探索者アルトのターン②
アルトがはっと我に返った時、フェリバはすでにリリアーナの寝室から外に出ていた。もちろん、その手にアルトを乗せたままである。
寝室で話をしていては、その気配や物音でリリアーナが目を覚ましてしまうかもしれないと思ったのだろう。元々寝室を出るつもりでいたアルトにとっては渡りに船であるが、このまま大人しく運ばれて良いものかと思案する。
「トマサさーん、ちょっと良いですか?」
「どうしましたフェリバ、まさかリリアーナ様のご様子に何か?」
「いえいえ違いますよ。じゃーん、見てください、アルちゃんに脚が生えました!」
「…………」
そう言って腕を突き出し、トマサの眼前にぬいぐるみを掲げるフェリバ。
そのにこやかさとは対照的に、トマサの表情は凍り付いている。
それも当然のことだろう、フェリバが寝室に入ってからまだ間もない。ぬいぐるみに脚を縫い付ける時間なんてなかったにも関わらず、リリアーナ以外に誰もいないはずの寝室で、勝手に脚がついたのだから。
気味悪がられるか、いやトマサであればまず原因を確かめようとするだろうか。不審な点がある物品をリリアーナのそばに留め置く性格ではないと良く知っている。もしやリリアーナから引き離されるのではと、アルトは危惧に身を竦めた。
「……腕はないのですか?」
<エッ、まずそこです? 気になるのそこなんです?>
今度ばかりはさすがにたまりかねて突っ込んだ。
そんなアルトの困惑もよそに、トマサはあごに手を添えて眉根を寄せる。
「かといって真ん中に腕をつけると、六本足の虫のようで気持ちが悪いですね……底面にもう二本つけるのはどうでしょう?」
「ちっちゃい手をつければ良いんじゃないですか、ウサちゃんも前脚は小さいですよ?」
「フェリバ、このぬいぐるみはウサギではなく……」
<いや、あの、スイマセン、ちょっとよろしいですか?>
当のアルトを置いていつも通りのやり取りを始める侍女たちの会話へ、角を揺らして割り込んだ。
<フェリバ殿はともかく、トマサ殿はもうちょっと怪しむとこじゃありません? 自分で言うのも何なのですが、ぬいぐるみに脚が生えて動いてしゃべってるんですけど……>
「その程度のことで動じていては、リリアーナ様の侍女は務まりません」
<あっ、ハイ……なるほど……?>
納得できるような、そうでもないような。釈然としない思いに少しだけ身を傾けると、それを見たトマサは目元を和らげた。
「そもそも、朝に危険な栞の位置を示してくれたのだって、あなたではありませんか。話せるのだろうと知ってはいても、声を聴いたのは初めてでしたので多少驚きましたが」
<……アッ!>
その言葉に今朝の出来事を思い出し、合点がいった。
ヘッドボードの上に置かれていた本から『露台に咲く白百合の君』を抜き出したトマサではあるが、そこに危険を及ぼすものがあると示したのはリリアーナではない。角を動かし、念話でその在処を指したのはぬいぐるみのアルトだった。
急を要する命令であったため、あの瞬間はリソースの大部分を探査に向けていた。その結果にばかり気を取られて、思念波の効果範囲を絞りきれていなかったのだろう。
侍女の前で命令してしまったリリアーナと同じく、動転していて自分の指示でトマサが動いたことにも気づけなかった。
<あー……、あぁ、そうですね、そうでした、何たる不覚……>
「別に構いません、迅速に危険物を見つけ出して下さったことには感謝しております。そもそも、常日頃から私共の目がある場所でも動いておられるでしょう、秘密にしておきたいのでしたらもっと注意深く過ごされることを推奨いたします」
<あっ、ハイ……>
ごもっともで、とアルトは両の角を力なく垂れ下げた。
「それで、脚まで生やしてどうされたのです。フェリバが勝手に持ち出したということはないでしょう。どこか行きたい場所でもあるのですか?」
「さっすがトマサさん、話が早い!」
「その風体でお屋敷の中をこそこそと動き回られるよりは、行き先と目的を明かして頂いたほうが安心できますから」
<はぁ……ええと、行き先の目星はいくつか。目的は、情報収集でございます>
アルトの言葉に、侍女たちは揃って怪訝な顔を浮かべた。
「私てっきり、アルちゃんお腹が空いたのかなーって思ってたんですけど」
<ぬいぐるみなので、食事はとりませんな……>
「それだけ動いてしゃべっていては説得力はありませんよ。それよりも、情報収集と仰いましたね、詳細をお伺いしても?」
トマサは姿勢を正したまま腕を組み、話の先を促す。突然持ち主であるリリアーナの元を離れたぬいぐるみがそんなことを言い出したのだ、侍女の疑問も尤もである。
動いてしゃべるぬいぐるみに対し、すんなりと受け入れられている点に関しては未だ不可解さは拭えないものの、礼節をもって接した上できちんとこちらの話へ耳を傾けようとするトマサに対し、アルトは開示できる範囲で話すことを決断した。
<リリアーナ様に対して秘匿されている情報を探りたいと考えております。ご家族や屋敷内の皆様のことを信用していない訳ではありませんが、様々な理由をつけてはリリアーナ様へ対して隠蔽している情報の多さ、目に余ります>
「……左様ですか」
直截な指摘を受けたトマサは、瞑目して短くそう答えた。
その瞼の裏にどんな思惑や感情の色が秘められているのか、アルトには察する機能は搭載されていない。
リリアーナは、自分に知らされないことには意味があると信じている。そこには大人たちの配慮と愛情が介在しており、情報の秘匿にはそれだけの理由が存在するのだと。
だがアルトからしてみれば、それらは単に「知らせたくない」という大人たちの身勝手に他ならない。リリアーナはそんな大人たちの想いを正しく受け取り、その心を慮って自らの知りたいという欲を抑制しているのだ。
あれだけ知的好奇心旺盛で、気になることがあれば何でも知りたがる性質をしているのに。――また、そんな所でも、周囲の者ばかり思い遣って自分のしたいことを犠牲にしている。
アルトには、リリアーナの我慢が、我慢ならない。
<リリアーナ様のご年齢とお心を気遣い、ふさわしくない情報を遮断しているというそちらの事情も理解しているつもりです。ですが、リリアーナ様の方にも、自ら情報の取捨選択をする自由があって良いはず>
「それで、あなたが代わりに情報を拾ってきてリリアーナ様へお知らせしたいと?」
<いいえ>
アルトは角を左右に振って否定を表す。
フェリバの手の中はすわりが良く、勢いをつけて振っても本体がつられて動くことはなかった。
<私はただ情報を集積するだけで良いのです。リリアーナ様が知識を欲した時に、必要な情報を開示することができればそれで。それが私の役割です>
『大全の叡智』と謳われたアルトバンデゥスの杖から分離され、今では思考を司る宝玉とそれを覆うぬいぐるみだけとなった身。行使できる機能はかつてと比べるべくもなく、地下集積路から新たな知識を汲み上げることすら叶わない。
……それがどうした。できないことがあれば、何か別の方法でできるようにする。トライアンドエラー、試行錯誤を趣味のようにしていたデスタリオラの常の試行法だ。
そう、自身の手に情報がないのなら、新たに得たこの体と脚で自ら情報収集に動けば良い。アルトは溢れる気概とみなぎるヤル気に、角と脚を蠢かした。
「……お気持ちはごもっともですが、リリアーナ様が欲する情報は屋敷内を徘徊して得られるような、噂話の口に上る程度の話題でもないでしょう。一体どちらへ向かうおつもりなのです?」
<時間は限られておりますので、父君の私室、執務室、控え室、兄君の私室のいずれかを当たりたいと考えています。リリアーナ様のお目覚めまでには戻りますので、どうかここは見逃して頂けないでしょうか?>
ボタンの目でひたと見つめると、トマサは腕組みをしたまま細い息を吐いて、「フェリバ」と名を呼んだ。呼ばれた方はアルトを持つのとは反対の手をぐっと握りしめて拳を掲げる。
「はい、お任せくださいー!」
<フェリバ殿……?>
「情報収集に関してはお引き止めいたしません。ですが、そのお姿で徘徊してはまず間違いなくネズミと間違われることでしょう。屋敷内に不要の混乱をもたらすわけには参りませんから、フェリバに目的地付近まで運ばせます。よろしいですね?」
<あ、はい、よろしくお願いします……?>
いやに協力的な侍女ふたりに、アルトはぬいぐるみの上半分を捻った。
気前と乗りの良いフェリバはともかく、生真面目な性格をしていると思しきトマサまでもがこの探索に協力してくれるとは予想外だった。
その意図は読めないが、リリアーナに対し誠心誠意仕える彼女に何か裏があるとも思えないし、ここは有り難く助力を受け取っておくべきだろう。
釈然としない部分にはそう結論付けて、手のひらの上で反転し、フェリバの顔に向かって礼をする。
<ではフェリバ殿、お手数をかけますがよろしくお願いしますぞ>
「任されましたよー。ひとまずエプロンのポケットに隠れていてくださいね」
視点が下がり、白い布のポケットへと落とし込まれた。リリアーナのワンピースにつけられたものより深いため、角を立てなければ外からぬいぐるみの姿が見えることはないだろう。
「ふふふふふ、リリアーナ様とおそろいですね、これ!」
「あまり浮かれすぎないように。それから、あの方がこちらのお部屋へ見えられるかもしれないのですから、寄り道はせず戻りなさい」
「はーい!」
フェリバは両手で拳を作ってから、思い直したように解いた手で制服の裾をつまみ、綺麗な礼をして見せる。
及第点といった表情でそれを見たトマサはひとつうなずくと、廊下への扉を開けて後輩侍女とぬいぐるみを送り出すのだった。




