彼と彼女の役割
続々と屋敷の門から出てくる来賓たちの馬車、あの中のどれかにノーアも乗っているのだろうか。今は探査を閉じているため、こうして視ることはできても乗っている人物の特定までは難しい。
一年ちょっとの間に背が伸びて、少しだけ肉付きもましになって、体力のなさは相変らずでも元気そうな姿を確認できて良かった。ちくちくとした皮肉と憎まれ口も相変らずで、同じく口の悪いクストディアと息が合っていることだけちょっと意外だったけれど。
前に通信越しに聞いた『精霊の宣告』という言葉から、おそらくそれに近い立場ではと推測を立てていたものの、本当にノーアが中央聖堂の大祭祀長だったとは。かなり上の地位だろうとは思っていたが、上どころではない。先代がまだ存命だとしても、ほぼ聖堂組織の頂点だ。
知らなかったとはいえ、これまでの会話や態度が今後のリリアーナにとって悪影響を及ぼさないか、今さらながら心配になる。まぁ、あの少年ならそんな小さなことを咎めたりはしないか。
自ら参列はできずとも、昼の式典の様子は始終観測していた。立派になった友人たちの姿が感慨深く、節目であるこの日をそばで見守ることができたのは幸いだ。
……それでも、できることなら、自分の目でクストディアの晴れ姿と壇上のノーアを見てみたかった。
捨てるべき未練が、まだ心の底にこびりついているのか。いいかげん割り切るべきなのに、リリアーナの身とあの生活が、家族や友人が、恋しいと思ってしまう。
「まーた何か考え込んでるでしょ?」
<常に考えているぞ。今はもう疲れたり眠ったりしないからな>
「そうじゃなくって……。ま、死んだはずの自分がふつーに生きてるのを外から眺めてたら、複雑になるのもわかる気がするよ。オレも幽霊とかって全然信じてなかったんだけどなぁ」
<幽霊か……、その辺も追々調べないとな。信じがたくともこうして現実に起きているのだから、もっと情報を集めて現状を正しく認識しなくては>
『魔王』デスタリオラの死を迎えた後、リリアーナとして生まれ直したことだって未だ理由も原因も分からないままだというのに。領事館の崩落で再び死んでから、今度はアルトの宝玉に移るなんて。
死。
──そう、リリアーナとして生きていた自分は、あの時の負傷でたしかに死んだはずだ。
目の前にいる瀕死のカミロを助けることに夢中で、つい自分のことを後回しにしてしまったけれど。冷静に思い返せば、頭蓋骨の損傷に脳挫傷、全身の打撲と骨折と内臓もいくらかだめになっていた。そんな状態で無理に動いて魔法行使、そりゃあ死にもする。
アルトとパストディーアーが止めてくれたのに、どうしても、カミロの命を諦めることができなかった。リリアーナとしての命は自分だけのものではない、何かあれば家族も周囲も酷く悲しませてしまうと分かっていたのに。天秤にかけた。
<リリアーナが……生きているなら、それはそれで良いんだ。元々わたしの記憶と意識があの幼子を乗っ取っていたようなものだから。わたしが抜け落ちたことで、これからは普通のヒトの娘として生きていけるなら、それが一番いい>
「キミがそう言うなら、オレはから言うことは何もないよ。『魔王』だった頃を忘れてる以外は、怪我も治ってすっかり元気みたいだし。なんでか性格や口調はわりとキミのままだよねぇ」
<そうか? あんなに仕草や表情が幼げではなかったろう?>
「いやいや、キミもじゅーぶん幼げで可愛かったよ」
エルシオンの言葉は何となく納得いかないものの、自分なりに幼い子どもとして生きていたわけだから、幼げという判定に怒るのもおかしい。うん、ちゃんと幼女としてやれていたということだ、問題はない。
ラロとコジックの共作である緻密なガラスの装飾品やビーズ、密かに取り寄せた化蜘蛛の糸を使ってコンティエラの職人が編んだ繊細なレース。そして、それらの素材を活かし華やかに仕立てたファラムンドの意匠。
時間も手間もかかった此度のドレスは、リリアーナの持つ色彩によく似合っていた。自ら纏うよりも、こうして外から見たほうがそれを実感できる。
ただ、薄化粧のせいか鏡で見慣れた顔とはどこか隔たりがあり、なんだか観賞用の置物を見ているようだった。
リリアーナはもう九歳、今年の春にはいよいよ十歳記。
魔法を扱う才能も赤い精霊眼もそのままに、デスタリオラの記憶と意識をなくしたイバニェス家の末娘。少し普段の口調がまわりと違って、多少興味の方向が個性的で、だいぶ飛びぬけた魔法師の才を生まれ持っているだけの普通の少女。本来あるべき形に戻ったわけだ。
惜しいとは思うまい。望んでも叶わないと諦めていたことが、こうして叶ったのだから。
<生前の記憶をなくしても、リリアーナが自身へ与えられた『役割』をこなすことに意欲的で良かった。それまで一緒に忘れていたら、一体どうなっていたことか>
「悪いお嬢サマになる、とかいうやつだっけ? 良い子がなろうとしてなるモンでもないよねぇ。ま、リリアーナちゃん個人とはもう無関係だからそんなに興味もないけど……、あんな小さい子までそんなのに縛られてると思うと、いい気分はしないな」
<確かに、己の好きなように生きられるのが一番だ。未だに『悪徳令嬢』の定義もよくわからんし。……だが、あの様子ならきっと大丈夫、あの子らしい人生を歩みながら達成することは叶うだろう。むしろ『役割』に背きたいとか、以前のお前みたいに妙な反骨精神があると危ない>
せっかく戦いに勝ったくせに、倒れる『魔王』へとどめを刺すどころか、それを拒否した反動で大量の血を吐いた若き『勇者』。決められた道筋を逸れようとすれば、ペナルティとして肉体への苦痛が生じる。別に放っておいても『勇者』として生まれた以上は役目をこなすまで死ぬことはない……でも、そうはできずにデスタリオラは自刃を選んだ。
あの時目の当たりにしたエルシオンの酷い顔は、今でもそれなりに気にしてはいる。この先も言うつもりはないけれど。
器が二回移っても薄れることのない鮮烈な記憶を封じ込め、気を取り直すように、念話だから声音は全く変わらないまでも少しだけトーンを上げた言葉を向ける。
<過ぎたことを指摘するのも何だがな、昔のお前は不器用すぎたんだ。変に反抗心を抱かず、役割に沿って生きながらも気ままに自分の好きなことをやるのがコツだぞ?>
「ふはっ、それ五十年前のオレに言ってやってほしいね」
木陰で小さく噴き出したエルシオンは、あの頃となにも変わらない顔、だけど全く違う表情で、楽しそうに笑って返した。




