舞台裏の主役たち②
何か飲むかと身振りで問うシャムサレムに丁重な断りを入れたノーアは、力の入らない様子のままソファの上で乱れた襟元や髪を整える。背が伸びて頬の肉付きなどが多少良くなっても、体力のなさは以前とあまり変わらないようだ。
そんな少年に何かを言いかけるリリアーナだったが、まだその腕を掴んだままでいたクストディアが気を引くように揺さぶった。
「ちょっと、あんな部外者は放っといていいのよ。まだ大事な話が済んでなかったわ。そもそもあんたを休憩に誘ったのは、個人的に少しばかり込み入った話があったからなのよ」
「個人的な話? 何だ、急に改まって、さっきまでだって十分すぎるほど込み入った話だったと思うのだが……」
これ以上のデリケートな話題がまだあるのかと、警戒をにじませながら少しばかり身を引くリリアーナに、クストディアは口を曲げて不満を表明する。
「これまでの話は予定外よ、第一あんな面倒くさい男がこの部屋に居座ってるなんて近づくまで知ら……、こほん。ともかく、あんたはもう少しここにいなさい、大事な本題に入るんだから」
「その面倒くさい男に、大事な話とやらを聞かれてもいいのか? どうしてもと言うなら席を外しても良けれど?」
「ここはうちの屋敷なのに、良くもまぁそこまで偉そうにできるものね。やっぱり帰る前に面の皮を置いていきなさい、なめして鞄に仕立てるから」
少年へ威嚇の表情を向けるが相手には微塵も効果がない。少し考える素振りを挟み、「物知りな大祭祀長様の所感も聞きたいから構わないわ」と言って、クストディアも負けじとソファの上で偉そうにふんぞり返った。
「この前の帰り際のことだけど。あんた、おじい様に依頼した探し物があったでしょう? まさかこれまで忘れたとか言わないでよね」
「……? 探し物?」
しばし記憶を探るような間を置いてから、リリアーナは両の手をぽんと打つ。
「あっ、そういえばそんなこともあったな、うん、覚えているぞ。町で貴重な宝石を落としたとか何とか。個人での捜索が難しいから、ブエナおじい様へ依頼してくれと頼まれたんだ。すっかり忘れていた」
「やっぱり忘れてたんじゃないの! って、頼まれた? 何よ、私はてっきりあんたの失せ物探しだとばかり……」
いつ、誰に、何と言って頼まれたのかをリリアーナは覚えていない。言葉にした後でそのことに気がついたのだろう、わずかに表情を曇らせてから、クストディアにそれを悟られまいと手を振りながら曖昧に濁す。
「まぁ、ちょっとした知人の頼みでな。お前まで絡むと思わなかったが、もしや見つかったのか?」
「見つかったというか、私の元へ売り込みに来たやつがいたのよ。あんたたちが帰ったあとすぐ商人が来て、鑑定では黄水晶でも黄玉でも琥珀でもないっていう、妙な宝石なんだけど。それが面白いことに──」
エルシオンからの頼まれ事、街中で落としたという何らかの呪いがかかった宝石の捜索。失くしていた日数分だけエルシオン自身に災厄が降りかかるというのが本人の談だが、真偽の程は定かではない。
林間の小屋で頼まれたあと、キンケードがちゃんと届けを出し、リリアーナ伝いに依頼されたブエナペントゥラも捜索を快諾してくれたが、どうやら思いもしない経路を辿ってクストディアの手に渡っていたようだ。優劣と真贋を見極める、その目利きを頼ってのことかもしれない。
呪いの石自体はサーレンバーの領民へ被害が出るようなことはないと言っていたが、『呪い』の内容は依然として不明なまま。本当にクストディアにも害はなかったのだろうか?
リリアーナへ顔を寄せて語る少女はそこで言葉を切って、しばし動きを止めていた。だが不意に眦を鋭くし、その眉間にぎゅっと力が籠る。
「……盗み聞きされてる、ですって?」
「え?」
零された小さな呟きにリリアーナはきょとんとし、耳を傾けていた少年は即座に否定を返す。
「いや、僕が来てからこの部屋にはずっと遮音と暗幕の魔法をかけている。部屋の外からの盗み聞きも、窓からの覗き見もできる訳が……、違うな。訂正する、ただの盗み聞きじゃない、魔法をかいくぐってる奴がいる」
「ええ、何だか知らないけど、下劣な不届き者がいるようね」
ノーアとクストディアは憤慨も露わにそう言って。
──同時に、こちらを見た。
ありえない、という考えは即座に否定する。間違いなくこっちの存在を気づかれた。探査へ向けていた意識を本体へ戻し、即座に念話を飛ばす。
<まずい、今すぐここを離れろ!>
「了解!」
エルシオンが短い承諾を返す。理解と反応が早い。その言葉を発したときにはすでに潜んでいた枝から外塀へと跳び移り、人間離れした速度で屋根の上を駆けていく。
建立から間もないサルメンハーラとは違い、長年の改築を重ねたサーレンバー領の町並みは高低差が様々。走る足場としては不向きでも、それを気にするような男ではない。わざわざ浮遊の魔法を併用するまでもなく、難なくそれらを飛び移って宙を駆け、あっという間に領主邸が遠く離れていった。
今さらな所感ではあるが、『勇者』としての権能を宿したままのエルシオンは身体能力がとんでもない。コンティエラの街で初めて遭遇した際は、「追いかけっこ」に興じていたのだろう。でなければ子どもふたりを抱えて走るカミロに追いつくまで、あんなに時間を要するはずがない。本気になれば足止めのキンケードもエーヴィも相手取ることなく捕まえることができたはず。
……モヤッとした苛立ちを感じるが、今はこの健脚が大いに助かっている。
道を照らす街灯も、酒に湧く通りの喧噪も届かぬ高さと速度。夜闇に紛れながらたまに進路を変えつつ進み、やがて街の南端が見えてきた。駆ける足を止めないまま、エルシオンが小声で呟く。
「どうかな、まだ危ないかな? いっそこのままサーレンバーを出ちゃう?」
<いや、追尾の魔法などは感じない、もう止まっても大丈夫だ。すまない、わたしのミスだ、もう少し慎重になるべきだった……>
ノーアのそばに大精霊がいることはすでに察しがついていたのだから、こちらを捕捉される事態も予想できたこと。なのに「話を聞きたい」という好奇心に負けた。見通しも予測も甘かった。
能力への過信と慢心。生前からずっと気をつけてきたことなのに、今さらになってこんな失敗をするだなんて。
自身への落胆と気落ちを覚えるが、この身ではため息のひとつも出ない。元々感情の発露が見えにくいと言われていたけれど、今は全くなくなった。果してそれは残念なのか、それとも良いことなのかだろうか。幾分調子に乗っていた自覚もあるため、油断からのミスは精神的に痛い。
そうして内省に沈んでいると、エルシオンが首からさげた革袋ごと、強く握り込んでくる。
「大丈夫、なんともなかった。もし何か起きても、オレがついてるよ、安心して」
肌身ではなく、数値として男の体温と握力を感じ取る。
緊張を含まない安定した体温は急な運動のためわずかばかり上昇しているが、拍動はすぐに落ち着いた。圧力は強すぎず弱くもなく、グローブと袋越しに包み込んでくる。
こちらを慮り、安心させようという心は伝わって来た。でも、何と返事すべきかすぐには言葉が出てこなくて、黙ったままわずかに振動を返す。
それだけでも十分と言わんばかりにエルシオンは嬉しそうな微笑みを浮かべ、まるで祈るように宝玉の入った革袋を両手で握り締める。
思考武装具アルトバンデゥスの杖の思考中枢、青色の宝玉。
それが、今のわたしの姿だ。
この章に入ってからの視点はそういうことだったんです、という訳で
次からはそっちに移るというか戻るよ。
今年もたくさん読んでくれてありがとうございました~!
故障したり改造したり退職したり再就職したりと波乱万丈の一年だったものの、
元気に年越しできてるから万々歳。
週末しか文字書けなくてペースが一層落ちてしまったけど、
今後もじわ…じわ……と進めていくので、気長にお付き合いください。
では、よいお年を~~~!!!(∵)ノ




