危惧①
アルトのように広範囲の詳細な探査はできずとも、部屋の周辺くらいは様子を見ることができる。
昔よりも綺麗になっているが、造りも間取りもほとんど変わっていない城に何とも言えない懐かしさを感じていると、わずかに緊張を湛えた様子のキンケードが「なぁ」と声をかけてきた。
「一応、オレは領主からの文書を預かってきてる特使って名目なんだが、挨拶も手紙もあの銀加っての相手に済ませちまって良いもんかね。さっき代表かと訊いてもぼかしてただろ?」
<うーん、そうだな……奴の祖父である黒鐘も健在らしいが、来客の相手をするような性格ではないし。城を取り仕切っているとしたらバラッド……いや、銀加が文官業のできる者がいないと言っていたから、もうここを去っているのか>
「黒鐘ってじいさんの名前は八朔からも聞いたことあるが、バラッドってのは初耳だな?」
<ん、かつての臣下にバラッドとアリアという吸血族の兄妹がいてな。どちらも騒々しい居候だったが、わたしの身の回りのことや各所への連絡など、細々としたことを手伝ってくれていたんだ>
四十年前、『勇者』が森を突破して城に向かっているとの報せを受けてすぐ、アリアと小鬼族たちには魔王城から離れるよう命令を下した。戦力外の小鬼族はともかく、魔法の得意なアリアは十分戦力に数えられる腕前だったが、彼女を命の危険がある場所へ留めるという選択肢は浮かばなかった。
自分だけ逃げるなんて絶対に嫌だ、どうして兄や夜御前は残っても良いのに自分だけ、と泣きわめいて暴れてせっかく準備したマントが破かれたり鎧を引っ掻かれたりとそれはもう大変な目に遭ったが、バラッドが説得してどうにかなだめてくれたのだ。──もしここで兄妹そろって命を落とせば、吸血族の血が絶えてしまうから、と。
今思い返すと、どうしてアリアだけ逃がそうとしたのかいまいち動機が不明瞭だけど、当時の自分も同じようなことを考えたのかもしれない。種族的にも、やはり近しい者が絶えてしまうのは忍びない。
「オレは何度もここに来て色んな種族のヤツを見たけど、吸血族には会ったことないかな。子どもの頃に読んだ本だともう絶滅してるって書いてあったのに、まだ生き残りがいたんだねぇ。なんか、いかにも偽名ですって感じの名前~」
<隠れ里は疫病に滅んだと聞くが、あのふたりは里ではなく森の向こうから来たようだ。わたしにすら出自や過去をほとんど打ち明けなかったくらいだから、色々と事情があるのだろう。今はどこで何をしているやら……>
「そっか。他に適任者がいないならしょーがねぇな。ところで、特使で来てるオレはともかく、お前さんたちは地下の書庫ってのに用があるんだろ? 心証も良くねぇなら無理に付き合うこたねぇ、噂の件はオレが聞いておくから、そっちはそっちで先に用を済ませてきてもいいんだぜ?」
別にやましい事があるわけではなく、政治的な話し合いに付き合うのは退屈だろうと言ってキンケードが先行を促してくる。エルシオンのお目付け役として同行してはいるが、こちらの用件を鑑みれば多少の別行動は大目に見るという彼なりの気遣いだろう。
ここに残って銀加の話を直接訊きたい気持ちと、地下への転移にヒトは耐えられないだろうからと内心揺れている間に、エルシオンが首を横に振ってキンケードの提案をやんわり拒否した。
「話が終わるまでオレたちも一緒にいるよ。彼とちゃんと話すのも久し振りだし。あと、おっさんの腕が立つのは知ってるけどさ、城にひとりで置いとくと何があるかわからないじゃん?」
「何だそれ、ここが危険ってことか? デスタリオラ支持派の連中は人間を襲ったりしないんだろ?」
「んー……、例えばさ、コンティエラは『良い街』だけど、じゃあ住民もみんな『良い人』しかいないって言える?」
「お前さんの言うことはどうもいちいち刺さってくるな……。わかった、オレみたいな部外者がいても構わないってんなら、このあと同行させてもらうぜ」
<水臭いことを言うな、お前を部外者だなんて思ってはいない。ただ、地下書庫へ行くには転移を使うから、>
「だいじょーぶだよ。普通のヒトには体に負荷がかかるって心配してるんだろうけど。あの転移ならおっさんも一緒に行ける」
<そうなのか? 誰かを伴ったことがないから、無害なものだとは気づかなかったな……。む、どうやら銀加たちが戻ってくるようだ>
それを聞いて急いで居住まいを正すキンケードの向こう、セトが何か言いたげに首をもたげていた。
少し前から無機質な瞳がじっとこちらを見ているけれど、言葉は伝わってこない。気になることでもあるのだろうか。こちらから声をかける前に扉の開く音がして、セトはキンケードの腿を枕にまた寝入ってしまった。
応接室へ戻ってきた銀加と揚葉は、人数分の茶器と焼き菓子の詰まった大きな籠を携えていた。
籐編みの日用品作りは昔から小鬼族らが得意としている物だ。城は見違えるほど瀟洒になっても、素朴な工芸品の出来栄えは何も変わっていないようで少しほっとする。
出されたお茶と菓子をつまみつつ、しばらくは八朔の近況やサルメンハーラの復興の様子など、情報交換も含めた雑談を交わしていた。
ファラムンドから預かってきた書簡にも八朔の処遇と自治領について書かれていたようで、その場で読んだ銀加は黒鐘の意向を確認したのち、帰りまでに返信をしたためると請け負った。
孫である八朔を捕らえたまま預かっている件について、彼らがどう考えているのか不安もあったが、自分のやらかした罪は自分で贖うべき、という点で黒鐘とも意見が一致しているらしい。どこにいようと元気でやっているならそれで十分と朗らかに言い放つ銀加に対し、兄である揚葉だけはいつ解放されるのか、いつ帰ってくるのかと食い下がる。
書簡には、本人が希望すればいつでも預かっている剣とともにサルメンハーラまでは送り届けると書いてあるはずだが、当の八朔は自警団を気に入って居ついているようだから、地下道の封鎖までに戻れるかは少し怪しいかもしれない。
サルメンハーラについても同様に、キヴィランタ側にとって不利なことは書かれていない。むしろ『白い古代竜』の出現を利用したイバニェス側からは、手厚すぎるくらいの支援が約束されている。
あの町を破壊した犯人が誰なのかは当然銀加も把握しているようで、その話題になるとキンケードの膝の上でくつろぐ翼竜をちらりと見て苦笑いを浮かべた。
「魔王様のご健在の頃から、セトさんが塔に突っ込んだり城の外壁を壊したりなんかは良くありましたけど。あの町が丸ごと更地になりかねなかったと聞いた時は、さすがに冷や汗ものでした……」
倒壊に巻き込まれて亡くなった頭領のことは残念だが、あれだけの被害を被っても住民らに死者が出なかったのは幸いだったとこぼす銀加。その口ぶりから、あの頭領との関係はあまり良好でなかったことが何となく伝わってくる。
同じことを察したのだろう、遠慮なしに焼き菓子を頬張っていたエルシオンがわざとらしく首をかたむける。
「やっぱ、今でもヒトは嫌い?」
「……ヒトも、あなたのことも、憎んではいませんよ。だけど、僕は姉のようにキヴィランタの民と聖王国のヒトが交わって生きてけるとは、どうしても思えない。サルメンハーラ商団の皆やキンケードさんのように、交流を望んでこちら側まで来てくれる方なら歓迎します。でも、森の向こうはヒトの世界だ。境界を曖昧にすれば、きっと良くないことが起きる」
昔から商団の面々と懇意にしており、エルシオンとも気兼ねなく話す銀加からそんな言葉が出るとは少し意外だ。金歌があの町で聖王国側を守るように暮らしているから、弟である彼も同じ考えだとばかり思っていた。
「物資の行き来が盛んになれば、またあんなことが起きるかもしれない。あなた方もそれを危惧するからこそ、交易を制限しているんでしょう?」
「あんなこと?」
「……」
その言葉に口を引き結んで難しい顔をしたキンケードは、怪訝そうなエルシオンを横目で見る。その視線は隣に座る男の顔ではなく、首から提げている革袋……こちらへと向いているように思えた。




