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書斎での邂逅 ✧


 図鑑に掲載されているスケッチは描き手によるから仕方ないとも言えるが、期待していたより筆致が荒かった。あまり魔王城の蔵書と比べるようなことはしたくないものの、挿し絵と印刷技術の面ではキヴィランタの方が上を行っている。紙質自体は聖王国の方がよほど良いものが出回っているというのにおかしな話だ。

 海草について調べるため手に取った図鑑は、奥付の発行年を見てみるとずいぶん古い本だった。何代前の領主が買い求め、いつからこの書斎に収められているのだろう。

 領主の屋敷の書斎というだけあって蔵書量はかなりのものだが、聖王国中の本がここに集められているわけでもない。いつか中央へ赴く機会があれば、そちらの図書館なども見学してみたいものだと思う。


 ……もっとも、そうそう聖王国の中枢へ向かうような用事など生まれないだろう。貴公位の子女は、十五歳記になると中央に集まってお披露目のようなことをすると以前トマサに聞いたことがあるから、行けるとしても早くて七年後。いくら図書館に興味があっても当面は手が届かない。

 大陸中から様々な物と情報、ヒトが集まるアグストリア聖王国の中心部。おそらく、()()のうち何名かは現在そこにいるのだろう。


「デスタリオラとしての死から、今年で三十八年か……勇者やその仲間も、まだ生きている者はいるだろうな」


<すでに壮年から老年でしょう、存命であったとしても物の数ではありませんとも>


「老いて力衰えても油断はならない。何かの折にでも接触して怪しまれてはかなわん、いつか中央へ行くなら注意しておかねばな」


 そういえばこの書斎には、最近の勇者に関する書籍が全く置かれていない。遥か昔のものであれば、冒険譚に仕立てられた物語が十冊ばかり読物語の書棚に収められていたので読んでみたが、ここ二、三百年ほどのものは一冊も見あたらなかった。

 物語が伝わっていないか、本として形になっていないか、もしくは蒐集していないのか。

 別に自分と相対した勇者のことなど知りたいとは思わないし、どうせ魔王側のことは不当に悪辣な表現をされているのだろう。執筆がヒトの手によるものであれば、その点は仕方がない。それでも内容には些か興味があるから、今度ファラムンドと話す機会があったら訊いてみよう。

 冒険譚の類は種類が豊富だし、奥付の日付が十年前の本もあったから嫌いというわけではないと思われる。中には他の資料や歴史書などよりずっと手垢にまみれて、綴じの糸と糊が痛んでいるものもあった。何人もの領主とその家族が繰り返し読んできた証拠だ。長い時を経て、その血を引く自分も手に取りここで読んでいる。何とも不思議な心地がする。



<リリアーナ様、こちらへ誰か来るようです>


「珍しいな、レオカディオか?」


<えーと、もう少しだけ大きいですね>


 その言葉に扉の方を振り返ると、廊下側から鍵を差し込む金属音がした。ガチャリという音。……施錠された、と思ったらすぐに開錠されて扉が開く。元々開いているとは思わずに間違って鍵を掛けてしまったのだろう。

 そろりと開けたドアから訝しげに顔をのぞかせたのは、長兄のアダルベルトだった。


「あぁ、リリアーナが使っていたのか……」


「アダルベルト兄上、すまないな。鍵を開けたままでいたから間違えたのだろう」


「いや、鍵を回す方向で気づくべきだった。前にもあったんだ、先にレオカディオがいる時に間違えて鍵をかけてしまったこと」


 相変わらず眉間にしわを溜め込みながら書斎へ入ってきた長兄へ、椅子を下りて礼をする。背が伸びてきたため、もう飛び降りなくてもちゃんと床へつま先がつくのだ。

 次の冬の季で晴れて十五歳を迎えるアダルベルトとは、今でも首をあげて見上げるほど身長差がある。頬の輪郭には未だ幼さも残るが、体つきや骨格などはもうしっかりした大人のものだ。その容貌は年々、父であるファラムンドに似てきている。本人も似ていることは意識しているのか、近頃は髪の整え方までそっくりだった。


「兄上がこの時間帯に書斎へ来るのは珍しいな」


「あぁ、少し時間が空いたから。何か手軽に読めるものを借りようと思って」


 そう言って長兄が歩み寄ったのは、つい先ほどまで気にしていた冒険譚などが収められた通路側の書架。アダルベルトもああいう本を愛読しているうちのひとりなのかもしれない。

 あまり屋敷から外へ出ることのない身であれば、大陸中を旅する物語に憧れるという心情が湧くのも何となく理解できる。統治という役割に封じられた領主の家系。冒険譚にたくさん読まれた痕跡が残っているのは、そういった理由もあるのだろう。


「兄上、そこにある本について訊いても良いだろうか?」


「……何だ?」



挿絵(By みてみん)



 愛読書ならば、他の本のことも知っているかもしれない。ちょうど気になっていた勇者の物語について訊いてみることにした。


「その書架には勇者の冒険をテーマに書かれた本がいくつか収められていたが、ここ三百年ほどの新しい物語が見あたらなかった。その辺の話はまだ刊行されていないのだろうか?」


「それなら俺の部屋にあるよ」


「え?」


「……いや、独占していてすまない。幼い頃からあれを何度も読んでいるから、父上に許可を得て自室の書棚に置かせてもらっていたんだ」


 なるほど、と納得のうなずきを返す。リリアーナの私室に置かれている子ども向けの本は、対象年齢からして自分以外に読まないだろうと気にしたこともなかったが、書籍を共有していればそういったことも起こり得るだろう。であれば、兄や父の私室には未だ見たことのない本が置かれているということになる。頼めば見せてもらえるだろうか、いや、プライベートな書籍は内容によっては共有が難しいのかもしれない。


「悪かった。今度ここへ戻しておくから、リリアーナも興味があるなら読んでみるといい」


「急ぎではないし、気にしないでくれ。アダルベルト兄上の部屋には他にも本があるのか?」


「リリアーナは本当に本を読むのが好きだな。俺の部屋には、領内の産業についての資料とか歴史書とか、そういったものを置いているけれど。そんなものにも興味があるのか?」


「ある」


 書斎に収められている資料は、いずれも古い情報ばかりだった。革新的な考え方を持つファラムンドの代であれば、ここ十数年でも大きく変わった部分もあるだろう。最も参考になりそうなものは、おそらくあの執務室に置かれていると思われるが、さすがに仕事の邪魔になることを承知で貸し出してくれとは言えない。

 そういった理由もあり、一番読みたかった本を挙げられたことへ即答を返すと、アダルベルトはなぜか苦笑じみたものを浮かべた。

 いつもしかめっ面ばかり見ているから珍しい表情だ。眉間のしわさえ消えれば途端に柔らかい印象になる。ファラムンドの若い頃を目の当たりにしているような心地がするし、不機嫌顔よりもこちらの方が好ましい。

 五歳記以降、顔を合わせれば多少の会話には応じてもらえるようになったが、長兄とここまでふたりきりで話ができたのは初めてのこと。折角だからもう少し何か話してみたいと話題を探す。


「兄上はもう、統治の仕事を手伝ったりしているのだろう? 十五歳記を終えたら、父上やカミロと一緒に執務室で仕事をするのか?」


「まずは従者たちと一緒に必要なことを覚える所からだけどな。まだまだ実務には程遠いよ」


 そう言いながらどこか誇らしげに口元を緩ませる兄は、リリアーナの目から見ても近い将来携わることになる仕事へ対する奮起と気概に溢れ、輝いて見えた。……すごく、ものすごく羨ましい。


「むう……。いつかわたしも手伝いたいものだが、上にはレオ兄もいるしな、その頃には椅子が残っていないかもしれないな」


「リリアーナも政務を?」


 瞠目してこちらを見る長兄に、ぱちりと瞬きを返す。一拍の間を置いて、なぜ驚かれたのかを理解した。


「ああ、成人した後は父上の指示があれば、余所へ嫁ぎに出ることも承知している。領の仕事に携わりたいのは本心だが、そういった役目を疎かにするつもりもないから安心してほしい」


「いや……、うん……、えー……。あぁ、その歳でもしっかりした考えを持っているようで、何よりだよ……」


 異様に歯切れの悪い台詞とともに視線をさまよわせる。

 誉め言葉らしきものをかけてもらえたし、回答自体は間違っていなかったはずだが、何かおかしかっただろうか。

 この家でファラムンドと共に領の仕事に就きたいというリリアーナ個人の望みと、領主の娘として生まれたからにはその役割を果たすべきという責務、決して両立するものではないと理解はしている。それでも今は、こう生きたいと思うことは自由なはずだ。いつか決断の時が来るとしても、選択肢の束だけは手放さずにいたい。

 豊かな生活を保障されている身分に釣り合った責任、そしておそらくは、魔王の眼を引き継いだことによる新たな役割。為さねばならないことを為し、そのために生きることはすでに一度経験済。――そして同様に、束の間の自由があることも知っている。


 ただ、この場所の居心地があまりに良すぎて、いざ屋敷を出るという時に決断が鈍りそうなのが困りものだ。


「わたしはこの家を気に入っている。だから……、そうだな、もしわたしが兄上の伴侶になれたら、ここを出なくても済むから嬉しいのにな」


「ぇあ」


 喉に穴が空いたような奇妙な声とともに、アダルベルトの眉間のしわが倍増した。ぽかんと口をあけ、両手を不自然に開いた格好のまま、じりじりと横方向へ移動する。前衛的な彫像にでもなってしまったかのようだ。

 どうかしたかと声をかけるよりも前に、おかしな動きを見せていた長兄は疾風の如き勢いで書斎を飛び出していった。バタン、と閉じられた扉から遅れて風がやってくる。開いていた本の頁がぺらりと捲れた。


「……何だ? 兄上はどうしたんだ、突然」


 疑問を浮かべて机の上のアルトを見ると、直角に曲がって顔をそらされる。


<私は、ただの玉なので……玉なので……何もわかりませんなァ……>


「まぁ、そうだな。いくら聡いお前でも、ヒトの感情の機微を察するのは難しかろう。わたしでも分からないくらいなんだから」


<……ソウデスネー>



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