間章・つよい魔王さまは臣下が欲しい。③
部屋の入口付近でこちらの様子をうかがっていた案内の蟻が退室してすぐに、念話の声が響いてきた。部屋全体を対象として思念を送っているのだろう、周囲の空気にも振動に似たものが走る。
<歓迎いたします、魔王デスタリオラ。このたびは第六十七魔王就任お慶び申し上げます。わたくしの名はワウ・トライテ、この群れの女王です。我が子らが無礼を働いたとのこと、謹んでお詫びいたします>
「ああ、先程の件なら構わない。それより、こんなに深くまで招いてくれたこと感謝する。巣の中を一度見てみたかったんだ」
<皆が力を合わせて作り上げ、手入れをしてくれている自慢の我が城です。お目に適うものがあれば幸いに存じます>
深く、包み込むような声音だ。伝達する言語にどこかぎこちなさのあった他の蟻とは違い、女王はなめらかな語り口を披露する。
生涯に渡り一族の蟻を産み続け、房室を構えてからはほとんど移動することなく百年以上の時を生きる女王蟻。この部屋のすぐ下にいるというが、その姿を直接目にすることができなかったのは少し残念だ。
房室は寝室と産卵部屋も兼ねている。魔王との会談とはいえ、さすがに女王のプライベートな空間へ他種族の男を招き入れる訳にはいかなかったのだろう。
「さっそくではあるが、ワウ・トライテ。部隊長にも伝えた用件について話し合いたい」
<我ら大黒蟻を、雇用なさりたいというお話ですね。魔王様の庇護下へ入れるのでしたら、我々に否やはありませぬ」
「庇護下というか……まぁ危害を加える気はないし、雇用の際には働きに応じた報酬も支払おう」
<報酬、と仰いますと?>
相手の姿がないため目を向ける位置に悩んだが、結局床の真ん中辺りを見ながら話すことにした。平らに均して固められた土の中心、埋まった石英の欠片に視線を固定する。
「お前たちの欲するもののうち、払えるもので支払うつもりだ。食糧でも資材でも、何が欲しいか聞かせてくれ。それと当面の間は住み込みになるわけだから、城の付近に仮の住居を掘る必要があるな。空き部屋なら城にいくらでもあるが、お前たちは地中の方が過ごしやすいだろう?」
<はぁ……はい>
「仕事は主に破損している城の改修工事だ。大きな岩をどかしたり金属塊の移動など力仕事が必要な面は、相応の者を他から連れてくるつもりだから後ほどすり合わせよう。完成図など引ける技術者もこれから探してくるが、そちらに得意なものがいたら是非紹介してくれ」
<えぇ……はぁ>
「午前中働いて昼休みを挟み、午後は日が落ちるまで作業をしてから終業といった形で考えている。休日は隔日交代制や三日制など、そちらの希望があれば聞かせてもらいたい。仮の巣を作った後は交代要員含めてまずは百名ほど寄越してもらいたいと思うが、都合はどうだ?」
<あの……えぇと……>
要領を得ない言葉ばかり返すワウ・トライテは、何か思案している最中なのだろう。一族を外部へ出すことは巣に常駐する労働力の目減りを意味する。群れを率いる者として、その決断に慎重になるのもしかたない。じっくりと返答を待つことにした。
やがて考えがまとまったのか、思念なのにどこかおずおずといった雰囲気でワウ・トライテは切り出した。
<百匹ほど移住させて、城の改修をお手伝いすればよろしいと。……本当にそれだけで?>
「あとは庭の手入れや警備なども手伝ってもらえたら嬉しいが、それは後回しでいい。手が空いたらまた相談しよう」
デスタリオラはてらいのない態度で、何でもないようにそう応える。
その程度のことで魔王が食糧や資材の報酬を約束するなど、何か騙されているのではないかと疑いかけた女王蟻だったが、当の魔王本人がこうして巣まで出向いている以上、無駄な疑念を持つことをやめる。待遇も労働内容もにわかには信じがたい内容ばかりだが、ひとまず丸っとすべて受け入れよう。
そもそも、一度実力行使で襲いかかって撃退された挙げ句、一匹残らず治療を施され、死んだ子はいないというのだ。それも、知らなかったとはいえ魔王相手に。こちらに拒否権などあるわけがない。
次々に持ちかけられる話へひとしきり慌てた後、ワウ・トライテの胸へ去来したのは静寂にも似た平坦な感情だった。諦めとも言う。
そんな女王の胸中など知りもしないデスタリオラは、もっと具体的な報酬と保障を提示するべきだろうかとひとつ唸った。
「ふむ。大黒蟻側として何か我に望むものはないか? 一通りのことは叶えてやれると思うのだが」
<……では。二点、ございます>
「言ってみろ」
望みなどないと言われたら交渉材料を失うところだったから良かった。他者では叶えるのが難しいことならもっと良い、と思いながら先を促す。
<地表の大岩を目印として巣を構えたのですが、掘ってみるとこの岩は地中深くまで埋まっておりまして、巣の拡張の障害となり困っているのです。一ヶ所だけでも、岩へ穴を穿つための力をお貸し願いたく>
「そんなことならたやすい。それで、もう一つは?」
<巣の付近は元々雨があまり降らないのですが、ここ数年は特に渇きがひどく上層の通路が崩れがちで。もし可能であれば、年に数回ほど軽い降雨をお願いできればと>
「ああ、それも問題ない。口約束だけでは何だから、手付けとして今晩中にでも一雨降らせておこう。報酬はそれだけでいいのか?」
<我々の力ではどう努力しても叶わぬ願いです、感謝いたします魔王デスタリオラ。貴方になら安心して我が子らを託せます。……つきましては、わたくしから一点、提案がございます>
大黒蟻の巣穴から脱し、大きく伸びをしながら肺いっぱいに空気を吸い込んだ。地中でも呼吸には問題なかったが、やはり地上で生きる自分には空の下が適している。
日はすっかり沈み、天を覆う藍色の夜空は一面に星屑を散りばめている。爪傷のような月の位置を見ると、地下へ潜ってからそれなりの時間が経過しているようだ。だが、かけた時間に対し余りあるほど有意義な会談だった。
<確認:よろしかったのですか、デスタリオラ様。女王のあの提案を飲んでしまわれて>
それは提案の内容に対する確認というよりも、大黒蟻の女王をそこまで信じるのかという問いだろう。
この際、信用はまだそこまで重要ではないのだ。来訪の目的である労働力の確保は取り付けられたし、対価や不安要素に対しては考えもある。そもそも信頼関係など初対面で築けるようなものではない。
もし女王の腹に一物あり、後々裏切るようなことがあったとしてもそれも折り込み済み。魔王城はすでに魔王の領域なのだ、近づいて悪さを働こうとした時点でもうその種は詰んでいる。おそらく、あの賢明な女王ならばそんな愚かな真似はしないだろうとも思うが。
「あれはなかなか面白い提案だ。食糧の確保、移動経路、交代要員の派遣、連絡手段……それらの問題を一挙に解決できる。まだ他にも何か考えがある様子だが、あの女傑はいいな、またそのうち機会があれば話をしてみたい」
<確認:蟻……ですよ?>
「蟻だぞ?」
何を当たり前のことをわざわざ確認してくるのか。青い宝玉を見ても、釈然としない様子で特に返答は返ってこなかった。
老師の遺産、すでに失われた精製手法によって生み出された奇蹟の宝石。アルトバンデゥスにはまだ言っていないが、大黒蟻と手を結ぶことにはもう一つ大きな意味がある。地下の小部屋で見た石英の欠片を思い出しながら、これから先のことを思案する。きっと、彼らはキヴィランタの役に立ってくれるだろう。
「……さて。では約束通り、一雨降らせてから移動しようか」
一息ついたところで、アルトバンデゥスの杖を高く空へと掲げる。
遥か上空、大気中の水分子を集結。あまり大きな結合をしない内に降ってくるよう低空を指定して冷却。一ヶ所へ集中させないため、目を凝らしてなるべく遠くまでを見据える。
「……少し風を起こして雨雲を移動させればいいか」
杖の先端で円を描き、編み上げた構成を重ねて力を込めた。あまり全力を注ぎすぎて豪雨を降らせてもいけないが、そうなると加減が難しい。この辺の調整や構成の編み方はまだまだ訓練が必要だろう。
そうして完成した構成陣を空へと放つ。効果が足りなければもう一度と思っていたが、どうやら無事に成功したらしい。星の瞬きに満ちていた空が次第に曇り、厚みを増した雲からぽつぽつと水滴が降ってきた。
地面を潤すには雲の大きさが心許ないものの、これは手付けの雨だから問題あるまい。第一陣が城へ到着した際にでも、また調整を加えた雨雲を作って降らせてやろう。
開いた手のひらで雨粒を受け止めていると、不意にアルトバンデゥスから思念の警告が入る。
<報告:デスタリオラ様、南西の方角より中型の飛行生物が接近中です>
「中型? 鳥の類ではなくドラゴンか?」
<解析:おそらくそれに類似したもの、飛竜または翼竜の個体かと思われます。急速に発生した雨雲を不審に思い、様子を見に来たのでしょう。もう少し接近すれば種族の詳細も判明します>
「飛竜か翼竜……。ふむ」
顎に手を添えて、南西の空を見る。目視ではまだ小さな黒点だが、あれが飛来生物だろう。障害物の少ない荒野、日の落ちた暗い夜、他者のいない現場に空を飛ぶ竜、……ちょうど良い。
デスタリオラは足元へ転がる手頃な石をひとつ拾い上げた。
「なぁ、アルトバンデゥス。この石を全力で投げたら、堕とせると思うか?」
<回答:余裕です。ただその際は、威力よりも照準が肝要かと>
「狙いさえ外さなければいけるってことだな。よし、試してみよう」
頭を撃ち抜くわけにはいかないから、狙うなら胴体よりも翼だ。小さな穴が空いた程度では墜落などしないだろう、せめて皮膜か羽根を破く程度の威力を込めて。
<解析:対象、最接近します。種族は翼竜と判明、来ます、五・四・三・二……>
黒い点はたちまち形を持ち、肉眼でも竜のシルエットを捉えた。アルトバンデゥスのカウントに合わせて石を構え、上空を視る。雨雲の上を通過しようとするその直前を狙い、振りかぶり、――思い切り投擲した。
音が届かないため手応えはないが、飛行の軌道が目に見えて狂う。飛びながらバランスを大きく崩した翼竜は、そのまま螺旋状に急降下していく。
少し離れた場所へ墜落しそうだ。アルトバンデゥスに落下点の予測を任せ、そこまで走って行くことにした。
<質問:翼竜を捕らえて何に使われるのでしょう?>
「それは勿論、飛ぶためだ。承諾してくれるかはわからないが、背中に乗ればひとっ飛びであの岩山まで着くし、帰りも楽だろう?」
<納得:左様でしたか。翼竜の肉は質が良いとされる為、食用または大黒蟻への報償としてご利用なさるのかと>
「我は食事を必要としない。報償も願われれば考えるが、今は騎乗に使う方が有用だ」
低木と岩をいくつか跳び越えると、そこに墜落したばかりの翼竜が横たわっていた。
……頭から地面に激突したらしく頭蓋が割れ、目玉が落ち、衝撃で腹が裂けて内臓が漏れ出ている。前脚と翼は折れ曲がり、嘴は跡形もない。辺り一面が赤い血溜まりと化していた。
ほぼ即死に見えるが、かろうじて内臓の一部が動いているようだ。
「あああ、しまった、まずい、しぬ、しぬ、回復、修復だ!」
<応答:は、はい! 頭蓋内部は眼球以外損傷軽微、まずは骨の修復からどうぞ。内臓は循環器ほぼ駄目ですが、おそらくまだ間に合います、同時にそちらも優先で。それから……>
何事かと周囲を取り巻いていた野良精霊たちを総動員し、大急ぎで翼竜の修復を試みる。
心臓が破裂し大きな血管も断裂していたというのに、繋げて循環を促せばすぐに鼓動が復活するのには驚いた。さすがは生命力の強い竜種というだけあって、心臓以外もその形さえ復元すればどの臓器も元通り動き始める。骨格、循環器、内臓、眼球、筋肉、表皮、翼と戻していけば、大して時間もかからないうちに毛並みの良いドラゴンの姿が現れる。
毛というより羽根だから、この場合は羽根並みが良いと表現するべきだろうか。美しい光沢を放つ白い翼をひと撫ですると、そばで治療の様子を伺っていた大きな瞳が瞬きをした。
皮膜の翼を持つ飛竜とは異なり、翼竜は鳥の羽根とたてがみを備えるドラゴンの亜種だ。ブレスを吐かない代わりに魔法が巧みで、飛行技術にもそれを応用していると与えられた魔王の知識にある。
羽根を撫でた手でたてがみや首のあたりも撫でてやると、心地良さそうに目を細める。粗方修復が終わったので、最後に水を流して土と血液で汚れた羽根を綺麗にしてやった。
「こんなものか。いや、驚いたが、間に合って良かった」
『ありがとう、見知らぬ方。飛行中に突然翼が壊れて墜落したの、あなたが助けてくれなければ危ないところでした』
「危ないというか、ほぼ死んでたがな。いや、そもそも我が石を投げたのが原因だ……その、すまなかった」
『ふふ、何を仰います。石を投げられた程度で私の体は傷つきません。ああ、申し遅れました、私は翼竜イトの娘、セトといいます』
「いや、本当に投げた石で翼を、」
『うふふ、いいのですよ、気を遣わなくっても!』
一笑に付された。信じられないというならそれでも良いが、後でもう一度事情は説明しておくべきだろう。何やら助けられた恩を過剰に感じているようだが、死にかけた原因はこちらにあるのだから。
そう複雑な思いにデスタリオラが眉をしかめていると、アルトバンデゥスから潜めた念話が飛んでくる。
<提案:翼竜は竜種の中でも脳の容量が小さく、比較的思考が単純なのです。難しい話は置いておいて、この際、喜んでいるのならそれで良しとしておきましょう>
「いや、脳の大きさの問題ではないだろう……」
『能力? 私の能力はもちろん飛翔と、風を操る魔法も得意ですよ。見知らぬ方、良かったら背中へ乗ってくださいな、お礼にどこへなりと運んで差し上げましょう!』
<結論:この通り、チョロいのです>
「えー……」
その後、翼竜セトのふわふわとした背に乗って、ひとまず魔王城まで戻ることにした。




