とその違和感に、ちゃんと自分で気づくべきだったのに。そんな不注意から侍女たちや侍従長、父親にまで心配をかけてしまった。

 リリアーナが自省に視線を落とすと、そのしおらしい様を見たパストディーアーは両手で頭を抱えてうなり出す。


〘あああぁん、ワタシにも一応、良心みたいなものは存在するのよ。おあああ……そこまで落ち込まれると、……ハイ、意地悪してごめんなさい、知ってました〙


「だからそれは構わないと、」


〘違うわよぉ、栞なんかのことじゃなくて。リリィちゃんが体調を崩している理由よっ!〙


「は?」


 昨晩の忠告と精神汚染の構成について論じているつもりだったリリアーナは、まさかそんな根本的な話に飛ぶとは思わず、つい間の抜けた声を出す。


「この不調が、ただの疲労や風邪ではないと?」


〘軽い感冒は間違いないでしょうけど、ソレは体が弱っていたから罹患したのよ。悪夢だって健康体なら弾けたでしょうに。そもそも、どうして体調を崩すほど疲れているのかちゃんと考えた?〙


「……毎日の授業や、読書のしすぎが祟ったわけではないのか?」


 侍女たちや侍従長、医師の診断でもそういう話だったはずだ。季節の変わり目は体調を崩しやすく、そこに疲労が重なったためだろうと。

 アルトのほうを見ると同様に他の心当たりはないらしく、ぬいぐるみの胴体を横に傾けている。

 そんなリリアーナとアルトの態度に何かを諦めたのか、パストディーアーは頭を抱えていた手を下ろしてベッドの端に腰掛けた。重みがないためマットが沈むことはなく、その上で優雅に足を組む。


〘急にお腹が空くようになったのだって、二度目でしょう? どうしてふたりが気づかないのか不思議なくらいよ?〙


「急な空腹……?」


 そう言われてみれば、幼い頃にも毎日腹を空かせて辛かった時期がある。アマダへ食事やおやつの量を増やして欲しいと手紙を出す前、四歳前後のことだ。

 その頃、歩行や発音が問題ない程度まで生育したと判断して、インベントリからアルトバンデゥスの杖を引き出そうと試みた。だが完全な形で引き出すには力が足りず、宝玉だけを指定しても時間がかかりそうだったため、人目につかない場所を座標に指定したのだ。

 部屋の中や家具の類は侍女にばれてしまうだろうと、ベッドの天蓋に登って天井裏に手持ちの小箱を置いた。その中に引き出しの座標をセットして、異層への小さな穴を保持したまま二年ほどかけて――……


「あ?」


 つい先日にも、それと全く同じことをした。

 今度は寝室の隅に用意した木箱に座標を設定し、以前よりも大きな穴を繋げて、目録を引き出している最中だ。


「もしや、……この疲労感と空腹は、あの箱の中でインベントリへの接続を維持しているせいか?」


 魔王として生きていた頃は当たり前のように行使していた異層のインベントリ。その収納から引き出すと簡単には言っても、ヒトからすればそれは『異空間への干渉』という大魔法に分類される。

 幼い子どもがそんなものを使用し、長時間に渡って穴の維持を続けているとすれば、持ち得る構成だけでなく生きるためのエネルギーを根こそぎ持って行かれるのも当然だ。消耗するし疲労も溜まる。熱量が足りなくなれば腹は減る。


 ほぼ確信を得ながらパストディーアーを見ると、金色の精霊は沈痛な面持ちでうなずいた。

 同時に額を押さえてうなだれる。がっくりと、自分のあんまりな失態に全身から脱力してしまう。

 以前にも同じ症状が出たのだから、もう少し自分の行動を関連付けて考えればわかりそうなことを。どうして言われるまで気づくことができなかったのか。

 ひどい空腹感は、てっきり成長による弊害だと思い込んでそれ以上を考えることがなかった。原因が不明瞭なまま思考停止だなんて、自分らしくもない。


 だが肩を落とすリリアーナの横で、気まずげな表情を浮かべる大精霊は更なる追撃を落とす。


〘それ以前にね、リリィちゃん。……天井の方の接続はちゃんと閉じたの?〙


「…………」


<…………>


 無言のままアルトと顔を見合わせる。

 四歳の時、宝玉の引き出しが済んだだろうと、座標の位置へ置いていた布張りの小箱を回収して、アルトと久しぶりの再会を果たして。天井の板はきちんと元通りに戻して。

 その後は。……何もしていない。


「い、いや、……待て。待て、待てよ、そうすると……もしや、先日の天井裏に鳥や卵がどうとかいう騒ぎの大元は……」


〘まぁ、どう考えても、リリィちゃんが放置してた異層への穴が原因よねぇ?〙



 リリアーナは、今度こそ頭を抱えてベッドに突っ伏した。



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