報いのアントコロニー①
両腕を広げれば左右の壁に手がついてしまう程度の道幅。光を発する菌糸類が等間隔に植えられているため辺りはぼんやりとした光に包まれて歩行に支障はないものの、狭苦しさは否めない。地下道なのだからそれも仕方のない話ではあるが。
計測される酸素量は呼吸にまったく支障のないもので、想像したような淀みやガスの混入も見られず、むしろ澄んでいると言えるくらいだ。なだらかな坂を下り続けた現在地から地表までの距離は、コンティエラの白塔が三本収まる程度。これだけ地下深ければ他の生物と遭遇することも、鬱蒼とした木々の根も届くともあるまい。
その上、掘削にかけては比肩するもののない大黒蟻の掘った道は、彼らの分泌液によって補強がされている。たとえ大きな地震が起きても壁や天井が崩れることはないだろう、と不安を見せるキンケードへ説明をしたのが今朝方のこと。
大らかで度胸もある男がだ、どうも未知の深い地下道に対する生理的な恐怖心……もとい、狭くて逃げようのない場所が昔から苦手らしく、地下へ入る前からずっと渋面を浮かべていた。道行く通行人が顔を引きつらせて距離を取る凶悪顔だったが、その緊張も慣れによってほぐされたのか、今では道先案内を務める大黒蟻の青年と呑気な会話を交わすほど落ち着いていた。
「よく地下にこんな道を掘ったもんだ。北の辺りは土が硬くて、井戸を掘るにも苦労するって聞くぜ?」
<土を掘る、我々の仕事。このくらいは、たやすい>
薄暗い通路を一列になって進む中、周囲を見回してしきりに感心するキンケードへ、黒蟻の青年は触覚を振りながらどこか自慢げに応えた。
金歌が案内役にと寄越すだけあってずいぶんと社交性のある個体らしく、気のいい蟻には<力持ちだから、背に乗っても構わない>と誘われたが、生憎とそれを受ける者はおらず、エルシオンも肩にセトを乗せたキンケードも自分の足で狭い地下道を歩いている。
<しかし、森の真下は、我々も苦労をした。この深さでも、大きな岩が多く、迂回になる>
<確かに、この先の道はずいぶん曲がりくねっているようだ。ベチヂゴの森は最短距離を突っ切っても徒歩では日を跨ぐほど広いし、数日はかかるかもしれんな>
<途中、休憩する場所、ある>
首だけで後続を振り返った黒蟻は、エルシオンではなくその首の下──革袋に収まった宝玉を透かし見ているような気がした。念話の発信元がわかるのだろうか。気になりはしたが、深く訊ねることは控えておく。
無用の混乱を避けるため、思考武装具の宝玉にデスタリオラの意識が宿っているという現状は信頼できる一部の者以外には伏せている。同行者以外でこのことを知っているのは、今のところキヴィランタへ渡るための協力を仰いだ金歌のみだ。
他の者へはアルトの振りで通すことにしたため、黒鐘や銀加など『アルトバンデゥスの杖』と話したことのある相手と会う時は気をつけないと。
カミロの言葉によって演じるという処世術を学びはしたが、未だに演技で嘘を通すのは得意ではない。それが必要なことだとわかっていても、隠し事をするだけで心の内に薄いもやが積もることを『リリアーナ』として生きて知った。
だから色々と訊ねたいことはあっても、案内役の彼と言葉を交わすのは必要最低限にしている。女王であるワウ=トライテは例外としても、大黒蟻の大半は寿命が長くないから、この青年はアルトバンデゥスの杖どころか『魔王』デスタリオラを見たことすらないだろうけれど。
『私、土の下は初めてだわ。ここも、なかなか悪くないわね』
「まぁ、そのサイズなら窮屈さもないでしょ。っていうか、アンタも自分の都合で森を越えたいんだからさ、いつまでもオッサンに乗ってないで自分で歩けばいいのにって、オレは思うんだけど?」
『度量の小さい雄ね。私は、矮小なヒトなんかと、言葉を交わす気はないのよ』
ふいと首を背けたセトはそのまま太い後ろ首を回り、襟巻のような形で体を垂らした。それが特に不快ではないのか、キンケードの方はもう何をされても文句を言わず、まとわりつく白竜の好きなようにさせている。
自分の秘密を打ち明けた時にも思ったが、この男は度量がどうこうというより順応性が高いのだ。
一年前、キヴィランタに程近いサルメンハーラの町で起きた、飛竜による聖堂襲撃事件。あの晩のアダルベルトに対するエトの悲痛な叫びを察知し、大いに勘違いしたセトは、激高して自分の体を分子レベルまで細分化し位相転移という信じがたい離れ業で森越えを果たした。
キヴィランタへ戻るなら同じ方法を使えば済む話なのだが、怒りが落ち着いた今では自分でもどうやったのか全く分からないとのことで、自力で帰れなくなったらしい。
救いに来たはずの仔には冷たくあしらわれ、知己だからと勝手に頼られた金歌も町を破壊した元凶──それも精神性のスケールが違いすぎて己がしでかした事態を全く理解しない相手をそばに置いておくことが難しく、仕方なくこちらで引き受けることになった。
できればセトにも己の過ちを分かってほしいが、ファラムンドの企てにより『巨大な白竜は古代竜だった』ということになってしまったから、今さら謝罪をさせることも難しい。
何より、金歌が苦笑しながら口にした「善悪の観念がない相手に、形だけ謝らせても意味がない」という言葉には自分も同意だ。セトの目線ではヒトも羽虫も大した変わりがない。
「どーなの、この態度。オッサンも子持ちの熟年マダムにまとわりつかれて鼻の下伸ばしてないで何とか言ったら?」
「オレがそんな顔してるように見えんなら、まず自分の目をどうにかするべきだぜ」
「ヒゲ好みの不倫なら気にしないけど、オレの好きなコにまで色目使ってくるんだもん、その年増竜。見境なくてやーだやだ、ピュアで一途で純朴なオレには信じられないよ」
「具合が悪ぃのは目だけじゃなかったな……」
<負傷には、その苔を、塗ると良い。食べても良い>
「食えんのか、この光ってるの? 苔だぞ、ほんとか? まぁこの環境じゃ贅沢は言えねーよな、道程が長いから食えるモンがそばにあるのは安心っちゃ安心だが」
<冗談だ>
「お前その顔で冗談言うのかよっ!」
長距離ゆえに退屈するかとも思われた地下道行脚は、そんなこんなで賑やかな雑談を交わしながら過ぎていく。
 




