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安息のひととき


 侍従長が退室すると、寝室の方にいたらしいフェリバがひょこひょこと近づいてきて皿とカップを片づけ始める。今の対談中に汗で濡れたシーツなどを替えてベッドを整えてくれていたのだろう。おそらくその前にはワゴンを厨房へ運び、使用人棟の自室とこの部屋を往復していたはずだ。


「フェリバ、クッキーありがとう。歯応えがあっておいしいし、あれはミルクとも良く合うな」


「へへへ、リリアーナ様に喜んでもらえて良かったです。ナッツとかの入っていないクッキーならお出ししても大丈夫と言われたので、それならこれかなって」


 相好を崩したフェリバは、それから少しだけ表情を引き締めるとこちらの額へ手を伸ばしてきた。


「ちょっと失礼しますね。んー……、やっぱりお熱はまだ高いですねぇ、顔色はかなり良くなったみたいですけど。お辛くないですか?」


「食事をしてホットミルクを飲んだらだいぶ楽になった。眠いから、また少し寝ておこうかなと思う」


「はい、そうなさってください」


 フェリバの後ろからやってきたトマサが、肩にストールをかけてくれる。

 腹が満ちたのと、手にしていたホットミルクが温かかったため意識していなかったが、座っている間にだいぶ肩を冷やしていたようだ。厚手の布に包まれて、その暖かさにほっとする。


「そういえばトマサ、ベッドのそばに置いていた二冊の本が見あたらなかったが。片づけてくれたのか?」


「はい、お手元から勝手に離しまして申し訳ありません。挟まっていた栞の方に悪因があったそうですが、お眠りになられているリリアーナ様のおそばへあの本を置いておくのが、どうしても不安だったものですから……」


 本に罪はないように、トマサも悪くはない。

 その件については「構わない」と首を振ってストールの前をかき合わせた。『露台に咲く白百合の君』によって精神異常付与の栞が手元へと運び込まれたのだから、トマサの抱く不安も理解できる。

 ベッドのそばにあの栞がなければ、もしかしたら夢への影響も出なかったかもしれない。そうなると、部屋の本棚へ収めずベッドからも手に取れる位置に本を置いていた、リリアーナのものぐさが一因ということにもなる。

 今回のことを教訓として、今後はあまりベッドの周辺に物を置かないようにしよう。


「侍従長にも、今日はもう本を開かないと言ってしまった手前、目の届く範囲に読みたい本はない方が助かる。手の届く位置にあの二冊があると、誘惑に勝てないかもしれないからな」


「それは、ええ、そうですね。お体の調子が優れない中に、朝からお疲れになられたでしょう。本日は読書も控えてゆっくりとお休みください」


 そう言って目を細めるトマサと、横でうなずいているフェリバを座ったまま見上げる。

 いつも通りの光景、いつもと何も変わらずふたりがそばにいてくれることがたまらなく嬉しくて、その実感が何とも面映ゆい。

 日常としてこの身に浸透し、ふたりの存在はなくてはならないものとして心に刻まれてしまった。もう消すことはできない。……ならば、最後まで守り抜くしかない。


 大切なものができるのは弱点ではなく強さの元なのだと、書斎で読んだ昔の勇者の本にも書かれていた。なかなか良いことを言う勇者もいたものだ。


「リリアーナ様?」


「いや、何。お前たちが無事にいてくれることが嬉しくてな……」


「ひどい夢を見たばかりですもんね。たくさん眠って、楽しい夢をいっぱい見て、イヤなことなんて早く忘れちゃってください」


 特効薬だというホットミルクを二杯も飲んだのだから、きっともう悪夢にうなされることもないだろう。

 夢の話になったところで、胸の前でこぶしを作っているフェリバに何となく訊いてみる。


「フェリバが見たえげつない夢というのは、どういうものだったんだ? やはり親しい者を失うような内容か?」


「いえ、全然そういう方向ではないんですけど……たとえば、子どもの頃に見た夢なんかですね……」


 かつて見た凄惨な悪夢を思い出しているのか、表情の色と声音を落としてフェリバは重いため息を吐く。


「お父さんが丹精込めてスープを作ってくれたある夜、喜んでカップを持ち上げたら底が抜けていて……全部ドッバァァと」


「わぁぁ」


「あとは、朝起きたらお父さんがホットサンドを作っておいてくれてて。自分で温め直そうとしたら、いつの間にか真っ黒焦げに……」


「うわぁぁ」


「表面の焦げた部分だけを払えば中は食べられるはず、と思って削いでいたら、削いでも削いでも中まで黒くてホットサンドが全部なくなってしまったとか……」


「あぁぁぁ……」


 アマダの作った料理が目の前で無惨にも失われるとは、とんでもない悪夢だった。フェリバと一緒になってその場で頭を抱える。

 幸いにしてリリアーナには手で持つカップでスープを提供されたり、温め直しの必要が生じることはないが、今後は皿の底が抜ける連想をしてしまいそうだ。フェリバが朝、「口にするのもはばかられる」と言っていたのに、うかつに訊いたことを若干後悔した。


「リリアーナ様、どうかその辺になさってそろそろ寝室へ。お体が冷えてしまいます」


「う、うむ、そうだな」


 トマサの手で支えられながらソファから立ち上がる。

 立ちくらみなどは起きなかったが、やはり少しだけ足元が覚束ない。体温がほんの少し高くなるだけでこんなに支障が出るとは不便なものだ。

 食後のテーブルへ置いたままだったアルトをフェリバが回収し、侍女ふたりを連れて慎重な歩みで寝室へと移った。

 アルトを見た時に何か思い出しかけたが、眠気の薄霧に包まれかけた思考が途中で回転を止めてしまう。きっと重要なことではないだろう、次に起きた時にでも考えれば良い。今はとにかく、眠い。


 侍従長かファラムンドが訪ねてくるだろうと予想し部屋着に袖を通していたが、新しく用意してもらった寝間着にまた着替え直す。

 いつも通りベッド横のサイドチェストにぬいぐるみを置いて、掛け布団を捲ってもらった中にもぐり込んだ。

 取り替えたてのシーツが肌にさらりとして心地よい。力の抜けきった頭が枕に沈み込む。


「トマサとフェリバにも、朝から迷惑をかけたな……」


「いいえ、とんでもありません」


「なーんにも心配せず、ゆっくり休んでください」


 水差しも取り替えてもらい、あとは寝るだけ。腹が満ちてほかほかとして、全身が蜜のような眠気と倦怠感に包まれている。もう幾ばくもしないうちに眠りに落ちそうだ。

 そこで寝付いてしまう前に伝えておくことがあったと思い出し、重い瞼をこじ開けて、横になったままフェリバとトマサを見上げた。


「何やら、父上を煩わせている来客がここへも押し掛けて来るらしい。わたしが寝ていると言って追い返せば良いが、もしふたりの立場では相手をするのが難しそうなら、侍従長を呼ぶといい」


「そ、それはすっごく怖いですね、了解しました。トマサさんに足止めお願いして、その隙に私がピュッと侍従長をお呼びしてきますね!」


「勝手に役割を決めな……いえ、かしこまりました。寝室への侵入は必ずや阻止してみせますので、リリアーナ様は何もご心配なさらず、どうぞ安心してお休みくださいませ」


 もしかしたら、ふたりは客人の正体に心当たりでもあるのかもしれない。戦慄に震えながらも頼もしく返事をする侍女たちに笑いかけ、長い息を吐いて瞼を閉じる。


 もう次の呼吸は、安らかな寝息に変わっていた。



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